−歪んだ北極星U
第二章−【誰彼の五大魔女−暁と陰の章−】
−禍日神編−
第一話−【Place of period-T 貴方以外に抱かれる日】
―――――――――――――馬鹿だったのは、俺だ。 どこまでも、どこまでも幼く、無力で、浅はかだったのは俺だ。 守られてばかりの自分に気付かず、正論を言っては光を傷付けた。 死ぬほどの思いをして白石を繋ぎ止めようとしていた、千歳を憎む思いすらあった。 お前が帰ると言っていれば、白石は残らなかっただろう、と。 全国を捨てた白石の、今の苦しみに蓋をして、何故と問いつめるように見ていた。 俺はただ、全国にもう一度、白石と立ちたくて。そこにはもちろん、光も千歳もいて欲しくて。 白石もそうだと思った。だから、あんなにも浅はかでいられた。 彼がそれを諦めるために、どれほど苦しんだかも、無知の容易さで無視をした。 だから、これは罰なのかもしれない。 少なくとも、俺は白石を何一つ守ってやれなかったのだ。 光の「あんた、部長に死ね言う気か?」という言葉を、身をもって知った。 「千歳さん」 白石の眠る部屋に財前が戻って来て、声を潜める。 「出た方がええみたいです」 「なんね。バレたと?」 「そやないけど、『おツレが具合悪いならウィッチ様呼びましょうか』て。 善意やろけど、呼ばれたらバレる」 「…ああ」 街の人間が呼べるような、場所に属したウィッチは全て元老院の管理下だ。 彼らには当然、二人の五大魔女の逃走は伝わっている。 そして、彼らが一番『害』と見なしているのは五大魔女をそうさせた『漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉』。 「チェックアウトしてきます。千歳先輩、部長連れて先出とってください。 俺、時間稼ぐんで」 「すまんね…」 白石、起きられっと?、という千歳の声に頷いて身を起こす白石の顔は酷い程真っ青だ。 手を貸したくて、でも言いようのない気持ちに遮られて戸惑う自分を、一瞬見た財前が諦めたように顔を背ける。 それに、胸は痛んだ。 それでも、まだ納得すら出来ない。 外は夜も明けておらず、暗い闇を小雨が濡らしていた。 「…けんや」 千歳に支えられて舗装された道からそれるように歩く顔がふとこちらを見遣った。 なに、と答えた声が掠れたのに、白石は青ざめた顔で笑う。 「ごめんな。ゆっくり休めんで。…疲れとらん?」 心臓が、掴まれた気がした。 疲れているのはお前だ。ゆっくり休みたいのはお前だ。 ごめんは、俺だ。 何一つ、声にならない。 心の中でうるさいほど、外に出してと喚くのに、声にならない。 遠くで人の騒ぐ声が響いた。 「気付かれたか…?」 複数の声に混じって、五大魔女の名が聞こえた気がした。 「やばい。急がんと…」 走れ、と謙也に促した千歳が白石の肩を強く抱いて走り出す。 その矢先に、抱いていた身体が口元を押さえて傾いた。一瞬で青ざめた千歳が咄嗟に受け止める。 「…白石…っ」 抱き留めた身体に意識は辛うじてあったが、既に歩くことすら不可能だとは一目瞭然で。 「……俺が…サンダーウィッチならよかのに……っ」 違う、ごめ、と掠れて謝る身体を抱き上げた千歳が隠れてやり過ごすしかないかと路地を抜けた獣道で、ランプを吊して黒ローブの身体が佇んでいる。 待ち伏せかと後ずさりかけた千歳の脇を縫って光弾が走った。 背後を謙也が咄嗟に振り返ると、追いついてきた財前が手を構えている。 黒ローブは光弾を喰らったがガードしたのかローブが破れただけだ。ランプを持ち直すとにこりと笑う。 「せ」 「千里っ!?」 謙也にとっては、ただ、千歳と同じ顔、千歳が二人としか形容出来ない。 だが千歳と財前は彼を「千里」と呼んだ。 「こっちゃ。南方国家〈パール〉への抜け道ばい。元老も知らなかよ」 迷う暇もない。 千里の誘導で木陰に隠れた穴をくぐると、千里が手でスイッチのような出っ張りを押した。 すぐ中に光りが灯ってそれは相当先まで続いている。同時に出口は堅くふさがった。 「千里、なんでこげんとこに…」 「お前らを受け入れる準備が整わなかったけん、なかなか来れんですまんね。 やっと話し合いのカタがついて、五大魔女二人と漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉を南方国家〈パール〉でかくまえるこつになったばい。 お前らの居場所は、お前がおればわかったい」 「…対はとことん便利ばいね…」 「話し合いって、四大国家?」 「そう。四大国家だけで、元老院にナイショで表向き『漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉と五大魔女を捜して』、裏では匿うってこつ。 今の四大国家は五大魔女も大事やけん、漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉も立派になくてはならんけんね。 元老とは違うばい。 で、東方国家〈ベール〉やといろいろやばか。だから南方国家〈パール〉」 納得した千歳たちが助かったと呟くのが聞こえた。 「あと、復讐王と漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉の婚儀の話は、しばらく保留にしてくれるよう言っといた。 だけん、ゆっくり休んでよかって言うてやって」 「…すまん、有り難うな千里」 「俺はそこらへんは手は抜かんだけばい」 けらけらと笑った千里が、ふと茫然とする謙也に気付いて微笑んだ。 「蔵の子供じゃなか方の謙也?ばいね」 「ああ、俺らの世界の」 「俺はこの世界の千歳千里。南方国家〈パール〉の重臣やっとう。 で、漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉はここにおる白石蔵ノ介んこつ。 東方国家〈ベール〉第一王子な。 ややこしかし、千里でよかよ」 「……あの」 「ん?」 明かりの先が途切れて、広い場所に出る。そこに待つ馬車が迎えるように扉を開けた。 「…漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉…と復讐王…の婚儀、て………?」 謙也の言葉に、千歳がきつく白石を抱いたまま視線を逸らして馬車に向かう。 「復讐王が漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉を妻に望んどう。 四大国家でそれは決まっとうし、漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉…殿下もそれに応じた。 ばってん、それがやっぱり無理で逃げたんが今ばい。 あんた…殿下たちの世界では男同士は無理ばってん、ここでは通るばい」 説明して、それから千里が謙也の顔を見て、一瞬辛そうに目を細めたまま、はよ乗らんねと促した。 今頃、雨が冷たい。 ここは雨が降っていないのに。 疲れているのも、休みたいのも、辛いのも全部白石だ。 俺じゃない。 …馬鹿なのは、白石じゃない。 …俺だ。 南方国家〈パール〉王宮、王の部屋は広いが同時に暗かった。 カーテンが常にひかれた部屋には、魔法の明かりしかない。 手紙の封を切ったナイフで、机に置かれた写真の顔を貫いた手がぴたりと止まった。 「ノック、しようよ」 振り返った王――――――――復讐王に言われて、西方国家〈ドール〉の宰相はしました、と素っ気なく一言。 「せやけど、ナイフで顔貫く程嫌いなら魔女二人は元老に渡せばええんに」 復讐王、越前リョーマの手元の写真に写るのは千歳と白石。ナイフは千歳を貫いている。 「まさか。利用価値はあるよ」 「剛胆なことで。 で、漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉の容態はいかがです? ここに匿ってもう一週間でしょ」 「大分いいらしいよ。 ただ、微熱がちょっと続いてるみたい」 「あんたは見に行かないん? 逃げられた言うても婚約者や」 「そこんとこ俺は傷ついてないんだけど、白石さんは追いつめちゃうでしょ。 俺が会いに行ったら」 「…ホンマ、気に食わん王やわ。 せやけど、アレはええん?」 「あれ?」 「この国の重臣。フレイムウィッチの対ですわ。 あれ、色々頑張っとるけど…どっちかっちゅーたらフレイムウィッチの味方に偏っとります。 匿うことに必死に各国行き来したんも、そん為やないんですか。 あの人は『国を選んで自分を捨てた白石蔵ノ介』を殺した前科者や。 …白石蔵ノ介に千歳千里を選ばせるためならなんだってやるんちゃいます?」 「…それでも、結果プラスになるよ。あの人は」 「……そうやとええですけどね」 寝台で眠る顔には、大分色が戻ってきている。 時折目を覚ましては、千歳がいるのを見て安心したように手を伸ばした。 そのまままた眠りに落ちてしまった白石の髪を撫でて、千歳は立ち上がると傍の財前を促した。 「一度東の国の方に連絡せんと。 殿下は無事やて」 「…ああ」 部長は?と問うと千里が見てくれると一言。 「信頼してはりますよね」 「白石を守るっちゅう一点では一番」 「…まあね」 「謙也は」 「最近おとなしいっスわ。ずっと」 つか今頃聞きますかとは言わなかった。お互い様だ。 部屋を出る間際、一度眠る顔を見遣って、安心したように扉を閉めた。 ふ、と意識が戻ったのは扉の音がしたからだ。 「…千歳?」 寝起きは心細く、今は尚更だった。 呼ぶ声に答えはない。 誰もいない部屋だ。 二の句を継ぐ前に扉が開いて、見知った後輩が入ってきた。 「寝てないとダメですよ」 「…財前。…千歳は」 「あの人はあんたの父王に挨拶。愛息子をさらった身だから色々言うことはあるでしょ」 「…駆け落ちみたいやな」 「事実そうです。 でも…大変や」 「…え?」 思わず問い返した白石に、財前がわかっとるでしょ?と言う。 「匿った場所や匿ったことはわからん。でも、元老は二人の五大魔女を奪ったのがあんたってことは知っとる。 …東方国家〈ベール〉が経済制裁喰らっとるんです。 流通は結局元老の管理下やし。 あと、東方国家〈ベール〉の民の病気や怪我を治さんようウィッチが全部規制喰らっとるから一ヶ月もしたらあそこは何万死ぬか」 「………」 声を失った白石を、後輩がなに青ざめとんですかと笑う。 「わかっとって逃げたんでしょ?」 何万て屍の上で自分だけ幸せになるんを。 千歳を選ぶと誓った。 彼自身に誓った。 彼の対に誓った。 でも、本来助かる筈の傷で、病で死ぬ人間の気持ちは、 食べられる筈の餌を失って死ぬ人間の気持ちは、 自分は知らない。 『行く当てがないなら、ここに来なさい』 あの人が救ってくれたから。 陛下が救ってくれた。 命もなにもかも。 千歳を救う力も。 飢えの悲鳴も苦しみの非難も、俺の代わりに全てあの人が背負う。 あの人は、俺の幸せを望んでくれたのに。 「…復讐王は、どこおる」 そう聞いた白石を、彼は満足そうに見下ろした。 またノックもなしに開いた扉に、文句を言ってやろうと振り返って言葉を失う。 「…白石さん?」 まだ起きあがっていい身体じゃないのに。 驚いて振り返った越前を真っ直ぐ見て、彼はふと笑った。 「俺がキミの相手になるなら、…今は黙って抱いてくれるか?」 「…どういう意味?」 「キミの妻んなるのが確定すれば、抱いてくれるか。 俺が今は千歳を想っていても」 「…なってくれなくても抱きたいし、抱ける。 でも、そう言い出すってことはなにを取りはからって欲しいの?」 越前の言葉に、わかっとる癖にと声が笑った。 「東方国家〈ベール〉を救って欲しい。 『漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉はフレイムウィッチから手を退いた。 もう東方国家〈ベール〉への制裁は不要』と四大国家の三国で元老に取りはからって欲しい」 「……結局、あんたも『白石蔵ノ介』だね。 …『千歳』を一番に選べない」 「…思い知ったわ。…そしてこれからも思い知り続ける」 己を嗤って俯いた身体を抱きしめて、そっと寝台に押し倒す。 拒まず足を開いた身体がそれでも一瞬、目をそらした。 部屋に白石がいないと気付いて、千歳はまず千里の元へ向かった。 足早に歩く廊下は長くて、恐ろしい程苦しくて、切ない程心細くて。 選んでくれたからここにいる。 なのに、彼がまた届かないどこかに行きそうで。 不意に耳を掠めたのは自分と同じ声だ。 「随分余計な真似してくれたばい」 千里がそう言って睨む先には財前がいる。 光がなにをしたと足を止め欠けた千歳をめざとく見つけて、彼が呼んだ。 「…フレイムウィッチ」 「…千里、光がなにしたと…」 「フレイムウィッチ。こいつはウィルウィッチじゃなか」 千里は知らなかったとや、と天井を仰ぐ。 「常の殿下なら気付いたこたぁ…今はそうもいかんばい」 「…どういうこつ」 「…こいつは西方国家〈ドール〉宰相の財前光。こっちのあいつばい。 こいつが東方国家〈ベール〉の今ん状況、殿下に流した」 「……、白石、そんでどげんしたとや……」 「復讐王に自ら抱かれに行ったんですわ。 東方国家〈ベール〉を救う見返りに」 彼がそう笑った瞬間、ほぼ本能で奮った火が一瞬防がれた。 「落ち着くばい」 「千里…っ」 防ぐ炎は彼の力だ。 「今、お前が西方国家〈ドール〉の宰相殺したら殿下が無駄足ばい。 ばってん、殿下は多分そんだけんために抱かれたわけじゃなか」 「……、?」 「お前に思い知らせるためばい。 お前以外に抱かれたから、もうお前はいらん、と。 自分に見切りをつけさせて、…復讐王に嫁ぐため」 「………、…っ」 「ばってん、俺がそげんこつはさせんよ」 少し落ち着くばい、と肩を叩く千里は酷く穏やかで千歳は戸惑った。 様々なことに、心がついていかないまま、それでもただイヤだ、とだけ叫ぶ。 なのに、彼は大丈夫だと笑う。 「俺はこの分野に関して、思い切り往生際が悪か」 ぎぃ、と扉の開いた音がして、白石はシーツから身を起こした。 着替えでも、越前が持ってきたのかと思ったがそこに立つ長身は違う。 一瞬、決めたことなのに心臓が痛くなって、すぐ緩く収まる。 「…あんたか…。千里」 顔を痛そうに歪めた千里が中に入ると、シーツから露わになった裸体が目に入った。 内股や腹、胸元に精液や所有印のある姿は誰の目にも抱かれたことが明らかで。 「……すまん」 「殿下?」 「…俺は結局、あんたに酷い道しか選べへん」 『千歳』を選ぶ『蔵ノ介』を見せて。 「…そげんこつは予想済みばい」 「…千里?」 「ばってん、」 思い通りにはさせん、と声が降った瞬間意識が暗くなった。 所有印の散った鳩尾にたたき込まれた拳を理解しないまま倒れた白石の身体を横たえて、千里はその身体にかがみ込む。 触れた唇が、一瞬光ったように見えた。 |