真昼に星は見えるか?
−歪んだ北極星U


 第二章−
【誰彼の五大魔女−暁と陰の章−】



  −南の弟王・再来編−


 
  第二話−【Place of period-X 今宵、月が見えずとも】






「なに突っ立っとう?」
 部屋に鍵をかけた千歳が振り返って、立ったままの白石を振り返った。
 その顔は、冷たい一瞥だ。
「………あ、」
 言葉が、浮かばない。
 本来の自分なら、『お前が肩を抱いたままなんやろ』と反論出来たのに。
 今は、その瞳に射られただけで声が竦む。
 声が、出ない。
 言葉が、思いつかない。
「…蔵」
「……、ごめ…ん」
「なに謝っとう?」
 ぐい、と肩を掴む力が強くなって抱き上げられる。
 そのまま寝台に押し倒された。
「…それ、まだ越前に抱かれたこつを謝っとう?」
「……あ、違」
 そうだと思って千歳が気分を害したのだと、否定した白石の手首が凄まじい力で掴まれる。
「…『違う』…?
 俺以外に身体許したこつが…もう許されとうって思っとうね?」
「……そういう意味、やな…」
 その言葉すら、最後まで言い終わることも出来ず、見下ろす視線の怒りに怯えた。
「こんな身体、言うこと効かせるんは簡単ばい。
 …お前は誰のモンって、俺に恐怖して従ってしか生きられんようにするんは楽。
 …お前が、イヤって、無理って言っても、こん身体が壊れるまで犯せばよかね」
 見上げるしかない頬をそっと撫でた指、手の平は暖かい。
 なのに、どこまでも冷たい色の顔。
「…ばってん、俺は蔵をそうしたくなか」
 そう自分に告げた千歳の顔が、緩んで柔らかいいつもの笑みになる。
「蔵を、傷付けるんはイヤばい。
 俺に怯えるお前は、辛か。
 …無理強いなんかしたくなか。泣き叫ばせるようなこつはしたくなか。
 ……蔵?」
 頬を指が辿るたびに、その優しい声が自分の名を呼ぶ度に、微笑む顔を見る度にどうしようもなく安堵して、白石は千歳の大きな身体にすがりついた。
 その震える身体を千歳がきつく、優しく抱きしめる。
「……ほんなこつは、…千里みたく形振り構わなくなれたら…て思う。
 あいつの今の形振り構わなさは、昔のあいつみたいじゃなかから、羨ましくはなる。
 お前を殺すような様はイヤやけん、お前を幸せに守ろうとするための様は、羨ましか」
「……とせ」
「…ばってん、俺はそうなれなか。
 あいつは、自分に最愛がおらんから無敵でおれる。
 掴まれる弱点がなかからばい。
 …俺にはお前がおる。
 失ったら生きられないモノがいる。
 ……形振り構わなくは、なれなか」
「……ならんでええ。…俺は、……千歳の傍にいたい」
 より一層強くすがりつく腕を取って、手首や指先にキスをして、千歳は身体を寝台にもう一度沈めた。
「うん。…おって。どこにも、行かんで」
「…………」
 押し倒されて、抱かれるのかと思ったけれど千歳は腕の中に抱きしめたまま寝台に横になった。
「……あれ」
「蔵?」
「…もっと、なんか言葉、あったんに……。
 ……越前くんに悪い、とか…なんか一杯。
 ……昼間、『南方国家〈パール〉妃』て呼ばれ方されて、胸が痛かったんは越前くんに酷いからか、お前のモノやない呼ばれ方されたからか…わからんくて。
 …でも、今やっぱり、後者やて思った。
 お前に抱きしめられて、撫でられて、それでもうええって…どうでもよく……」
 白石が抱きしめられたまま、顔を手で覆った。そのまま千歳の胸に頭をこすりつける。
「……酷い、てわかるんや。越前くんに酷いことしとるて…。
 なんに…そう考えることすら…今、なんかどうでもよくて…面倒で……なんでお前がおるんにそんな余計なことって…。
 お前がおれば俺はええから…お前と一緒にいたくてこっちに残ったから…それが叶ったんなら他はええって…。
 彼に酷いって思った傍から…俺はそう思うことすら邪魔や、面倒や、どうでもええって思っとる……。
 ……俺の方が、…形振りなんか構ってない……」
「……よか。俺が許すばい。…もう、寝たらよか」
 声もなく泣く身体を抱きしめ、髪にキスを落とす。
 宥めるように背中を撫でて、優しく優しくキスをして。
「夢も見ずに…ゆっくりお休み…」
 やがて腕の中で眠ってしまった身体をそっと抱いた。
 そして、そっと自分の服を掴む指を引っ張らないよう、起こさないよう解かないように上半身を起こした。
 それを見計らったように長身が部屋にそっと入ってきた。
「なんか用ばい?」
「用はなかけん…、よう言いよっばい…て」
 千里は自身の髪を一度邪魔なように掻き上げてから、口元に人がいいとは言えない笑みを浮かべる。
「『千里が羨ましい』? 『形振り構わなくなれなか』?
 …どこが?」
「…別にあんたに気付かれてる分にはよかよ」
「充分、お前も形振り構わなくなっとうよねぇ…。
 殿下の前でまで冷たい顔と優しい顔使い分けて怯えさせてから暖めるような真似。
 …自分から離れんよう、冷静なとこや真っ当な感情、殿下からそれで奪っとう。
 お前がそうな限り、殿下はいつお前が自分の傍からいなくなるか、あるいは酷くなるかって心配でよそ事は考えられん。
 …復讐王に罪悪抱く暇がないなら…復讐王に殿下は近づかん」
「なにが言いたか?」
「…作戦としてはうまかよ。ばってん、殿下を壊さない程度にした方がよか。
 お前ならどんなお前でも殿下は好いとうやろけど、そん作戦は長期続けたら殿下が疲弊して倒れっばい」
 それは下手、って言っとうよ、と千歳は言って睨むと、一度溜息を零した。
「そら、お前みたく上手くは出来なか。
 …俺はお前ほど生きてなかし…蔵を殺す程まで追いつめられた愛情は知らなか。
 絶望を、しらん。
 俺は本気でお前が羨ましかよ。千里。
 ばってん、お前のようにはなりたくなか……」
 その生き方も、やり方も、思いつく頭も羨ましい。
 けれど、そうはなれない。なりたくない。
 だって、お前がそうあれるのは、『白石蔵ノ介』を永遠に失った褒美だから。
「ならんでよか。お前がそうなったら、…俺は生きる意味がなかよ」
 千里はふと、窓から覗く空を見上げた。
「…今日は、月が見えなかね……」



 あの日は、月が見えた。
 蔵ノ介が俺のモノじゃなくなったあの日。
 初めて拒絶されて味わった絶望と悲しみと、ワケのわからなさ。
 それは、その後に味わった絶望よりまだ優しかった。
 その瞬間は冗談だと思えた。まさか彼が一生自分を愛さなくなったなんて知らなかった。
 自分が踏み外す程狂気に浸る未来を知らなかった。
 彼を殺す未来を知らなかった。
 彼を一生失った未来を、知らなかった。

 今でも、泣き出したい程苦しくて、夜中中わめき散らしたい程痛い。
 夢の中で毎晩お前を見て、起きる度にお前がいないって思い知る。
 最近は、もう、夢を見てる最中すら、『これは夢だ。蔵は死んだんだ』と理解ってしまう。夢の中の幸福にすら浸れない。
 すれて、疲れ切った心。

 大人になった心は、隠すことだけは上手で。
 自分の対と彼の対の寄り添う姿を笑って見ている。
 それを手助けして、それで心が安らぐのも、幸せになるのも真実。
 けれど、誰にも見せていない心が叫ぶ。

 何故、お前は彼を抱きしめていられる。
 何故、お前の傍に彼はいるんだ。
 なんで俺の傍に彼はいないんだ。
 なんで俺は彼を抱きしめられない。
 なんで俺に愛を告げる彼に会えない。
 なんで俺の傍にはいないんだ。
 なんで俺は一人なんだ。

 みっともなく、叫ぶ気持ち。
 なんて醜いと知っていて、それでも堪え切れはしない。
 声に出せば、お前の所為だろうと言われるに決まっている。
 お前が殺したんじゃないか、と。
 なにを被害者ぶっている、と。
 お前が殺したんじゃないか、って。
 …言われるって知っているから、誰にも見せない。

 誰にも見せないで、誰にも内緒。

 わめき散らして、泣いていいのはずっと先。

 俺が自殺じゃなく死んで、彼の元に逝けたその時。



 月は、まだ見えない。






「…つまり、生きてて、でもばれたらアカンから匿って…ってことか」
 否応なく巻き込まれた忍足は、大体聞いて納得した後、ばんっと机を叩いた。
「って納得でけるか!」
「…前言撤回はやっ」
 蔵ノ介は暢気に笑うだけだ。謙也の焦りも忍足の混乱も意に介していない。
「…こゆとこ、白石の顔して別人やな」
「うん、思い知った」
「随分勝手言っとんなーガキ共」
「口も悪いしな…」
 ついでに更に言った忍足につい、と近寄った蔵ノ介がひょいと腕をその首に回した。
 身長は蔵ノ介の方が高いから、忍足は見上げる形になる。
「……なんや? 生憎俺は謙也みたく初心やないから…」
 そんくらいやビビらんで、と言おうとしてふわりと鼻をくすぐった匂いにびくん、と身体が思わず震えた。
(…え?)
 蔵ノ介は、そっと指で忍足の顎を持ち上げると、視線を合わせて瞳を笑うように細める。
 そのまま空いた手でその背中をすっとなぞり、持ち上げた手で頬を包み、顔を近づけ傾けた。
 そのまま迫って閉じられた瞼に、忍足はほとんど堪えきれずにぎゅ、と目を閉じた。
 その鼻を、つん、と指がつつく。
 はた、と瞳を開けると既に自分から離れた彼の姿。
「生憎とか言うといてあっさり期待して目ぇ閉じた。
 やっぱガキはちょろいわー」
「……た、試したな!?」
「本気やない手管に試される方が悪い。
 二十歳は年上の人間に敵う思うなや?」
「……なんなんこのえらい色気と度胸満載な人は!?」
「…もう別人や思て接さんと疲れるだけやで侑士」
「…こっちの蔵ノ介はあんなに可愛えんに……。
 …………………あんたの『大丈夫』ていつや?」
 背中を向けてまで憤った忍足が、不意に真面目に振り返って聞いた。
「ん?」
「…もう蔵ノ介は安全やで?
 …千歳も、俺達が揃っとる。
 ……もう、『大丈夫』やないんか」
 謙也が、まだ他にあるんですよね?と蔵ノ介に視線を向けた。
 でなければ、彼の行動の辻褄は、合わない。
「………」
「弟王?」
 蔵ノ介は俯いて、視線を彷徨わせ、なにか言う言葉を探すようだった。
 だが、それは説明していいことかと迷うというより、いい言い訳を探しているようで。
「……はぐらかして誤魔化してくつもりやったんや?
 ……あんた、ホンマはもう千里に会えるんやろ?
 ただ、あんたが怖いんや。千里に会うんが。せやけど離れたくなくて同じ城に来て、謙也利用した」
 断定系の忍足の言葉に、蔵ノ介は諦めたように息を吐いた。
「…気ぃついとったんや」
「今、確信しただけや。かまかけ程度のつもりで言った」
「……ごめんな謙也くん。キミの気持ち、利用した」
「……弟王」
 怖いんや。蔵ノ介が言った。
「歳食ったかて、怖いんは怖い。
 ……あいつに会って、大丈夫やて思う。
 あいつはもう、俺を傷付けたり、せえへん…。
 …って思った傍で、でもあいつはあの時正気やったて言う声が自分の頭でする」
 蔵ノ介が自分の手で額を押さえた。痛むように。
「…操られたわけやない。正気で俺を殺せるヤツやないか、て。
 …いつ、またそうなるかしらんって…。
 …ちゃんとそれは愛されてた結果。あいつも苦しんだんやってわかる。嬉しいて思ったんはホンマ。
 …でも、怖い」
 ただ、今までの強さの欠片もなく俯く姿を見て、謙也は近寄ると手を取った。
 震えていた。





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