もう一度メリークリスマス

第一話−【弟を名乗る姿】




 それは、クリスマスを控えたある日のことだった。

 いつも打ち合っているストリートテニスコートの階段の下に立っている子供に最初に気付いたのは千歳だった。
「あん子…」
「ああ…なんやろ。子供がおるには危ない時間やんな」
 謙也の言うとおり、もう空は暗闇に浸かる頃。
「キミ、どないしたん? 迷子?」
「ちゅーか、なんか誰かに似とる…」
 そう財前が言った先で、その子供はぺこりと頭を下げた。
「はじめましてっ」
「…あ、ああ。はじめまして…」
 つい勢いで挨拶してしまった白石は、ふとその少年の外見に目を留める。
 白石には自分がハーフという自覚はある。
 親に似ない白金の髪に、翡翠の瞳。
 その少年の髪が白金なら、瞳も自分と同じ翡翠で、よく見れば幼い頃の自分に。
「あの、白石蔵ノ介さん?」
「あ、ああ、うん」
「お話があるんです!」
「……俺に?」
「はい、俺、…兄さんを説得しに来たんです!」

 …………………………。

「…兄さん?」
「あ、俺、白石蔵ノ介の弟の白石信長って言います!
 七歳になります」
「……俺、弟はおらんけど」
「あ、俺、未来から来たんです!
 俺が生まれる前に失踪した兄さんを説得しに!」

「………は?」



 その弟を名乗る少年が言うには、白石蔵ノ介――――――兄は自分が生まれる前、十五歳で失踪したという。
 弟は兄の話を兄の友人、忍足謙也たちからよく聞いていた。
 だから会ってみたかったが、兄は七年経った現在でも、行方も生死も知れないという。



「…俺、失踪するつもりないよ?」
「せやけど、俺、謙也さんたちから、事情聞いたんです」
「…事情?」
 白石の家に取り敢えず連れ帰って、たまたま留守の親のいない居間に集まった謙也たちの前で弟は言う。
「兄は、失踪前に不良との喧嘩で両手を酷く痛めたって。
 そんで、テニス出来んようなって。
 謙也さんがついてった病院の最後の通院で、待合室で待ってた謙也さんのとこにいつまで経っても帰って来なくて…それが兄の最後の姿やって」
「……」
 言葉を失った白石の横で、先ほどまで黙っていた謙也が急に口を開いた。
「…いい加減にせえ…」
「…謙也?」
「さっきから聞いてれば、白石が失踪するとか、あげく白石がテニス出来んようなるって…。嘘ほざくんもええ加減にせえや!」
「謙也! 落ち着け! 子供のいうことや!」
「落ち着いてられるか!」
 咄嗟に千歳が謙也の身体を押さえ込んだが、堪えきれないように叫ぶ声。
「白石を貶めるようなこと言われるんだけは我慢出来るか!」
「…謙也さん、やっぱ兄さんがほんま好きなんですね」
 弟の言葉に、謙也が思わず動きを止める。
「…兄と謙也さんは付き合うてたって…。千歳さんたちも言うてました」
 小さく微笑んだ少年にそれ以上を言えず、謙也は項垂れた。




 今日は親が帰らない白石の家。弟を名乗る少年は居間で眠っている。
「謙也、もう寝るで」
 泊まった謙也を促す白石を見上げて、その手を取る。
「謙也?」
「……白石…キスしてええ?」
「……ええよ」
 そっとその身体をベッドに押し倒す。
 笑んだままの白石の唇を塞ぐと、そのままきつく抱きしめた。
「……抱いてええ?」
「…なんや? いつも押し倒したら、俺の許可なく好きにヤるんに」
「…答えて」
「……ええよ」
 いつになく追いつめられた顔をした謙也をこれ以上苛めるのもあれで、白石はあっさり許可を出す。
「…白石」
「ん?」
 首筋を辿るキスに身をよじりながら、答えると離された身体が真剣に見下ろして言う。
「俺のこと、好き?」
「今更なに」
「…白石」
「……好きやで。…当たり前やろ」
 答えた瞬間、深く重ねられたキスに、白石は謙也の背に手を回すと目を閉じた。




(……ちゅーてもなぁ)
 買い物に家を出て、白石はあの弟を名乗る少年のことを考えた。
(嘘言うてるようにも見えへんやんなぁ…)
 考えごとをしていたせいか、前を歩く男の肩にぶつかってしまって、咄嗟に謝る。
「おい、たったそれだけかよ、兄ちゃん」
 返された言葉に、思わず思考をよぎったのは「運悪い。面倒くさい」だった。
 その時、あの弟の言葉は頭になかった。

 足でけ飛ばされて倒れた男に足を乗せて、少し切れた唇を拭う。
「まだヤるん?」
「…っ」
「…せやから、俺にたかだか二人は役不足や言うたんに」
「…」
「…?」
 黙り込んだ男をいぶかしげに見遣った瞬間だ。途端、頭を襲った鈍い衝撃に、呻く暇もなく地面に倒れていた。
「後ろがお留守なんだよガキ!」
「……っ………ぅあ…」
 油断したといえばそれまでだ。だが、相当強く殴られた頭は重く、起きあがることすら眩暈に遮られる。
 倒れた白石の背後に回った男が、不意にその両手を掴み上げる。
「へっ、腕でも折っちまえばもう抵抗しねえだろ」
 すぐ激痛が襲う程ひねり上げられて、殺しきれない悲鳴が漏れた。
 その時になってあの少年の言葉がよぎっても遅い。
 嫌だ―――――――――――そう強く思った時だ。上から重みと、腕を掴む腕の力が消えた。
「……?」
「大丈夫か?」
 見下ろしてくるのは、大坂にいない筈の人間。
「……侑士?」
 侑士は心配そうに見下ろすと、手を差し出した。




「謙也から聞いててな、心配で来たんよ」
 侑士の言葉に、そか、と手当された頭を撫でていう。
 ここは病院だ。
 念のため、と侑士と、侑士に連絡を受けて駆けつけた謙也に付き添われて来た。
 謙也は腕を酷く心配したが、問題ないと見せてやるとやっと安心した。
「あ、ごめん。トイレ」
「ああ」
「白石…」
「トイレ行くだけや。失踪なんかせんよ」
 心配そうな謙也の髪を撫でて、笑うと立ち上がった。


 トイレを出て、待合室に向かわせようとした足がぴたりと止まった。
「……え?」
 今、待合室と反対を通った姿。
「…まさか、やんな」
 それでも気になった。すぐ足は待合室と反対の廊下に向く。
 大股で見かけた姿が曲がった廊下を曲がった瞬間、視界が変わった。
 いや、変わってはいない。だが、聞こえていたアナウンスも声も、なにも聞こえなくなった。
「……やっぱり、巻き込むんか」
「…え」
 そう言った姿は、自分より高い身長。大人びた姿。
 けれど、間違えようもない自分自身。
「…あんた」
「白石蔵ノ介や。二十二歳の」
「…は?」
「……ここは閉鎖空間。未来のない、閉じた世界や」



 彼が語ることは常識を越えていた。
 連鎖の法則、だと言う。
 最初に行方を絶った白石蔵ノ介のことを、やはり弟を名乗る少年に聞いた過去の白石蔵ノ介は、病院で自分と同じ姿を見かけて追った。
 しかし追った先で、同じ空間に過去と未来の自分がいることに軋んだ空間は閉じてしまう。
 未来に当たる白石蔵ノ介はしばらく経てば出られるが、その時どうしても過去の自分を巻き込む。そして巻き込まれた過去が未来になった時には、また過去を巻き込む。
 そういう連鎖。


「誰かが断ち切らんとアカンのやけど…無理やな」
「…そんな」
「…俺はここにもう七年おる。時間経過ははっきりわかる」
 その言葉に喉が鳴った。
「待て。ほな…俺…」
「ここに七年は一人でおらなあかんな」
「………」
 意外な失踪の真相より、それよりなにより、感じたのは恐怖。
「…そんな…」
 こんな、閉じた場所に、一人で。
 七年も。
 …謙也のおらんとこに。

 手足が震える。
 涙に歪んだ視界が、本当に歪んだのだと理解した時には意識は遠くなっていた。


『連鎖は絶たれた。時は正常に戻る。これが罪滅ぼしだ。最初の  として…』


 その声は、あの少年に似ていた。









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