SIDE:22 Year
迷子?どこのこ?と騒ぐ大学生たちに、どう説明すればいいかもわからなかった。
あの空間を出て、気付けば白石がいたのは四天宝寺の大学。
すぐ大学生たちに迷子?と囲まれた十五歳の白石は困り果てた。
「俺、中等部の生徒です。白石っていう」
「しらいし? そんなヤツ。中等部におらんよ?」
「…え」
そうとしか返らない声。困り果てた白石の耳に、廊下から聞き覚えのある声が響いた。
「そう、迷子! えらい綺麗なヤツでな」
「ハァ? 大学に迷子?」
すぐ、謙也だとわかった。
自分が、謙也の声を聞き間違える筈、なかった。
「ええからお前も見てみろや忍足!」
「ちょ、なんやねん!」
別の大学生に引っ張って来られた姿は間違いなく謙也で、椅子から立ち上がった白石と眼が合う。
変わらない脱色した髪、瞳、けれど、自分より高い身長と、大学にいる理由。
そこで白石は理解したけれど、あの空間でつかの間とはいえ味わった絶望。
そこから自分を救える姿は、謙也以外になくて。
「…謙也…」
掠れた声で呼んだら、謙也は茫然とした顔で近寄って、自分の頬に触れた。
その指先が、驚く程冷えて、震えている。
「……しら、いし………?」
声も、震えている。
だって、この謙也にとって「白石」は七年間行方不明だった存在だ。
ここは、七年後の未来だから。
「…謙也…っ」
もう一度呼ぶと、まだ信じられないと顔では言いながら、謙也は白石をきつく抱きしめた。
痛いほど、きつく。
「…白石…っ…白石…!」
白石の肩口に埋められた顔の部分が熱いのは、謙也が泣いているからだ。
それが痛くて、けれど、抱きしめたくても、抱きしめられなかった。
そのまま早退した謙也の家に連れて来られた。
謙也の両親は留守で、少し安心した。会うわけに行かないし、自分の家になんてもっと帰れない。
「そこ座っとけや」
「あ、うん…」
謙也は話すのを待ってくれているのか、白石の「失踪」を問いつめなかった。
「あ、とりあえずお前の親に連絡しとくわ。みんなお前探すんに今海外おんねん」
「あ、ちょお…!」
「え?」
「…それは、待って」
「白石?」
いぶかしがってしゃがみ込んだ謙也に、白石は迷いながら口にした。
「それは、アカンから」
「…?」
「俺は…、またいなくならなアカンから…」
電話は、この時代の俺が帰ってきたらにしてくれと、言おうとした。
瞬間には、視界は変わっていた。
背中に押しつけられているのは、フローリングの床だ。
自分の両手を床に押さえつけて、動きを封じてのし掛かっているのは謙也以外の誰でもなく。
「……どういう意味や」
上から降った声は、驚く程低かった。
「…や、やから…謙也。俺はここにおったらアカン…」
過去の人間なんや、という筈の唇は謙也の唇に塞がれた。
「…ん…んん!」
くぐもった悲鳴をあげてしまったのは、謙也の腕が白石のシャツの前開きを引き裂いて、胸の飾りをいじるように触れたからだ。
「ん…っ」
そのまま下肢に降りた手が、無遠慮にジーンズの上から性器に触れると、なんの躊躇いもなくファスナーを降ろし、服から取り出される。
「…や…ぁ…ッ…ぁ…っ」
解放された口からは、なにか言葉を発しようとしても喘ぎにしかならない。
そのまま謙也の唇は胸の突起を嬲り、性器に絡められた指に急速に追い立てられる。
「っあ…あっ―――――――――――――!」
びくんと身体を痙攣させて達した白石が、絶頂に硬く目を閉じて堪えるのを見下ろす謙也の目は冷え切っていて、生理的な涙の伝う白石の目と重なると、低く言われた。
「ふざけんなや」
「…けん…」
「また俺から逃げる気か。冗談やない。
誰がもう一度お前を離すか! 絶対離さん。絶対もう離さん!
お前の気持ちなんかもうしらん。お前を二度と見えんとこに自由にして堪るか。
…お前が今誰を好きかなんて知るか。お前は俺のもんや!」
「……っ」
手首を掴まれてぶつけられた言葉に、浮かぶのは涙で、それは苦しさからではなかった。
喜びだった。
真っ直ぐ、自分を見下ろす謙也の瞳は、潤んでいた。
その瞳の奥に、また俺がいなくなったらという、隠しきれない恐怖がある。
手首を押さえる手も、白石より大きいのに、震えていた。
俺を「失踪した白石」と信じている謙也には、俺がまたいなくなりたいと、謙也から離れたいと願っていると思えたのだ。
だから、謙也は怯えている。
白石が、また己の前からいなくなることに。
「親に連絡してくる。ええ子にしとり」
言ってすぐ立ち上がった謙也が扉の向こうに消える。
「……」
床に横たわったまま、白石は己の手を握りしめた。
頬を、涙が流れる。
「……七年…やで?」
零れた掠れ声は、自分に対するものか、謙也に対するものか。
「…七年も行方不明になってて…それが理由があるってしらんのに…謙也」
あんなに真っ直ぐに。
「……それでもまだ、…俺が好きやなんて……謙也……」
謙也はいいヤツだから、恋人なんてすぐ出来る筈だ。そう思っても、それを望まない自分。
本当は、待っていて欲しい。必ず戻ると。変わらず、愛していて欲しい。
七年も謙也を苦しめても構わない。自分だけを、愛していて欲しい。
それを、謙也は叶えていた。
変わらず愛していてくれて、喜んで、いなくなると思ったから焦って押さえつけた手は、震えていて。
乱暴な手段すら、愛されていると感じるから、嬉しくて。
悲しい。
俺は、あの謙也の「白石」じゃない。
あの謙也が愛する「白石」じゃない。
俺は「あの謙也」を愛したらアカン。
応えたら、アカンねん。
「連絡ついた。まだ一ヶ月はどうしても帰ってこれんて」
部屋に戻ってきた謙也の声に、涙が零れる。
なにか言おうとして、謙也の持つモノに声が止まった。
「…謙也……なに、それ」
掠れた声を紡ぐ白石にに、と笑うと謙也は白石の身体をまた床に引き倒した。
「や…謙也…!」
片手で固定された腕は全く動かない。七歳も違うのだ。
その両手に触れた冷たい感触に身を震わせた時には、両手は自由を失っていた。
両手を覆うのは、鉄の枷だ。
「光にいつやったか、もらっといてよかったわ。
お前の家族がおらん間、お前の面倒任された。
やから、お前が一ヶ月の間にもうここから離れんよう納得させたるわ」
「……謙也…っ。ちゃう! 俺は、過去の白石蔵ノ介なんや!
俺はまだ十五歳や。お前の俺も失踪したくてしたんちゃう―――――――――」
知る限りのことを話す白石を見る謙也の目は、冷たくはなかった。
どちらかといえば優しいその色に、通じたかと安堵した。
けれど、大股で近寄られて、腕を掴んだ手とは逆の手が脱がされかけていたズボンを取り去った。
「…や! 謙也…っ…いや…謙也!」
「黙っとれ」
「謙也…! 謙也…!」
俺は、お前の白石やない。
お前に、触れられてええ白石やない。
お前が愛してええんは、俺やない。
俺は、お前に愛されたらアカン。
性器に絡めた謙也の手が、達した所為で精液に濡れたが、謙也は構わずそれを舐め取った。
離れた身体に、最後まで禁忌を犯してしまうのかと震えた白石に、大きなタオルが投げられた。
「安心せえ。最後までやらん」
「謙…也…?」
「お前が納得したら、最後まで抱いたる。
最後まで抱いて欲しいなら、ちゃんとええ子になりや」
「……謙……也……っ」
愛されているのが、こんなに辛い日が来るなんて思わなかった。
大好きな謙也に、真っ直ぐに思われて、応えられない日が来るなんて。
「……謙也………」
今すぐ好きだと応えたいのに、それは許されない罪。
謙也の部屋にほぼ軟禁されて、何日だろう。
謙也は言った通り、抱くことは決してしない。
自分の大好きな、謙也のままだ。
ふと本を読んでいた謙也が、自分を見ている白石に気付いて、嬉しそうに微笑んだ。
「……謙也?」
「……あ、…夢みたいや…って」
「…夢?」
謙也は立ち上がると、白石の傍に座った。
その大きな手が、金糸のような髪を撫でる。
「……白石が、俺の目の前におる……って……。幸せな夢みたいや…って」
「………」
「ずっと…もう、俺、そんな夢すら…見れなかったんや…」
俯いて言った声は、すぐ嗚咽に震えた。
「お前が、おらんくなって一週間はなんとか大丈夫やった。
白石やもん、絶対帰って来る。ちょっと、一人になりたいだけや…って」
「…謙」
「…せやけど、一ヶ月、半年、一年って過ぎて…。
夜中に毎日起きるようになった。その度、死んでるかもしれへん。いや死んでるわけない。せやけど、俺にはそう信じられる証拠がない。俺には白石を繋ぐもんがなにもない。なにも白石が生きてるて証明してくれるもんがない!
…怖ぁて、けど否定できんくて、せやけど生きてるて信じたくて、ただ、もう会いたくて会いたくて、もう一度お前の声に『謙也』て呼ばれたくて…!
……願って願って、夢も見れんほど願って、…俺があの日、大学でお前を見つけた時、どんな気持ちやったかわかるか?」
涙に滲んだ謙也の顔が、己の両手で包んだ白石の顔に向けられる。
「…ああ、生きてた。…本物の白石や…って。幻かって疑った後、思ったんはそれだけや。
もう、なんでいなくなったとか、どうでもよかった。
お前が生きて俺の傍おってくれるならそんなんどうでもよかった!
……頼む。白石…。俺を、…もう一度置いてかへんで…」
きつく、抱きしめられる。その腕は、変わらず震えている。
「…もう俺のおらんとこに…いかんで…。俺の傍おってくれ。
…俺の名前呼んで、俺に笑ってや…。
……好きや白石……。もう、いなくならんで…離れていかんで!」
慟哭という、言葉しか似合わない声に、撃たれた胸はそれでも同じ言葉を繰り返した。
この謙也は、俺の謙也やない。
俺が愛したら、アカン。
だけど。
彼は謙也だ。
自分が世界で、一番大好きな謙也だ。
彼は、謙也なんだ。
もう、泣いて欲しくなくて、抱きしめたくて、もうええと安心させたくて。
苦しいほど、愛しい気持ちを、もう堪えられない。
いけないと知っていたのに。
「…謙也、…腕の枷、取って」
「嫌や! お前が納得するまで」
「…逃げへんから」
「……」
「もう、お前を置いていかんから…」
茫然と自分を見下ろす謙也に、ただ願った。
「…お前を抱きしめさせてくれ…謙也」
一瞬泣きそうに歪んだ顔が、震える手で枷を外した。
自由になった腕を、迷わず謙也の首に回してすがりついた。
俺が愛したらアカン。
俺の、謙也やない。
わかっていた。わかっている。わかってる。痛いほど。
けれど、もう、一杯で。
「…白石…っ!」
きつく抱きしめてくる謙也の腕の中で、謙也を抱きしめて、そうして言葉にした。
この言葉を口にすることだけは、許して欲しい、と。
今の俺も、きっと、同じ気持ちだから、と。
「…謙也………好き………」
その声が耳に届いた瞬間、謙也は壊れるように泣いた。
声を上げて、白石をきつく抱きしめたまま。
ただ、泣いていた。
抱きしめる手を、白石は離さなかった。
彼が泣きやむまでは、こうしていたかった。
彼は、謙也だから―――――――――――――…。
俺は、謙也が大好きだったから…。
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