もう一度メリークリスマス

第四話−【メリークリスマスをもう一度】




「白石。みんなに会いたいやろ?」
 ある日、そう言った謙也に、白石は思わず驚いて反応が遅れた。
「…俺が納得するまで、アカンのやないん?」
 そう不思議そうに言った白石(15)に、謙也は笑う。
「やって、お前もう逃げんやろ?」
「…うん」
「なら、ええ! 行こう!」
「…うん」
 連れ出された外は、懐かしい匂いがした。



 きょろきょろしながらついて来る白石に、懐かしいやろ、と謙也が言う。
「うん…変わっとるな」
「やろ」
 自分の知らない建物の多い街に落ち着かない白石を、謙也は特に不思議には思っていないらしい。「失踪」していても、大坂にいなかったのは事実だ、と思うからだろう。
 待ち合わせのテニスコートだけは変わっていなかった。
 高い場所のコートに向かう階段。二つ並んだコート。
「おー! 謙也!」
 向こうから手を振った小石川の隣に千歳がいた。
 財前たちも顔を上げてこちらを見る。
「おう! で、お前も隠れてんなや」
「隠れてたんやのうて、…お前がでかいんや」
 苦情をぼそっと呟いた白石を背後から引っ張り出す謙也を、最初いぶかしがっていた千歳たちは、前に引っ張られた白石を見て、持っていたラケットを落とした財前以外、リアクションがしばらくなかった。
 すぐフリーズのような沈黙から覚めたのは小石川で、駆け寄ると「白石!?」と叫んだ。
「……うん。てか、健二郎。…でかい」
「白石! 白石や!」
「ほんなこつ!?」
「…千歳…は、大坂残ったんか…」
「そげんこつより…! …ほんに…白石たいね」
 泣きそうに揺らいだ声に呼ばれて、胸に詰まった言葉に白石は困ったように笑った。
 ああ、今も未来も、こいつらは変わらない。
(…あれ?)
 ふと気付く。
 そうか、と。
 謙也達に、自分が過去の白石蔵ノ介だと証明する方法を思いついた。
「なあ」
 急に顔を上げた白石に驚いた千歳達から、ラケットを一つ奪うと、笑う。
「試合、しよや」
「…はぁ!? お前、やって…」
「ええから」
 言い切ってさっさとコートに立った白石を唖然として見ている連中の中でも特別高い長身をラケットで指した。
「千歳、来ぃ」
「…白石?」
「ええから! …謙也。俺がテニス、一セットでも二セットでも出来たら、信じるな?
 俺が過去の白石やって」
「……」
「ほな、始めるで」

 おそるおそる千歳が打ち込んだサーブを、思い切り叩く。
 驚きが先に立っていて反応出来なかった千歳のサイドを抜いたボールはコートに突き刺さった。
「千歳! もっとマシなサーブ打てや。舐めてんのか」
「……ああ」
 悟るのも早い千歳のことだ。すぐ頭の切り返しがついたのだろう。次のサーブは強く、重い打球だった。
 それを走って追いつくと、左右に振るように打ち返す。
 七歳も違う千歳でも、一度テニスを始めてしまえば、負ける気はなかった。



「……っ……の…っ…とせ……馬鹿体力…っ!」
 一セットだけで既に体力を使いきったように肩で息をする白石を支えに来た千歳の腕にもたれかかって、なんとかそう言う。
 千歳は笑って、そげんこつ言われても、と一言。
 ベンチまで連れて行かれて、何度も酸素を取り込んでやっと続くようになった言葉で、茫然としたままの謙也を見た。
「…わかったか?」
「………あ…………、」
「まさか、まだ疑うんか? 俺が十五歳やって」
「……いや…わかった…悪い…」
「よし」
「…ところで、みんな気になっとーよ。どういうこったい?」
 千歳だけではない。全員そんな顔だ。
 自分は今酸素を取り込むのに忙しい。お前は何度も俺から聞いただろう、と、白石は謙也に説明を任せた。



「……てゆーか、謙也くん。何度も聞いとって信じとらんかったんですか」
 聞き終えた財前の第一声に、小石川も同意見、という顔だ。
「や、やってしゃーないやろ! 千歳! お前やって俺の立場やったら同じことせん自信あるんか!?」
 いきなりおはちを回された千歳は、少し考えると、に、と笑う。
「いや、なか」
 けろっと答えた。視線を白石にあわせると、不意にその黒い瞳を陰らせて続ける。
「俺なら、謙也みたく軟禁で済まさなか。
 縛ったりするし、絶対犯すやろし、下手したら俺を拒絶せんよう口塞ぐかもしれんね。
 ………………冗談たいよ?」
 最後の言葉は、自分を相当怯えて見遣る白石に対するものだった。
 しかし白石は愚か、その白石を咄嗟に抱きしめた謙也も、財前たちも。
 誰一人、千歳の「冗談だ」という言葉を信用しなかった。



 その帰り道、街を通りかかると、空をイルミネーションが覆っていた。
 昼間は、気付かなかった。
「謙也…今日」
「ああ、クリスマスやな」
「…そか」
「…約束。…今年も間に合わなかったなぁ」
「約束?」
「…お前…いや、未来の…白石と、約束したんや。
 クリスマス…、デートしようって。
 …また、約束、来年になるな…」
「…謙也」
 大丈夫や、お前が言う通りなら、来年は一緒に祝える。そう言った謙也の声が、遠くて、何故か遠くて、白石は思わず振り返った。
 その振り返った視線の先を、歩くのは背の高い謙也と、自分だ。
「…え?」
 一瞬後には、その二人の姿が街の明かりに消されるように見えなくなる。
「謙也!?」
 咄嗟に呼んだその背中で、謙也の声がした。
 反対から。
 おそるおそる、振り返った。もう、あの謙也たちの姿はない。
 目の前に立つ、不思議そうな謙也は、自分より、背が低い。
 気付けば、街は自分が知った通りの色彩。知らない建物は、ない。
「……謙也」
「白石? どないして…」
 気付かない謙也に近寄って、抱きしめた。
「しら…?」
「気付けや。アホ謙也。愛がない」
「……」
 自分に抱きつく身体が、先程まで傍にいた白石より小さいことにやっと気付いた謙也が、背中に手を回して、すぐ身体を引き離した。
「…白石?」
「…うん」
「…俺の?」
「…お前が、俺の、や」
「……っ」
 そのままギュ、と抱きしめられた。
 ああ、謙也だ。

 俺の、謙也だ。

「……謙也」
 その背中を抱きしめて、なんと言えば、謙也を喜ばせられるか考えた。
 けれど、言葉は浮かばない。
 もう、言いたい言葉なんて、飾りもない、この一言だけ。

「…好きやで」






 街で響くジングルベルの歌に、くすりと笑った白石に、前を行く謙也が不思議そうに振り返った。
「どないした?」
「いや…クリスマスやんな…って」
「ああ」
「……謙也は…いや、…今の謙也はしらんよな」
「…え?」
 言葉を中途半端に切った謙也に気付かず、白石は謙也から街の明かりに視線を移す。
 奇しくも、そこはツリーの前。
「…俺、あの日…病院の最後の通院の日。
 謙也と約束しとったんや。…その日、イヴやったから。
 明日、…一緒にデートしよう…て。
 ……クリスマスやから。

 …約束、俺、何度も破ったんやな。
 いつ、…クリスマスに、謙也といられるんかな…」
 そう語る白石は、気付けば自分より、背が高かった。
 少しだけど。
「白石」
「…あ、ああ。ごめん。謙也にはわからんよな」
 ごめん、と笑った白石に、謙也は黙ってその手を掴んだ。
「謙也?」
「……白石。…俺に、言うことないか?」
「…?」
「クリスマスデート、やで?
 キスして欲しい、とか。…あるやろ?」
「……謙也?」
「……今年は、間に合わん思ったけど、間に合ったわ」
「………」
 謙也の背が、さっきと違って高いことに気付いた白石が、言葉を失った。
「…な、白石。なんか、言うて?」
 声は涙に滲んだけど、白石には届いた。
 彼は泣きそうに顔を歪めて、顔を左右に振って、もう一度謙也を見る。
「……けん…」
 けれど、変わらない。そこにいるのは、謙也だ。
 自分の、世界で一番、大好きな謙也。
 俺の、謙也。

(でも)

「……謙也…」
「ん?」
「……俺、…ここおって、ええん?」
 あの謙也は安心しろと言った。
 けれど、怖い。
 謙也は、俺のモノ?
 俺のモノの、まま?
「……ナニ言うてん? …また、どっか行く気か?」
 そう言った声は低く、いきなり腕を引き寄せられた。
 謙也、と呼ぶ暇もなく、唇を塞がれる。
「…過去のお前にも言うたけどな。…ふざけんなや?
 …もう二度と、離さへん。もう二度と、離して堪るか。
 …お前の気持ちなんかしらん。
 お前は、俺のもんや」
「……謙也……」
「…白石は…俺が、…好き?」
 そう聞いた時だけ、少し不安に揺れた謙也の瞳に、涙が零れた。
「…き」
「…ん?」

「…謙也が好き」

 腕を伸ばして、その首にすがりついた。
「…謙也しかいらん。謙也だけが…欲しい。
 …好きや。…大好きや。謙也。…もう離さんで…。一人に、しないで…。
 …謙也」
 背中に回された暖かい手が促すままに、顔を上げたら、また優しいキスが降った。
「…当たり前や。もう二度と、一人にせえへん」
「…謙也」
「…白石」

 歌が響く、クリスマスの街。
 約束の、日。

「…大好きや。白石」
「……俺も……愛しとる…」
 空には、少し頼りない輝きの星。
 星さえ、歌うような、こんな夜。

『デート、しよ。クリスマス』

 蘇る、七年前の謙也の声。

「…メリークリスマス、…白石」
 溶かしたような謙也の声に、キスを絡めながら瞳を閉じた。
 明日は雪が降ればいい。
 そうしたら、謙也の傍で見るから。
 謙也の傍で、笑うから。

 ビルの電光掲示板に映る時計が、12:00を指した。







 Merry Christmas…






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