REZET-リゼッタ- ******************************************************************* 「謙也〜光ちゃんやで」 そう言って、母親が俺にそれを預けたのは今日の昼。 現在時刻、夕方の五時。 俺は若干、途方に暮れている。 第一話【Side:謙也と光−始まり】 人と動物の掛け合わせの生命、キメラが庶民の手に降りてきて久しい。 平たく言ったら、動物の耳と尻尾があるだけの人間だ。 まあ、保護法やら、なんやらで飼い主は厳しいチェックを受けるし、よく虐待されてセンターという施設に保護されるキメラの話は聞く。 俺は父親の職業柄、たまに急患で主人に怪我を負わされたキメラを診たこともあったし、だから余計、縁がないと思っていた。 最後まで大事に出来る自信がないなら、最初から飼わなければいい。 俺は早々にそう考えて、手を出しもしなかった。 友人の白石がオオカミのキメラを飼ったと聞いた時は、若干引いたものだ。 だから、今、困っている。 「……………」 俺の部屋に置物のように座って、話しかけてもなにしてもシカトな体なのに、俺が背中向けてるとじっと見てくるのはなんでなんだろう。 「…光?」 振り返って、傍に座って笑いかけてみる。その猫のキメラはやはり無視をした。 三歳になるという、黒猫のキメラだ。性別は男。 黒い髪に、黒い耳、黒くて長い尻尾に尖った爪。 しかし、身体はやたら小さい。白石の家で見たアレも、最初はやたらちまかった。 「光?」 再度呼びかけて、髪を撫でようとしたら手で払われた。もちろん、弱々しすぎる力だが、手を引っ込めてしまったのは、爪が引っかかって手に傷が出来たからだ。 「…………」 最初は強気な視線で、おそらく触るなだとか言おうとした顔が、すぐへにゃりと泣きそうになった。傷を付けたことを気にしている。もしかしたら、怒られるかと誤解したのかもしれないが。 「光、喉乾いたやろ」 「……へ?」 こいつにしたら予想外な台詞と笑顔。光はきょとんとして、間抜けに可愛い顔で見上げてくる。 「隙アリ!」 「っ!」 その隙に抱き上げて、さっさとキッチンに運ぶ。途端暴れ出した身体は、とにかく小さく柔らかくて、まるで効かない。 「はなせ! だましたなひきょうもん!」 「騙しとらんし。ほら」 とん、とテーブルの上に座らせて、その手に小さなコップを持たせた。昔、弟が持っていたのが役立った。 「……」 「喉乾いてへん?」 にこにこ笑って聞くと、猫は自分をきつく睨んだ後、きゅうと喉を鳴らしてすぐコップの中身をこくこく飲み干す。 それを笑ってじっと見ていると、飲み終わった光はじっと俺を見返して、やがてぽつりと言った。 「なまえ」 「え?」 「あんたのなまえ、おぼえたるからいえ」 素直じゃない。が、それも面白くなってきた。 「……謙也、や」 微笑んだまま答えると、小さな声が「けんや」と反芻する。 微かに、白石の気持ちがわかったような気がした。 『―――――――――――――次は天気です』 テレビから流れるニュースをなんともなしに見ていたら、うたた寝してしまった。 謙也はソファに寄りかかっていた身体を起こしながら周囲を見遣る。 「ひかる?」 あの猫はどこにいったのか。眠る直前まで、自分の足下で興味なさそうにテレビを見ていたが。 「ひ」 立ち上がって探そうとして、謙也は咄嗟に浮かせかけた腰を下ろした。そのままソファに座った体勢を維持する。しばらく、その姿勢で落ち着くのに時間がかかって、膝が妙に震えた。自分の膝の上には、丸くなって猫そのままに眠る光の姿。 「どうやって…は愚問やな。猫やもんな」 寝てる隙に飛び乗ったんだろう。多分。しかし、ソファのスペースは自分の隣にももう少し空いている。柔らかい場所ならそっちだと思うが。 「ひかるー?」 呼びかけてみるが、可愛らしい寝息が零れるだけですうすう寝ている。気持ちよさそうに。落ちないように爪を少し、謙也のズボンに引っかけて。膝を丸めて。 「……」 髪を撫でたら、起きるだろうか。 こんなに無防備にいられると、他意がなくても触ると思う。可愛いものには、みんなそうだと思う。変態的な意味じゃなく。 「せやけど、触ったら、起きそうやな…」 そういう警戒心が強そうだし。 しばらくそのまま見下ろしていたが、段々妙な緊張に膝が震えてきた。 長く寝かせておきたいし、見ていたい。そのためには動いてはいけない。 そう考えるほど、妙な力が身体に入って膝が震える。 「……ん…」 「あかん。…起きるな。まだ起きるな。朝やない」 そう必死に、小さい声で言うと光は小さな手で、瞼を押さえてそのまままた寝息を立てる。 謙也は思わずホッ、と息を吐いた。 そっと手を伸ばして、黒い髪を撫でてみる。軽く。 小さく身じろぎしただけで、起きる気配はない。 黒い尻尾が、膝の上でぱたぱたと動いて、すぐ丸まる。 「…かっ…わええなぁ」 しかし、あんまり撫でることに夢中になってもやばい。起こしてしまう。 「……ぅぬ……」 「ん?」 悶々と葛藤していると、不意に膝の上で柔らかく暖かい塊が動いた。起きたのではない。 なにやら、うなされている。 「…ひかる? おーい」 不安になってそっと手を伸ばし、苦しげな頬を撫でてみる。声かなにか、どっちに反応したか知らないが、光は途端びくん、と身体を跳ねさせ、飛び起きた。 「あ」 あまりに勢いよく跳ねるものだから、膝から落ちた。猫だからちゃんと着地出来るとか、そういう知識はあったのに、思わず抱き留めようと両手を伸ばす。 だが、片手は空を切り、残った片手が光の服の背中だけを辛うじて掴んだ。 「…あ、いや、コレは!」 そう、さながら、首根っこを捕まえて猫を持つような。 慌てる謙也と、寝起きで胡乱な顔で瞳をあわせた光は、両手を振るって謙也の手をばりっと引っ掻いた。思わず手を離してしまい、猫はそのまま床に着地する。 「やっぱりあんたもしんようならん! このうそつきもの!」 「い、や」 引っかかれて赤い線の出来た腕を押さえながら、謙也はどうしたものかと思ったが、言葉にするのはやめた。 光は床に、本物の猫みたいに四つん這いになって、こっちを威嚇してくる。尻尾は逆立っている。が、その足は、ぷるぷる震えている。 深く息を吐くと、謙也は伸ばした手から怯えたように下がる猫の頭を一回だけ撫でた。 「ごめんな」 「…………………」 一言告げて、背中を向ける。ぽかん、とした気配が背中に当たった。 取り敢えず手当をしておこう。あと、ご飯作っておかないと。 一度だけ部屋を振り返ると、光はその場に座り込んで、耳を垂らしてこちらを見ていた。 「ご飯、作ってくるだけや。一人にしない。…怒ってへんし」 そう努めて優しい声と表情で言うと、光は僅かに安堵したのか、小さな息を吐いた。 張りつめたような顔が弛緩する。 それを確認して、謙也はキッチンに向かった。 『首根っこ持ったぁ?』 料理の最中、鍋を焦がさない程度にかき混ぜながら、親友の白石に電話で事情を話すと、彼は最初そう、意外そうに言った。 「いや、両手で抱き留めようとして…片手が空ぶった。あと、掴んだんは首やのうて背中の服」 『あー……。ちいさいと…幾つ?』 「三歳」 『そら、まあ。大丈夫やないの?』 「そうか?」 『二十歳越えてるキメラならまだしも。三歳とか、…十歳くらいまでは飼い主がどうしても恋しくなるらしいから。そう強がりも続かへんし。余程ひどい飼い主やないかぎり」 「俺、そんなんやない」 『わかっとるて。……』 白石は電話中になにか飲んでいるのか、機械の向こうからなにかを飲み込む音が聞こえる。 「お前、なに飲んでん?」 『ん? 千里のアホが、野菜食わへんねん。やのに俺が飲んでるもんや食ってるもんは飲みたがるし、食いたがる』 「…、野菜ジュースでも飲んでんのか」 『うん。今、背後でめちゃくちゃ……』 白石の背後で、『ズズズズ―――――――――――――』という、なにかを一気に飲む音がした。 『気にすんな。千里が俺の手のジュースに食いついただけや』 「ああ、うん、予想ついた。ご苦労さん」 多分、床に座ってテレビ見ながら、片耳に電話を当てて、片手で背後から自分に抱きつくあのオオカミの口がくわえるジュースを持っていてやってるんだろう。 千里というのは、白石が飼っている狼のキメラだ。 確か、 「白石、千里って今幾つ」 『んー…十二やな』 「ふうん」 そう返事にならない返事をして、謙也は火を止めると、電話をスピーカーにしてから机に置き、鍋を両手で持つ。 そのまま運ぼうとして、謙也は思わずバックした。足下の間近に、突っ立っている猫。 「…ひかる。どないしたん」 「………」 「ひかる?」 黙り込んだまま、足の長さすらない身体がそこに立っている。 鍋を戻して、その手で身体をそっと抱き上げた。今度は両手でちゃんと。 胸元に寄せて抱くと、謙也の服をぎゅっと掴んで、ぽすりと頭を乗せてくる。 「…けんや、うそつき」 「え?」 また? なにか嘘吐いたか? 「おこってないなら、おれのそばにいるかおれつれてけ」 「…………」 ぎゅうう、と服を掴んで、顔を胸に埋めて。 少し、震えている。 「…わかった。ごめんな」 あまりの可愛さに、笑いそうになるのを堪えて、髪を撫でてやると、やっと震えが収まってくる。腕の中で弛緩する身体を何度も撫でていると、不意に音が鳴り出した。 ゴロゴロゴロゴロゴロ………。 鳴ってる。猫は、撫でるとごろごろ喉を鳴らすとは聞いたが。 鳴ってる。喉が。気持ちよさそうに。 「…っ…かわええなぁ!」 「! けんや! くるしい!」 「あ、悪い」 衝動のままに抱きしめてしまってから、謙也は謝る。腕は緩めたが、まだ抱いていたかった。 そのころの白石さん宅。 「千里ー? …髪乾かせへんからはなれろ」 「いい匂いばい〜」 「蹴るぞこら」 風呂上がりでズボンだけの白石の半裸の背中に抱きつき、幸せそうな顔をしたオオカミキメラの姿。 注:身体は既に、白石より大きい。白石は今、20歳だ。 「猫か。ええなぁ。…オオカミのこの成長の早さはなんやねん」 「蔵!? 他のヤツかうと!? 俺にあきたと!?」 「あきてへんあきてへん」 はいはい、と頭を撫でてあやしながら、最近の悩みは肩が凝ることだな、と思った。 ⇔NEXT |