REZET-リゼッタ-



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 第二話【Side:白石と千里−始まり】





 ある日、寝苦しくて目を覚ました。
 白石がゆっくり瞬きすると、目の前に広いなにかが押しつけられている。
 薄暗い部屋の中。寝台の上。
 自分を抱きしめる、自分より大きな、なのに自分より幼いキメラ。
 腕を自分の背中に回し、足も絡めている。
「暑苦しいっちゅうの…」
 あまりの暑さに、突き放そうとして、白石はやめた。

 人肌が恋しいのは、仕方ないのだ。

 彼はまだ、十二歳。幼い子供。
 身体が大きいから、錯覚する。大人だと。
 違う。まだ言葉もどこか辿々しい。まだ弱々しい。
 突き放すのを止めて、自分から抱きしめてやった。
 眠っている千里は目覚めないから、気付かない。


 そんな風に甘やかした。
 それが、間違っているのだろうか。



 今も、悩んでいる。







 俺と千里の始まりは、俺の父親だった。
 父親は、キメラ総合センターの職員だった。
 キメラ総合センターとは、普通の人間が呼ぶ問題のあるキメラが預けられる「センター」のことではない。
「センター」の正式名称は、「世界キメラ保護施設」。呼びづらさと、堅苦しさ。あからさまな呼び名から避けて、みんなセンターと呼ぶ。
 キメラ総合センターは、キメラを生み出す研究施設。
 新しいキメラの研究と、キメラのチェックをクリアした国民からの要請で、望まれた掛け合わせのキメラを生み出す施設。
 大抵のキメラは、最初は飼い主の希望で生み出される。人間の赤子が母胎から外に出る状態まで成長させられてから、飼い主に渡される。だから、普通は赤子。
 赤子より成長したキメラが初対面なら、それは「世界キメラ保護施設」にいたキメラだ。

 俺の家族は、その頃、ちょっとやばかった。
 母親は父親の職業に反対で、仕事に行く父をあまりよく思っていないと俺も知っていた。
 俺が十歳の時、父親が「蔵ノ介も来るといい」と言った。父は俺にもキメラ創造に携わって欲しかったらしい。それが母親を怒らせた。
 家にいると息苦しくて、俺はある日、父親に頷く形で総合センターに来た。
 キメラに興味はなかった。ただ、家族以外の人がいる場所にいたかった。
 そこに泊まり込んで、半年。
 俺は職員の息子ということで、手伝いはしたが、主にそれは、飼い主に渡される前の赤子キメラの世話くらいだった。

「…あの」
 傍にいた職員は、父親とあまり面識のない男性だった。
 俺の声に、優しくどうしたと聞いて近寄ってくれる。
 俺は、一番端の寝台を指さした。
「あの子、…」
「ああ」
 職員は、少し辛そうな顔をした。
 いかにも病弱そうな、管ばかり繋がった身体に生えた、犬のような耳と尻尾。
 どうみても、二歳前後くらいの身体。
 ここにいるのは赤子だけじゃないのか。
 彼は「生命維持装置のないところに出せないんだ」と言う。

 そのキメラは生まれる過程に問題はなかったのに、何故か食事を受け付けなかった。
 常に点滴と栄養剤の注射を必要とした。起きないことの方が多く、生命維持装置を必要とした。
 そんな「彼」を、最初に希望した飼い主が欲しがるはずがなかったという。
 精神的な問題だと思うから、もう少し大きくなったら保護施設の方に移す、と。



 暇な時間があると、彼の所に来た。
 ただ寝台の中の彼をじっと見ているだけ。
 根拠のない同情はいけないと父に言われた。そりゃそうだ。
 自分はまだ幼い。飼える年じゃない。なのに、情が移ったって、保証がない。

「あ」

 ある日、彼がぼんやりと目を開けて、自分を見た。起きあがらないまま、横たわったまま。

 その一瞬、俺は堪らなくなって、その場を逃げ出した。




(俺があの子を気にしたのは、同情でも、愛情でもない。
 重ねていただけ。
 息苦しい家で、いつも一人の自分と)



 決して、あの子を思ったわけじゃなかった。



「父さん、なぁ、頼みあるんや」
 大きくなったら、同じように仕事するからと、父親に頼んだ。
 自分はまだ飼えない年だ。だから、父に飼い主になってもらう。



 救いたかったんじゃない。決して。
 救いたかったけれど、決して彼の為じゃない。

 彼が一人じゃなくなれば、自分が一人じゃなくなると思った。





 許可はすぐには降りなかった。父親はあっさり許したが、彼は外で生きられない。
 けれど、久しぶりに目覚めた彼は、俺の手からは食事をとった。食事をとれるようになって、普通に起きていられるようになった。
 どうして自分が受け入れられたのかわからない。
 だって、自分は、









「蔵?」
 目覚めると、千里が見下ろしていた。
「…お前、なにしとん」
 寝ている自分にのし掛かった巨躯を無理矢理どけると、千里は「すなおじゃなか」と笑って、起きあがった自分の首に抱きついた。
「重い」
「やけん、うれしか!」
「……なにがや?」
「蔵が、じぶんから俺にだきついとったよ?」
 そういえば、彼の身体に手を回して眠りに落ちたのだった。
「あれは…」
「きのせいと?」
 しゅんと、尻尾を垂らす千里に、「いや、俺の意志」と答えると、千里は目を輝かせて飛びかかった。
「わ!」
 自分より大きな巨躯に飛びかかられて、白石は背後に倒れた。勢いで後頭部を背後の壁にぶつける。
「…った……!」
「…あ、蔵、すまん…」
「…っの…」
 痛む頭を押さえて、白石は起きあがるとぎろりと千里を睨んだ。
 千里がびくりと反応する。耳があからさまに震えた。
「男の飼い主を押し倒す男のキメラてなんやねん! もう…」



 喉につっかえたまま、言葉にならなかった。

 怒る? 捨てる?

 どっちも、出来るわけない。



「……なんでもない」
 結局そう、口にして、白石は千里の傍を通り過ぎ、寝室を出た。






(そういや、謙也のとこにも来たって言うてたな…キメラ)

 謙也も、自分が飼ったいきさつは知らない。
 でも、最初は、
千里の飼い主の権利は、まだ、父親のままだ。

 居間でそんなことを考えていると、寝てしまいそうだった。
 二十歳になってすぐ借りた部屋。自分と千里しか住んでいない。起きあがって、千里の居るだろう寝室に向かう。
 途中、通りかかったキッチンにその巨躯があった。
 まさか火を使っているのか。やめろと言いつけてあったのに、と身構えたが千里はどうやら、牛乳だけで作れるプリンを作っているらしい。
(あ、こぼした)
 一人でなにやら奮闘する姿を見ると、微笑ましくなってきた。なんでさっきあんなに怒ったんだろう。
「あ、」
 千里が自分に気付いて、慌てる。白石は傍に近寄って、固めていないプリンの液体を指ですくって舐めた。
「あ!」
「ん。おいしいやん。…よく読めたなー」
 自分より少し高い頭を撫でてやる。分量とか、文字は袋に記載してあるが、読めると思わなかった。
 会話に必要な言葉は教えているが、漢字はあまり教えていなかった。
 頭を撫でられて、しばらくぽかんとした千里は、急に瞳を潤ませた。
「蔵ッ!」
「え?」
「おれ、蔵に要るこ? ひつよう!? すてなか!?」
「…すて、へんし」
「ほんなこつ!? きらってなか!? すてなか!?
 蔵いがいはこわか!」
 涙であっという間にぼろぼろになった顔で、必死に言ってくる。

(だから)

 手を伸ばして、顔を肩の上に引き寄せ、抱きしめた。
「捨てへん。必要。要る。
 …お前は、俺だけ知っとればええ。ごめん」
「……蔵」
 ぎゅう、と自分を抱きしめる手がある。腕がある。自分のために作っていたという、プリン。
 わかっている。
 お前はまだ、子供。俺は大人。
 子供にムキになって叱りつける大人がどんなに格好悪いか。
 最低かわかっている。


(だから、…俺は)




 今も、俺は、心に、一生爆発しない、取り除かれることのない不発弾を抱えている。


 あの日、お前を飼うと決めた日。


 俺はただ、自分が救われたい一心だった。お前のことなんか、考えなかった。




 なら、俺がお前を放せないのは、



(お前を手放したら、…独りになるのは俺だから)



 だから、捨てられない。放せない。独りが、怖い。





 今はまだなに一つわからない。


 千里に向かう気持ちが、自分への愛情なのか、彼への愛情なのかすら。





 ただ、孤独になりたくなかった。




(幼いお前に縋る…俺がなにより、汚い……)



 だから千里。


 俺のことを愛さないで欲しい。




 俺だけは、好きにならないで。








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