REZET-リゼッタ-



*******************************************************************



 第十一話【Side:白石と千里−どうして俺を選んだ】







 あの日から、問いかけ続けた。
 心の中で、何度も、何度も。


( どうして、俺を選んだ )






 雨の降る日だった。まだ冬が過ぎきっていない。寒い。
 夜、うなされている白石を、知っていた。

「千里?」

 リビングでぼーっとしている狼を、背後から覗き込んだ白石が呼んだ。
 あからさまにびくり、とした狼に、白石は不思議そうに笑う。なんで驚く、という風に。
「くら…」
「千里。これから出かけるんやけど、どないする?」
「え」
 白石が伺う言葉の意味に気付いて、千里は戸惑った。
 いつもなら、訊かないで勝手に行くのに。自分がついていく、と強請るのに。
 訊いてくれる。
「…いく」
「そか。はよ準備せえ」
 嬉しそうに微笑み、寝室に姿を消した白石を見送って千里はため息を吐いた。
 訊いてくれるのは、俺に優しくしたいから?

 それとも、後ろめたさ?

「……そぎゃんわけなか」

 馬鹿なことを疑う、自分を一番殺したい。

 なのに、彼の笑顔一つ、今は素直に受け取れなかった。





 先日、やってきた男は、また姿を見せなくなった。
 先日の来訪自体、実に一年ぶりだった。
 彼は頻繁に白石に会いには来ない。
 待てるのは、大人だからか、自分に気持ちがあることを自負しているからか。
 どっちでもありそうだ。

「千里?」
 ショッピングモールの中、固まっている狼の肩に手を乗せて、白石は狼の見ているものを覗き込んだ。びっくりした狼は、特に意識してそれを見ていない。
 ただ、不意に思考に飲み込まれて足を止めたら、そこだっただけだ。
 白石の眼前には、カートに積まれた犬のぬいぐるみ。
「もしかして、仲間欲しいん?」
「え」
「仲間。自分の。欲しいなら」
「いらん!!」
「……」
 白石は本気で言っていなかった。けど、そう大声で噛みついてしまっていた。
 白石も、周囲の人々もびっくりしてこちらを見ている。
 目の奥が熱くなって、涙が溢れたと理解して、千里は自分の袖で目元を拭う。
「…ごめん。本気やない。…ごめんな、千里」
 白石の優しい手が、自分の頭を何度も撫でた。優しい声が、何度も謝る。

 違う。違う。蔵は悪くない。
 どうして、こんなに心がぐちゃぐちゃなんだ。
 彼はまだ、傍にいるのに。

「…帰ろう? な?」
「……うん」
 自分を気遣って優しい声。優しい手。
 なのに、怖くて堪らない自分。
 それが、嫌だった。
「…」
 千里の手を引いて歩き出してすぐ、白石は足を止めた。
 千里はなにかと、前を見て、心臓が嫌な音で早く鳴り出したことを実感する。
 白石に気付いてはいないが、向こうの通路にいるのは、あの男だった。
 展示してある服を手にとって、なにか真剣に考えている。
 多分、自分へのものだ。白石に選ぶにしては、似合わない風な服ばかり。

 思えば、彼は白石と付き合っていた頃、服を贈っていた。
 そういうのが好きなんや、とまだ幸せな声で、白石が言った記憶があった。

「…かえろ。くら」
「…ああ」
「はやくかえろ。はやくいくばい…!」
「…わかっとる。…お前の前で話しかけるもんか」
 白石はまた千里の頭を撫でて、手を引いて別の方向からエレベーターに向かった。
 そこを去る間際、何故彼の方を振り返ってしまったのか、千里にもわからない。
 侑士は、自分たちを、否、白石を見ていた。
 優しい目で。
 彼は気付いていた。白石に。知らないふりをした。
 そんな余裕も、あるのだ。大人だから。


 余裕があるのか。
 奪われない、余裕が。





「くら」

 寒い冬だった。雪がちらついている。
 駅まで行く途中、歩道の中腹で、足を止めると白石は不思議そうに振り返って、足を止めてくれた。
「千里?」
「…なして、おれがよか?」
「……千里?」
「…あいつより、なしておれがよか!?」
 こんな我が儘、言いたくなかった。
 必死に言い募る千里を、白石は茫然とした顔で見上げてくる。
 言いたくなかった。もし、本当はあいつがいいんだって言われたら、死んでしまう。
 白石の手が伸びて、自分の雪に湿った髪を撫でた。
 誤魔化されたくないと、首を振って避けると、泣きそうな顔をされた。胸が痛む。
 そんな顔させたくないのに。
「……俺は」
 白石は言いかけ、口をつぐむ。すぐ、首を左右に振って、千里を真っ直ぐに見た。
「俺は、侑士が死んでも、死ぬ気にはならん」
「……?」
「やけど」
 意味の分からなかった千里を見て、白石は泣きそうに微笑んだ。

「お前が死んだら、俺は死ぬ」


 泣きそうな笑顔。泣きそうに震えた声。
 何故、そんな台詞を言わせてしまう。
 何故、そんな顔をさせてしまう。
 なのに、どうして俺がいい。


「帰ろう。千里」


 彼の吐く息が白く染まる。
 自分の呼吸も白い。
「くら」
「…ん?」
「…」
 優しい表情で首を傾げる、白石の手を取った。
 なにも言わず頷く自分に、白石はただ優しかった。
 帰ろうと、自分に言う。
 いつまでと、馬鹿なことを問いたくなる。




 だって、「まだ」って思う。
 今はまだ、自分のものだって。
 いつか、自分のものじゃなくなるって、思う。





 外から帰ると、部屋の中はやけに暖かく感じた。
 白石が自分を急かして中に入れ、扉と鍵を閉める。
 先に上がって暖房をつけにいった白石を追うではなく、千里は寝室に入った。
 暗いから、電気をつけた。
 寒いから暖房を入れる。
 そんな風に、好きだから、傍にいたかった?
 違う。そんな単純なことじゃなかった。

「千里?」

 いない自分をいぶかしがって、白石が寝室に顔を見せた。
 振り返って、自分を不思議そうに見上げた白石の手を掴むと、引っ張って寝台に引き倒した。スプリングが派手に軋む。
「せ…り?」
 まだ、意味のわかっていない顔が自分を見上げる。
「おれ、しっとうもん」
「…?」
「くらとあいつがやっとった。しっとうよ」
「………」
「あいつがよかなら、おれもよか?」
 白石の身体にまたがって、そう言う千里の顔は、白石が見たこともない顔だった。
 意地悪で、あまりに酷薄な笑み。
「……今は、侑士があかんの。お前やないと」
「……」
 白石が静かに言うと、千里は苦しそうに顔を歪めた。
 手が伸びて、白石の首にかかる。すぐ、籠もった力に、呼吸が圧迫された。


「おれがそがんしたら、しぬ?」


 そう、必死に、必死に、今にも崩れそうに、泣き出しそうに訊く子供の顔がある。
 白石の答えは決まっていた。それ以上の、以下の、答えを知らない。
 他に、答えたい応えを、知らない。欲しくない。
 お前を守りたかった。愛しくて仕方なかった。
 なあ、侑士の代わりがおっても、お前の代わりなんかおらんねん。


「死なない。お前を、置いていかん。…お前を、二度と独りにするもんか」


 そう、精一杯微笑んで言った。ぽかんとした千里の手から、力が無くなる。
 軽くせき込んだ白石の上で、千里は茫然としていたが、すぐ火がついたように泣き出した。
 大声で、自分を呼んで泣いた。
「ごめん。ごめんな。…絶対、お前を独りにせん。もう、お前のおらんとこなんか、行かへんよ。…お前以外を、誰が選ぶか…」
「く…ごめんなさい…っ…くら…!」
「もうええ」
 千里の身体を精一杯抱きしめて、白石は何度も好きだと繰り返した。
 独りにしない、と、何度も言った。





 そんな簡単な思いじゃなかった。
 あの日、あなたに初めて会った日。
 俺が笑ったのは、嬉しかったからだ。



 あなたが俺を見ていることが、ただそれだけが。



 あんなにも嬉しくてしかたなくて、微笑んだ。



 初めて会った日に、一目で俺を囚えた人。



『 俺には、初めからあなただけ。 』






 あの日から問いかけ続けた言葉。
 初めて会った日から。何故、俺に微笑んだ。
 何故、俺を選んだ。そう、小さな狼に問い続けた。心の中、ずっと。

 キミは泣いたあとに、微笑んでそう答えてくれた。
















 ⇔NEXT