REZET-リゼッタ-



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 第三話【Side:白石と千里−凍る心・雪解けのない花】







 俺のことを愛さないで欲しい。





 一生お前を守るから、だから。






 俺だけは、好きにならないで。





 俺をどうか、








 家に、両親と三人でいるときが辛かった。
 会話はないのに、二人とも動かない。
 俺に話しかけない。

 二人きりになると、俺に話しかける。

 父は仕事の話ばかり。母は父の愚痴ばかり。






 昔の夢だ。早く目覚めたいのに、目が開かない。
 その時、誰かの手が、髪を撫でた。
 すっと、悪夢が消える。楽になる。


 でも、俺はそれが誰の手かを、考えずに。





「蔵……」
 情けない顔をして、テーブルの椅子に座ったまま動かないオオカミ。
 自分より大きな身体に、生えたオオカミのふさふさの尻尾と耳は、垂れている。情けなく。
「食べろ、て言うてんねん」
「……まずかよ」
「俺の料理がまずい?」
「いや、そげんいみじゃなか! 蔵のりょうりはうまか!
 ただ、…やさいはいやばい〜」
 うにゅう、と泣きそうになって千里は俯く。
 目の前にはサラダの入った皿。それも、小さな皿。
「…お前、この量すら嫌か……」
「やって」
「口内炎が出来て泣いてたん誰やねん」
 緑を食え、と脅しても、千里は泣きそうだ。
「…」
 はぁ、と溜息を吐く。別に、好き嫌いは悪くない。あまりに多いなら問題だが、一つや二つくらいなら。千里は、野菜以外はよく食べるし。
 …いや、野菜全般食べない時点で、既に多い偏食なのか。
「…………わかった。これは俺が食う」
 千里の前から皿を取り、自分の前に持っていくと千里はあからさまに安堵した。
 そんな、注射が嫌いな子供が、注射されずに済んだ時みたいに安堵しなくても。



 親は俺を叱る親ではなかった。
 でも、機嫌は顔に出した。
 食事を残すと機嫌が悪くなる。嫌で、なんでも食べた。



(…ぜーたくな)
 そう、千里を見て思って、すぐ首を左右に振った。
 俺の話は、俺の事情で千里に関係ない。一緒くたにするのは、間違いだ。
「……、せんり?」
 ふと顔を上げる。そこには、嫌がった癖に、俺が食べる野菜を興味津々に見ている瞳。
「…………」






 そういえば、前から自分が食べているものに食いついてくることはよくあった。
 あれは、食べたことのないものへの興味かと思っていたが。


(他人が食べてるもんはうまそうに見えるっちゅうあれか?)


「蔵!? どっかいくと?」
 着替えていると、千里が部屋に来てすぐ、傍に駆け寄った。
「うん。買い物」
「おれもいく!」
「え、いや…お前は」
「つれてってほしか!」
 じーっと、自分を必死に見る瞳。真剣な顔に潜む、独りへの怯え。
 それに折れた。
「わかった…」




 千里を外に連れて行くのは、初めてだ。
 寒くなってきた季節。葉の枯れた木々や、枯れていない木々を見ては千里は「なしてちがか!?」と聞いてくる。
 まるで何故なに坊やだな、と思って笑った。ああ、まるでじゃないか。そういう、年か。
「落葉性と、常緑性の木やろ。……落葉性っちゅうのは、今葉っぱのない枯れる木。常緑性が、一年中枯れない木」
 普通に説明しかけて、それじゃまだ幼い千里にはわからないと気づき、補足する。
 千里は、感心しきって声を漏らす。それからまた、木々を見遣った。
「千里。あんま向こう行くな」
 きょろきょろしすぎて自分から離れそうになった千里の手を掴む。
 すぐ、彼はこちらを見て、驚いたあと嬉しそうに破顔した。
「?」
 不思議になる自分の手をぎゅうと握ってくる。馬鹿みたいに痛い力。
「千里、手、いたい」
「…あ、すまん。…こうしたら、まだにぎっててよか?」
 手の力を緩めて、千里は不安そうに聞いてきた。あまりにしゅんと耳を垂れさせて項垂れるから、「かまへん」と答えた。

 傍を通る通りすがりの人たちが、「キメラだ」と、「いいな」と噂する。

(何が。寿命がたかが五十年の、飼い主置いてく奴らのどこが)




「蔵?」
 足を止めてしまった自分を、不思議そうに、少し不安そうに千里が見下ろす。
「くら?」
 無言のままの自分を覗き込む顔に、俺は心臓が杭で刺されたみたいに痛む。


(ちゃう。…そんなんやない!)


「はよ、帰ろう」
 そう言って、足早に歩き出した自分を千里が慌てて追ってくる。歩幅が自分より広いから、すぐ隣に並ぶ。
「蔵? なんかあったと? …いたか?」
「…なんでも、ない」
「………くら?」

 やめて。そんな、心配するな。
 そんなに俺を、労るな。
 思いやらないで。

 優しい言葉が触れるたびに、自己嫌悪で死にそうになる。




 だって、そんなの嘘だ。




 自分へ伸びた大きな腕が、自分を抱きしめた。千里の広い胸に顔が埋まる。
「くら……」
 幼いお前の、不安そうな声。心配する声。
 お前に縋ってばかりの自分。
「…ごめん、千里」
「くら?」
「ごめん、ごめん、ごめん……。千里。
 …ごめんな……ごめん……」
 千里の胸に顔を埋めたまま繰り返すと、髪をそっと撫でる大きな手があった。
 そして、謝罪を否定する、優しい声。




 自分ばっかり救われたがって、お前を救おうともしない。
 お前からの気持ちに目を背けて、都合のいいときばかり縋る。

 幼いお前に依存する。



 たかが、五十年の寿命。
 絶対、俺を置いていなくなるお前。


 そうしたら、俺は独り。


 だから、お前を好きにならない。そうやって、自己防衛する。




 胸にしみこんでいく優しさに、芽生える暖かさに、気持ちに蓋をする。
 お前を馬鹿みたいに大事がりたい心を、見ないで箱に閉じこめる。



 千里を、好きになったら、アカン。


 だから、お前も俺を、好きにならないで。



 溶けないでいて。この胸を凍らせたまま。凍ったままでいて欲しい。


 この愛情を、凍らせたままで保たせて。



 雪解けなんか、来なくていい。





 一生、この花は咲かないで。








 その日、買ってきた野菜ジュースを俺が飲んで見せたら、千里は案の定食いついた。
 千里は気に入ったらしく、よく飲んでいるのでしばらくは大丈夫だろう。

 しかし、ちょっと頭を掠めた疑問に俺は凹んだ。

「結局、今でも俺の手からしか、モノ食えへんってことか…………?」










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