REZET-リゼッタ- ******************************************************************* 第三話【Side:白石と千里−凍る心・雪解けのない花】 俺のことを愛さないで欲しい。 一生お前を守るから、だから。 俺だけは、好きにならないで。 俺をどうか、 家に、両親と三人でいるときが辛かった。 会話はないのに、二人とも動かない。 俺に話しかけない。 二人きりになると、俺に話しかける。 父は仕事の話ばかり。母は父の愚痴ばかり。 昔の夢だ。早く目覚めたいのに、目が開かない。 その時、誰かの手が、髪を撫でた。 すっと、悪夢が消える。楽になる。 でも、俺はそれが誰の手かを、考えずに。 「蔵……」 情けない顔をして、テーブルの椅子に座ったまま動かないオオカミ。 自分より大きな身体に、生えたオオカミのふさふさの尻尾と耳は、垂れている。情けなく。 「食べろ、て言うてんねん」 「……まずかよ」 「俺の料理がまずい?」 「いや、そげんいみじゃなか! 蔵のりょうりはうまか! ただ、…やさいはいやばい〜」 うにゅう、と泣きそうになって千里は俯く。 目の前にはサラダの入った皿。それも、小さな皿。 「…お前、この量すら嫌か……」 「やって」 「口内炎が出来て泣いてたん誰やねん」 緑を食え、と脅しても、千里は泣きそうだ。 「…」 はぁ、と溜息を吐く。別に、好き嫌いは悪くない。あまりに多いなら問題だが、一つや二つくらいなら。千里は、野菜以外はよく食べるし。 …いや、野菜全般食べない時点で、既に多い偏食なのか。 「…………わかった。これは俺が食う」 千里の前から皿を取り、自分の前に持っていくと千里はあからさまに安堵した。 そんな、注射が嫌いな子供が、注射されずに済んだ時みたいに安堵しなくても。 親は俺を叱る親ではなかった。 でも、機嫌は顔に出した。 食事を残すと機嫌が悪くなる。嫌で、なんでも食べた。 (…ぜーたくな) そう、千里を見て思って、すぐ首を左右に振った。 俺の話は、俺の事情で千里に関係ない。一緒くたにするのは、間違いだ。 「……、せんり?」 ふと顔を上げる。そこには、嫌がった癖に、俺が食べる野菜を興味津々に見ている瞳。 「…………」 そういえば、前から自分が食べているものに食いついてくることはよくあった。 あれは、食べたことのないものへの興味かと思っていたが。 (他人が食べてるもんはうまそうに見えるっちゅうあれか?) 「蔵!? どっかいくと?」 着替えていると、千里が部屋に来てすぐ、傍に駆け寄った。 「うん。買い物」 「おれもいく!」 「え、いや…お前は」 「つれてってほしか!」 じーっと、自分を必死に見る瞳。真剣な顔に潜む、独りへの怯え。 それに折れた。 「わかった…」 千里を外に連れて行くのは、初めてだ。 寒くなってきた季節。葉の枯れた木々や、枯れていない木々を見ては千里は「なしてちがか!?」と聞いてくる。 まるで何故なに坊やだな、と思って笑った。ああ、まるでじゃないか。そういう、年か。 「落葉性と、常緑性の木やろ。……落葉性っちゅうのは、今葉っぱのない枯れる木。常緑性が、一年中枯れない木」 普通に説明しかけて、それじゃまだ幼い千里にはわからないと気づき、補足する。 千里は、感心しきって声を漏らす。それからまた、木々を見遣った。 「千里。あんま向こう行くな」 きょろきょろしすぎて自分から離れそうになった千里の手を掴む。 すぐ、彼はこちらを見て、驚いたあと嬉しそうに破顔した。 「?」 不思議になる自分の手をぎゅうと握ってくる。馬鹿みたいに痛い力。 「千里、手、いたい」 「…あ、すまん。…こうしたら、まだにぎっててよか?」 手の力を緩めて、千里は不安そうに聞いてきた。あまりにしゅんと耳を垂れさせて項垂れるから、「かまへん」と答えた。 傍を通る通りすがりの人たちが、「キメラだ」と、「いいな」と噂する。 (何が。寿命がたかが五十年の、飼い主置いてく奴らのどこが) 「蔵?」 足を止めてしまった自分を、不思議そうに、少し不安そうに千里が見下ろす。 「くら?」 無言のままの自分を覗き込む顔に、俺は心臓が杭で刺されたみたいに痛む。 (ちゃう。…そんなんやない!) 「はよ、帰ろう」 そう言って、足早に歩き出した自分を千里が慌てて追ってくる。歩幅が自分より広いから、すぐ隣に並ぶ。 「蔵? なんかあったと? …いたか?」 「…なんでも、ない」 「………くら?」 やめて。そんな、心配するな。 そんなに俺を、労るな。 思いやらないで。 優しい言葉が触れるたびに、自己嫌悪で死にそうになる。 だって、そんなの嘘だ。 自分へ伸びた大きな腕が、自分を抱きしめた。千里の広い胸に顔が埋まる。 「くら……」 幼いお前の、不安そうな声。心配する声。 お前に縋ってばかりの自分。 「…ごめん、千里」 「くら?」 「ごめん、ごめん、ごめん……。千里。 …ごめんな……ごめん……」 千里の胸に顔を埋めたまま繰り返すと、髪をそっと撫でる大きな手があった。 そして、謝罪を否定する、優しい声。 自分ばっかり救われたがって、お前を救おうともしない。 お前からの気持ちに目を背けて、都合のいいときばかり縋る。 幼いお前に依存する。 たかが、五十年の寿命。 絶対、俺を置いていなくなるお前。 そうしたら、俺は独り。 だから、お前を好きにならない。そうやって、自己防衛する。 胸にしみこんでいく優しさに、芽生える暖かさに、気持ちに蓋をする。 お前を馬鹿みたいに大事がりたい心を、見ないで箱に閉じこめる。 千里を、好きになったら、アカン。 だから、お前も俺を、好きにならないで。 溶けないでいて。この胸を凍らせたまま。凍ったままでいて欲しい。 この愛情を、凍らせたままで保たせて。 雪解けなんか、来なくていい。 一生、この花は咲かないで。 その日、買ってきた野菜ジュースを俺が飲んで見せたら、千里は案の定食いついた。 千里は気に入ったらしく、よく飲んでいるのでしばらくは大丈夫だろう。 しかし、ちょっと頭を掠めた疑問に俺は凹んだ。 「結局、今でも俺の手からしか、モノ食えへんってことか…………?」 ⇔NEXT |