REZET-リゼッタ-



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 第四話【Side:謙也と光−最愛】






 光が謙也の家に預けられて、二週間。
 一人暮らしには馴れていたから、そこに、自分の声を聞く存在が居るとなんだか馴れない。でもくすぐったい。
「けんや、けんや。ひこーき!」
 洗濯物を洗濯機から取り出していた謙也の足下で、猫が尻尾をぴんと立てて元気よく言った。
「ああ、ちょお待ってや。干してからな」
 謙也が笑って、猫の髪を軽く撫でて言う。すぐ離れてベランダに足を向けたが、その背後で一瞬ガンッとショックを受けた猫は、すぐにやり、と笑ってジャンプした。
「うお!」
 伊達に猫キメラではない。謙也の立っていてかなり高い位置にある背中にがしっと飛び乗り、そのまま肩に登って、光は謙也の肩の上で首に手を回した。
 足の間に謙也の首を挟んで、両手で頭を掴む。
「けんや、ごー! ごー!」
 進行方向を指さして、耳をぴくぴくさせてわくわくした顔で光は言う。
「はいはい、行きます行きます。どこでも行くわ。
 落ちるなやー」
 片手で光の身体を落ちないように支えながら、謙也は歩き出す。
 その顔は、仕方ないという笑みが浮かんでいるが、あからさまに幸せそうだ。
 白石が見たら、「お前、なにその緩んだ顔」と言うだろう。
(人見知りは最初だけで、あれからはもう…デレデレに懐きよって。可愛えったら)
 尻尾をふりふりして、謙也の髪を、落ちないように掴む手の力は、本人は力一杯だろうに、謙也からしたらやはり弱い。

 洗濯物を干してから、肩に乗った猫の気が済むまでぐるぐる部屋を回ってやる。
 猫はテレビで親子のドキュメントを見て以降、肩乗りを「ひこーき」と言い張る。
 可愛いので、そのままにしている。

 テレビの音で目が覚める。
 昨晩遅かったから、またうたた寝してしまった。
 頭の後ろにクッションを置いて、寝ていた謙也は「ん?」と思う。
 腹の上で寝ていた猫がいない。
 頭の下の感触は、クッションとはなんか違う。かといって床でもない。
「……」
 理解して、言葉を失った。
「けんや、おきたで」
 上から、自分を覗き込む猫の小さな顔。
 自分の顔を、頭の上の位置から抱くようにしているが、長さの足りない手。
 自分の後頭部の下にあるのは、どうやら、光の小さな足。
 謙也は咄嗟に飛び起きた。起きた姿勢で振り返ると、やはり自分の頭のあった場所に、光の足。
「足! いたないか!?」
 寝相が悪くて踏んでしまったのだろうか、と焦る謙也に、光は首を傾げたあと、表情の豊かな顔を綻ばせて「てれびでみたで」と言う。
「…?」
 光の小さな足に痛みがないか触って確かめている謙也の手に、頬を染めながら光はもう一度言う。
「ひざまくらー」
「………、」
「てれびでしてやってるひとがおったで。ひざまくらにしてやるん。
 けんやにひざまくらー」
「…………ッ!」
 光は首を「?」と傾げた。謙也は自分の鼻を押さえて俯いて震える。

(語尾伸ばしてひざまくらー、やない! 可愛いんじゃボケ!)

 悶絶する謙也に構わず、光は髪を自分の手で撫でてから、四つん這いでよーいスタートの格好をして、謙也の頭にぴょん、と飛び乗る。
 ジャンプが足りなくて、謙也の顔面にぶらん、とぶらさがる小さな身体。


「かわええ……」


 ボソっと呟いて、謙也はぶらさがる身体を手で持ち上げてやって、頭の上に乗せてやった。








「謙也、お前……」
 久しぶりに会った親友の白石は、玄関先でそう一言、呆れたような顔。
「え?」
「幸せそうなんはええけど、…カンガルーの母親かお前」
 謙也の服の前、シャツの首のところ。脇を引っかけて、顔と身体半分を外に出して、下半身を謙也のシャツの中に入れた猫の姿。
 視線はじとー、と白石を睨んでいる。
「いやー……かわええし」
「そんなんわかる」
「けんや」
「ん?」
 猫がカンガルー状態のまま謙也を呼んだ。
「こいつなんや? けんやのなんや?」
「俺の友だちや。白石って言うん」
「しらいし………。けんやにてぇだしたらゆるさへんで!」
「あはは。ださへんださへん」
 真剣に白石を指さす光と逆に、白石は暢気に手を横に振った。
「けんやはおれのもん!」
「………………かわええなあたしかに」
 白石は思わず、長い沈黙の後にそう言ってしまった。光の発言に、謙也は真っ赤になって鼻を押さえて悶絶しているからだ。
「かわええなあ」の矛先が自分ではなく謙也だと察したのか、光は尻尾の毛を逆立てた。
「けんやにちかづくな!」
「いや、うん。そもそもとったりせえへんから」
「おれはしんようせえへん! じぶんのいえにかえれしんりゃくしゃ!」
 本気で威嚇している猫には悪いが、謙也と白石は本気で吹き出してしまった。猫がショックを受けた顔をする。
「俺、エイリアン呼ばわりされたん生まれて初めてやー…」
「……俺も初めて聞いたわ」
「……けんや、ひどい」
「ああ、ごめんごめん!」
 落ち込む猫の頭を撫でて、謙也は「白石は俺のなんでもないから」と必死に言う。
 白石は「しゃあないとはいえ本人前にしてひどいな」と言うが、顔は半笑いだ。
「ほな、俺はそろそろ部屋戻るわ。千里が泣く」
「連れてきたらええんに」
「三歳の猫に会わせるんまずいやろ。あんな馬鹿でかいオオカミ」
「それもそやな…」
 じゃ、と手を振って、白石は玄関をくぐって扉を静かに閉めた。見えなくなる。
 白石の部屋は同じマンションだから、結構会う気になれば簡単に会えるが、謙也はなかなか彼の部屋に行けない。
 理由の多くは、彼がキメラ総合センターの職員で、日中は大抵仕事場にいるから。
 飼っている狼は一緒に連れて行くらしい。場所が場所だから。
「けんや…」
「ん?」
 寝室に足を向けた時、カンガルー状態からやっと脱出して、謙也の胸元にしがみついた猫は、謙也に抱かれながら少し不安そうにする。
「けんや、…いちばん、だれ?」
 一番。好きな存在ということか。
 家族。もそうだが、他に仲がいい友だちもいる。優劣をつけるなら、一番は今まで白石だった。
「…今は、光」
 頭を撫で撫でしながら笑って言うと、光は頬を染めて、謙也を見上げた。
 光ってるんじゃないかというくらい、輝いた瞳で。
「……」
 綻んだ唇。尻尾を自分の手で持ったりしながら、嬉しそうに。
 謙也にぎゅうとしがみつく。
 抱き返して、髪を撫でた。耳がぴくりと震えた。











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