REZET-リゼッタ- ******************************************************************* 第四話【Side:謙也と光−最愛】 光が謙也の家に預けられて、二週間。 一人暮らしには馴れていたから、そこに、自分の声を聞く存在が居るとなんだか馴れない。でもくすぐったい。 「けんや、けんや。ひこーき!」 洗濯物を洗濯機から取り出していた謙也の足下で、猫が尻尾をぴんと立てて元気よく言った。 「ああ、ちょお待ってや。干してからな」 謙也が笑って、猫の髪を軽く撫でて言う。すぐ離れてベランダに足を向けたが、その背後で一瞬ガンッとショックを受けた猫は、すぐにやり、と笑ってジャンプした。 「うお!」 伊達に猫キメラではない。謙也の立っていてかなり高い位置にある背中にがしっと飛び乗り、そのまま肩に登って、光は謙也の肩の上で首に手を回した。 足の間に謙也の首を挟んで、両手で頭を掴む。 「けんや、ごー! ごー!」 進行方向を指さして、耳をぴくぴくさせてわくわくした顔で光は言う。 「はいはい、行きます行きます。どこでも行くわ。 落ちるなやー」 片手で光の身体を落ちないように支えながら、謙也は歩き出す。 その顔は、仕方ないという笑みが浮かんでいるが、あからさまに幸せそうだ。 白石が見たら、「お前、なにその緩んだ顔」と言うだろう。 (人見知りは最初だけで、あれからはもう…デレデレに懐きよって。可愛えったら) 尻尾をふりふりして、謙也の髪を、落ちないように掴む手の力は、本人は力一杯だろうに、謙也からしたらやはり弱い。 洗濯物を干してから、肩に乗った猫の気が済むまでぐるぐる部屋を回ってやる。 猫はテレビで親子のドキュメントを見て以降、肩乗りを「ひこーき」と言い張る。 可愛いので、そのままにしている。 テレビの音で目が覚める。 昨晩遅かったから、またうたた寝してしまった。 頭の後ろにクッションを置いて、寝ていた謙也は「ん?」と思う。 腹の上で寝ていた猫がいない。 頭の下の感触は、クッションとはなんか違う。かといって床でもない。 「……」 理解して、言葉を失った。 「けんや、おきたで」 上から、自分を覗き込む猫の小さな顔。 自分の顔を、頭の上の位置から抱くようにしているが、長さの足りない手。 自分の後頭部の下にあるのは、どうやら、光の小さな足。 謙也は咄嗟に飛び起きた。起きた姿勢で振り返ると、やはり自分の頭のあった場所に、光の足。 「足! いたないか!?」 寝相が悪くて踏んでしまったのだろうか、と焦る謙也に、光は首を傾げたあと、表情の豊かな顔を綻ばせて「てれびでみたで」と言う。 「…?」 光の小さな足に痛みがないか触って確かめている謙也の手に、頬を染めながら光はもう一度言う。 「ひざまくらー」 「………、」 「てれびでしてやってるひとがおったで。ひざまくらにしてやるん。 けんやにひざまくらー」 「…………ッ!」 光は首を「?」と傾げた。謙也は自分の鼻を押さえて俯いて震える。 (語尾伸ばしてひざまくらー、やない! 可愛いんじゃボケ!) 悶絶する謙也に構わず、光は髪を自分の手で撫でてから、四つん這いでよーいスタートの格好をして、謙也の頭にぴょん、と飛び乗る。 ジャンプが足りなくて、謙也の顔面にぶらん、とぶらさがる小さな身体。 「かわええ……」 ボソっと呟いて、謙也はぶらさがる身体を手で持ち上げてやって、頭の上に乗せてやった。 「謙也、お前……」 久しぶりに会った親友の白石は、玄関先でそう一言、呆れたような顔。 「え?」 「幸せそうなんはええけど、…カンガルーの母親かお前」 謙也の服の前、シャツの首のところ。脇を引っかけて、顔と身体半分を外に出して、下半身を謙也のシャツの中に入れた猫の姿。 視線はじとー、と白石を睨んでいる。 「いやー……かわええし」 「そんなんわかる」 「けんや」 「ん?」 猫がカンガルー状態のまま謙也を呼んだ。 「こいつなんや? けんやのなんや?」 「俺の友だちや。白石って言うん」 「しらいし………。けんやにてぇだしたらゆるさへんで!」 「あはは。ださへんださへん」 真剣に白石を指さす光と逆に、白石は暢気に手を横に振った。 「けんやはおれのもん!」 「………………かわええなあたしかに」 白石は思わず、長い沈黙の後にそう言ってしまった。光の発言に、謙也は真っ赤になって鼻を押さえて悶絶しているからだ。 「かわええなあ」の矛先が自分ではなく謙也だと察したのか、光は尻尾の毛を逆立てた。 「けんやにちかづくな!」 「いや、うん。そもそもとったりせえへんから」 「おれはしんようせえへん! じぶんのいえにかえれしんりゃくしゃ!」 本気で威嚇している猫には悪いが、謙也と白石は本気で吹き出してしまった。猫がショックを受けた顔をする。 「俺、エイリアン呼ばわりされたん生まれて初めてやー…」 「……俺も初めて聞いたわ」 「……けんや、ひどい」 「ああ、ごめんごめん!」 落ち込む猫の頭を撫でて、謙也は「白石は俺のなんでもないから」と必死に言う。 白石は「しゃあないとはいえ本人前にしてひどいな」と言うが、顔は半笑いだ。 「ほな、俺はそろそろ部屋戻るわ。千里が泣く」 「連れてきたらええんに」 「三歳の猫に会わせるんまずいやろ。あんな馬鹿でかいオオカミ」 「それもそやな…」 じゃ、と手を振って、白石は玄関をくぐって扉を静かに閉めた。見えなくなる。 白石の部屋は同じマンションだから、結構会う気になれば簡単に会えるが、謙也はなかなか彼の部屋に行けない。 理由の多くは、彼がキメラ総合センターの職員で、日中は大抵仕事場にいるから。 飼っている狼は一緒に連れて行くらしい。場所が場所だから。 「けんや…」 「ん?」 寝室に足を向けた時、カンガルー状態からやっと脱出して、謙也の胸元にしがみついた猫は、謙也に抱かれながら少し不安そうにする。 「けんや、…いちばん、だれ?」 一番。好きな存在ということか。 家族。もそうだが、他に仲がいい友だちもいる。優劣をつけるなら、一番は今まで白石だった。 「…今は、光」 頭を撫で撫でしながら笑って言うと、光は頬を染めて、謙也を見上げた。 光ってるんじゃないかというくらい、輝いた瞳で。 「……」 綻んだ唇。尻尾を自分の手で持ったりしながら、嬉しそうに。 謙也にぎゅうとしがみつく。 抱き返して、髪を撫でた。耳がぴくりと震えた。 ⇔NEXT |