REZET-リゼッタ-



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 第五話【Side:白石と千里−初めてのキス】






 白石が勤めるキメラ総合センターには、保育施設がある。
 職員専用の施設で、ここに勤める職員の多くがキメラを飼っているからだ。
 総合センターや、保護施設の職員になるには、通常キメラを飼うより厳しいチェックをクリアすることが必須。つまり、職員に採用された時点で、キメラを飼う審査にも合格したことになる。毎日、キメラと接する彼らは多くが、自分も飼いたいと思う。そして、仕事中は、飼っている幼いキメラをそこに預ける。

 例外はある。ウサギのキメラは、センターの職員は飼えない。
 仕事中に独りにしてしまう。保育施設に預けられない。
 だから、総合センターや保護施設の職員は、ウサギは飼えないのだ。

「千里、おとなしゅう、言うこと聞くんやで?」
 白石に頭を撫でられたが、千里はぶすーっと拗ねた顔をする。
「蔵…いつごろこられっと?」
「今日は……夜の」
「そげんまつと!?」
 時間を聞く前に、「夜まで待つ」と聞いただけで、瞳を潤ませて白石の白衣を掴む千里を、白石はどうしたものかと見遣った。
 普段は待たせても夕方までだったからな、と思う。
 白石は親子二代、キメラ創造に携わる総合センターの職員だが、白石は勤めて二年に満たない新人だ。任される仕事は「掛け合い」と呼ばれる、既にやり方がマニュアル化した作業−望まれた動物の遺伝子と人間の遺伝子を掛け合わせる、キメラ創造だ。あと、掛け合いで生まれたキメラが赤子の状態まで育つまでの調整と、管理。
 他の、キメラを飼うことを希望する飼い主への精神鑑定や、新しいキメラを作るための研究はまだ行えない。
 さほど多忙ではない。
 とはいえ、掛け合いがある日は、遅くなる。今日はそうだった。
「あ、白石くん」
 保育施設である、E棟に駆け込んできた女性職員は、白石と同じチームの職員だ。
「どないしたんですか?」
「今日予定してたうちのチームの掛け合い、ナシだって」
「え?」
「ほら、希望した飼い主が受けたチェック。あれがコンピュータのミスで合格の結果が出たことがわかって、やり直したら不合格だったの。だから」
「あー、なるほど。あれ、じゃ、今日は俺等のチーム、あんまやることないですよね…」
 掛け合いは一日まるごと使うため、他の仕事は翌日に回される。
 それがなくなったということは、やることが実質ない。
「そうなのよ。だから、簡単にその報告書書いたらあがり」
「ああ、わかりました」
 笑顔で頷いた白石に、女性職員はこそっと囁く。
「今、主任が来てて、保育施設にあの子預けてるらしいから、面倒見て欲しいって。
 報告書は私らでやっとくから」
「あ、はい。わかりました」
 よろしくね、と彼女は手を振って、足早に廊下を駆けていった。
「て、わけで、俺はちょっとしたら帰ってええって。すぐ迎えに…」
 千里はひどく安心するだろうと思って、白石は振り返ったが、そこにあったのはさっき以上に不満げな顔。
「千里?」
「…それって、あん子?」
「…うん」
「………」
 あからさまに不満そうだ。さては、こいつ、飼い主が他のキメラに奪られるのを妬いてるのか。
「たかが小一時間面倒見るだけやろ」
「それがいやばい」
「…お前は」
「おれもついてくばい!」
「……噛まないならな」
 白石は自分の後ろ頭を撫でて、しょうがないという顔をする。
 自分の腕をしっかりと抱いてくるでかい狼を引っ張って、彼が預けられている部屋に向かった。





「あ、白石くん! たすかった!」
 彼の面倒を見ていた若い男性の飼育員が、扉を開けて入ってきた白石を見てあからさまに安堵する。
 預けられるキメラに一室ずつ与えられる部屋。一緒の部屋はまずいからだ。各部屋には、寝台と、テレビに、玩具、ゲームや、パソコン、本などが置かれている。
 が、この部屋にはテレビやゲーム、パソコンなどの機械は置かれない。
 理由、この部屋に毎回預けられるキメラが、大変凶暴だからだ。
 その生後四年のキメラは、虎の尻尾と耳を持つ。職員の腕に噛みついている。幼いから、牙は生えていない。だからいいようなものの。
「金太郎、おいで」
 金太郎という名の、赤い髪のキメラは白石の姿を認識した途端、呻るのをやめて、噛みついていた腕を解放すると、ぴょんと白石の胸に飛び込んだ。笑顔で。
「くらのすけやー! あそんでー!」
「はいはい。ええ子にするんやで」
「うん!」
 どういうわけか、暴れん坊なこの子に、自分はやたら気に入られていて、噛まれたことがない。
 ぴょんぴょん跳ねて、金太郎は白石の身体によじ登って、ぎゅうとしがみつく。
 支えるように抱きしめてやると、「へへー」と嬉しそうな声。
「俺に任せて…手当しに行ってください」
「ありがとう〜」
 情けない声で感謝を告げて、飼育員は部屋を後にした。
「金太郎。今度はまたなんで噛んだん?」
「え? やってあいつ、わいの首もったんやもん!」
「……その前に、金ちゃんがなんか悪戯したんやろう?」
「………う」
 にっこりと白石に微笑んで指摘され、金太郎はあからさまにまずいという顔をした。図星。
「金ちゃん、ええ子にせなあかんて」
「……やって、…」
 床に降ろして、視線を合わせるためにしゃがんで言うと、金太郎は言葉を濁らせて、俯いた。意気消沈という具合に、尻尾も耳も垂れる。
 ぽん、と髪を撫でてやって、金ちゃん、と呼んでやると、顔をおずおずあげた。
「自分がやったんは、悪かったってわかる?」
「…うん」
「なら、もう怒らへんよ」
「……ほんま!?」
「うん」
 にっこりと笑って、金太郎の小さな身体を抱きしめると、額にちゅ、とキスしてやる。
 途端、彼は満面の笑顔になって白石にぎゅうううっとしがみついた。
「くらのすけ! だいすきや!」
「俺も金ちゃん大好きや」
 何度も身体を撫でてやって、もう一度床に足を降ろしてやる。
 それから、白石は気付く。背後の狼がやけに静かだ。
 いつもなら、「蔵にだきつくな!」とかうるさいのに。
 千里を連れてくるのは、金太郎がそこそこ千里にも懐いているからで、飼い主の主任も許可しているからだが。
「せん…」
 白石がしゃがんだまま振り返った瞬間だった。白石の背中から顔を伸ばした千里が、金太郎の腕目掛けて口をがばっと開ける。噛む前に、白石が慌てて千里の頭を力一杯叩いた。
 悲鳴がその場に響く。
「なにしてんねん!」
 きょとん、とする金太郎の前で、白石は千里に向き直って怒鳴る。
「お前は牙生えてんねんから、噛んだら洒落に…」
「………」
 自分を見上げた千里は、涙を浮かべている。痛みからではなく。
 白石はそこで、言葉を切った。
「なして…」
「千里?」
「なして、おれにはきびしかこつばっかで、そいつにはやさしかと!?
 頭なでて! ちゅーしてやると!? なしておれはあんなふうにたたくと!?」
「…………」
 ぼろぼろに泣いて、言うだけ言うと千里は扉を開けて出ていってしまった。
「……そんなん、……」
 お前が、俺のモノで、この子は俺のモノじゃないからだ。
 他人のものに、厳しいこと言うわけないだろう。叩けるわけないだろう。
「……そんなん、千里にわかるわけないか」
 白石は溜息を吐いて、振り返ると金太郎の頭を撫でた。
「ごめん、ちょおここで待っとれる?」
「うん!」
「すぐ戻るから、出たあかんで」
「うん!」
「よし」
 念のため、部屋に設置されている通信装置でその旨を他の飼育員に伝えてから、白石は部屋を出て、千里を追った。





 蔵は、いつもおれにきびしい。
 きついいいかたするし、おこるし、あたまなでてくれるけど、いちにちにごかいくらいだし。
 だきしめてくれるし、いっしょにねてくれるし、ほめてくれるし、いっしょにおふろはいってくれるし…………。

 そこで、千里は内心「うわあ」となった。
 優しいことの方が多い。悪いことの方が思い切り少ない。
「あ、あれ、おれ、なしてあんなしょっくやったと……?」
 蔵ノ介はあんなに、優しいのに。
 たまに、なにか悩んでいるけど、優しいのに。

 考え込む千里の背後で、靴音が鳴った。
 はっと振り返ると、そこに仁王立ちする飼い主。
「くら……」
「この…、」
 その言葉に、次に怒鳴り文句が来ると千里は身構えたが、白石は無言のまま近寄ると、千里を抱きしめて、長い息を吐いた。
「心配、させんな。ボケ……」
 その声が、本当に心配していて、安堵に震えていて。身体も、震えていて。
 本当に心配してくれたとわかって、千里は泣きたくなった。安堵に。
「ごめん蔵…っ。おれ、なしてかわからんけど、すごくしょっくやったと!
 ごめんなさい…っ」
「…わかったから、ええから…。お前みたいな手がかかるんがおるんに」
 白石は千里から身体を少し離して、間近で微笑んだ。
「他のヤツに余所見したり出来たりせんわ。お前で一生手一杯」
「……ぅ……蔵…おれ、くらだいすきばい!」
「わかっとる」
 もう一度抱きしめてくれる腕に、人に、望んでいたことを知る。
 だから、ショックだった。
「蔵、おれ、…」
 涙を堪えて、流れる涙をこすると白石にやんわり止められた。白衣のポケットから出したハンカチで顔を拭われる。
「おれ、くらにちゅーされたかと」
「……それがショックやったん?」
 金太郎にしたのが。と聞くと、千里はこくりと頷いた。
「なんか、胸がきゅーってなったみたくいたかった」
「……………」
「いけん?」
 白石が、無表情で黙り込むから、千里は不安になって問いかける。
 白石は、少し考え込んだあと、千里の手を握って、優しく笑った。明るく諦めたように綺麗に。
 手を伸ばして千里の頬に触れると、白石の顔が近づいた。
 驚いて、目を閉じられずにいると、そのまま唇と、唇が重なる。
 ほんの数秒。すぐ、白石は離れた。
「これで、ええか?」
「………」
 驚いて黙ったまま、千里は真っ赤になる。
 だって、金太郎には額だったのに。そんなテレビで見る男の人と女の人みたいな、キス。
 されるなんて、してもらえるなんて思ってなかった。
「ほら、千里」
 真っ赤になったまま固まる千里の前に、白い綺麗な手が差し出される。
「戻るで」
「……うん」
 手を取って、頷いて、また泣いてしまった。嬉しくて。
 白石が髪を撫でてくれる。それから、腕を引かれた。




 こんなの、忘れられっこない。

 厳しくて、口が悪くて、それで優しい。

 やっぱり、このひとがすきだ。















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