REZET-リゼッタ-



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 第六話【Side:白石と千里−意地っ張りの覚悟@】






「蔵ー」
 あれから、妙に狼はご機嫌だ。
 あれ―――――――俺が唇にキスをしてやってから。
 今もほら、ご飯を食べ終わったと思ったら、椅子から立って、向かいに座っていた俺の背中に抱きついてきた。
「食うの邪魔すんな」
「くら、いい匂いばい」
「腹減ってるならおかわりしろ」
 千里は首に腕を回したまま、くすくす笑う。「くいもんのことじゃなか」と。
 一匙分残っていたシチューをそのままに、白石は椅子から立ち上がった。千里は器用に、立つ俺の首を絞めないように腕の力を緩める。
「離れろ」
「どっかいくと?」
「買い物」
「おれもいく!」
「…好きにせえ」
「うん!」
 満面の笑顔で頷く千里を見上げて、白石は頭を軽く押さえた。
 自分もあれ以降、強く拒絶出来ない。
 どうして、キスなんかしてしまったのだろう。
 額に済ませればよかった。
 どうして、どうして。答えは出ない。

 本当は出かかっている答えを、俺は今日も見ない振りをする。

 そして、都合のいい別の答えを探す。でも、そんなもの、なかった。
 溜息を吐いて、千里の腕をどけると、服を着替えに寝室に向かう。
 背後で追ってくる足音。

 唐突に家の電話が鳴った。子機の置いてあるテーブルに駆け寄って手に取ると、着信相手は父親。

「もしもし」

『蔵ノ介か』

「他に誰が出るん」

 父親はそうやな、と笑う。家が離れてからは、父親はたまに、自分に笑うようになった。

『蔵ノ介。もうすぐ更新期限やろ?』

「…ああ」

 千里たちキメラも、怪我や病気などの保険には加入する。義務は、飼い主にある。
 キメラ自身の怪我や、病気はほとんどが国が負担してくれる。だが、キメラが他人に負わせた怪我などの治療費は、飼い主が加入した保険から。
 特に、狼や、ライオン、虎などの牙のある、肉食獣のキメラはそれを義務づけられている。

『その前に、お前に飼い主の権利を移すか? そうした方がええかもしれんやろ』

「……」

 今は、千里の飼い主は、他者から見れば、父親だ。
「……ええ。まだ」
 父親はそうか、とだけ言った。まだ、選びたくなかった。





 食品店のあと、雑貨店に寄りたいという白石に狼は笑顔で付き合った。
 買い物袋を全部もたれてしまって、白石は微妙な顔だ。大きいけど、年下なのに。ガキなのに。
(まるで俺、虐待してる親みたいやん…)
 そこは、狼自身の好意と善意なんだから、そう考えればいいが、白石は妙にひねくれていた。
 この国に、大昔存在した自動車というものはほぼない。
 今の国は、世界中、街の間に至るまで張り巡った鉄道が移動手段だ。街中の鉄道は小さく、以前あったバス程度の大きさで、大抵これが使われる。
 結構前に、いろいろな問題から車が規制されたためだ。
 丁度、数メートル離れた停車駅に、住んでいるマンション街まで、真っ直ぐ直通の小型電車が停車したのが見えた。
「千里、お前、先乗っとれ」
「え!?」
「お前その荷物持ってたら、指痛めるわ。あれは、三十分は停まっとるヤツやし」
「……でも」
「指、あとが出来る」
「……」
 そこで、千里もしかたないという風に足を小型電車の方に向けた。寂しそうな顔だった。




 あの時の、彼の顔が気になっていた。
 一瞬、キスする前に見せた、『諦めた』顔。
 蔵ノ介は、なにを諦めたのだろう。
 でも、あのあと、自分を見る顔は、『諦めていない』顔で。
 一度諦めたことを、やっぱり諦めたくないと意地になっているような。
 そして、それが今まで彼が独り、悩んでいたことだと思う。

 やっぱり気になって、千里はまだ暇な運転手に荷物を頼んで、電車を降りた。



(ざっかてんて、こっちやったはず…)

 何度か来たから覚えている。駅を出て数百メートルの場所に見えたベージュの壁の店。
 中に入る前に、鼻についた匂いに、千里は足を止めた。店の裏手、そこから、知った匂いがする。
 狼は鼻がいい。
 あれは、

 千里はすぐそちらに走り出した。勘違いでなければ、これは蔵ノ介の血の匂いだ。




 裏手に連れ込まれた時に、うっかり柵に腕を引っかけて傷が付いた。
 千里が電車から降りなければいいと思った。血の匂いなんか、察したらすぐやってくる。
 自分の周囲を囲むのは、いかにも無職っぽい男数人。
「だから、金おいてけば帰すって」
「…はぁ」
「人の話聞いてるあんた?」
 やる気なさそうに頷くと、相手ががら悪く問いかけてきた。聞くのも面倒くさい。
 本来なら、ぼこぼこにのすところだ。学生時代は大概返り討ちにしていたし。
 しかし、今は、キメラの総合センターの職員だ。流血沙汰は御法度である。
 面倒な、と舌打ちした瞬間、眼前にナイフを突きつけられた。再度脅される。
(いっそ、一回どっかに喰らった方が、…あとは正当防衛になるから…)
 物騒なことを考えた瞬間だ。男の背後に見えた姿に、白石が制止をかけるより早く、彼が鋭い牙で男の肩に噛みついた。
「…千里! よせ!」
 追ってきてしまったらしい狼の腕を掴んで、やめさせようとするが、相当怒り心頭なのか、狼は口を離さない。耳と尻尾の毛は逆立っている。瞳が、正気じゃない。
「やめろて…わからんのか!」
 騒ぎを聞きつけた店員が、警察を呼ぶまで、結局彼は男を解放しなかった。
 その場に落ちていたのは、誰の目にも明らかな血。




 創造に携わる職員なのだから、大体のことは、教え込まれてきた。
 本来、男達の言い分が通らないことも、本来なら理解した。

「ちょ…、向こうがナイフ突きつけてきたんですわ! 千里は俺を守ろうとしただけや!
 大体、千里はまだ子供で…」
 警察署に駆けつけてくれた同じチームの先輩から、彼らの言い分は聞いた。「そのキメラがいきなり噛みついてきて」。
「わかっとる! 落ち着け白石!」
「……」
 先輩が落ち着いたか?と少ししてから聞いた。ロビーの椅子に座って俯くと、彼が傍の自販機で買ったコーヒーを渡してくれた。
「少し」
「少しでも、冷静ならええ」
 プルタブを起こすと、かしゅ、と音が鳴った。静かなロビーには、それすら大きな音だ。
「俺等の方が、キメラ保護法には詳しいんや。向こうの素人のいうことなんか真に受けるな」
「…はい」
「知ってる通り、キメラは滅多なことで傷害罪・殺人罪には問われん。
 今まであった過去の歴史振り返っても、起こった事件は、大抵『主人を庇った』『悪いことだと知らなかった』『自分を殺そうとしたから抵抗した』や。
 圧倒的に人間側が悪い。キメラが望んで殺人起こすようになったら、キメラ保護法はのうなるかもしれん。
 …で、少なくても刑罰が課されるのは、二十歳越えたキメラ。あの子は当然、なんも課されんし、そもそも悪くない」
「…はい」
 白石の声に、安堵が混ざった。それを聞いてから、先輩は少し辛そうな声を吐く。
「?」
「ただ、な…警察側から、『本来の飼い主ではない人間が管理していた点』について、追求があった」
「……でも」
「親子が代わりに世話するのはようあるから、俺等の中でも普通になっとるけど、刑法が絡むとそこがシンプルになる。『飼い主以外は管理してはならない』。
 …一応、相手が傷深いから。
 『本来の飼い主に身柄は委ねて、距離を置くように』…らしい」
 他人−飼い主ではない自分が世話していたからこんなことになった。だから、今後彼に会わないように。…という意味だ。
「……。でも」
「白石」
「でも俺は…!」
 見ない振りをした癖に。父親の申し出を、拒んだ癖に。
 …なりたくなかった癖に。

「俺は、今朝、電話で父親に『権利』を俺に委任してもらうよう言いました!
 あいつは、もう俺の子です!」

 千里の飼い主に、なりたくなかった癖に。



 心の中で、冷静な自分が自分を責める。
 わかっている。
 でも、置いていかれたくなんかない。

(やっぱり、俺は、独りになりたくないから…)

 彼を、縛り付けて、欲しがるだけだ…。





「…わかった。上に、掛け合ってみる」



 でも、手放すことを考えられなかった。
 千里のいない世界を、考えたら、死にそうになった。



 それが、理由じゃいけないのか。













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