REZET-リゼッタ- ******************************************************************* 第七話【Side:白石と千里−意地っ張りの覚悟A】 あの日から、ずっと。 「白石、大丈夫か? 少し寝ろや」 先輩から事情を聞いて、同じマンションに住む謙也がつきっきりで傍にいてくれる。 彼が飼っている猫のキメラは、最初ぶすっとしていたが、今は夜が遅く、傍のベッドで眠っている。 今は、夜中の二時。 「まだ、起きとる」 「あかんて。寝ろや」 「…」 気を抜くと、身体の底から震えがはい上がってくる。 猫が眠る寝台の傍、寝室の床の上に膝を抱えて座る白石の顔色は、謙也の気のせいではなく青い。 「……千里が、寝えへんのに、俺が寝れるわけない」 我ながら、泣きそうな声が出てしまった。謙也がびっくりする。 「あいつ、前は俺の親とも、俺と一緒に暮らしてて。大学のつき合いで出かけた時、一回、電車逃して友だちの家に泊まって。 あいつ、そん時、俺の親がおったのに、俺が帰ってくるまで、寝えへんかった…。 まだ、三歳のガキやったのに…そんで、なんも食わへんかった…」 「…白石」 「あいつ、多分、まだ俺以外と食事でけへんねん。離れたら、すぐ死んでまう」 「…………」 涙に詰まった白石の声に押されたように、黙り込んだ謙也だったが、すぐちょお待てと言った。思いの外強い声で。 「白石、お前、それは…ちゃうやろ」 「え?」 「それがほんまの理由なら、はなれたない理由なら、それを上に言えばええやろ? 死なせへんように、上やってまたお前と一緒に暮らさせてくれる。 …言わへんかったんやないやろう。言うの、忘れてた。それが、理由やないから。あいつと離れたない理由やなかったから」 「…………、ちゃう!」 「それがちゃうねん!」 来い!と謙也は白石の手を掴むと、寝室から引っ張り出した。大声を出すと、猫が起きる。 「お前は、なんであいつを飼いたがった」 「……あいつが、俺を受け入れた…俺からなら食事とったから」 「そこがちゃうねん」 「…なんで? それがほんまや!」 謙也は溜息を一度つくと、白石の両肩を掴んで、廊下の壁に押しつける。強く。 「お前は、義務で他人を愛する馬鹿やない。自分の愛情が介在しないと、他人を懐にいれへん。…あいつは、懐にいれとったやんか」 「……」 謙也の真剣な顔が、視線が突き刺さる。それ以上に、痛い言葉。 あの日から、ずっと。 初めて会った日から、救われていたのは、俺だった。 生命維持装置をつけたままの、お前の目が開いて、俺を見た瞬間。 逃げ出した。 だって、彼は笑ったんだ。俺を見て。嬉しそうに。 それにあまりに不釣り合いな、自分の救われたいだけの願望に絶望して、逃げて。 でも、傍にいたかった。 「……だって、あいつ…俺のこと、見て笑う」 「うん」 「…見て、全身で、好きやて、言うんや」 「うん」 「………それが、…ほんまは」 瞳に張っていた膜が剥がれて、落ちる。頬を伝っていく。 「救われたくて、ただそれだけで、せやから愛されたらあかんて。 想っとるのに、…見つめられるたび、嬉しいて…。 見ない振り…」 怖かったんだ。 「うん」 「…気付きたなかった! だって、一回気付いたら、もう堪えられへん。 …独りになりたないだけで、もうあんなに大事やのに。 あいつを好きって自覚したら、…あいつが死んだら、死んでまう…!」 「……うん」 「……はなれたない。どうして…こんなに…」 涙が溢れて、止まらない。自分を抱きしめて、謙也は何度も頷いた。 弱かったから、自分は弱かったから。 一度、彼に依存したら、彼が自分をいつか置いていく時にも、逃がしてなんかやれない。 後を追うか、…彼を殺してしまう。 依存して、溺れるほどに、彼を好きになるってわかっていたから。 育つ気持ちに、蓋をし続けた。 あの日、一瞬だけ、諦めてしまった。 見ない振りをすることを。 一度だけ、どうしても、彼に触れたくて。愛していると言いたくて。 愛しくて愛しくて、どうしようもなくなって。 …キスをした。 一瞬だけ、諦めた。 でも、すぐいけないと我に返った。諦めないように、意地になった。 「……き」 あいつの声が、手が届かない自分なんか、要らない。 「千里がすき…」 謙也は、もう一度、頷いてくれた。 翌日、千里は俺の元に帰ってきた。父親がうまく嘘を吐いてくれた。彼は、電話の時点で、俺の本心に気付いていたのだろう。 先輩の言った通り、千里の過失にはならず、向こうの意見は通らない。軽い注意だけで、後日、委任契約の手続きを行う打ち合わせをした。 自宅に着いても、自分の手を掴む狼は、黙ったままだ。 「なに、黙っとるん」 「……」 「千里」 耳も尻尾も垂れきっている。朝に、会えた時には、一瞬喜んだ顔だったのに。 寝室とを繋ぐ廊下で、立っていると昨日の会話が頭を過ぎる。 「……また、はなれっとや?」 「……」 「また、おれ、蔵とはなれっと……?」 ひどく、不安に満ちた声で、顔で彼は言った。おそらく、施設に預けられている間、『もう会ってはいけない』ということを言われていたのだろう。 「…お前、離れたいんか」 「いやばい!」 自分でも、ずるい聞き方をした。彼が、なんて返すかわかっていた。 馬鹿や、と笑ってやる。抱きしめてやった。 「すぐ、俺がお前の飼い主になる契約するから。 …お前はこれからずっと、本当の俺のもんや。 …死ぬまで、もう離れへん」 「……」 「な?」 「…、ほんなこつ?」 「…うん」 千里はあまりに不安に押しつぶされそうで、巨躯が小さく見えた。手が届く限りに、抱きしめる。おずおずと、自分の身体を彼が抱く。 「……ごめん…蔵…噛んでごめん」 「もうええ」 「ぜったいもうせんから! ぜったいせん…! もう、いやばい。 …やっぱり蔵いがいはこわかった…!」 みっともなく震える身体を何度も撫でる。どうしても、俺はこいつを離せなかった。 「…こわいだけ?」 「…?」 涙に濡れた顔を、狼が自分に向ける。微笑んで聞いた。 「…俺は、こわくないだけ?」 「……、すきやから」 狼の頬を、また涙が流れる。 首に手を伸ばして、より一層深く抱きついた。 背中に、彼の手が回る。 キミは、俺を愛さなくてもいい。 俺は、ただの飼い主でいい。 今更、好きになって欲しいなんて、我が儘は言わない。 例え、キミが先に死ぬとしても、もう、傷付けたり、拒んだりしない。 最期に、絶望と孤独に泣き叫ぶ日が来てもいい。 だから、傍にいて欲しい。 …愛している。 一生かけて、キミを愛そう。 自分の為じゃなく、ただ叫ぶ心のままに想う。 キミが、好きだと。 でも、もう少し「すき」と告げるのを、待って欲しい。 今は、まだ。 ⇔NEXT |