REZET-リゼッタ- ******************************************************************* 第八話【Side:謙也と光feat.白石と千里−手を伸ばせ@】 あれから、白石はかなり変わった、と千里は思っている。 「くら」 いつものように、背後から、座っている彼を抱きしめる。 テレビを見ていた彼は、さして反応を見せない。ディスプレイをじっと見たままだ。 不意に、白石は身体を動かした。離れてしまうのかと、千里は腕をきつくしようとしたが、白石はリモコンを取るために動いただけで、すぐ同じ場所に座り直す。 ほっ、とした千里は、すぐ、ぎょっとした。 自分の腕の中、足の間に彼を抱き込んだのは他ならぬ自分だ。だが、彼は一度立ち上がったにも関わらず、同じ場所に自分から腰を下ろして、自分の胸元にぽすりと寄りかかった。 「…く、くら?」 「………?」 真っ赤になってしどろもどろに名を呼ぶ千里に対し、白石は眠そうな顔で、「?」を浮かべている。浮かべたいのはこっちだ。 顔を少しあげた白石は、千里を見上げて、微笑んだ。 優しい、慈しむとしか言えない眼差しに、千里は赤面したまま、唾を飲み込む。 思わず手を伸ばして、白石の頬に触れると、普段なら素っ気なく振り払う手が自分の手を掴んで、更に頬を包むように己の頬に押し当ててくる。 「……」 「千里?」 火を噴くほど真っ赤になった千里を、白石はやはりきょとんとして見る。 それ以上その眼差しで見られたら、どうにかなりそうで千里は手を引いて、白石を自分の腕の中に閉じこめた。 暑苦しそうにもせず、すり寄って目を閉じる白石は眠いのだろうが。 なんだろう。この、今までと雲底の差の態度。 嬉しい。心臓がやばいけど。 でも、前はただ綺麗だと思っていたけど。 今は、やたら張っていたバリアみたいなものがなくて、ただ優しく自分を見る。 可愛い、とすら思う。 「……くら」 「……ん?」 「好いとう…」 「…うん」 「……」 流石に、「かわいい」なんて言ったら、殴られそうだから、言わなかった。 「ひかるー」 一方、謙也宅。 今まで自分の後を元気よく追ってきていた猫は、いない。 他の部屋はあらかた探したから、あとはここの寝室だけである。 「ひかるー!」 返事はない。 あれから、光はおかしい。 一日目は、不安げに自分を見ていた。二日目で、そそそっと自分から離れるようになって、三日目にこれ。 前の人見知りが復活したみたいだ。 いや、本当は、理由はわかっている。 光は、白石に嫉妬している。彼と自分の関係を疑っている。 先日、白石と彼の飼うキメラの間で一大事があって、白石を一日、自分の家に泊めた。 てっきり、愛情だけで飼うことを決めたと思っていた白石の、複雑な愛情を知って、謙也自身考えることが多かった。 『千里がすき…』 そのたった一つを認めることを頑なに拒んでいた白石。 千里がいなかったあの日、あんなに強かった彼が、今にも崩れ落ちそうだった。 失うことが怖かったという。だから、好きになれなかったと。 「…権利、か」 ぽつりと呟く。自分だって、対岸の火事ではないのだ。 光の飼い主は、親だ。本当に傍にいて欲しいなら、権利を奪い取らないといけない。 出会ってまだ一ヶ月そこら。でも、なくてはならない存在になっていた。 「光」 何度目かわからないが、呼んでみて、返事がないことに謙也は溜息を吐いた。 案外、「元の飼い主のとこに返す」とか言えば出てくる気もしたが、出来なかった。 白石と千里の一件で、キメラがどれだけ飼い主の何気ない一言にすら喜んで、泣くかを知ってしまったから。 自分が傷つかない言葉で、光を傷付けたくない。 傷つくのなら、自分がいい。でも、世界はそんなに優しくないから。 なら、傷つくのは、等分にしよう。 光が傷つくことには、必ず自分も傷つこう。 自分が傷付かないことで、彼が傷付かないようにしたい。 謙也は部屋を一回見渡してから、真っ直ぐ、左隅にあるタンスに近づいた。何故かそこだと思った。 適当な引き出しをがらっと開けると、引っ張られて開いた引き出しの上に顔を向けて、あからさまにびくっとした顔な猫。小さな身体は引き出しの中にすっぽり収まっている。猫は狭い場所が好きというがどうやって入ったのだろう。 「ひかる」 「……、おれ、あやまらんで」 両手で抱き上げるとびくびくした顔で、精一杯強がって言う。 「謝ることないから、ええ」 「……」 光はあからさまに安堵はしなかった。「けんやならそういうてわかっとる」という。 「…ごめんな光」 「え?」 まだ、確約を何一つしてやれない。 お前が、俺といたいって思ってくれてること、わかっている。 でも、まだ、「一緒にいてやる」と確約してやれない。 親の意志が関わることだから、まだ絶対なんて言えない。 彼らが、俺がこの子の飼い主になることを認めない限りは、約束できない。 怖いことが、一つある。光。 お前を、傷付けることの全てが、きっと怖い。 離れることより、なにより、きっと、それが怖い。 「けんや、わるないで」 「…うん、きっと、誰も悪ないんや」 微笑んでやって、光を胸元に抱きしめた。髪を撫でてやると、おずおずと小さな手が謙也の服を掴む。 「光は、俺と一緒がええ?」 「うん」 「…俺もや」 「…けんや、もう、おれいがいとはなしたらあかんで」 言ったあとからすぐ、光は泣きそうな顔をした。否定されたら、笑われたらどうしよう、と。 「それは、無理」 と、言ってしまうのは、あまりにひどい。 できっこないお願いなのは、わかってる。彼以外とも話さないと、生きていけない。 彼以外が大事だとかじゃなく、それがこの世界。 でも、そうは言えない。けど、「ああ」なんて、もっと言えない。 謙也は優しく微笑んで、光の身体を何度も何度も撫でた。 問いたそうにしていた光も、やがておとなしくなる。 狡い逃げ方をしている。正解を知らない。 誰か教えて欲しい。 なんと答えたら、未来を誤らず、傷付けないで済むのか。 「…順序立てて説明したら?」 電話の向こうで、謙也は「その前に傷付けるやん」という。 「いや、そうやけど…でもそこでそう言われたら……」 困る。一回も傷付けない方法があるなら、自分だって知りたかったのだから。 白石は子機を片手に、キッチンのテーブルを拭いていた布巾を流しに持っていく。 軽く放ってから、自分が原因とも言える謙也の悩みに、首をひねる。 「……、」 その背後から、すすす…と近寄った狼が、耳をそーっと子機に寄せる。 「やめぇ千里」 「…えー……」 あからさまにがっかりした顔で、狼は不平を漏らす。 少し距離をとって、白石はもう一度子機を耳に押し当てた。 「せやから…」 すると、また背後から子機に同じように耳を寄せてくる狼。 「お前、さっきからなんやねん」 「いや、…きになっとうけん」 「謙也のトコの光も、こいつくらい図太かったらな…」 いつもの癖でつい、とげとげしい言葉が出てしまった。しまった、と白石が狼を見遣ると、狼は――――――嬉しそうだ。 「…おま、一回頭の検査するか?」 そこでなんで嬉しそうな顔をされるのかわからない白石に、狼はにこにこと笑う。 「くらが口わるかはあんしんすったい。くら、げんきよか」 「……」 なんとも言えない顔をする白石を背後から抱きしめて、千里はぎゅうと腰を抱える。 「俺が態度悪い方が嬉しいん?」 「んー、やさしかほうがうれしかよ? たいがうれしか。 ばってん、なんかそればっかやと……どきどきしてもたん」 (今までいじめすぎてたんやろか……軽くMちゃうんかこいつ……) かなり失礼なことを思った白石は、謙也の存在を思い出して子機に向かって呼びかけた。 「謙…」 「あ、くら」 重なるように自分を呼んだ狼の唇が、限りなく耳に近かったため、白石はびくん、と身体を震わせてしまった。 「……くら?」 「い、や、なんでも」 「…そうならよかけ」 「ちょ、そこでしゃべんな…っぁ…!」 耳朶に直に注がれるような刺激に、声が漏れてしまった瞬間、狼は真っ赤な顔で白石を解放した。自分の口を押さえながら、白石が振り返ると、狼は耳まで真っ赤にして視線をあちこちに向けて落ち着かない。 「…お前、真っ赤やぞ」 「くらも……」 「……まあ、ええわ」 そう結論を無理矢理出して白石は電話にもう一度呼びかける。 (びっくりした…なんやねん今の声。あんなん俺出せたん…?) 「謙也? けん………………、切れとる」 白石は無性に謝り倒したくなった。以前は親身になってもらったのに、親身になるべきところで自分はあれ。 「…謙也、ごめん、ほんまごめん」 返事の返らない電話に向かって、ひたすら謝ってしまった。 ⇔NEXT |