REZET-リゼッタ-



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 第九話【Side:謙也と光feat.白石と千里−手を伸ばせA】







 ある日の朝、目覚めると、妙に怠かった。
 謙也の腹の上に寝ている猫の寝顔を、横になったまま下から見上げた。
 あまりに気持ちよさそうに、可愛らしい顔で眠っているから、起きるに起きられない。
 謙也は横になったまま、考えた。

 あの電話のあと、改めて電話をかけてきた白石に、まずは権利を得たらどうだと言われた。
 自分は、父親が最初から自分が大きくなったら権利を渡すつもりでいたから不安はなかったが、謙也はそうじゃないから、と。

 その通りだった。
 約束出来ないと迷っている暇があるなら、約束出来る現状を作ればいい。
 全ては無理でも、彼の願いは多く叶えたい。
 眠る猫の髪を軽く撫でる。小さな声が漏れた。可愛いと心底思った。



 親に、そのことで話したいと昨日連絡をした。
 親は今日、昼過ぎにそっちに行くと答えたから、もうすぐ来る。
 今は昼の十二時。
 寝過ぎた。
 流石に起きないとまずいと、謙也は身体を起こす。猫の身体を自分の身体にくっつけた形で抱きながら。
 猫は、幸いまだ目を覚まさない。
 ホッとした。それにしても、妙に怠いのは何故か。
 熱? いや、気持ち悪くはない。
 念のため、薬を飲もうと思ったが、ご飯を食べないことには飲めない。
「光ー」
 抱き上げたまま、猫の頭を撫でて呼びかける。猫の尻尾が動いて謙也の身体をぱしぱしと叩いた。耳が揺れる。
「光。朝やで」
 実際は昼だが、起こす時は朝というのが普通だと、謙也は思っている。
 光は眠そうに何度も「んー」と呻ったあと、ぽけっ、とした顔で目を開けて謙也を見上げた。
「おはよ」
「……おはぉ…」
 何度も小さな手で目を擦りながら、そう告げた光に、謙也は言葉を失った。
「……っ…ええ」
「けんや……?」
 寝ぼけながら不思議そうに問いかける猫の首の傾げ方も、もうなんかダメだ。
 やっぱり、こいつ可愛すぎる。

 思わず呟いた「かわええ」が、掠れて「ええ」しか言葉にならなくてよかったと思った。

 謙也は自分の顔を押さえた手を光の髪に伸ばしてから、ご飯食べよう、と笑う。
 光はまだ眠い顔をしながら、うんと頷いた。




(にしたって…なんでこない怠いんや…)
 ご飯を食べて、すぐ薬を服用したが、気持ち悪くはないのだ。
 キッチンのテーブル。椅子に座った謙也の膝の上で卵焼きを食べる猫の顔は、頬張りすぎて丸い。落ち着いて食べろ、と笑っていいながらその丸い頬をつつくと、猫はびくっと震えて変な鳴き声を上げた。
「あ、悪い」
「……びっくりした」
「ごめん」
「けんや、あほ」
「ごめんな」
 膝の上に乗ったまま、潤んだ大きな瞳で拗ねて言われて、謙也は何度も謝った。
 ごめんと、髪を撫でてやると、肌触りのいいそれが手の平に当たる。
 猫はしばらく「けんやのあほ」を繰り返していたが、不意に謙也の方に向き直ると謙也の身体をよじ登り始めた。「お、お!」と謙也が慌てる間に、謙也の顔の前まで登ってしまった。謙也の後ろ頭に手を伸ばして、足の爪で謙也の胸元に捕まってバランスを取って捕まっている。
 お互いの顔が、近いというか、くっついている。
 光の顔は小さいから、額と額、とはいかないが、猫の額は自分の鼻の頭とくっついている。
「光? …これはなんや?」
「おれ、ええことおもいついたで」
「?」
「けんやとはなれん、ええほうほう!」
 しっかりしがみついたままの光の身体をその姿勢のまま抱いて支えた。その顔がくっついた体勢を変えようとすると、猫は泣きそうになる予感がして、くっつけたままの形で支える。しかし、心臓に悪い。自分の顔がきっと赤い。
「エエ方法って?」
 謙也が問いかけると、テレビでやってたで、と光は得意げに言う。
「いっしょういっしょにいるやくそくや」
「…、え」
 謙也が問い返す前に、唇になにかぶつかった。いや、触れた。
 柔らかい感触。
 光が自分からキスをしたのだ、と理解して、謙也は真っ赤になる。
「これで、もうはなれんで! な?」
 キスした方の光は、これでもかと言うほど嬉しそうで輝いた笑顔を自分に向ける。
 身体を抱き直して、胸の位置まで下げてから、謙也はそれが触れた自分の唇を指で撫でた。
 顔は、やばいくらい真っ赤だ。
「……」

 確約なんか、出来ない。まだ。
 自分だけの問題じゃないから。
 でも、わかった。腹をくくろう。
 もう、しょうがない。なにがなんでも、権利もぎ取ってやる。

「…うん。もう、ずっと一緒や。…離さんからな」
「うん!」
 赤い顔で、それでも柔らかく微笑んで頷いた謙也に、光は嬉しそうに返事をした。
 とても、嬉しそうに笑って。尻尾を振って。

 わかった。もうわかった。
 腹はくくったから、なにがなんでも権利は奪ってやる。
 この言葉を、真実にしよう。






「委任契約の条件な」
 昼を食べてすぐ、白石に電話をした。
 白石はすぐ謙也の部屋に来て、必要な書類を揃えてくれた。
 書類と言っても、サインするものじゃない。そういうものは、総合センターで受け取って、職員の前で書くものだ。
 彼が用意してくれたのは、権利を委任してもらう側の必須条件が書かれた書類。

「えーと」
 猫は今回はおとなしく謙也の首に捕まって、肩に乗っかっている。
 白石は他にキメラを飼っていて、そいつが好きだからと説明したからと、あとは約束をしたからだろう。
 条件は、大体クリアしているようだ。
 親とだから、つき合いはそれこそ長いし、お互い罪歴なんかまずないし。
 収入も条件をクリアしている。あとは、やっぱり親の意志。
 ただ、勝てる一因を見つけて、謙也は笑った。強気に。
 書類の条件の一つ。『キメラの意志の尊重』だ。
 光自身が俺といたいと望む限りは、勝てると思う。
「大丈夫そやな」
「ああ」
「俺は新人やから、居合わせられんけど、しっかりせえや」
「わかっとる」
「ん」
 白石は最後に、光の手を握って「謙也をずっとよろしゅうな?」と言った。彼がすぐ出ていった閉まった玄関からはもう白石の姿は見えない。
 光は嫌がるかと思ったが、顔をうっすら染めて嬉しそうに微笑んだ。
「ひかる?」
 なんとなくわかったが、聞いてみた。光は尻尾をぶんぶん振りながら、弾んだ声で答える。
「おれ、けんやよろしくされた…」
「うん」
「…ずっとやって!」
「うん。ずっと、や」
「うん!」
 自分の頭にもたれたまま、ひたすら嬉しそうに笑って尻尾を振る猫を後ろ手で支えて、ぽんぽんと頭を撫でる。

 勝算がある。
 自分を好いてくれる彼の気持ち。
 だから、絶対奪い取るんだって決めた。





「……ちゅーか、既にあんたに委任したと思っとった」
 その日、俺の家を訪れた親はそう言った。意外そうに。
 よかった。よかったけど、意気込んだだけに、力が抜けた。

 親も大事にするつもりで飼ったが、仕事が忙しくなって、世話できない。
 謙也に懐くなら、謙也が飼えば一番いいと話す。




「……あの、なんで、委任が後日?」
 同じマンションなので、帰宅する謙也の両親と廊下で会った。
 白石の意外そうな声に、謙也の両親は困った顔だ。
 委任契約は、すぐ出来るわけではないが、そう後回しにもならない。
 数日中には行える。条件がクリアしていれば。そして、両親の合意がある。
「…謙也が風邪ひいとるらしくてな。安心した途端、気持ち悪うなったて」
「え? 大丈夫ですか? 俺、診ましょうか?」
「いや、電話したらすぐ来るて、みとくって言うてくれたから」
「? 誰が?」
「謙也の従兄弟の」
「……ああ」
 白石は半目になって、頷いた。両親の手前、顔に出せなくて、社交辞令を言って別れる。

「くら!」
 自宅に帰宅した白石を、勢いよく出迎えた狼は抱きしめてから、白石を離した。
「くら?」
 主人の顔が、怖い。怯えなかったのは、自分に対してではない気がしたからだ。
 白石はつかつかつか、とリビングまで歩くと、千里に「ごめん」と謝ってから、片足を上げて思い切り壁を蹴った。
「っ―――――――――――――の、謙也のアホ!」
 狼はびくりと震えた。自分のせいじゃないと彼は言い置いたが、怖い。怒った時の白石の表情だし、なにより自分すら見たことがないレベルの怒り方。
「……ヒキる。しばらく俺、ヒキる。…実家帰ろうっかなぁ……」
 仕事が運悪く、数日休みだ。実家も多分、あてにならない。


 会いたくなかったのだ。あいつには。本当。


 白石は重い溜息を吐いた。
















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