それは咎持つ神の名前O.C

第五話−【雪迷路〈スノーリル〉】







 北の領土に降り立った白石の身体が、すぐ迎えに来ていたジープに飛び乗る。
「長期の任務、お疲れさまです。
 白石大尉」
「…南との交渉は?」
「予想通り決裂です。でも、大尉を呼び戻すタイミングでしたから、こちらに問題はありません」
 運転する部下の台詞に、一言「そか」と答えた。
 北の領土の奥、軍館までは時間がかかる。
 千歳に強いられた行為と、不自由な姿勢で中途半端な睡眠しかずっと取れていなかった所為で急激に眠気が襲ってきた。
「…悪い、寝る。ついたら起こして」
「はい」
 部下の返事を流して、そのまま瞼を降ろした。




 ―――――――――――「蔵ノ介、今日はなに見て来たん?」

 「幼馴染み」と、表面上の関係で言えばそうだった。
 彼はいつも伏せっていた。彼は重い病気だった。
「なぁ、俺、死ぬんかな」
 最初で最後、弱気に零された彼らしからぬ言葉を、諫めることも否定することも出来なかった。
 いつだって、羨ましいとも、辛いとも彼は言わなかった。
 堪えていてくれた。自分のため、そしてもう一人の「兄弟」のため。
 彼の病の特効薬を開発したのは、皮肉にも北の軍。
 祖父の残した家。祖父や父が残した軍の名家としての信頼も、名誉も。
 失っても、守りたかった。




「大尉。着きました」
 部下の声に現実に意識が引き戻される。
 瞼を押し上げて、まだ眠く辛い思考を引っ張って立ち上がるとジープから降りた。
 視界に見える大きな館の前に立つ、黒い軍服の男。
「…、」
 泣きそうに顔が歪んだ。男は理解したように近寄って、白石をそっと抱きしめた。
「謙也、一命は取り留めた、て。
 向こうのヤツに訊いた。安心せえ」
 その言葉に心の底から安堵して、全身を今更な震えが襲った。
「侑士…っ、侑士…っ!」
「もう大丈夫や。…お帰り、蔵」
「侑士…っ……」
 名を呼ぶことしか出来ない自分を、侑士はきつく抱きしめてくれた。
 歩くのが辛いことを見抜かれて、腰を抱えられる。
「今日は休んでええて。明日、総統らが向こうの情報訊きたいて」
 掴まれ、と促されて素直に腕を侑士の首に絡めた。
 腰を支えられてなんとか歩くと、ゆっくりと広い軍の所有である館の部屋の一室に連れて行かれた。

 今の自分たちの家は此処だ。
 自分たちのものと言える屋敷などない。
 それでも必死に手を伸ばした。
 父親も母親も亡き後、自分の二人の弟は違う家に引き取られて、名家の白石の名を継いだのは自分一人。
 それでも幼い子供だった。残った肉親を求めてすがって、その命を助けるために。
 ――――――――俺も謙也も、魂を売ったに過ぎない。

『…………信頼も、戦績も、力も地位も、名誉も家もあって。
 それでなんで北がよかね?
 ここより』

 そんなの決まってる。
 謙也と侑士がいる。北には二人がいる。
 二人以外、謙也と侑士以外、俺は要らない。
 この二人の兄弟以外、大事なものはない。


「蔵、眠いやろ? 寝てええで」
「…けど、気持ち悪いし」
 身体、と零すと力のない身体を寝台に横たえさせられた。
「拭いたるし」
「……ん」
 ゆっくり服を脱がされる音と、すぐ空気が触れて肌寒い身体に暖かい濡れたタオルが触れる感触。
 足から、下肢のそこまで拭われても別に恥ずかしくもない。
 血を分けた弟だからこそ、と思うかもしれないが、自分はだからこそ見られることも全て許せる。
「そいつ、なんて言う?」
「……え?」
 半分眠りかけた思考で拾った侑士の言葉は、少し、いやかなり憤っていた。
「名前」
「……ゆうし?」
 眠いのを無理に引き上げて上体を起こすと、侑士の怒った瞳と目があった。
「怒ってん?」
「当たり前や。俺の大事な兄貴こないな目に遭わせて…。
 誰?」
「…一般部隊の、千歳ってヤツ。
 ただ、特殊部隊の改造は受けとったみたいや」
「どんな武器?」
 身体を拭く手を再開させながら訊かれて、見たままを答える。
 もう、千歳の思惑もなにも、どうでもいい。
「蔵」
「…ん?」
 皮膚を拭く手が離れて、寝台脇に屈んだ弟が後頭部に手を差し込んだ。
 頭を持ち上げられて近づく顔に、自分から甘えるように腕を伸ばした。
 そのまま深く唇が重なる。
 しっかり数秒重ねた唇が離れると、侑士が少し残念そうに笑った。
「そんな顔しなや侑士。
 回復したら、シよな」
「うん。謙也は、まだ多分おらんからお預けやな。あいつだけ」
 くすくす笑った侑士が瞼にキスを落とす。
 それが心地よくて、もう限界だった意識はすぐ眠りに飲み込まれた。






「―――――――――特殊部隊に配属!? この人が!?」
 表だって異論を唱えたのはあの財前だけだった。
 他の特殊部隊の隊員は無言で千歳を見上げて、財前を諫めるのは小石川だ。
「千歳千里の力は間違いなく『南の改造技術によるもの』と断定。
 かつての元帥の意志を汲んだものとして上も納得した。
 彼の力はお前達の兵器の力を封じることも、増幅することも可能。
 あとは小石川、新しく隊長に選出したお前に任せる」
「はい」
「ちょ、俺は…!」
 上からの伝達係になにか食い下がりかけた財前を小石川が押さえ込んだ。
「…健二…、小石川副…」
「もう隊長や」
「…小石川隊長」
 呼び直した財前に、「どうあれそれが一番いい」と言い聞かせてから彼も千歳に向き直った。
「お前に疑う経歴がないんは理解した。
 仲間として受け入れる。ただし、…前隊長――――裏切り者である白石蔵ノ介の逃亡を許したお前は大罪人や。
 命使うて贖罪に励め」
「…わかった」
 認められていないことも、よくわかっている。
 けれど、最前線に立たなければ意味がない。
 おそらく最前線に立ってくる白石と再びまみえるには、自分は陣地の奥にいてはダメだ。

 捕まえる。

 もう一度、手が届くならあの鳥を捕まえて、今度こそ逃がさない。






「小石川隊長、本気ですか?」
 特殊部隊に宛われている館内を歩く足が、ふいに止まって訊いた。
「なに、いきなり。光」
 財前はやって、と言葉を濁らせる。
「白石……が、裏切り者て気付かなかったん…隊長もイヤなんやないんですか?
 あの人のこと、なんやかんやいうて信頼しはってたんや……」
 言い募りかけた声が、途切れて微かに零れる小さな声。
 腕の中に抱き込んだ細い身体が一度だけ驚いた後、すぐ小石川の身体にすがりついてきた。
「…健二郎さん?」
 自分を呼ぶ恋人に、軽く、もう一度キスを落として笑う。
「複雑やない、とか、信頼してへんとか言うたら嘘やな。
 信頼はえらいしとる。大事な隊長や。白石は」
「…現在進行形?」
「あれが、文句のない経歴なんはお前も知ってるやろ?
 なら、なんか理由がある。
 それを知ってからでも殺すんは遅くない」
「…結局、理由でっちあげて白石隊長を連れ戻したいんやないですか」
「お前もやろ?」
 問うてくる小石川に、すぐ笑って「当たり前です」と答えた。









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