傷ごと抱いている

キミだけを



遠い、遠い雨の音楽の中で





---------------------------------------------------------------
遠い音楽−キミに報いを−
---------------------------------------------------------------




 震える肢体が、懇願のように口にするのを待って、緩く突いてやる。
 貫かれた状態。自分の身体の下に身を置く男は、それでも達するには足りないように、むずがるように身をよじった。
「…白石」
 悪魔のように、千歳は呼ぶ。
「イカせて欲しいなら、いわんといかんね」
 彼が、貫かれても達せない理由は知っている。
 けれど、言わせないと気が済まない。
 財前は「あんたの一生分の執着が全部、部長に行ってしまったみたいで、可哀相や」と千歳を罵る。
 そう罵るなら、罵ればいい。
 否定するつもりは、全くない。事実とさえ思う。
 彼に会うまで、執着のなかった自分を、千歳は知っている。
「白石?」
 笑って、お願いせんと?と呼ぶ。
 絶頂の予感に震えるのに、達してくれない熱をもてあました顔が、目尻に浮かんだ涙を隠すように腕を前で交差させながら、か細く言う。
「……て…っ」
「ん?」
「キス…して………」

 どこに?

 なんてことは、愚問だ。
「手」と繋がったまま優しく促すと、片手は顔を隠したまま、左手をそっと渡された。
 その手が小刻みに震えているのは、俺が怖いのか、それともそうまでなった自分の執着か。
 包帯に包まれた左手に触れると、そっと包帯を取る。
 病的に白い包帯の下に、実はなんにもないのだ。とガセの多い謙也が言っていた。
 金太郎を脅すためだけの嘘の包帯。そのイメージが、四天宝寺の金太郎以外にはある。
(違うばってん)
 思うけど、その度、優越感に濡れる。
 暗い、優越に、笑って包帯から自由にした腕を引く。
 そこに走る、引きつれた醜い傷跡は一生消えないものだと言う。
 真ん中の指にまで走るそれは、醜いと大衆に訴えるに充分だったが千歳はそう思わない。
 それでも、それが醜い外観であることに、感謝はするけれど。
 そのまま緩く貫いて、傷跡にキスを落とす。
 あっけなく達した身体が震えるのを、見下ろしてその頬を零れる涙を拭う。
 後から後から零れる涙は、なにを悔やんでいるのか。
 少なくとも、この傷を作ってしまったことにでは、ないといいけれど。






「あ、千歳クンやん」
 中学生二年の夏。
 全国大会の会場で、手持ちぶさたに橘を待っていた千歳に声がかかった。
 振り返ると、ベスト4を決めた大阪の部長。
「ああ、えー………」
「大阪代表四天宝寺、部長の白石蔵ノ介や! 覚えとけそのくらい!」
「………しらんでもよかよ? 俺とうてい部長って柄じゃなかもん」
「そない大男が「もん」言うな。キモい。
 そっか部長は橘くんか。…やのうて」
 美人なのに喧しい人だなと思った。
「基礎知識やろが。関心あるフリくらいせえ」
「四天宝寺の二年部長さんとやろ?試合なかばってん、消化不良と?」
「…知ってるやないけ」
「…とかさっき桔平に訊いたと。
 俺ば無関心過ぎるらしか。今の関心あるっぽかったと?」
「…キミが根本から間違っとることはわかった」
「……微妙に傷つくたいね、その言い方」
「傷ついたんこっちや。…なんやねん?」
「……左手、どげんしたと?」
 千歳が指した白石の左手には、包帯が広範囲に巻かれている。
「ああ、遅刻寸前の校門でスライディングしたらすりむいただけやもん。
 先生「セーフ!」って言うてから保健室行けいうてくれた」
「……見た目と違って阿呆ばってん」
「うっさいなぁ」
 そうぼやいた白石がその左手で遠慮なく千歳の腹を軽く殴った。
 包帯の面を使ったので、本当にその程度の怪我なのだなと認識した。
「白石はこれから大阪?」
「もう一泊してな。キミもやろ」
「当たり前たい。大阪よか九州の方が遠か」
「そらな。ま、キミが九州の人でよかったわ」
「?」
「とんでもなく、無関心で仲間意識薄そうやんキミ。薄情ってか。
 そないなん、もしうちの仲間やったらって想像しただけで怖いわ」
「…大概失礼たいねぇ」
「ええやん。実現せっこないんやし」
「そやけど…」
「ま、来年は対戦出来るとええな。生憎、打倒獅子楽にはならんけどな」
 嫌みでないことはわかった。確かに、獅子楽は強いが全国で絶対倒さなければとウチを思うのは対戦した時の学校だけだ。
 絶対、と全体で思われる学校ではない。それは立海大附属だろう。
「四天宝寺は、それに近かけど?」
「…実際なってからやないと、誉めてもろてもなぁ」
 白石が苦笑した。強いと褒めてくれるのは嬉しいが、優勝実績がないから、と。
「すまん」
 その顔が綺麗で、つい謝っていた。

 何か、違っていただろうか。
 もっと早く、会話を終わらせていたら、と。

 千歳がそう思うのは、それから半年も後だ。

 ただ、取り付け途中で失敗した照明の破片が、自分の上にその時落下したのを、気付いた白石が庇った。
 一瞬後には、彼の左腕は包帯の白が嘘のように真っ赤だった。
「…し」
 不思議と、名を叫ばれた印象だけ抜けおちていた。
 暢気に、よくこの体格差で突き飛ばせたな、と思う程。
 白石、と呼んだ。
 騒ぎに気付いた四天宝寺の顧問が救急車を呼んで、彼はすぐ病院に行った。
 帰途に着く前に、見舞いに行った自分に医師は「出血は酷いものでしたが、傷自体は大したことはない」と痕が残る心配のある怪我ではないと説明してくれた。
 面会した白石も、すぐラケット握れるようなるて、気にせんでと笑った。





 半年後、目の怪我で四天宝寺に席をおいた自分が春休み、顔を出した時彼は笑って迎えた。
「実現せっこないことが、ほんまなってしもてなぁ」
 顔出しにやってきた自分を指して、開口一番。
「うるさかねぇ…。ま、これから」
「よろしゅうな」
 先に言われた、とうなだれると左腕の包帯が見えた。
 まさかと見上げた先で、彼は気付いて大爆笑した。
 コートで打っていた部員が、らしくない部長の爆笑にびっくりしている。
「なにやってん白石…みんなビビってんぞ」
 金髪の部員がやってきて、白石の笑い発作を収めるために背中を撫でてやる。
「…す、すまん。あんまり的はずれで…。
 ほら、謙也。去年の全国、俺怪我したやん」
「ああ、誰か庇ったとかって?」
「それがこいつなんやけどなぁ」
 堂々千歳を指さした白石は、人を指さすなという教育を受けなかったのかどうか。
「こいつ、これ勘違いした」
「あ―――――――――――――…」
 謙也と呼ばれた部員は、あからさまにあんまりにも的はずれだというように長い納得の意。それは白石が爆笑して仕方ない、と。
「これ、ただの嘘の方便やで? えっと…まあええわ。なんとかくん」
「…千歳たい」
「千歳。こん下なんもあらへんもん。一年、…今年のな?
 に、すごいのがいて……嘘に使うてんやんな?」
「そう」
「去年医者センセーが言うたやん。痕の残るような怪我ちゃうて」
 そういえば。謙也という部員は思えばあの時、白石に付き添っていた部員だった気がする。
 元から四天宝寺の部員までそう訊かされているなら、じゃあ自分の勘違いだな。
 第一、医師が言ったのだ。痕など残らないと。
 そして練習に参加してそれが紛れもない事実だと知った。
 金太郎という一年を毒手と騙す白石が包帯を解く真似さえするので、あれで痕はないだろう、と納得したのだ。








→NEXT