こんなに好きなのに報われない。





逢魔が時
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アリアD.C/[慟哭−赤也と異変と入れ替わり]
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「来ませんねぇ……忍足先輩も向日先輩も」
「どうせ二人でいちゃこらこいてんだろう鳳。もう俺は待つのは止めた」
「どうするんです?」
「一発殴る」
「うわぁ………」
 三階の教室で、窓際で椅子に座って話し込んでいる二人は、余所の騒ぎなど知らない。
 ただ、いきなり開け放した窓の外から向日が教室内に降ってきて、流石の跡部も驚いた。
「うわ!!」
 鳳が声を上げる。
 どすんというよりごっと音を立てて教室の中に倒れ込んだ向日を遠巻きに見て、ハッと我に返る。
「む、向日先輩!」
 慌てて駆け寄る。
 それは跡部も同じだった。
「…なんで空から降ってくるんだこいつが!」
「知りませんよ! 向日先輩!
 しっかりして下さい! 向日先輩!」
「おい岳人! がく……?」
 ふ、と目に付いた。
 向日の手の内に収まっている銀のクラウンの首飾り。
(…これは、忍足の奴が身につけていたやつじゃないのか?
 どうしてこいつが…)
 廊下を疾走する音が響く。
 忍足だ。
 一旦鳳たちの居る教室を通過して、から急ブレーキで戻ってきた。
「岳人!」
「忍足。こいつが空から降ってきた理由を知ってるか?」
「そうですよ急に窓から教室のなかに降ってきたんです!」
「………………………………知っとるけど」
 手の内に収まったクラウン。意識のない向日。
 屋上から飛び降りた後、回転してこの教室に落ちてきたんだと解って、忍足は安堵の息を吐いた。
 いくらなんでも目の前で死なれたら。
(………………なんや。この感情は)
 死なれたら。岳人に。
 死なれたら。
「忍足先輩!?」
 鳳の声に、自分が自然に泣いていたことに気付く。
「……あり? あれ? なんでやろ……急に」
「あ、ああでも早く病院に連れていかないと!
 頭を打ったみたいなんで!」
「あ、ああ! はよ!」
 意識を失った向日を抱き上げて、胸の中で痛む感情に見ない振りをして。
 忍足は駆けだした。





 キョロキョロとする後輩が下方に見える。
 柳は笑いながら、給水塔から降りるつもりがない。
「ええんか参謀?」
「いい」
「……お前さん、いい加減赤也の方を好きになったらどうなんじゃ」
 ええと思うが?
 そう言われて、柳は仰向けに寝転がった。
「……そんな簡単に、弦一郎への思いを諦められるなら苦労しないんだ」
「……そうじゃろな。…やけど、不毛なだけじゃ。」
 仁王の言葉が痛い。
「…もう、届くことも、ない。苦しめるだけしかない恋愛なんぞ、不穏以外のなんでもない」
「…………知っている」
 それでも諦められない。
 自分の醜さが、憎い。
「………」
 空に伸ばした手。
 この手が、あのたくましい腕に掴まれることはない。

(好き、だ)

 泣きたかった。

(好きなんだ、弦一郎)

 吹き出した思いは、自覚した後は病のように成長し、どんどんふくれあがる。
 苦しい。
 だから、もう少しであの二人にも話しかけられなくなる気がした。
「あ、」
「………赤也」
 声がしたので、名を呼んだ。
 しかし眼前にその後輩は見当たらない。
 ひょいと見ると、下方で給水塔に当たりをつけてよじ登る姿。
 多分、さっきのは足を踏み外しかけたんだろう。
 見つからないように、顔を引っ込めた。
(俺は)
 最低なんだろうな。こうまでして、お前から逃げる。
「あ、柳さ……」
 上がってきた後輩の顔が、なにも映さない虚無の顔になった。
 その瞬間、柳は寝転がった仁王に口づけていた。
「……柳さん」
 虚無のまま、そう呼ばれた。
「……赤也か、なんだ」
 今気付いたように、仁王から離れて振り返った。
「………」
 後輩は、その後無言で給水塔を飛び降りた。
「部長が、呼んでます」
 言って、扉から階下に降りていったのだろう。見えなくなった。
「………汚された」
 仁王が横になったままぼそりと言ったので柳は吹き出した。
 逆だろう、と。
「されたの俺じゃもん」
 起きあがって仁王が言う。
「そうか、俺はもう行く」
「参謀」
 降りかけた足。見つめる真剣な瞳は何処か冷めて。
「…楽しいか?」
 聞かれた言葉に、柳は笑った。
 それはとても。
「…………全く」
「………」
 柳がかんかんと降りていく。
 仁王は、問いかけたことを後悔するでなく、また横になった。
 笑った顔は。
 笑っていたのに、
 なんて今にも泣きそうな、



 それはとても、淋しい笑顔だった。




「……」
 寒い。
 帰り道は北風が吹いていた。
 俯く、マフラーに顔を埋めるように。
(…ねえ)
 馬鹿な俺にだってわかったよ?
「………」
 俺に見せるためだよね?
「………しんどい」
 ちょっと、泣きたくなる。
 焦がれて、焦がれた綺麗な人。
 笑う顔も、哀しく笑う顔も、俺の心を射抜いたのに。
 他の人に口づける、顔すら綺麗で。
 俺は欲情してる。
「あーあ」
 こんなに好きなのに。
 届かないのかな。
 好きなのに。
 欲しいのは、あんただけなのに。
 街の人は気付かない場所に、子供がいた。
 俯いて泣いている。
 俺は、こんな存在だろうか。
 あの人にとって、目も向けられない哀れな、愛(かな)しい子供。
 手も、腕も、足も、肩もあの人より小さい。
 あの人を力一杯抱きしめてあげる、腕はない。
 その腕は、副部長のものだ。
 その腕は、部長のためのものだ。
 誰も俺に気付かない。
 あの二人は、愛(かな)しいあの人に気付かない。
「……おい」
 子供にしゃがみ込んで、声を掛けた。
「はぐれたの?」
 問う声にも泣く、声。
「………人、呼んでくるよ」
 言って立ち上がる。
 安心させるように頭を撫でて。


 お兄ちゃん


 声が聞こえた。


 その瞬間、子供の手に握られたナイフが、足を貫いていた。
 子供は嗤って顔を上げたのに、その顔がわからない。
 気付けば子供はいなかった。
 周囲の悲鳴と、足に残ったナイフだけが鮮やかだ。






『俺、自分のこと割と好きやで?』
『……え?』
 初めてダブルスを組んだ日。
 侑士から言われた言葉。
『なんなら名前で呼びあおか?
 その方が楽やし』
 その日の彼の笑顔。
 一瞬で自分の心を破壊する。
 嬉しかった。
 嬉しかった嬉しかった嬉しかった。
 自分は現金な奴で、それでもう彼を好きになってしまった。
 こんな感情は異常だと知りつつも、好きになっていく気持ちを止めることは出来ずに。


『嫌いや』


 だから痛かった。
 その言葉は胸に刺さった。
 あの日の言葉がなかったことにされていく。
 自分の思いさえ捨てられてしまう。
 そんなことは。



 そんなことは――――――――――――――――嫌だった。




 ふ、と目を開ける。
 白い天井。
(……病院かな)
 自分はどうしたっけ。
 確か侑士が投げた首飾りを拾おうとして。
 屋上から。
 で、なんで生きてるんだ?
 その向日の感情も自分を見下ろしている寝台脇の人々に邪魔をされる。
「不二! ……よかったぁ!」
(あれ? こいつ確か青学の菊丸じゃねぇか。…何で。それに今自分のこと)
「不二! 吃驚したよ。お前が手塚に運ばれてきた時は……」
「でもよかったな! 意識戻って! もう俺泣きそうで泣きそうで」
「英二は実際泣いてるじゃないか」
「そ、そうだけど……とりあえずよかったにゃあ………!」
 白い壁。白い寝台。白い扉。
 白の世界に囲まれて、向日は頭がこんがらがってきた。
 だって。
 だって自分の名前を呼ぶのが誰もいなくて。侑士もいなくて。
(あ、泣きそう)
 思い出す。
 傷ついた心。
 でも、今のこの現状は。

 おかしい。

 だって。
 だって。なんで自分が。
「不二ー! 喉渇いてないかー?」
(“不二”って呼ばれてるんだー!?)
「不二!?」
 向日は慌てて寝台から飛び降りて部屋の中にある鏡の前に立つ。
 その姿はどう見ても。
 くちがあんぐりとあく。
「…………青学の」
(不二周助ぇ!?)
「不二! まだ休んでないと!」
「そうだよまだお医者さんが! あ、来た」
「ああ…不二くん。その様子だと異常はなかったようだね。
 一応CT検査も受けてもらうから。とりあえず寝台に戻って……」
 異常。
 異常も異常。
(おおありだあ!)
 俺の身体は何処だ――――――――――――――――!?





『好きだよ』
 やっと言えた言葉。
 やっと伝えられた想い。
 でもそれは儚く断ち切られる。
『……俺は好きじゃないな』
 冷たく、低い声で。
『だが、条件付きでなら付き合ってやる』
『本当!?』
 馬鹿みたいに、舞い上がった自分。
 本当はこれっぽっちも好きじゃない癖に。
『俺には好きな奴が他にいる。
 だが気付かないらしい。
 そいつへの当てつけとしてなら』
『うん! それでいい!』
『じゃあ決まりだな』
 本当は。
(……………………あの時、失恋していたのに)
 本当は。
『何故好きでもない奴とキスしなければならない』
 本当は、愛されてもいない癖に。
 自分は、馬鹿で、愚かで、どうしようもなく彼が好きだった。
 だから条件付きでも、自分を見てくれなくてもいいと思った。
 だけど、近くに居る度強くなる欲求。
 側にいたい。キスをしたい。好きって言って欲しい――――――――――――
 欲求はエスカレートして昨日のような様になった。
(……馬鹿だ)
 こんなにも彼が好きだ。
 自分は好きなくせに。
 愛して欲しいって求めているくせに。




「………だ」
 明るくなる視界。
 白い天井。
 白い世界。
 此処は。
(…………病、院……?)
 確か僕はどうしたっけ?
 あの時、みっともなく泣いて、手塚の後を追って、そして。
(……ああ、落ちたんだ)
 頭を打ったかなんかして。
 それで病院に運ばれたのか。
(………………………あれ?)
 寝台に寝かされている自分の周囲にいる人たちがおかしい。
 いや存在自体はおかしくないのだが、青学の面子じゃない。
 っていうかこれは。
「やっと起きやがったか。岳人」
「……………………」
 ただ安堵の息をもらした忍足の姿。
 と。
「………跡部………?」
「どうした? まさか落ちたショックで俺様の顔でも忘れたか?」
「………いや、忘れてないけど」
 この自分の声は。
「ちょっと待って!」
 咄嗟に寝台から飛び降り目に付いた鏡の前に立つ。
 そして呆然とした。
 人は映っていた。
 うつっていた、が。
 その姿はどう見ても不二周助の姿とは異なっていて。
(………これは)
「……氷帝の」
 向日、岳人。
 卒倒しそうになって慌てて鳳に支えられる。
「向日先輩。まだ起きちゃ駄目ですよ!
 絶対安静って言われてるんですから!」
「そうだぞ。あとで医者がCT検査受けさせるつってたからな」
「逃げちゃあかんで。岳人」
(……なに、なんなの……この世界は)
 まるで夢の世界のよう。
 そうだ。夢なんだこれは!
 と思って顔をつねってみたら痛い。
「……向日先輩? ……なにやってるんです?」
 言外に『なんかすっ飛んじゃいました?』と含んで。
(すっ飛ぶも何も……)
 これは。
 この現状は。
「ああ――――――――――――――――!
 向日先輩! しっかりして下さい! 向日先輩!」
 遠くなっていく意識の隅で、今度はなじみ浅い声を聞いて。
 不二は正直、神様に縋りたくなった。













→[アリアD.C]4


 








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