★らびっとでぃあ★ −四話・獣の王様− 千歳の帰省も済み、関係もより強固になった千歳と白石。 しかし、大きな問題がまだあったことに、気付いていなかった、そんなある日。 「蔵…」 千歳が寝ぼけ眼でアパートの扉を開けると、そこには可愛い恋人。 「蔵!?」 一気に覚醒して、千歳は白石を部屋に引き込む。 腕の中に抱き込んで、鍵を閉めると、その頭をゆっくりと撫でた。 白石は心地よさそうに目を細める。頭にぴょこり、と瞬間生える耳。 「……蔵、どげんしておっと?」 「…千歳、会いたなったの」 今日は部活も学校も休み。一日すら、離れていたくない。 そんないじらしいことを言われては、狼も我慢できない。 「…蔵…」 「千歳?」 問いかけながらも、ウサギは千歳の腕の中に安心しきって収まっている。 「…俺、蔵……」 言いかけて、千歳は身体を離すと、寝室に手招いた。白石は疑うことなくついてくる。 千歳が寝台に座ると、白石は躊躇うことも危機感もなく、千歳の隣に座った。 「…蔵、…俺が触っと、耳ばすぐ生えっとね?」 本来訊きたいことではなかったが、そう誤魔化した。だって、これはいろいろやばい。 「俺、千歳と一緒やと、切ななる。前に言った」 「…訊いた、けん」 でも、それは、と千歳は躊躇った。 触られたくなるから、と白石は言った。もっと、と言った。 でも、それは、 「俺は、千歳にもっと触られたなる。千歳が触れてんのが、しあわせ」 危機感のない、綺麗な笑みで言われる。 その瞬間、千歳の頭と尻に耳と尻尾が生えた。 理性も、罪悪感もあった。だが、それがなんだ? 彼もいいって言ってるってことだろ? 合意があるなら、なにを躊躇う。 「蔵…」 「…ちとせ?」 熱っぽく呼びかけて、頬を手で撫でると、白石は気持ちよさそうにする。 「俺、蔵が全部欲しか。…意味、わかっと?」 熱っぽい声で、雄の欲のこもった目で見つめられてわからないほど、白石も馬鹿じゃない。 一気に顔を赤くした。俯いて、千歳の胸元の服を掴む。 そのまま、小さくこくん、と頷いた。 「…よか?」 「…ちとせ、なら、嫌やない…」 少し、白石は顔を上げて、視線を合わせて答えた。その瞳の、戸惑いと恥じらいの混ざったような色。堪らなくなって、千歳は白石を抱きしめた。 腕の中に素直に収まる身体は、どきどきと鼓動を早く鳴らしている。 ああ、本当に堪らない。 今日は休日だし、なんの予定もない。自分の部屋。 邪魔はまず入らない。 「蔵…」 狼の尻尾が揺れる。 可愛い可愛いウサギ。もう本当に可愛くて堪らない。 白石のシャツのボタンを外して、鎖骨に舌を這わせると、びくんと大袈裟に反応した。 それに、腰にずくんと痺れが走る。あまりに堪らなくなって、そのまま首筋に噛みついた。 千歳は忘れていた。今の自分が、「狼モード」であることを。 「ひぇっ…!?」 白石の喉から零れた、泣き声みたいな、いや泣き声そのものな悲鳴は何だろうと、千歳は我に返ってから、固まった。 千歳は遊びでなら経験はある。が、本気のつき合いは初めてだ。 小石川に、お前の「最初の日」はいつだと訊かれて「十三」と答えた。それくらい、狼に本気でなれる人なんか、ずっといなかった。 十三歳の時、転校の手続きで訪れた四天宝寺で出会ったウサギ。彼を見て初めて、狼になった。 それくらい、本気の相手。 千歳はぶっちゃけ、知らなかったのだ。 「甘噛み」というやつを。 「……くら」 千歳がおそるおそる身を離して、下で怯えきったウサギを見下ろす。 白石が手で押さえている首筋からは、ほんの少し、血が滲んでいる。ひどくはないし、微かに滲んだ程度だが。 本気で白石を噛んでしまったのは、事実だ。 「……ちとせ。おれかんだ…? ちとせ、…おれがすきなん、ウサギやから…? ウサギやから、食い物やからすき…?」 「そ、そげんわけなか…!」 「…ふ…っぇ…」 気付いた時には、白石の姿はつい最近見た、あの八歳の姿になっていた。 泣きじゃくる白石になんと弁解したらいいかもさっぱりわからず、とにかく嫌いじゃないんだと言い尽くしたが、泣きやまないウサギに千歳まで切なくなり、千歳が頼ったのは一番頼れる無敵の人。 「お前はアホか」 出会って開口一番そう言われた。わかっている。すごくわかっている。 「はい、俺はアホばい…」 「お、素直やな」 小石川は少し感心したようにそう言った。千歳の家の玄関。泣き疲れた幼い白石を抱きかかえて。 「素直に認めへんようなら、がっつり噛むとこや。よかったわ」 「…俺、白石大事ばい。ほんなこつ。認めん馬鹿になりたくなか」 「そやな。そやなかったら、任せたりせえへん」 小石川は少し嬉しげに微笑むと、千歳の肩を叩いて、とにかく覚えろ、と強く言った。 千歳も頷く。 小石川が白石を連れ帰ってから、千歳はうんうん考えた。 問題は、あれだ。 甘噛み。 本気の相手に会ったことがなかったから、狼のままセックスなんかしたことがない。 狼の時は、どうしても「そうしたい」衝動が強くなる。 大事なものに、自分の証を残したい衝動。 白石が大事すぎて、愛しすぎて噛んでしまう。 でも、甘噛みじゃなく、本気で噛んだらまずいのだ。 だから、甘噛みを覚えなければ、抱けない。 というか、まず白石に誤解させてしまったから、そこを解かないと。 「…………蔵、すまんたい。…ごめん」 一人きりの部屋で謝った。切ない。すごく切ない。 また振り出し以前の関係に戻ったんじゃないかと、怖くて切ない。 以上に、白石を泣かせてしまったと、切なかった。 翌日、普通に学校に来た千歳は愕然とした。 三年二組の教室に人だかりが多いと思って、まさかと向かったら、白石がいる席に座るのは、幼いウサギ。昨日から、元に戻れていないらしい。 「蔵! 学校、来たらいけん…」 青ざめて駆け寄り、白石に群がる連中を蹴散らしてから彼に向き直る。 と、白石はうりゅ、と泣いて、謙也にしっかりとしがみつき、千歳にそっぽを向いた。 「お前、自業自得や」 「謙也…」 謙也もなにがあったか訊いているらしい。 「先輩」 背後から聞こえた声に、千歳が振り返る暇なく、肩をがぶっ!と噛まれた。動物の牙で。 「っ――――――――――――ぁ!」 「罰、っすわ」 「俺、白石にくっつかれてなかったら噛んだからな」 振り返ると、猫モードの財前。彼が噛んだらしい。謙也も追い打ちのようにそう言ってくる。 孤軍奮闘。そんな言葉が頭に浮かぶ。 「あかんもんっ!」 だが、その場の空気をぶったぎったのは、幼い声。 気付くと、白石が謙也から離れて、千歳の前に立っていた。幼い足でぷるぷると千歳を庇うように立つ。耳が震えている。 「ちとせ、かんだらあかんもん! かんだらあかんもん!」 「……白石」 謙也が茫然と白石を見て、名を呼んだ。周囲の生徒も茫然とする。 白石は今はかなり身長差のある千歳を、涙の滲んだ瞳で見上げる。 「……ごめんな、蔵」 なんてことをしてしまったのだろう。本当に。 白石を抱き上げ、ぎゅっと抱きしめて千歳は繰り返し謝った。 「ごめんな。蔵」 「…ちとせ、いたない?」 「痛くなか。蔵の方が痛か。…もうせんけん、もう噛んだりせんけん…ごめん。ほんなこつ、蔵のこつ好いとうよ」 「……」 心からそう告げて、腕の中の身体に優しくキスをする。 白石はその言葉に籠もった気持ちを受け取ったのか、やっとホッとした顔で微笑み、千歳にきゅうっとしがみつく。 「…てか、ここは教室なんやけど」 「無粋っすわ。それ」 千歳は憎い、が、白石の邪魔は出来ない。と謙也も財前も、他の生徒も黙って見守っている。千歳には呪いの視線を向けられても、可愛いウサギの幸せは大事なのだ。みんな。 「おーい、バカップル。やるなら保健室行ってやんなさい」 その場の空気を今度、ぶったぎったのは四天宝寺の最強の人だった。 謙也は「助かった!」とその人、小石川に拍手する。 「あ、小石川…」 「仲直りは出来たみたいやな。白石、大丈夫か?」 「…うん」 千歳の腕の中、こくり、と頷く白石の頭を撫でてやって、小石川は満足そうに頷いた。 「とりあえず、千歳、肩手当しろや」 小石川は教室の出口を指さす。周囲の生徒が、逆らってはいけない、と道を開けた。 保健室で千歳の手当も済み、安心したウサギは眠くなったのか、寝台ですーすーと眠っている。 この様子なら、もうすぐ常態に戻るだろう。 「ごめんな、小石川」 「いや、別に。白石のためやし」 椅子に座った小石川は、普通に笑って答えてくれる。なにかあっても、文句も言わず助けてくれるから、千歳も有り難い存在だ。 「お前、って…」 「?」 なんなんだろう。 訊いたら、いけないのだろうが。 寝台に腰掛けたまま、千歳は小さく呻ったが、すぐハッと背後を振り返った。 「千歳?」 「ちぃと、白石のこつ見ちょって」 小石川にそう任せると、千歳は保健室の窓を開けて外に飛び降りた。ここは一階だ。 千歳の下駄は軽量版もある。今日はそれだ。 足から取ると、逃げる男目掛けて放り投げた。 「いだっ!」 男は足に喰らってバランスを崩し、その場に倒れる。背後には高いフェンス。その手には、コンパクトなビデオカメラ。 おおかた、白石の今の姿を撮っていたのだろう。 「それ、メモリーカードも一緒に、寄越しなっせ」 片足が裸足のまま近寄ってくる千歳はとっくに狼モードだ。 男は顕著に怯えたが、背後のフェンス越しに自分を呼ぶ仲間に気付いて、カメラを彼に投げようとする。 「ちょ…!」 させるかと急いで駆け出した千歳の視界を、なにかが過ぎった。 それが小石川だと気付いた時には、彼の手が男の手からカメラを取り上げ、地面に蹴り飛ばしている。フェンス越しに慌てた仲間が逃げる前に、小石川の素手があっさりフェンスを、紙のように破り捨てた。 その光景に、その場に腰を抜かした男二人に近寄って、小石川はにっこり微笑む。その身体に、尻尾も耳もない。なんのサインもない。それが逆に怖い。 「次、やったら、…噛むから。本気で。こんなもんや済まさん。 わかった?」 吐息じみた声だ。それが怖い。本気で怒っているとわかる声の掠れだからだ。 男は二人揃ってこくこくと全力で頷いた。 「よし」 小石川はやはり素手であっさりカメラを握り潰すと、メモリーカードも没収して破壊した。 「あ、白石は、謙也たちに任せてあるから」 それを心配しているだろう千歳に、そう笑顔で言う。千歳もそれが心配だったので、ホッとした。 その日の帰り道。まだ幼い姿の白石は、眠ったままだ。 千歳の服に身を隠すように包まれ、抱かれている。 夕焼けが頬を照らして、たまに建物に遮られた。 「千歳。お前、白石大事?」 「あ、うん…。本気で」 小石川に訊かれ、慌てて返事をしたら適当に答えた風になったので、千歳は「本気で」を本気で本心で、そう言った。気持ちを、一生懸命こめた。 小石川はわかっているのか、くすくすと笑う。 「なら安心」 「…小石川」 「千歳、教えてやろか」 「え」 小石川は少し前を歩いて、千歳を振り返る。夕焼けが彼を真っ直ぐ照らした。 「俺の正体。トクベツ」 「……」 千歳はなんと答えたらいいかわからない。そう言い出した小石川の意図も、それが本当の正体なのか、どうかも。 小石川はにっこり微笑むと、千歳に近づいて、顔の傍で囁くように言った。 「ライオン、やねん。俺」 「…ら」 「そ。獣の王様ってとこな」 小石川は得意げに笑うと、身を離して、また先を歩き出す。 「嘘ちゃうで」 そんなこと、言われなくても千歳にだって、本当だってわかる。あんなことも、あの強さも、それなら説明がつくのだから。 「ほな、ちゃんと白石、送りや」 「…ああ」 元々先を歩いていた小石川だ。走り出すとすぐ見えなくなった。 「…ライオン…強かはずばい。てか、なんでその可能性に気付かんかったとやろ」 ライオンなんて、結構ポピュラーなのに。動物園では一番人気なのに。 いや、逆に思いつかなかった。 よく考えたら、彼はよく「噛むぞ」という風なことを言っていた。 肉食の獣でなければありえない。彼がよく訊いてくる生徒に吐く「インコ」が本当だったら、まずあり得ないのだ。「噛む」なんて脅しは。 「…噛まれたら、即死…っ……たいね」 小石川は絶対敵に回さないようにしよう。と千歳は誓った。 腕の中で、なにも知らないウサギが、すやすやと寝息を立てている。 時折、千歳の名前を呼んだ。 →NEXT |