ああ、犬も三日飼えば情がうつる





逢魔が時
------------------------------------------
サイレン/[忍足侑士−ファントムハート]
------------------------------------------



 人に執着するのは、嫌いだった。
 来る者拒まず、去る者追わず。
 気が付けば側にいてまとわりついて笑う。
 子供そのものに無邪気で負けず嫌いな、彼の存在。
 後ろ髪引かれている、と言われても気付かなかった。





 えらく、拙そうな顔をしていた。
「…どないしたん? 岳人」
 教室に停滞した緩やかな空気と冷房の涼しさ。
 青い、抜けた空。夏特有。時計は四時を指し。
「あー、なんか…朝から機嫌悪いよ?」
「機嫌悪いのは違うだろ。あれは子供がむくれてんだよ」
「なんか言ったか宍戸?」
「ああ言ったぞガックン」
「その呼び方止めろ!」
 がたんと席を鳴らして立つ。
 一瞬限りの音。
 彼が声を荒げやすいのも皆知っているから、笑うだけだ。
 それが更に腹立ったように、向日はまたどかりと椅子に腰を下ろす。
「でも、本当にどうかしたんですか? 先輩」
「鳳お前はいい奴だよなぁ時々」
「なんですか時々って」
「お前時々宍戸以外にすっげぇ冷たい突っ込みすんじゃん」
「……………そうでした?」
「うん」
「……気を付けます」
「っつってももう引退だけど俺達」
「……岳人。長太郎虐めんのよせ」
「宍戸も鳳に甘いー」
「うっせぇ! 忍足だってお前に甘いじゃねぇかよ!」
 苦笑が張り付いたように、宍戸を見返す鳳と。
 反論した宍戸の後ろで。
 ジローがえらく変な表情で突っ込む。
「…忍足、お前なんでそんな不思議そうな顔してるんだ?」
「……してたか?」
「ああ」
「……おかしいなぁ」
 うーん、等と考え込む忍足を余所に、痺れを切らした跡部がだから本題は何だと向日を急かす。
「別に大した事じゃねぇよ!」
「大した事じゃなくてお前が無駄にへたれるか。
 いつものようにへこんだら直ぐさま浮上してりゃいいんだ」
「お前俺の事なんだと思ってんだよ」
「曲芸師」
「なんだよ酷ぇ! 樺地放し飼いにすんなよ!」
「誰が放し飼いだコラ!」
「…ああもう落ち着いてください」
 それでもまだ跡部が『忍足、こいつ首輪つけろ!』だの言っていたが、鳳の宥めで何とか収まる。とりあえず鳳は人が良くて無駄な苦労を買っている。青学の大石程でないのは、ただ単に人にさりげなく押しつけたりするからだ。
「……だぁから、別に大した事じゃなくて!
 引っ越したってだけなんだよ」
『……引っ越した?』
「過去形ですか?」
「ていうか今日。俺が帰った頃には終わってる」
「そりゃまた急だな」
「いや別に急でもないけど、言ってないだけだから」
「なんで言わないんだよ」
「だって転校はしないし」
「近くなんのか?」
「いや位置が正反対になるだけで。距離はほぼ変わんね」
 椅子にあぐらをかいて、向日は椅子の先を両手で掴む。
「もしかして道が面倒とかそういう理由でむくれてんのか?」
「むくれてる言うな!」
「ガキ…」
「なんだよ跡部はいっつも堪え性のない! 樺地手綱!」
「だから樺地を引き合いに出すな!」
「ウス」
「頷くなよ!」
「でもやっぱ嫌になるじゃん!
 なぁ侑士」
 時計が微妙な動きをしているように感じる。
 正確に、多少はずれて、刻んでいるはずなんだけど。
「…侑士?」
「…あ? なんや。悪い聞ぃとらんかった」
「えぇなんだよそれっ!」
「岳人がな。引っ越ししたんだと」
「でも転校はしないって」
 ぎしぎしと、軋んでいる気がした。
 学校の時計。
「ふぅん、そうなん」
「……そうなんって、それだけ?」
 やけに拍子抜けしていた、向日。
 意味が判らなかった。
 それだけ? それ意外に何かあっただろうか。
 転校しないのなら、いいじゃないか。
「それだけやろ?」
「なんで?」
 青い空。
 時計の針と、廊下を走る生徒の振動。
「? 引っ越しやろ?
 俺が手伝う必要あらへんやろ」
 もう終わってんのやし。
 当たり前の事だろうと。返答して。
 拗ねたような顔の彼をやり過ごす。
 彼は判らないことばかり。
 本当子供のようだ。
 それよりも、先程引っ掛かった疑問があったのに。
 忘れてしまった。




 別れ道になる、交差点。
 いつもなら違う場所で別れていたのだが。
「あ、俺ここまで」
「あ、引っ越ししたんやったな」
「うん」
「じゃあな」
「うん。またね…侑士」
 少し、ぎこちなく手を振って駆けていく背中。
 転ばんようになと内心で呟いた。

 通り道にあった書店に立ち寄る。
 意味もなく週刊誌を立ち読みしたりして、意味なく、参考書の棚の前に立った。
「……みんな高いやん」
 まぁ必要ないけど。
 胸中で呟いて、踵を返しかける。
 不意に、髪の先が緊張したような錯覚。
 振り返って、その無意味さに訳がわからない。
 並んだ参考書の束。
 ふと、眼に付く。
(……そういや、岳人社会だけ赤やったなぁ)
 手に取った本の重みに、また放課後と同じ疑問が舞い戻ってくるのだけど。




 ほら、訳のわからないことだらけ。
 懐く様は、犬のようだった。
 撫でれば嬉しそうにすり寄ってくる。
 ああ、そのものだ。
 犬も三日飼えば情が移る。










→3[向日岳人]

戻る