好きなのに届かない





逢魔が時
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サイレン/[手塚国光−コックリさんはやってない]
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 学校の長い階段を、一段一段数えて登るような。
 僅かばかりのくだらない緊張感。
 あったら嫌だと思いながら、何処かで期待するみがってに。
 ぴったり、十三段なんてないんだよ。
 数えるたび、おかしな空白。
 十六段くらい、平気である階段を登って屋上へ辿り着いたらきっと。

 行き止まりなんだよ。出口なんて無いんだよ。逃げ場所なんて何処にも。



 何時だったか、そう言ったのは幼馴染みの少年だった。


「………なんで急に」
 登るばかりの坂。
 沈んでいく太陽。恐ろしい赤。
 どうしてあんなに赤かったのだろう。
 有り得ないのに。
 有り得ないのに。
 あの時自分が怖かったのは多分きっと。
「ふと、ね。思ったから。
 光(みつ)は?」
「…治?」
 背負ったランドセルの黒。
 片手に、使われた笛を掴んで。
 その頃は一緒に帰ることが多かった。
 家が近かったからだ。だから幼馴染みだった。
 自分を『光』という呼び名で呼ぶのは後にも先にも彼くらいなものだ。
「思わない? 屋上には出口なんてないのにさ」
「……普通考えない」
「だろうね。
 光にはいらないね。そーゆうさ」
 その言葉の意味が、未だに判らない。
「帰ろう?」
 そう言って差し出した手はあの頃、自分より小さかったのに。





 がんがんと、剥がれた雨樋が壁にぶつかって見るも無惨に壊れていく。
 強まる嵐。草は地に這い、低く、低く――――――――――――
「でも、意外だったな」
 廊下を、追い抜くではなく肩を並べて。
 思い出し笑いのように、茶化す。
「何がだ」
「君が、一度きりでも王様ゲームやるって事が」
(天下の生徒会長様だよ?)
 皆に知れたら凄い噂になるよね。
「……流すなよ」
「しないよ」
 酷いなぁ、なんて声に乗せてくすくす笑う不二を、横目で一瞥してから、手塚は緩く口元を曲げる。
「…何、笑ってんの?」
 そう、からかうように問い掛けているのに。不二の顔は如何にも急なプレゼントに吃驚しながら喜んでいる子供のようだ。
「笑うのにいちいち理由を付けるのか、お前は」
「手塚だからだよ。乾とかだったら“企んでるな”で済むの」
 それはなんだか笑いの趣旨が違うだろうと手塚は思ったが、あえて突っ込まない。
 不二の会話のノリは今更だ。
「…………………」
 ふと、今更なんて判断下せるのは、結構数少ない事だよなと。思う。
 人付き合いの過程で、“馴れた”と自分が評せるのは誰も彼もテニス部の、特に三年。
 ああそう――――――――――――――今更というなら。
「……あいつは意外に馬鹿だな」
 ぽんと、普通に言ったつもりであったし、不二ならば“あいつ”の示す相手も判っているのだろうが。真横で吹き出されては足を止めるしかない。
「…不二」
「っぶっははははは…っ。ごめだって手塚君…っ! 君が“馬鹿”って馬鹿って!
 仮にも学年首席に向かって…! もー君最高!」
 全然嬉しくない言葉を投げつけて、不二はしばらくけらけらと腹を抱える。
 別に自分は学力――――――確かに乾は入学当時からずっと首席という偉業の持ち主だが――――――を指して馬鹿を言ったわけでは、断じてない。
 不二もその辺判っているのだろうが、人間は瞬間的イメージと判断、それから相手の立場性格タイミング、付け加えて表情に基づいて反応を起こす。
 判っていようが最初に浮かんだイメージが爆笑させる物だったのだから、そこに挟む意志はない。
「っは……あーおかし……。後で言ってやろ…」
「止めろ」
「なんで? いいじゃん」
「よくない」
「逆に“そういう台詞は一度でも成績で俺に勝ってからいいなさいよ”って言い返されるから?」
「だから俺はそういう意味で言ったんじゃない」
「うん判ってるよ」
 さらりと。
 挟んで。不二は目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。
「時々乾ってさ、器用貧乏だから。
 突きつけてやらないと、わかんないよって事」
「嫌な想いをわざわざさせるのか?」
「君がそうやって気遣うのも乾くらいだよね」
「…お前は」
「拗ねてないよぅ」
 誰も、二人以外にその廊下にはいないから―――――――――だからこそ不二は心置きなく爆笑したのだが――――――――不二は緩やかに笑って手塚の腕に絡ませる。
 咎めるような視線は、一度だけ。
「手塚、夏だね」
(今更)
 ――――――というのなら、乾は会った当初からああだった。何故テニスを始めたのかやっているのか判らない奴だった。
 今更というなら、不二はまだ俺の隣にいる。
(それは―――――――――――――――今更に)
 頬を擦り寄せて甘える、仕草は彼そのもので馴染んだ物で、馴染まない頃もあった。
 そうやって誰かに甘える姿を、乾は何時も、酷く優しい顔で見ているのだ。誰にも気付かれないように静かに。人が気付く前に、すっと表情は色を無くして。
「…………………夏だな」





「確かめに行こうか」
 夏休みだった。
 いつものように、親の居ない彼の家に上がり込んで花火をしていた。
 付けたままのテレビから、怪奇特集が流れている。
 丁度、十三階段の話だった。
「…………今から?」
 ぱちぱちと、弾ける線香花火。
 縁側に置かれた、あと残り八本の花火。
 土に染みこんだ火花。今よりは澄んだ夏の空。
 縁側に座って火花をじっと見下ろした彼の背後で、時計が夜の九時を指していた。
 恐ろしく無表情の顔をしていた。自分は、いつものように“冗談だよ”と彼が笑うのを何故か待ったけれど、花火が燃え尽きる方が早かった。

(今でも何故、彼がそんなことを言ったのか判らない)

 勝手に動いていく時計の針と、彼がまた取りだした花火に火を付けて。
 燃え尽きたら行こうと言う。
「光、付き合ってよ」
 断る理由はなかったはずなのに、足が重い。
 七不思議などこれっぽっちも信じてはいなかった。
 けれど滅多に人を付き合わせようとしない幼馴染みだったから、着いて行きたい自分が居る。
 寂しいと、彼が言ったのを聞いたことがない。

「大丈夫。門なんて登れるよ」

 校舎の大時計は、十時を指していた。
 余すところなく、暗闇の中。
 少しだけ、“怖い”と言うクラスメートの気持ちは判る。
 けれど、いるかも判らない何かに怯えるほど自分は可愛くなくて。
 それは幼馴染みも同じだった。
 全く面白い反応などお互いにせず、辿り着いた階段。
「光は、階段の段数数えて上る?」
「…普通数えて上らないだろ」
「それが普通だよ。でも気にすると数えたくなるだろ。
 数えたくないのに、頭の中でカウントしてる」
 たん、と片足だけを一段目に、彼が置いた。
 辺りは暗闇。
 非常口の緑の明かりだけが亡霊のように光っている。
 声がヤケに響く。呼吸の音も、喉の音も。
 彼はこちらを見ない。
「止めたいのに、頭から意識が離れない。
 警報が鳴るのに、止められない」
 すいと、差し出された手の平。

(まだ、小さな手だった。誰も彼も)

「頭が痛くなるほど、サイレンが鳴る。
 駄目だと、判っていてもやるしかない程、自分の意識に追い詰められる」
 静かに語る、その声が微かに震えていたことを、どうしてあの日の自分は気付かなかったのか。
 いつもいつもいつも、彼はただ静かに自分の傍らに居た。
 あの日、自分より低かった背丈。
 あの日、眼鏡無しでも同じ物が見えていた彼の視界。
 あの日、


「…1、2、3、4、5、6、7」
 上るたび、増えていく数字。
 踊り場まであと幾つ。
 繋いだ手。同じに踏んでいく足。
 靴音が聞こえない。
 声が。
「……9、10、11」
 びくりと、足が止まる。
 自分の手を握り締めていた彼が、強く力を込めて、息を止める。
 足を止めて。
「どうして、こんな馬鹿らしい事に付き合ってるの?」
 光は。
 自分を見て、真っ直ぐ。
 誘った癖、そんな事を言う。
 あの時馬鹿だったかも知れない自分。
 彼の言葉を、あまり喋らない自分への、“俺のこと呆れてない?”
 そんな稚拙な意味だと思った。

「…12」
 彼の唇がそう呟くまで、足がまた進んだことに気付かなくて。
 本当に十三段あるのかどうでもよかったはずなのに、確かめたくなって。
 瞬間離された手を。自分を見下ろしていた彼を。
 背後に窓があった。鏡があった。
 映るのは青白い月光と暗闇の中の彼の背中。
「…………1、……3」
 とん、と自分の胸を突いたのは確かに幼馴染みの指先。
 そのまま背中から下へ落ちるのを、彼は黙って見ていたはずだ。
 そのまま背中から下へ落ちるまで、自分は彼の視線を見ていた。


 その後どうなったのか、覚えていない。

 ただ、幼馴染みはその後転校し、一年後に中学で再会した。





 







→6[柳蓮二]

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