どうして今なんだ





逢魔が時
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サイレン/[柳蓮二−ヨモツヒラサカ]
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 何故、その時になって気付いたのだろう。
 それは偶然だった。
 忘れ物に昇降口で気付いて引き返した教室。
 夕陽の廊下で唇を重ねた弦一郎と精市を見て。
 何故気付いてしまったのか。
 何故、…気付かなかったのか。
 正直、当てられるだけだと思っていた。
 二人が付き合っていることなどとっくに知っていた。
 入院していた頃の精市に、告白するか迷っていた弦一郎をそそのかしたのは自分だ。
 素直に弦一郎の真っ直ぐな恋慕が好ましく、応援してやりたかった。
 精市が、彼を好きなこと、相思相愛だと知っていたからだ。
 弦一郎も精市も大事な親友で戦友だった。
 苦しむすれ違いなど見たくなかった。
 幸せになって欲しくて。結ばれた時の笑顔が見たかった。
 そして想いが通じ合った時の彼らの笑顔と感謝の言葉はとても、自分を満たしてくれた。
 不穏な想いなど欠片もなかった。
 付き合うようになって、彼が無事退院して、多くの学校生活を共にする姿を見てもただそれがほほえましかった。
 彼らはとみに自分を仲間はずれにはしなかった。
 せっかく付き合っているのだから、俺に構わず二人でいればいい。
 そう言った俺に、二人は“絶対嫌”。それを心苦しく思い、嬉しく思った。
 二人は俺の誇りだった。
 だから。何故だろう。そう思った。
 それを見たとき、思ったのは嫉妬ではなくそれだった。
 何故、今なのだ。と。気付くなら大人になって、死ぬ時でもいいじゃないか。
 後で、いいじゃないか。
 死に際に、ああ…そうだったと思うくらいが丁度いい。
 それなのに。
 ―――――――――――どうして俺は、弦一郎が好きだとその時気付いてしまったのだろう。
 あまりに、愚かでそれでも二人に声を掛け、おどけたことを言って参考書を取って帰った。




 それはよくある放課後の彼の部屋。
「…全く、部活が今日は休みだと言うのに」
 淡々と言った柳に、その部屋の主はぎくりと身を竦ませて、おそるおそる先輩の顔を見上げる。
 暖房の適度に効いた六畳の部屋は、その後輩らしく雑多に散らかっている。
 柳が来るとあって、多少片づけたというが彼のことだ。そこそこの押入や棚につっこんだだけだと簡単に推測出来る。
「何故俺はお前の追試の面倒を見ているのか」
「…ひどい柳さん…だったら“いいよ”なんて言わないでくださいよ…」
「赤也…お前、本当に授業を受けているか? 教室をエスケープしていないか?
 何故」
 帰ってきた答案をぴらりと見せて言う。
「こんな酷い点を英語以外で取れる。歴史は暗記問題だぞ」
「…だって、年号がわかんないっス」
「語呂合わせは得意だろう?」
「それが」
「というか、これはひどいぞ」
 その一カ所を指さす。そこには。
「鎌倉幕府は1192だ。何故4192年と書くか。お前今が西暦何年だと思っている?
 未来の年号は試験に出ないぞ?」
「……あーほら、鎌倉幕府って“よいくにつくろう”って」
「…“いいくに”だ。先生に呼び出されたろう?」
「もち」
「えばることではない」
「……」
 瞬殺した柳に、切原は黙り込む。
 まずい、と思っているのだろう。
 その黒髪を軽く撫でて、きょとんとした顔の後輩に笑った。
「まあ、二時間続けてやったからな。少し休憩するか」
 そう言えば、後輩はぱっと顔を輝かせた。
「やっり! 柳さん大好き!」
「はいはい。好きに息抜きしなさい。俺は」
 本でも読む、と言おうとしたら先手で。
「ゲームやりましょ!」
 と言われた。
「お前、今日は勉強だという自覚があるか?」
「あるっす。でも柳さんやらないじゃないですか。だから。それに、勉強の合間にゲームやってる人の方が成績いいんすよ」
「ほう、よく知っていたな」
「まあ、親への予防線に」
「…感心してソンをした」
「…先輩…」
 涙ぐみそうな後輩に、折れたとも言う。
 または、魔が差した。
「…なら、やろうか?」
「ほんとっすか!?」
「ただし、俺の提示するゲームをな」
「え? まあ…いいや、ゲームならなんでも」
 なんすか? パズル?
「言葉遊びとは少し違うが。口のゲームだ。
 仁王はこれをメンタル野球拳と言ったが」
「…えー男同士で?」
「バカか? 精神的なと言ったろう? メンタルの意味もわからないほど悪かったか?」
「知ってます!」
「そうか。まあ、あれだ。ルールは自分のことをより多く言った方の勝ち。
 自分の情報だな。相手の知らない自分の情報をより多く言えばいい。
 だから、精神的に脱いだ方が勝ちという意味だ」
「ああ、なるほどね…ニオー先輩ややこしいなぁ」
「仁王とは引き分けだったがな。意外にあいつはあらゆる情報を知っている。流石精市にも弦一郎にもなれる詐欺師」
「よっし! じゃあ、いきましょ!
 まず俺先攻。一つ“焼肉は野菜もきちんと食べます”」
「…ほう、てっきり肉しか食わないと思っていたが」
「よっしゃ先攻成功」
「じゃあ俺だ。一つ、“実はゲームはやる方だ”」
「ええぇッ!?」
「驚いたか? じゃあもう一つ、“実はRPGが得意だ”」
「うそっ! しらねえっす! そんなん。てか学年首席がどこでロープレなんかやりこむ時間あるんですか!」
「一つ、“勉強とゲームは1日三時間で人の二倍進む”」
「うわっ一気に三点!?」
「ちなみにこれは元々相手も知っている情報はカウント外だから、俺は敢えて自分が“速読、速記、暗算が得意”とは言わないぞ?」
「それ柳さんが有利っす…俺の情報のほとんど握ってる癖に」
「まあそういうな。続き行くぞ」
「…うっ…一つ! 国語の一番よかった成績は全国模試で二十位!」
「それは知っている。ダウト」
「ありゃ! くっそ…一つ! うちの姉貴の一目惚れ相手は幸村部長!」
「それは新しいデータだな。赤也、二点」
「よし!」
「…一つ」
 それは、キミのことを知らなかったから、言えたのかもしれなかった。
 思ったより、俺は愚かだったらしい。
「“俺は三年間弦一郎と精市を憎んできた”」
「……………え?」
「…いろいろな。もちろん、それ以上に愛している」
 誤魔化すように笑った。
「あれは天才だろう。俺は凡才だ。例え立海の三強、お前の勝てない相手であっても。
 二人にはかなわん。…そういう意味で、思い知らされ続けた。憎み続け、離れられないほど愛し続けた」
「………柳さん」
「………まあ、いいか。もう、終わる」
「え」
「一つ、“俺は高校は立海には行かない”」
「……」
 今度こそ後輩は言葉を失った。
 蒼白にも見える顔に、蛍光灯の明かりは不謹慎にもうつる。
「…だから、“もうお前達とはテニスはしない”
 もっとも、今後もテニス自体は続ける。どこかの大会で敵になるかもしれないな」
 これで六点。四点リード。
 後輩は、動揺を立て直すとこう聞いた。

 俺は、あんたに憎まれるほど強くないですか?

「……強いが弱い。俺に勝てないうちは、憎む部類にもはいらん」
「……ちぇ」
「…」
 この後輩に。
 自分はどう見えるか。


“一つ、俺は実は弦一郎が好きだ”

 そう言った放課後の教室。
 仁王は、呆れたように冷めた目で。
“知っちょる。ダウト”
 そう言ったから、驚いた。
 流石詐欺師。
“お前、レイトン・ヒューイットにもフランク・アバグネイルにもなれるぞ”
“あんがとさん。一つ、“俺は比呂士と付き合うておりません””
“…お前、あれだけ比呂士を所有物扱いしておいて……。丸井が怒る”
“ブン太比呂士好いとるからな”
“俺にとばっちりが来ない程度にしてくれよ”
“わーっとる”



「一つ」
 この、
「“俺は弦一郎が好きだ”」
 後輩はこの告白をどうみる?
「…知ってる。今言ったじゃん」
「“ライクではなくラブだ”」
「……………」
 表情が一瞬凍った。だが一瞬だ。しかしその一瞬が、知らなかったことを明白に俺に教えた。
 後輩は続けた。
「一つ、“俺の好きな人は立海の先輩です”」
「………それは知らなかったな。好きな人自体知らなかった」
「じゃあもう一つ、“俺の好きな先輩は同じテニス部のバケモノ”」
 今度は、自分が呼吸を忘れる番だった。
「一つ」
 その後輩は限りなく澄んで、限りなく真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「“俺の好きなヒトは柳蓮二です”」
「……………、赤也、三点追加」
「なんだ、あんた知らなかったんだ。驚いた」
「俺が驚いた」
「…で? 返事はわかりきってますけど」
「そうなの?」
「だってあんた副部長のこと現在進行形で言ったでしょ?」
「よく見ていたな」
「じゃ、無理じゃん」
「そうだな」
 少し、沈黙が落ちた。
 後輩は暖房を切ると、代わりにファンヒーターをつけた。
 理由は姉が帰ってくる時間だから。姉が来ると、電気が持たず、ブレーカーが落ちるからエアコンは切るようにしているらしい。
「……一つ」
 後輩は、勉強の再開前、俯いて言った。


“俺はそれでも、柳蓮二が好きです”







 彼を好きになれたらどんなに楽だろう。
 初めから矢印が向き合うのだ。
 それはきっと幸福な付き合いだ。
 精市と弦一郎のように。
 こんなことにすら彼の気配を思い出す自分がバカだ。
 後輩は泣かなかった。
 強い、そう思った。
 後輩は、確かに俺が嫉妬を乞う程強かったことが、最後のポイントだった。
 俺は振り返れない。
 黄泉の国のヒラサカを、逃亡したイザナギとイザナミのように。
 俺は振り返れない。ヨモツヒラサカを。
 黄泉を去りゆく恋しいヒトの顔を。
 そして俺は、イザナミのように置き去りにされるのだ。









 







→7[切原赤也]

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