本当にか、と訊くと彼は至って真剣に本当だと言った。
千歳の住むアパートの一室。
いつも通り誘われて来た白石が作った炒飯を卓袱台の上に置きながら、千歳は悶々とした気持ちでそれを凝視した。
「千歳ぇ? 食べるもん凝視するくらいなら食ってええで?」
「そういう意味やなか」
「そうなん?」
この、白石の手料理を食べられるのも、あと僅かなのか。本当にか。
「白石!」
「ん?」
反対側に座った白石は、やはりきょとんと首を傾げる。
「お前、ほんに俺はよかの!?」
「なにがや?」
「ドイツ」
「…千歳、お前なんやねん。三回も訊くことか?」
ちなみに間の一回は千歳が白石を部屋に誘った電話の途中で訊いた回数である。
今日は白石がドイツに行くと爆弾投下したその日だ。
「やって、…白石…俺と離れて…平気とか…?」
「平気とか言うなや。こっちも昨日今日で決めた安い話やないで?」
「ならいつ決めたと!?」
「そら屁理屈や千歳」
決めた日数は関係ない。とばっさり言われる。まあその通りなのだ。
白石は本当に決断が強い。はっきりしている。
そしてそれは間違ってない。いつも。
それが部長としてどれだけ部員を助けたか、自分を助けたか理解している。
その強さが、今、少し憎い。
「まあ、具体的に言うなら全国大会の最中やな(今は十一月)」
「やっぱり、…テニスで生きる甲斐とか指針的なもん見つけたから…?」
出会った強豪校の選手に刺激された可能性も低くない。
「つか、…」
白石が不意に、ふ、と暗い溜息を吐く。
千歳がそれにびくりと反応した。わからないが、なにか矛先が自分を向いている気がする。
なにかしたか?全国大会中にしたことなんて、負けたくらいしか。
「誰かさんが決勝行きのかかった試合前に退部届けだしやがったやん?
あれで、『あー俺いつか捨てられんのか。やったらいっそプロになるんここらで決めとくかぁ』って思てな?」
百%俺の所為デスか…!!!!?
「し、白石っあれは勢いばい! 俺はほんにお前を捨てる気は一生なかよ!
やけん、思い直し…!」
「千歳?」
ぎろり、と綺麗な迫力のある目で睨まれ、千歳も身を竦ませた。
「人生、『勢い』で片づくことと、片づかんことがあんねん…。
お前、あの時期の退部届けが片づくことやって思うんや……?
そう思ってんなら、三日も卒業式までもいらん。
…今すぐ別れよか?」
言うが否やさっと立ち上がって着ていたエプロンを脱ぐ白石(帰る気満々)を千歳は慌てて青ざめて足にしがみついて引き留めた。
「すんません! ほんにすんません片づくとは思っとらんばってんあれは勢いの他になかとです…!」
「…ふぅん?」
「……、白石、頼む」
「なにを?」
未だ低い声で脱いだエプロンを手で遊んで自分を見下ろす白石は、怖い。
素直に怖い、というのと、一つでも選択を誤ったら本気で今すぐ捨てられるという恐怖。
「俺は白石がおらんと明日すら生きられんたい!
ばってん捨てんでくれ!!」
「……」
必死の告白に、白石はきょとん、と目を瞬かせたあと、にっこりと菩薩のように微笑んだ。
「証明は?」
「へ?」
「その証拠は?」
「…―――――――――――――!(証拠を見せんと本気で捨てられる!)
すすすすすす」
「す?」
「頭剃ればよか!?」(真顔)(足にしがみついたままの大男)
「っ!!!!」
「しらいし…?」
口元を押さえて肩を振るわせ始めた白石を、千歳が不安そうに見上げる。
(アカン…! 197(この間伸びた言ってた)センチの大男が…「頭ハゲにすればよか?」はないやろ…!? お前どんだけ腰低いん!? 親に怒られた子供か…!? 浮気現場押さえられた亭主か!?)
ちなみに千歳は「ハゲ」とは言っていない。
しかし、ここでSの手を緩めてはつまらない。
白石は笑みを必死に殺すと、常の美貌に出来るだけ怜悧な笑みを浮かべて振り返った。
「下♪」
「し…?」
「剃るんが下の毛やったら頷いてもええで?」
「…!」
背後にイナズマフラッシュでも光ったような顔で千歳が固まった。
「…………」
流石に苛めすぎたか?と不安になった白石を前に、我に返った千歳が断腸の思いを決めるような顔で。
「……そ、それでほんに捨てられんで済むなら……るばい。
どうせ、見るヤツ白石しかおらんし…」
今のは、言った。
かなり小さい声だが、剃ると言った。
思わず鼻を押さえた白石を、千歳が不安げに見上げる。
再度振り返った白石が、にこりと微笑んだ。
「うん、わかった。本気はようわかった。
別に剃らんでええし。わかったから」
「ほ、ほんに…?」
「うん。ちゅーことで今日は帰るな」
「は!?」
「あ、平気や千歳。お前が別れるて言わない限り、俺はお前を捨てへんから、安心し?」
「白石!」
咄嗟に立ち上がって追いかけた千歳を笑うように、ばたんと閉まったドアを開けたそこには白石は既にいなかった。
十一月の寒い風邪が無情に千歳を撫でる。
(…俺、泣いてよかかな……)
そんな千歳を、千歳の住むアパートの隣のアパートの窓から眺める男が二人。
「……んー………っ。絶頂……!
…千歳、お前可愛すぎや…! なに、その捨てられた大型犬みたいな顔…!」
一人危なく打ち震える白石を、部屋にあげた男(その部屋の住人)が馴れた様子で眺めた。
「白石ちゃん。相変わらずやけど、若干昔より変態っちゅーかSッ気強なった?」
「千歳が悪いんですわ…。んー……あー…でも、あんまり苛めたると可哀想やしな…」
「よくやるなぁ…。そもそもの『ドイツ留学』自体が嘘なんやろ?」
「話を先生にもろたんはホンマですよ? 美鳥先輩」
「白石ちゃんって性格、一回踏み外したら絶対すっごい悪いって俺、昔当時の三年と結構本気で語ったんやけど、マジやったなぁ…」
「千歳が悪いんですわ。
はぁ…っ。ホンマは退部届けのことなんかもうさっぱり気にしてへんけど、あそこでネタに使えるとは…千歳、お前ナイス墓穴堀り…!
あそこまで後悔することを勢いでやるなんて…なんてアホの子…!
かわいすぎや…!」
ひたすら悶える後輩(白石)を淡々を見遣って、部屋の住人は馴れた様子で「この子もスレたなー」と他人事として思う。
「しかも、下の毛剃るんがええんかお前…どんだけ俺がええん…!?
俺、めっさ愛されてるわぁ…」
「白石ちゃん、それ、実感するシチュエーションが激しく違うわ。
普通、シナリオ考えてそこ実感する人おらへんから」
「俺は普通に自信家です」
「うん、知っとる」
あくまで先輩(と他人事)の余裕で流した先輩に、にこりと笑って白石はようやく快感に潤んだ顔を元に戻した。
「すんません先輩。部屋来てええですかなんていきなり。
せやけど、千歳。美鳥先輩んこと知らんかったし」
「俺は去年の副部長やからね。三年から来た千歳くんは知らないわな」
部屋の住人の美鳥は去年白石を補佐した先輩副部長で、テニス部OB。
彼の言う当時の三年、は白石を「それはいい!」と部長にしたノリのいい当時の三年部員のことだ。当時から白石の品行方正ぶりに、若干のSっ気を察知したのかそういうことをたまに語り合っていたらしい。
「ほな、俺そろそろ帰りますわ。千歳ももう外探さんやろし」
「はーい、気ぃつけてな白石ちゃん。
あ、そういや白石ちゃんの留学は嘘やったわけやけど、謙也の『東京受験』はホンマなんや?」
「謙也、俺と違って優しいんで嘘ちゃいますね。
多分、本気で。せやけど、従兄弟以外にちゃんと理由あるんやないですか?」
「そやな。ほな、おやすみ」
「はーい」
礼儀正しく頭を下げて部屋から出ていった後輩を見送って、美鳥はひっそりと、
「……いやしかし、ホンマに踏み外したなぁ…白石ちゃんは」
お兄さん、出来れば真面目なまんま高校に来て欲しかった。
と、少し嘆いてみせた。
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