暗闇の中、



ずっと、



抱きしめていて。





醜悪姫−


征服ごっこU









 前編【冷たい指を】







 それは十一月。文化祭・木下籐吉郎祭の準備が差し迫ったある日の、HR。
「ほな、うちの組は喫茶店に決定で!」
 三年四組の黒板に描かれた文字は「私服喫茶」。
 なんでも普通の喫茶店は論外。メイド喫茶・執事喫茶という有り触れたものをやるよりは、と委員長が言い出したのがこれ。
 カジュアルな服装には統一するが、基本私服姿で接客。女子はスカート丈もミニからロングまで自由で幅を作り、男子も可愛い系からカッコイイ系まで自由選択。
 ぶっちゃけた理由は、クラスのメンバーが「大人っぽい服は似合わないんや!」な子や「可愛い系は身体が入らないし着たくない!」という子と男女合わせなくても、同じ服装に統一するには嫌がる生徒がどこかしらで出てしまう、という現状のため、こういう結果になったともいう。
 極論は、「メイドや執事やと、似合うヤツしかウェイター&ウェイトレスやれへんやんかずっこい!」である。
 それは本当に極論だとしても、無難にメイドや執事でやるよりは、面白いだろうとクラス全員が納得した。
「で、裏方…料理メインの奴らに器用な奴ら持っていかんとあかんな。
 料理をまず失敗しないやつ」
「確かに」
 窓際の一番後ろの席の小石川の意見に、委員長が頷く。
 器用で料理の得意なメンバーが手を挙げて、黒板に名前を書かれていく。
「あ、小石川……はどないする?」
 委員長は不意に手を止めて、クラス1の長身を振り返った。クラスメイトたちも皆小石川を見遣る。
「確かに…小石川は器用やし、料理もうまかったけど」
 調理実習で同じ班の男子が言うが、濁らせた言葉だ。
「小石川は裏方あかんやろ! 一番看板になりそうな美形やし、背ぇ高いし、なおかつ愛想がいい! 接客向き!」
「身長の割りに親しみやすいタイプやしね…。かつ、面の皮が厚い
 委員長が男子の言葉を受けて付け足した言葉に、小石川は苦笑した。
 確かに、我慢強い自覚はあるから、多少のトラブルなら切り抜ける自信はある。
 かつ、その辺はテニス部の副部長として鍛えられても来た。
「判断力と突発事態の対応能力は、裏方に回すには惜しいわ…」
 寮生仲間の中でも副寮長ポジションの頼られ、親しまれる位置付け。皆それを知っているので、裏方に回すのはもったいないという顔だ。
 なんといっても顔がいい、背が高い、というところもだろうが。

 結論として、小石川は表のウェイターに決まった。
 その後脱線したりもした会議は、ある場所で「お決まり」の話題になった。
 最近の文化祭なら、どこの学校もやる、「女装」である。

「三人はやってもらうで女装!」
 委員長の矛先を向けられた、ウェイターに決まった男子が「げ」と顔を引きつらせる。強制的に全員「女装」ならまだマシなものを、「三人」だけ。
 嫌がるのは当たり前だ。
「ガンバレ、お前ら」
 そう彼らを激励した人間に、彼らはあからさまに「ずっこい!」と食ってかかった。
 激励した人物は小石川だ。
「えー、やって、俺くらい体格ようて身長あったら圏外やろー? 女装は」
「そうやけど!」
「ガンバレ。圏内」
「小石川っ…こないな時はむかつくっ!」
 体格と身長から「女装は圏外」と判断される小石川は対岸の火事だ。
 クラスメイトも、いくら顔がよくとも小石川の体格では女装は気持ち悪いだけということはわかっているらしく、ムキになっても反論は出来ない。
 しかし、女子委員長は考え込んだ後、小石川の傍に近寄って上から、座ったままの小石川の顔を見遣って、頷いた。
「いや……案外イケるかも」
「はあっ!?」
 これには全員驚いたが、一番驚いたのは安心していた小石川当人。
「いやいやいや、女装っていったらスカート、は安易よ君たち。
 …うん、小石川は実際素材がええもの。顔整っとるし、肌汚れとらんし、痩せすぎ太すぎでもない。よし、小石川、あんた内一名な」
「えぇっ!? ちょ、」
「やから、スカート履けって言うてない。女装やない。服は男物」
「……そうなん?」
 委員長は慌てる小石川の肩を叩いて、うん、と力強く頷いた。
 委員長である女子とはつき合いが長い小石川だ。クラスも大概同じで、小学校も一緒。人を謀る人間ではない。
「なら、ええか…」
 「そこ」は大丈夫と判断したのか、小石川が降参の声をあげた。委員長はよし、と手を打つ。委員長の思惑を知らない男子たちだけが、小石川に今度は同情的な視線を寄越した。







「あ」
 その日は、文化祭の会議でHRの終わりはクラス毎にばらつきがあったし、四組と二組は特に熱心に論議していたらしく、石田はメールで小石川に、帰れるかを伺ったあと、まだ無理という返事を見てから先に帰った。
 小石川が寮に帰宅したのは、午後の五時。
「随分白熱しとったんやな」
「まあな……」
 小石川も石田も委員長ではないが、なにかと中心になる人物だ。小石川は親しみやすさで、石田は人格と信頼から。
「師範とこは? 五組はなにすんの」
 小石川は制服のシャツに手をかけ、ボタンを外しながら訊いた。
「あ、訊いたらあかんなら…」
「いや平気や。うちは特別教室使うて甘味茶屋はどうかってので決まった」
「あー、師範っぽい」
「なにも儂が言うたわけやないぞ?」
 石田が苦笑して付け足すと、小石川はわかっとると言いながら笑う。
 シャツを腕から抜き取りながら、「存在が」と言う。
「師範、確かに俺や謙也みたく絡んでくタイプやないけど、存在感があるゆうか…。
 …柱っぽいねんな。クラスの」
 右端の、小石川の寝台の横のクローゼットの扉に手をかけながらで、逆側の寝台に座る石田を、首を背後にひねる形で振り返りながら、小石川は楽しそうだ。その中に、嬉しそうな、慈愛のこもった色がある。
 それが、自分が『そういう存在として思われている』ことを嬉しく思っていてくれる意味だとわかるから、石田の頬は自然緩んだ。
「健二郎は?」
「え? 俺はどっちかゆーたら助さんちゃうの?」
「右腕か」
「いや、そないカッコつけた意味やない…」
 そうやろう、と頷いてやると、小石川は石田から顔を背けた。その耳が赤い。
 堪らなくなった。かつ、彼はまだ上半身が裸だ。
 立ち上がると、背後から抱きしめる。途端、腕の中で小石川は緊張した。
「……」
「で?」
「え?」
 この状況――――――今から襲いますみたいなシチュエーションで、まだなにか問われると思っていなかったのか、小石川が赤い顔で背後の石田を振り返った。
「健二郎のクラスは? なにやるんや」
「普通やで。喫茶店。ただ、私服らしいわ」
「そうなんか」
 それはめずらしいと、石田は思ったのでそう口にした。
「やろ? 香夜のヤツが敏腕やから」
 小石川が得意げに言った名前に、石田の手に力がこもった。
 西尾香夜の名前は聞いたことがある。小石川と白石と同じ小学校で、小石川とは小学校一年の時から現在まで合計七回同じクラスになった腐れ縁。家も近所だという。
 石田が知る限りでもさっぱりした姉御系で、男子に媚びたところはない。それを小石川も一種気に入っているのだろう。
 だが、彼が唯一名前を呼び捨てる女子。気にならないわけはない。
「あ、そういや師範。白石のクラスな」
 小石川が続ける前に、石田に顎を掴まれ、無理な姿勢で唇を合わされた。
「ん…んっ!」
「話は仕舞いや。…夕飯まで二時間ある」
「……え、あ……なに、ほんますんの?」
 キスに浮かされた顔で、小石川が潤んだ目を寄越す。声も絡んでいる。
「お前、誰の恋人や」
「……」
「お前は、誰の恋人や」
 唐突に訊かれて、それでも小石川は焦らされたような、欲に潤んだ瞳で石田を見上げる。
「…銀の」
 ちゃんと、「師範」ではなく名前で答えた小石川に、口の端をあげた石田は、身体を抱え上げるとまたキスを落とした。






「ふぁ…っ……」
 深夜に目が覚めた。
 あのあと、石田とシてから夕飯を食べて普通に寝たが、なんせかなり乱暴に求められたので、疲労も深く食べるものを食べたらどっと疲れて熟睡してしまった。
 普段、夢を見る浅い眠り型だが、今日は深く夢も見なかったので、中途半端に目が覚めた。今は朝の三時だ。
 今寝直すときつい。起きていよう、と小石川はリビングに向かう。
 リビングは事務室だけに明かりが灯っており、電気は落ちていた。事務室の蛍光灯が小窓から漏れて、そこだけが煌々と明るい。
 窓の外は暗い。今は十一月だ。
「あ、小石川くん? 起きちゃったん? めずらしい」
 事務室から顔を見せたスタッフの男性が、そう咎める意味ではなく言った。小石川は普段から朝までしっかり寝て、途中で起きてくることがない。夜更かしもしない。かつ、寝坊もない。そういう「模範生」として記憶されているため、スタッフからの心象は良い。
「はい。すみません」
「いや、かまへんよ。寒いやろ? 今暖房つけるから」
「ありがとうございます」
 小石川は微笑んで礼を言った。スタッフが事務室の方から暖房のスイッチを入れたので、天井のエアコンの窓から空気が流れ出す。
 夜更かしの常連ならなにか小言を言われる場面でも、小石川や白石、石田だとスタッフは好意的だ。やっぱり積み重ねか、と思う。

 ――――――――――そして、逆にこいつはものっそう心象が悪いはずや。

 と、小石川は今リビングに入ってきた長身を見上げてそう心の中で呟く。
 千歳だ。眠そうにしながら、小石川に気付いて「おはよ」と気の抜けた挨拶をした。
 小石川は挨拶を返してから、構うでなくテーブルの前の椅子に腰掛けた。スタッフは一度ちらりと見ただけで、なにも言わない。
 なるほど、「いつも」なわけか。
 千歳はそんな小石川の内心を知らず、向かいに腰掛けた。
「小石川、見えとうよ?」
 座った途端、そう切り出した千歳に、一瞬意味がわからなかったが、一瞬だけだ。小石川はいつも着る服より襟の空いたシャツから見える鎖骨を軽くいじって、「ああ」とだけ言った。
「師範?」
「他におったら師範が怖いわ」
「そやな。…めずらしかね。俺みたか」
 小石川は「一緒にすんな」と吐き捨てた。石田はキスマークなど普段残さない。自分を労っているからこそ。部活を引退してから、たまに残すようになったが、それも毎回自分に「つけてええか?」と丁寧に伺う。実際、最中なんか一杯一杯なのでなに訊かれても意味わからず頷いてしまうが、そんなとこまで石田が計算しているはずもない。本当に、一緒にするな。
「なんか、また嫉妬ばさせた?」
 千歳は顎を手に乗せ、肘をテーブルに突くと、驚くほど意地悪く微笑んだ。
 小石川はスタッフがこちらを見ていないのを確認してから、千歳にタメを張るくらい質の悪い笑みを浮かべる。
「予想通りな。方法は予測しとらんやろ」
「当たり前ばい。師範を操れんのは、お前くらい」
 千歳は背を椅子の背もたれに預けて、小石川の足をテーブルの下で軽く蹴った。
「操るて、人聞き悪い」
「事実やろ」
 千歳が自分を見る眼は、冷たい。呆れかえっても、失望してもいない。「そう見せている」だけの瞳だ。
「自分から、抱いてください言うほど、俺、おギョーギようないねん」
 くす、と笑みを零すと、千歳は「性悪」と最近馴れた言い方をした。
 少し前、千歳だけに、自分のこういう「顔」をばらした。
 千歳への信頼。彼は、自分を「裏切れない」という、確信で。
 千歳はこうみえて、他人の秘密を口外しない。誠実だ。
 そこもあるし、自分がレギュラーからけ落とした小石川に優しいトコに、つけ込んでもいる。
「なんて?」
「ほら、うちのクラスの西尾。あれの名前出しただけ。ま、その時わざと上半身裸やったけども」
「ああ…」
 千歳も西尾の名前は聞いたことがある。小石川との関係も。
 石田は知らないが、小石川が彼女を「香夜」と名前で呼ぶのは、本人への呼びかけと、石田の前だけ。他のところでは「西尾」だ。
 少し前に彼から訊いた。彼女を「香夜」と名前で呼びだしたのは、わざとだ、と。
 元々昔から「香夜」とは呼んでいたらしい。石田と付き合うときに、小石川の方から「西尾」に戻した。それを彼はわざわざ、また名前に変えた。
 石田に嫉妬させる――――――――自分を抱かせるためだけに。
 石田は、彼のこんな顔を知らない。
 小石川の行動は全て、無自覚で無意識に無防備だと信じ切っている。
「実際その『香夜ちゃん』とは?」
 千歳が茶化して呼ぶと、小石川は無表情に「よせよせ」と咎める。
「香夜は彼氏おんねんから。香夜に火の粉は飛ばすな」
 千歳は嘆息を吐いた。小石川は相手を利用しっぱなしで終わらない。
 きちんと尊重もして、相手に火の粉が飛ばない程度の利用。
 だから、千歳も咎められない。
「…いっそ、誰かにキスマークばつけてもろたらよかよ?」
「…」
「師範、壊れるくらい滅茶苦茶にしてくれっとやなか?」
 そう訊く千歳の顔は、自分でもわかるくらい冷めていた。自分の言葉にだ。
 対する小石川もそういう顔。まるで興味をそそられていない。
「俺、銀以外に身体許したないねん。キス一つでも。女抱く方であっても」
 そうきっぱり答えてから、小石川はまた意地悪に微笑んだ。
「それに、師範と自分傷付ける方法は、…論外」
 吐息だけで囁くような言葉。千歳は止めていた息を吐くと、「わかった」と降参した。そもそも最初から小石川の返事はわかりきっていた。彼は一途すぎるほど一途だ。
「すまんこつ訊いたな」
「師範にアヤまれ」
「言うたらまずか」
「心の中で」
「了解…」
 小石川が席を立つ。部屋に戻るわけではないようだ。ロビーの方に向かうから、多分自販機。自分も喉が渇いた、と千歳も追った。













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