死星

-SISEI NO MORI-






 



 世界の片隅、強固に張られた結界に守られた大きな、外からでは家どころか門壁の終わりすらわからない純日本風の門構え。その奥に守られた、大きな幾つもの屋敷を繋げて出来た大屋敷。
 そこはある一族の屋敷だ。一族全てがそこで暮らす。
 財前光がそこに来たのは、三十歳を越えた頃。
 自分が『人間』ではないと、知ってから。ほとんどの一族のものが、そうだという。

 死神。

 人間の魂を狩る、否、回収する役目を担う存在、死神の一族。
 死神は人として生まれ、やがて死なず、老いないことから社会から弾かれ、一族に拾われる。
 財前もそうで、三十を越えてなお少年のままの姿を忌まれた矢先、この一族に仲間として拾われた。
 今の生活に不満はない。死神と言っても殺すわけではない。既に死んだ死者の魂を回収するだけ。ここには同じ仲間しかいなくて、皆普通に自分に接してくれる。
 不満はなかった。

 そんなある日だ。

 財前と一緒に当番の庭掃除をしていた、数世代前の先輩の小石川が手を止めてそういえば、と言った。
「お前の一個、前の世代かな…」
「はぁ?」
「いや、そろそろ、大規模な仕事があるしな」
 小石川の言いたいこともわかった。
 死神には、死の多く発生する事象が少し前にわかる。それは死を読む一族だから当然だ。
「で、人間どもがなんかしてくるから、結界の強化とか、最悪、回収やのうて殺すかせんとアカンかもしれんって」
「っスね…」
 だが、人間にはそれはわからない話。彼らは死神が命を奪うから死ぬと考える。
 故に、屋敷は結界で守られる。それでも、回収のため屋敷から出た時に危険がないわけではなく。
 最悪の危険はない。死神に、寿命以外の死はないからだ。
 それでも邪魔は邪魔だ。魂の回収は、死神の仕事。最重要。故に。
「で、前の世代…?」
 死神が集まって、拾われてくる流れは世代と言っていい。
 古い世代が死に、次に古い若い世代が一族をまとめ、そしてそこに最も新しい世代が集まる。
 世代交代がある。財前は一番若い世代だ。
「そん中に、問題児がおってな」
「ああ。…確か、牢屋に自分から引きこもって出てこないっちゅー…」
 死神としての、己。世界、全てに脅えたという人。
 死神は、人として生まれる。
 だからこそ、自分が死神と知った時、それを受け入れられず拒絶し、脅える存在もたまに出てくる。
「丁度、話しとったんやったら都合ええわ」
 そう、笑いを多分に含んだ柔らかい声が屋敷の渡殿から響いた。
 端近の手すりに両手を乗せて、それに顎を乗せて、いつからか知らないが財前たちを見ていたらしい、銀のような髪の青年。
 翡翠の瞳が、財前を見て細められる。白い着物に赤い帯。肩に黒い着物を羽織った。
「あ…」
 あんた誰や、と訊こうとした財前の手を引っ張って、小石川はその場に傅いた。
 ぎょっとした財前の口を視線で封じて、小石川が矢継ぎ早に言った。
「ご当主! …いらっしゃったなら声をかけていただければ」
「堅苦しいなぁ」
 くすくすと笑った声。惹かれて視線を上げ、財前はこの人が、と思った。
 まだ年若い財前は会ったことがなかった。
 死神一族の、当主。
「当主を敬うのは当たり前のことです」
「…ま、そやな。で、そこの、光、くん?」
「は、はい!」
 初めて当主に呼ばれて、財前は傅いた姿勢のまま勢いよく返事をした。
「ちょお、頼みあるんやわ。ええかな」
「はい! なんなりと、当主様」
「うん、助かるわ。有り難う。
 実はな、さっき話の出てた、その問題児。
 キミにどうにかして欲しいねん」
「……その、牢屋から出てこーへん人、ですか?」
「うん。俺も前から気にしとってんけど、そろそろでかい仕事があるしな。
 そんな時に一人、引きこもってサボられたら困るし、この先もあのまんまやと困る。
 やから、どうにかあそこから引っ張りだして?」
「…はい。俺に、出来るなら」
「ん、ええ返事」と当主は微笑み、小石川に視線を向けた。
「なにか光が困ったら、いろいろ教えたって」
「はい」
「…他人行儀やな健二郎は。相変わらず」
「…ご当主に気安く名を呼べるのは、一人だけです。わかっていらっしゃるでしょう」
「…ま、それもそうや」
 少し身じろぎをした当主の背中から羽織っていた着物が落ちる。それをいつの間にか背後にいた黒い着物の男が拾い、その手を取った。
「蔵ノ介。もう寒くなってきた。部屋に戻りなっせ」
「…ん。わかった。ありがと、千歳」
 その男の手を取ると、当主は立ち上がり彼が拾った着物を再度羽織った。その肩を支えて、一緒に廊下の向こうに消えた長身の巨躯の男には、財前は一度だけ面識があった。
 今の当主の世話役の、千歳という男だ。
 世話役は、歴代、当主が当主を継いだ時に自分で選ぶ。その日から、『当主』以外の呼び名で呼んではいけない当主のただの名前を呼んでいいと許されるのは、世話役ただ一人。
「……噂、やなかったんですか?」
「え」
 急に財前に話を振られて、小石川は戸惑った顔をした。
 廊下の向こうから微かに、聞こえた咳の音。
「当主が、もう、長くないって話…」
「……ああ」
 理解して、小石川は頷いた。「俺らと同じ世代やし、当主は。寿命が、正直近いらしい」と。





「…蔵ノ介」
 当主の部屋に入ることを許されるのは、当主本人、そして世話役だけ。
 広い布団の上に腰を下ろしたその身体。背中を楽になるようさすってやりながら、クスリを喉に流し込む彼の、濡れた唇をそっと指で拭った。
「ん?」
 まだ落ち着かない呼吸で、それでも返事をする蔵ノ介に、千歳は緩くまた背中を撫でて、「無理せんとくばい」と言う。
「もう、外出るんも辛いんじゃなかね? 必要なら俺が言う。
 もうちょっと、自分を大事にしなっせ」
「…はは…っ」
 心底案じた自分の言葉に、蔵ノ介は急に楽しそうに笑い出した。すぐ、せき込んで続かなくなる。その背中をまた撫でてやると、少し楽になったような息。
「なにか、おもしろかったと?」
 千歳が気分も害さない口調で訊くと、うん、と掠れた声で頷いた。
「俺が当主になる前は、お前があんなんやったやろ? 問題児。
『謙也』より酷かったから、お前。それがまあ、おとなしくなってなぁ…」
「過去懐かしむ真似せんでくれ」
「なんで?」
「過去懐かしむんは死期が近い老人のするこつばい」
「近いやん」
 笑った声。他意はない。その細い肩を掴みそうになって、伸ばした千歳の手が、触れる前にきつく握りしめられて止まった。
「……まだ、…死なんよ。お前は」
「…それもそうや」
(もし、ここで)
 留めた手。その手で。

 もし、抱けるなら。もし、ここで。

(「死なせない」と、言えたなら。許されて、いたなら―――――――――――――)







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