死星の森 -SISEI NO MORI- ![]() 怯えた顔をして、振り返った。 金色の髪の、自分より年上の姿の人。 儚そうな、印象は、正直最初だけだった。 「待てやこら―――――――――――――!!!」 財前が、問題児こと忍足謙也の更正を任されて十日近く。 門から三番目の庭で響いた財前の声に、古株の死神たちが苦笑で「またか」と呟く。 人のいるところを見事に避けて突っ走る姿が、庭を抜ける道の前で止まった。というか、なにかにぶつかった。 彼―――謙也的には、なにか見えないが、壁がある。 「はんっ」 その隙に背後まで追いついた財前が中指を立てて黒く笑った。 「馬鹿にすんなや引きこもり。俺の前の世代やろうがあんたはずっと引きこもってた新米死神。 俺の方が死神の先輩や! あんたが知らん力はまだ山ほどあんで」 「あー、光がキレとる…」 遠目に見遣ってから、近寄った小石川がその、彼らしくなくテンションの高い財前の頭を軽く撫でた。 「あ」 「やっとんなぁ。つか最近の恒例行事か」 「このひと足だけは速いんすわ。でも他の能力と頭が馬鹿なんで」 「誰が馬鹿やストーカー!」 反応して食ってかかった謙也に、財前が「ああストーカーや悪いか!」と開き直る。 「大体俺は当主の許可得てストーカーしとんねん! ここでは当主が絶対! よってあんたに拒否権なしや諦めぇヒッキー!」 「光、光、お前キャラちゃうぞ」 「取り繕ったりローテンションで相手しとれんのです」 「まあそうやろうな…。この脱走魔は一体何回逃げてんのや?」 にしても、謙也が話している声なんか初めて聞いた、と小石川。 謙也は財前が、謙也に与えられた部屋に連れていってもすぐ、隙を見て牢屋に自ら逃げるらしく、何度も財前が連れ戻して引っ張り出して、それから逃げての繰り返しらしい。 「十日で100回っすわ」 「…え? それって」 「つまり、一日に十回は部屋に連れ出して牢屋に逃げてまた引っ張り出してを繰り返してます」 「……」 普通、どっちか片方が根負けして終わらないか? 三日目くらいで。 (いや、でも『謙也』は拾われてから千年近く誰に言われても、まあ引きこもり続けたわけで…根性はまあ、あるんか) 「駄目な方向の根性やけど…」 「はい?」 「いや」 しかし、それに現在張り合って、諦める様子が今のところない財前も相当だ。 (そういうんを見抜いて、蔵ノ介は…) 思いかけて、すぐ小石川は口元を押さえた。声に出したわけでもないのに。 しまった。心の中とはいえ、当主の名前を。 「やっとうねえ」 傍の渡殿を通りかかった千歳が唐突に言ったので、タイミングもあってびっくりした。 自分を見上げる小石川に気付いて、千歳は「ああ、ごめん」と謝る。庭にいる自分と渡殿に立っている千歳ではかなり頭の位置の差がある。元から彼は長身だが。 「千歳。お前、なにしとん?」 「ああ、薬ば取りに」 彼が当主の傍を離れるなんて余程だ。今は尚更。 「薬なら医師が持ってきてくれるやろ?」 当主には専門医が常についているし、部屋に医師の方が伺う筈だ。切らすこともないはず。 「…処方されとるんじゃ、間に合わんようになって」 「そないお悪いんか!?」 思わず叫んだ小石川に、千歳がしーっと指を立てて示した。気付いて声を潜める。 幸い、財前や他の死神も遠くて、また財前と謙也のやりとりに夢中で気付かない。 「悪いんはほんなこつ。ただ、倉の宝香がいるようになった。状態自体は、今日は調子よかね」 「…そうか」 宝香とは、部屋に焚きしめておく香のことで、呼吸の持続を強制で促す薬だ。 それが必要になったということは、呼吸が寝ている間、当主自身だけでは持続出来なくなったということで。いや、もしかしたら起きている時も危ないのかもしれない。 寿命の近い当主は、歴代も徐々に呼吸器官から衰えていったそうだ。 倉の鍵は、当主の世話役か当主にしか使えない。それで千歳が、と理解した。 「あん二人、」 「ん?」 「…はよう、仲良くなればよかのにね」 謙也と財前を見ていった千歳に、そうやなと頷きながら新鮮な心地にもなる。 白石が当主ではなかった頃、自分は彼を遠巻きに見たことしかなかった。 自分たちの世代の、問題児だった千歳。 「俺じゃ、遅か」 「え」 千歳は二人を見たまま、少しかがめていた身体を起こした。 「俺は、気付くんが遅すぎた…」 呟き、倉に向かう背中を小石川は追った。 二人の声が遠くなる。 「…」 追ってきた小石川に気付き、千歳は小さく笑う。自嘲だった。 「…俺は、ほんの少し前ばい。蔵ノ介を、大事にしたいってわかったんは」 「…」 「それからすぐ、あいつ、寿命がやばくなって…もっと、早く…若いうちに…わかっとれば、大事がってればよかった。俺じゃ、遅い」 謙也には、もっと早く気付いて欲しい。そう、彼は言う。 「千歳」 呼んで、それで、どうしようもない。自分だって、当主になる前の彼を大事がっていた。 今も。 「…助からんのか?」 わかっているのに、聞いてしまった。そんなわけない。寿命からは、逃れられない。 「死なせんよ」 けれど、あまりにはっきりと、強く否定した千歳に、胸が掴まれたような気持ちになる。でも、振り向いた彼の顔は辛そうで。 「…小石川には、言えっと」 「え?」 「蔵ノ介には、言えん。死なせないなんて。…言えなか」 「…なんで」 「…言えっと? …」 渡殿の終わりが見えて、千歳が軽い足取りで地面に降りた。先に、倉が見える。 振り返って、彼が泣きそうな顔をする。 「死なせない保証も、助けられる力も、なにもない。言葉だけだってわかる気休めを…あんたはあいつに言えっと?」 「……、言えんな」 すぐ首を左右に振って答えた小石川に、千歳は悲しげに笑う。 皮肉だ。こんな立場になって、初めて話せる。 彼の命が、僅かになってやっと。だから、千歳は悔やむのか。 宝香を取って戻る途中、まだ謙也と財前が言い合っている庭に面した端近に座っている当主を見つけた。 千歳の言うとおり、調子自体はいいのか二人を見て小さく笑っていた。 「蔵ノ介」 足音を立てず近寄って、傍にしゃがみ、千歳はその肩を支えた。気付いて当主は柔らかく微笑む。 「部屋、戻るばい」 「もうちょい」 「戻りなっせ」 「…少しだけ」 「蔵ノ介」 首を縦に振らない蔵ノ介に、千歳の語調がきつくなる。 「……見てたい。」 「蔵ノ介!」 「…今、部屋戻ったら、俺は多分、もう二度と庭にはでれへん」 小石川が初めて聞く、当主の弱音。千歳も、ひどく辛そうに顔を歪めたが、すぐ「少しだけたい」と身体に障らないよう、自分の羽織っていた着物を肩にかけて支えたから、多分彼は何度か聞いたのだ。当主が弱音を吐くのは、きっと、千歳にだけ。 胸を刹那、過ぎったあまりに薄暗い嫉妬に小石川が咄嗟に顔を背けた時、背後で咳と、千歳の悲鳴に似た声が聞こえた。 「蔵ノ介!?」 慌てて振り返る。千歳の腕の中、苦しげに呼吸をする当主の顔は青ざめていて、あの一瞬で急変するほど、やはりもう危ないのだと知った。 「宝香…、誰か火…」 遠くで、まだこちらに気付かない死神たちや、財前を呼ぼうとした小石川の着物が引っ張られた。掴んでいるのは、当主だ。 「当主!?」 「…っ……たら、あかん」 言ったらダメだ、と彼が言う。自分が苦しいのに。 「小石川、宝香持ってきて」 千歳が部屋に戻った方が早いと、当主を抱きかかえて渡殿を走り出した。 すぐ、薬を拾って後を追う。 千歳だって、わかっていた。いつ急変するかわからないくらい、危ないと。 それでも、我が儘を許したのは、愛情からだ。 焚きしめた香の中、やっと呼吸が安定したのか、緩やかに眠る身体を見遣って、それから千歳は部屋の戸の外に控えている小石川の方を向いた。 「落ち着いた。一応は」 「…そうか」 当主の部屋に入るわけにはいかない。 当主を看取ることを許されているのも、世話役と医師、そして後を継ぐ次期当主だけ。 自分は、彼の最期に立ち会えない。そして、見たくもなかった。 「ずっと、…もう最近、こんなんなんか?」 「…ずっと、小康状態ばい。よくもならんし、劇的に悪くもならん。 病気やなかけんね…。 …人間が認められるこつを…」 「え?」 「…なんでもない。…医師を呼んどいてくれっと?」 「…ああ」 すぐ頷いて立ち上がり、廊下に消えた小石川を見送り、千歳は障子を閉める。 眠る、幼いとすら思える横顔。 布団からはみ出た白い手を、そっと握った。 (人間が、認められるこつを…) なんで、自分たちはこんなにも悪く足掻くのか。 寿命は、老衰という言い方も出来る。 人間は、老衰は良い死に方として見送る。それを長引かせるという話は、そう聞かない。 病気なら、まだしも。 自分たちは、自分はそれが出来ない。 本人は、いいと、それがいいのだとそれを待つのに。 自分は、いつだって、認めたくない。 『もう二度と庭にはでれへん』 「…」 どうして、こんなに遅く気付いた。 何故、もっと早く、彼を大事に思わなかった。 彼が当主になる前が無理でも、世話役に選ばれてすぐ、わかっていたなら。 そんな無理難題を、臆面もなく思えるほど、追いつめられていると知っている。 (言えない) 「……こげん、言いたかのに…」 死なせないと、助けると、助けてみせると、言いたくて、言いたくて。 だから、言えない。 ただ、言いたいだけじゃない。気休めを言いたいわけじゃない。 助けられる確信が欲しい。助けられる保証が、力が欲しい。 助けたいんだ。気休めを言いたいんじゃない。助けたい。 生きていて、欲しい。 「…かまわんから、…生きて…生きて笑っててくれ……」 眠る手を強く、握りしめて願った。 涙に滲んだ声は、届かない。 ( 一年だって、構わない。だから、生き延びて。笑って生きていて ) そして、また寿命の日がきたら、同じことを願う。 また一年でもいいから生きて。そして、また、過ぎたらまた一年。 …生きて欲しいんだ。ずっと、ずっと。 本当は、もっとずっと、長く。 →NEXT |