死星

-SISEI NO MORI-






 



「千歳さん」
 財前がその日、当主の部屋にいる千歳を伺うと、彼はすぐ振り返って戸を開けてくれた。
「ありがとう」
「いえ、ついでですし」
 最近はずっと当主の部屋から出ない千歳に頼まれた書物。出ないというより、出られない。いつ状態が悪くなるか、いつ、それがもう危ない当主から離れられない。
 受け取るために立ち上がった千歳の背後を少し見て、財前は聞いた。「なにを調べてはるんですか?」と。そこには何冊もの書物が重なっている。
「ああ、返す暇がなかけん…溜まってしまう」
「返して置きましょうか? 頼まれた用事の時に、持って行きますよ」
「ああ、すまん。ありがとう」
 二冊ほど、財前の手に渡して返却を頼む千歳の手には、今財前が持ってきた数冊。
 どれも死神の史実に関わるものだ。
「…もしかして、当主を助けるため…?」
 千歳が、今、当主の傍にそれを持ち出してまで調べるようなことが見あたらない。
 千歳は財前に向けて苦く笑う。肯定だった。
「…見つかり、ました?」
 まだ見つかっていないから、自分が頼まれたとわかっているが、聞いた。千歳は曖昧に首を振る。
「そうですか…」
「ごめんな」
「いえ、…出来ることがあるなら、します。…あのひとは、まだどうにもならんし」
「そっか。まあ、どげんかなる思うと」
 随分、簡単に言うからつい聞いてしまった。千歳はあっけらかんと笑う。
「当主らの世代の問題児が俺やけんね」
「……そう、でしたか」
 自分のしる限りの千歳は、当主に心から尽くす世話役だ。問題児には、見えない。
 あまり戸を開けたまま、長居していい部屋ではない。財前はすぐ受け取った書物を抱えてその場を辞した。
 謙也はあれ以降、一応は脱走はしなくなった。財前のしつこさに、先に折れたのは謙也だった。
 牢屋にいてもどこにいても干渉する五月蠅いヤツがいる、と認識して、疲れるから一応与えられた部屋にはいる、というスタンス。
「…ざけんなや」
 廊下を戻りながら、そう呟いた。
 さっき、部屋を伺った時、当主は布団に横になったまま静かに眠っていて、声を殺して伺わなければ死んでいると誤解しそうな程、生気がない。
 ここ数日、財前が頼まれ物のついでに伺った限り、当主はずっと寝ている。起きている体力すらない、危ないと知る。小石川に聞いても同じだと聞いた。

「一応、起きてはいる。食べるものは食べてる。ただ、」

 小石川が言っていた。「ただ」の次に続く言葉は、聞かなくてもわかる。小石川にしたって、見たわけじゃない。ずっと部屋についている千歳から、そこはまだ大丈夫だと聞いただけ。
 それなのに、そんな当主も知らずに、まだへそを曲げたままのあの人。
(意地でも当主が亡くなる前に更正させたる!)
 そう胸中で叫んで、すぐ胸に落ちたものに足を止めた。

 亡くなる

 当主は、本当にこのまま死んでしまうのだろうか。

 小石川が、他の仲間が、千歳が。
 あんなに、死んで欲しくないと祈っているのに。

「…」

 当主は、それでいいのだろうか。




 ぱら、とページを読み解いていた時、傍で蔵ノ介が目を覚ます気配がした。
 千歳はすぐ書物を置いて、傍に腰を据える。
「……また、なんか調べとるん?」
 うっすらと開いた瞳。掠れた声が、千歳に向けられた。
「うん。ばってん、気にせんでよか」
「……そう」
 蔵ノ介はすぐ眠そうに、疲れたように瞼を降ろそうとしたが、瞬きに変えた後また千歳を見た。
「お前、まさか…俺のため?」
「………、」
 否定は、出来た。出来ても、無駄だと知っていた。当主の部屋に持ち込んでまで調べるようなこと。彼だってわかる。
「うん」
「…無駄なことしとんな」
「…無駄かどうか、わからんよ」
「無駄やろ」
 言葉に胸が痛んで、否定したけれど、また、他でもない本人に言われてしまう。
「…無駄か、決まってなかよ」
「無駄や」
 わからない。
「千歳?」
 蔵ノ介が横になったまま、見上げた先、泣きそうに自分を見下ろす顔がある。
「…」
 どうして、お前が否定する。
 他でもないお前が。
 お前に否定されたら、要らないと言われたら、どうしたらいい。
 そう、今にも叫びたい。でも、言えないと、そういう顔をしている。
「……お前の気持ちは、要る」
「蔵ノ介…」
「せやけど、史実でもう、寿命から助かった当主はおらんて俺は知ってんねん。
 助かった当主がおったなら、必ず史実に残る。俺は知ってる。
 せやから、無駄や。どこにもそんなものは、ない」
「……」
 千歳の喉が震えて、なにか音が零れたが声にはならない。蔵ノ介の手を掴んで、なにも言わない。その手は震えている。
「……千歳、それより、話があんねん」
 なんとか起きあがって、千歳を目で制して向き直る。千歳はなお心配そうに、肩に着物を羽織らせて、肩を抱いて支えた。
 蔵ノ介がその、握られたままの手を握り返すと、千歳は僅かに驚いた目をする。
 それに微笑んだ。
「…謙也を、光に頼んだわけ、わかるか?」
「…え? …この後の、仕事のためやなかと?」
「…正確には、一度大仕事を経験させたった方が、後々助かるって意味や」
「…」
「俺が死んだ後、当主を継がせる世代にいい力を持つヤツは、正直謙也くらいや。
 あいつに継がせようと思って、頼んでた」
 言葉を失う千歳に、悪戯を含んで笑いかける。
「問題児でもどないかなるっちゅうんは、お前でわかったしな」
「…ばってん」
 手がみっともなく震え出す。わかってる。助からないと、わかっているから探している。でも、そんなことを。
「助かるかもしれん。だけん、」
「どやってや」
「次の仕事で、狩る魂ば使えるかもしれん」
 それはあくまで、仮定の域を出ない。反魂という方法。だが、他者の魂が定着するのか。人間の魂が、死神の身体に入るのか。わからない。
 蔵ノ介はしばらくの沈黙のあと、笑った。馬鹿らしく。
「そんなん、試さんでもわかるわ。無駄や」
「そんなんっ」
「それは実行済みや」
「…え」
 あからさまにうろたえて、掠れた声を返した自分を真っ直ぐ、彼は見つめ返す。
「俺の前の当主の寿命の折りに、その世話役が実際試して、無駄だと立証されとる。
 …わかったか」
「……んな」
 一縷の望みのように見つけた方法を、無駄だと証明されたショックと、なにより本人がそう言い切ったことに衝撃を受ける。手を一層、強く握ると微かに痛そうに睨まれた。
「…蔵ノ介は、…平気とや?」
「なにがや」
「…死ぬこつは、…平気とか」
 口にして、すぐ残酷だと気付いた。すぐ後悔した。謝りたくなって、でも出来なかった。
 顔を見るのが、怖い。
「……話の続きや」
「…」
「謙也はどうも、すぐにはアカン。せやから、」
 何事もなかった顔で、話を戻した蔵ノ介に、安堵より例えようのない悲しさが渦巻いた。
 自分の死より、一族の話か。
「財前に任そうか、と思っとる。あいつは、経験の浅さ以外は文句がない」
「…それは、わかる。ばってん、やっぱり、」
 早すぎる。一番新しい世代から当主を選ぶのは、早い。
「それもわかっとる。やから、財前が育つまで…俺が死んでから、財前が育つまでの間、中継ぎを立てる」
「…中継ぎ」
 蔵ノ介はそこで、握られた手をまた、きつく握って千歳を見上げた。

「お前に、頼みたい」

 意味が、最初わからなかった。
 なにを? 誰に?
 そう硬直する千歳に、蔵ノ介は再度言った。
「お前に、中継ぎの当主を頼みたい」
「……、……」
 出来ないとすら、返せない。
 だって、お前が死んで、その後の当主がよりによって自分だなんて。
 それを、お前に言われてしまったらどうしたらいい。
「……、……」
 唇が青ざめたまま、震えて言葉に出来ない。
 ただ俯いた千歳を見上げて、蔵ノ介がそっと手を伸ばした。頬を撫でて、流れてはいない、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「…千歳は、涙脆くなったな」
「…」
 悪いか、と言えたらよかった。すぐ、そう言えたら。
 薄い肩。白い着物に包まれただけの、薄い身体。
 やつれ、やせ細った躯。

 思いを、遂げられる筈がない。





 独りにしないで。





「……どう、言ったら、満足やねん」
 千歳の顔から手を引っ込めて、そう零された。
「…?」
 初めてそこで、蔵ノ介の顔を見る。自分の涙にぼやけてしまって、慌てて涙を拭う。
 俯く顔をあげさせると、千歳が初めて見る、悲しげな顔がそこにあった。
「助かる方法が、ないてわかってて…お前が、健二郎らが悲しんでんのもわかってて。
 …俺まで『死にたない』て『怖い』て言うたかて……どうにもならん」
「…。蔵ノ介」
 千歳の身体に、ぎゅっと身を寄せて、千歳の胸元に頬をすり寄せた身体。震えている。
「俺かて、怖い。…死にたない。………死ぬんは怖い。
 ……心残りなんか、ようさんある…っ」
「…っ」
 腕の中で、初めて嘆いてくれた身体を抱きしめた。
「……」
 絶対、助けるなんて言えない。なのに、わかっていたのに。
「…助ける」
「……」
「…死なせんよ」
 涙に掠れた千歳の声に、蔵ノ介は笑った。涙で震えた声だった。
「……またそれは、…夢のような…慰めや」
「……うん」
 わかっている。保証もない、慰めとわかりきった、言葉。
 でも、言いたかった。
 少しでも、心だけでも、救いたかった。




 心残りがある。



 一つだけ、心残りがある。





 俺が死んで、お前は笑ってくれるのか。




 俺が死んでも、笑っていてくれるのか。






 それが、怖い。


 千歳。









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