死星

-SISEI NO MORI-






 



 じゃあ、あんたはなんでここにいるんだ、と聞いた。
 これですら、突破口がなかったら、俺はこの立場を返上したい。無理だけど。

 聞かれた時、謙也は背中を向けていたが、興味を初めて惹くことには成功したのか、くるっと財前を振り返った。
「おる?」
「…その前に、お前がなんで仁王立ちして待ってんのかツッコミたい」
「かまへんやろ」
「構うわ偉ぶって!」
「俺があんたに偉ぶってなにが悪い! 俺は…」
 続けようとして、財前はやめる。仁王立ちもやめて、傍に座った。
 隣の部屋から、先輩たちの笑い声がしたからだ。明らかに、俺達のやりとりに笑っている。
「……で?」
「……続行?」
「続行」
「………拾ってくれた人がおったから。みんなそうちゃうん?」
「…まあそうやけど」
 自分を拾ったのは、小石川だった。拾われてすぐ、ここに来た時に千歳に会った。
 穏やかな、眼をした人だと思った。問題児には、見えない。
「……そのひとは?」
「…最近、会っとらん」
「そもそも会わへんやろ。あんたあそこから出えへん」
「…会いに来てくれたんや。『外に来ないか』って、何度も」
「………」
 無言になった財前を、謙也が流れで見上げると彼は再び立ち上がっていた。
「で、最近来ないからって更にへこんでんのか。アホや。アホや。馬鹿や。ド馬鹿や」
「…はぁ!?」
「何回来てもあんたが出えへんなら、そらそのひとも呆れて来んなるわ!
 そのひとの所為にすんなや!」
「お、れは……」
「……?」
 謙也は、そう言って俯いた。伏し目になった瞳。髪が影になって落ちる。
 手で、自分の足に触れ、また離した。
「………嘘やて、思うやろうけど、説得力ないけど…あのひとが、あと一回、来てくれたら、…出てもいいって思った。あのひとがおるんなら、ええて。
 ……怖いやろ。外に出て、そんで、あのひとだけおらんかったら。…もし、いなくなってたら。死んでたら」
 それなら、知りたくない。だから出ない。
 実際、本気かなんて財前にはわからない。その場しのぎの嘘だとも思う。本気で。
 でも、謙也が怯えていることが、本心だとも、思う。本気で。
「……名前は?」
「…?」
「その死神の名前。流石に聞いたやろ。探して来る」
「え、ええ!」
「今生きとるかもしれんやろ!」
「………」
 一喝され、謙也はしおれたように俯いた。だが、少し顔を上げて、ぽつりと言う。
「漢字わかれへん。変わった名前や」
「あんたの名前も変わっとるわ」
「俺以上や! えー…銀髪の…『くらのすけ』ていう…っぶ!」
 説明途中で財前に、枕で顔を塞がれ、謙也がもがく。呻く彼の口を塞いだまま、財前は周囲を見渡した。隣の部屋からは、変わらない談笑。聞こえてはいないみたいだ。
「…」
 安堵の息を吐いた時に、手が緩んだのか自力で枕を取っ払った謙也が「なにさらす!」と食ってかかった。
「……まさか、ホンマに」
「でない」
 死んで、と言いかけた謙也に被せて否定した。
「死んでへん。……まだ」
「………、……? まだ?」
 喜びを浮かべて、すぐ、その顔のまま謙也は固まった。
「行けなくなったんは、しゃあない。当主になってまで、あんたのところには行けへん」
「……当主?」
「その名前は、後にも先にも一人だけや。今の、一族の当主。
 あんたを、俺に頼んだ人」
「………………」
「なら、出てええやろ? その人が、自分が来れない代わり、俺を寄越したんや。
 出て来いて……」
「…………………」
 それ以上、言いたくなかった。
 背中を謙也に向け、立ち上がる。
 廊下に出てすぐ、彼が珍しく追ってくることに気付いた。
「まだ、…て、なんや」
「………」
 黙っていても、いつか知る。いつか。
「……当主は、寿命で…後僅かの命やて…」
「……………」
 言葉を失い、手を握りしめた顔は、青い。けれど、自分だって。
 そこまで考えて、財前は廊下の向こうを見る。そこを歩いていくのは。
「…小石川先輩?」





「ああ、丁度よかった」
 部屋に顔を出した小石川を迎えたのは、千歳だった。
「どないした?」
「いや、少し、…蔵ノ介を見てて」
 言うが早いか、傍をすり抜けていった千歳を見送り、小石川は戸の傍に座る。
 今日は多少、状態がいいらしい。久しぶりに、起きている彼を見た。
「…どないしはったんです?」
「…ああ。俺が庭にでれへんから…、桜、咲いたんやて?」
「…ああ」
 千歳は枝でも、一本取りに行ったのだろう。すぐわかった。
(俺が行った方がええのに)
 その内心を読んだのか、蔵ノ介が静かに笑う。どこか、寂しさを滲ませて。
「…一回くらい、俺と話した方がええて、気遣いやろう。あれは」
「え?」
「俺とお前。なんだかんだで、話してへん」


『俺の世話役は千歳千里や』


 あの日から。結局ずるずると、一度も。二人では。
「……」
「俺も………」
 言いかけて、蔵ノ介は首を左右に振った。言ってもどうにもならないと。
「……健二郎?」
 顔を上げて、無言のままの彼を見た。無表情に近い、顔。だけど、どこかに、暗さがある。
「……そん、なん…ッ」
「…健二郎?」
「……」
「け」
 すっと、立ち上がって部屋に足を踏み入れた小石川に、蔵ノ介の方が慌てた。
 当主の部屋に、立ち入ってはいけないのだ。自分は構わない。だが。
「…―――――――――――――」
 戸惑う蔵ノ介の前に座り、小石川はその身体を抱きしめた。
 背中に回る腕に、蔵ノ介は目を見開いて、天井を見上げるしかない。
「……ほなら、なんで……言うてくれんかった」
「…けん」
「なんで、…一言、相談してくれんかった」
「……」
 身体を抱く、腕はあまりに痛くて、荒々しい。でも、逆に言えなくて。
 抱きしめ返すことも、出来ない。
「……俺は、……」
 背中を撫でる、手が震えている。いつからだろう。
 彼は、いつもそんな風に、自分を見ていた。手は、震えていた。ただ、ふれあえる距離にいなかっただけ。
「………………………………………」
「……健二郎」
「…………………」
 小石川のように言葉を失って、黙り込んだ。

『健二郎』

 好きや。…好きや。今も、昔も。…ずっと。


 お前だけが。




「………蔵ノ介」


 言うことは、許されない。
 だから、せめて、名前に乗せる。
 伝わって欲しいなんて、贅沢は言わない。夢を見ない。
 だから、せめて、願いに変わって欲しい。
「…すみませんでした。当主」
「…あ」
 離して、頭を下げてから、小石川は部屋を出た。
「……、」
「…忘れてください」
 なにも言えない。なんと言ったらいいかわからない。そんな顔を蔵ノ介はした。
 背中を向けて、戸を閉めてから傍に立つ巨躯を見上げた。
「他人のこと、取り持っとる場合かお前」
「……他人よか、蔵ノ介のこつばい」
「…そうか。…別になんもしとらんで」
「うん」
 わかっている。だから、許した。千歳の眼はそう語った。
 足を返し、その場を離れてから、廊下の角に立つ珍しい姿に気付く。
 財前と、謙也。
 笑って、指を立てた。
「今は、静かにしててやれ」と、「邪魔しないでやれ」。
 二人は一度俯き、頷いた。






 部屋に戻ってきた千歳の手にあった、桜の枝を受け取って軽く匂いを嗅ぐ。
「…少しするな」
「まあ、そらな」
「………」
 蔵ノ介にもわかった。あれは、千歳の計算のうちだ。
 顔を上げると、いつも通りの穏やかな顔があった。自分を見て微笑む、顔。


『ゆるして欲しい』


 自分に、言い続けた。言い聞かせ続けた。


「蔵ノ介?」
 その時、蔵ノ介がひどく、思い詰めた顔をしたから、千歳は傍に寄って、肩に触れた。
 動かない身体。でも、泣きそうに、千歳を見上げる。



 許してくれ。



「…蔵ノ介」



 呼ぶ、声。見つめる、瞳。



 許して。



 ダメだ。もう、無理だ。言うことを、聞いてくれない。



 許して欲しい。俺の心。


( もう、アカン )


「…蔵?」
 千歳の大きな胸にすがりつく身体に、千歳は驚いて、そのままにした。
 ぎゅうと、力の限りしがみつく身体は細くて、力がない。
「……嫌なら、突き放せ」
「…蔵ノ介?」
「…錯覚させんな。誤解させんなや。……もう、アカンねん」
 顔が見えない。自分の胸に押しつけられていて。でも、声が泣いている。
「蔵ノ介」
 手を掴んで、顔を離させた。頬を流れる涙は、初めて見るわけじゃない。
 なのに、千歳の胸を射抜いた。
「……っ……」
 手を離して、手首に口付け、後ろ頭に手を回して抱き寄せる。
 そして、唇に落としたキス。
「……ちとせ?」
「……俺だって、我慢出来んばい」
「……ち」
「思いを遂げたってよかや…? 蔵ノ介が許すなら…俺は」
 言葉には、していない。お互いに。
 けれど、重なった視線だけで、触れる手だけで、わかる。
「……千歳が、いい」
 俺は、お前がいい。健二郎じゃない。そう、決めた。
 口にした瞬間、もう一度キスが降りてくる。
 きつく抱きしめられる。健二郎のそれよりも、胸を刺す、痛さ。
 上回る、甘いうずきすら、悲しみに混ざっていく。
 背中に回った手が、着物の襟足を辿り、中に触れる。
 拒まなかった。最後まで求められるのなら、千歳がいい。今がいい。



 残酷すぎる。


 微笑む姿すら、甘いうずきに変わる。
 悲しむ姿は、もっと、自分を射抜いた。



 離したくない。放せるはずない。手に入ってしまったら。





 死なせたくない。

 出来ない。蔵ノ介。



 もう、離せない。死なせたり、出来ない。









 →NEXT