好きって言わない











 視線を逸らす、顔がいつだって、そこにあった。






「白石」
 放課後の廊下、呼ばれて振り返ると、そこにいたのは跡部。
 くい、と指で背後を指して彼は言う。いつもの偉そうで、本人は至って普通の態度で。
「集合な」
「ああ、了解」
 よし、と頷いて跡部は踵を返した。もちろん、白石とは逆方向に。
 寮に帰るのだろう。
 自分だってそうだ。一緒に行ってええ?と追いかけると「好きにしろ」と素っ気ないが、歓迎する調子の声。
「今日はなんの話すんの?」
 跡部の隣に並んで問いかけると、跡部は「手塚がな」と腰に手を当てて若干疲れた顔。
「手塚くん?」
「『来週は流星群らしいから、見ないか』だとよ」
「…手塚くんが」
 それは珍しいと、白石も跡部の様子に賛同しそうになる。
 いや、だが、何故疲れている?
「あいつがな、…張り切ると相乗効果で幸村と真田も張り切るんだよ…」
「ああ」
 なるほど。まとめ役の跡部が大変だ、という話か。

 高校に進学して、まだ一年。
 以前は敵同士だった自分たちの親睦会と称し、跡部や自分、元部長たちが集まって、その日の週末なにをするかを話し合う。
 話し合いが行われる時には誰かが集合をかける。今日は跡部らしい。
 なにをするか、は決まっていないが、とにかくテニス部全体の親睦会だ。
 今月は新入生が入ってきたから、また回数が増えるだろう。





「流星群て、流星群?」

 寮の部屋で、いきなり千歳がそう言った。同じ部屋にいた謙也と小石川が「は?」という顔をする。
「お前? なにアホ言うてん?」
「流星群は流星群以外の何でもないやろ」
 あからさまに馬鹿にしたような二人に、千歳はそういう意味じゃないと手を左右に振った。
「普通の流星群か、流星雨かって意味ばい」
「ああ」
「…りゅうせいう?」
 疑問符を浮かべたのは今度は謙也だけだった。小石川が「通常の流星群の倍の流星群を流星雨って言うんや」と説明した。
「ああ」
「どうやろ。この季節やし…。ノーマル流星群ちゃうん?」
「…ふうん」
「いきなりなんやねん」
 小石川に説明された謙也が、そもそもなにを言い出すんだ、と千歳に近寄った。
 ソファに座ったままの長身は怯えもしない。



「……言う前に、落ちるばい」



「…?」
 千歳は視線を、天井に向けてぼそっと呟いた。
「『好き』だけ三回連呼したら? 間に合うかもしれんで?」
 小石川が扉のノブに手をかけてから一言。謙也がそれに、内心納得した。
「……本人に言うたほうが、早いとしても……な?」
 意味深に言って小石川は部屋を後にした。ここは千歳と白石の部屋だ。
「…そやな。本人に言うた方が早いな」
「謙也、知っとうくせに」
 恨みがましい声が、非難する。視線を逸らしたまま。
「お前の好きは説得力がないんや」
 応援しておいて、真逆なことを言い出した謙也に、千歳は驚いて視線を向けた。
「お前、視線逸らすやんな?」
 謙也が真顔で、自分を見下ろした。立っている彼の視線は自分より高い。
「白石を好き言うとき、白石を見るとき、話すとき」
「……だ、けん」
「それで好き言う方があやしいわ」
 謙也は言うだけ言うと、千歳の胸ぐらを押してから、扉に向かった。出ていくのだろう。
「一回、目ぇ見て好き言うたら? その方が早い。神頼みよりな」
 声と同時に、扉が閉まる音がする。一人になる。わかってる、と呟く。



 好きで、好きでしかたない。白石。
 彼が好きで、離れたくなくて。
 同じ高校に来た。

 中学にいる間から、ずっと好きだった。




『千歳千里…くんやんな?』




 初めて話しかけられた時。中学二年の、大会会場。
 あの日から、恋いこがれて、眠れないほど愛しかった。
 なのに、臆病に、なっていた。言えなかった。

 彼が、視線を合わすように、出来なくて。

 視線を逸らす。







「―――――――――――――いし、白石?」
「…あ、」
 呼ばれていることに気付いて、白石ははた、と顔を上げた。
 幸村の部屋のソファの上に、足を乗せて座ったまま、ぼーっとしていたらしい。
「ごめん、なに?」
 その部屋にいる、跡部、幸村はわかっているのか、休憩しようかと言う。
 理解していないらしい真田と手塚が、疑問符を浮かべたが、あえて止めなかった。

 合計百人以上のメンバーの親睦会だ。毎回、細かな進行や手順をあらかじめ決めておく。
 そのための集まりでもあるが、多くは跡部を筆頭とした騒ぎたがり(?)のミーティングだ。
 どう高校生活を生かせるか、に余念がない。


「……白石が珍しいね、悩みごと」
 幸村が煎れてくれた紅茶を受け取り、曖昧に白石は笑う。
 悩み事、だが、今に始まったことじゃない。
「…千歳?」
 耳元で幸村に囁かれ、白石はびっくりしてすぐ、納得した。幸村だ。騙せるわけがない。
「……さすが神の子」
「あはは、それやめて? 話題選んで?」
 軽やかに笑って幸村は「テニスでなら上等な名前だけどね」と言う。
「俺はオールラウンドやで?」
 聖書言われるんは、と言うと幸村が更に笑った。
「変なあだ名は流れるの早いよねー。今のとこ、跡部と白石が一番目立ってるんだな」
「なんで」
「試合中に『絶頂』て言ったら記憶に残るだろ」
「…変かなぁ」
「おかしいおかしくないで判断したら100でおかしいんだけどね」
 幸村は笑顔で身内らしく貶したあと、それはともかく、と話を自ら変えた。
「千歳が最近また新しいプレイにはまったの?」
「そもそも付き合ってねえよ」
「放置プレイに飽きたのかな? なに、今度は?」
 跡部のツッコミを無視して、幸村は笑顔で追求した。跡部も気にしていない。
「…いや、相変わらず…放置」
「真似るな白石」
 また跡部からツッコミが入る。真似てへん、と返した。
「……やけど、たまに、近づいて…肩とか、手……」
「愛撫するの?」
 幸村の直接的な言葉に、真田と白石が紅茶を噴いた。わあ、と幸村が驚く。
「ハモるなよ真田」
「は……もってなどいない」
 それハモるって言わないと跡部が言うが幸村は気にしない。だって、下心あって触るなら、愛撫でしょう、と重ねる。白石はどう答えたらいいかわからない。
「…千歳は、なんなんやろう」
「白石を好きなのは確実なんだよね?」
「うん。そこは」
 白石自身が断言出来る。跡部達もだろう。
 千歳の態度や言動、全てあらゆる人間が側面を見て照らせば、白石が好き以外のなんでもない。
「…最初、恥ずかしいんか視線逸らして…最近触れてきて」
「なにが不安?」
「……そのうちいきなり押し倒されんのかな、て」
 白石が恥ずかしそうに顔を背けて言うと、幸村が爆笑した。他のメンバーは堪えている。手塚はわかっているのに、無表情で、真田は赤い。
「多分押し倒されたら、もう最後までヤるよ千歳は。
 だって歩く十八禁の看板背負った男」
「その間違った認定やめてや幸村くん……」
「じゃあ、ぶっちゃけどうされたいんだよお前」
 跡部が手元の紙を見遣ったまま、やけにきつく問いかけた。
 心配されている。
「……されてもかまへん。したいし。
 ただ、…好き言われたい、だけやな」
「…まあ、普通そうだ」
 黙ったままだった手塚が冷静に言った。そうだよね、と幸村の声。

 好きだと言われたい。
 視線で、態度で、わかるのに。

 言葉がないと寂しい。







 ミーティングが終わったあと、自室に戻る前に白石は思いだして自販機に寄った。
 部屋にもう飲み物がなかった。
 財布をとりだし、小銭を自販機にいれる。
「白石」
 ボタンを押す前に背後から自分を呼んだ声に、白石は飲み物など忘れて振り返ってしまった。千歳がいる。
 視線を相変わらず逸らしたままだ。
「なに」
 部屋が同じなのに、わざわざ。期待していいのだろうか。千歳の頬は赤い。
「…おれ」
「うん」
 何度も口を開いては閉じて、千歳はばっと顔を上げると白石の傍に早足で近寄った。
 あまりに猛スピードで近寄るから、白石は思わず逃げるように背後に下がった。逃がすまいと千歳の腕が白石の肩を掴む。
「……聞いたら、信じてくれっとや?」
「……言うたら、やないの?」
「……、……俺が、好きかって」
「…」
 なんだろう、それ。
 聞いているのはこっちなのに。
 なんでこっちが譲るような真似。
 好きか知りたいのは、こっちだ。
 拗ねたように、黙ってそっぽを向くと誤解したのか千歳の手が強く肩に食い込む。
「白石?」
「…」
「こっち、向いて」
「…嫌や」
 ムキになって、更に顔を背けると、ぐいと伸びた腕に顎を掴まれた。そのまま背中に手を回されて抱き上げられ、背後の自販機に押しつけられる。
 瞬間、唇がぶつかるようにキスを仕掛けてきた。

(ほんまに、好きて、…言葉なし……)

 でも、少し、嬉しいなんて思うのは、Mだろうか。
「…ち、とせ」
「俺は白石んこつ、…―――――――――――――」
 熱っぽい千歳の眼は雄の欲をそのまま映していた。その眼で見られると、身体が熱くなる。前からそんな眼で、遠くから人を見ていた癖に、今更嫌いとか言われても信じられない。
 そんなあからさまに、人を欲しがっておいて。

「す」

 千歳がやっとその言葉を口にしようとした瞬間、白石の背後でがこん!という落下音が二回続いた。
「……がこん?」
 茫然と呟いた白石は続く音で我に返る。軽快で陳腐なメロディと劣化した声が「はずれ〜!」と告げる。自販機だ。そういえばお金をいれたまま放置していた。
「千歳っおろせっ!」
「え、あ、はい」
 白石の剣幕に思わず手を離してしまい、千歳は自分の頭を掻いた。
 告白の邪魔が、自販機、と呟く。
「…あ、よかった。コーヒーや…」
 間違って買ったものが汁粉とかだったらとんでもないが、幸いコーヒーだった。もう一個は紅茶。
 手にとってから、千歳に飲むか?とコーヒーの方を渡す。千歳は素直に受け取った。手がその一瞬ふれあって、さっきを思い出す。
 千歳の手が缶ごと、白石の手を掴んで引っ張り、抱きしめた。

 見上げると顔が赤い。

 まあ、いいか。わかりきっているし、キスはしたし。

 という、気分になる。
「もう視線逸らすなや?」
「うん」
「……千歳」
「ん?」
「……大好き」
「…………」
 千歳の胸元に顔を埋めたまま告げると、千歳は真っ赤になって黙った。
 まだ、言えないらしい。
「でかい身体して、…お前って」
「……ほっと……かんでください」
「はいはい」
 ほっとけを即座に言い換えた千歳の身体を抱きしめて、くすくすと笑った。
 今は、まあいいか、と思ってしまう。ああ、やっぱり惚れると負けるんだな。







「はあ? お前、結局好き言われなかったのかよ?」
「うん」
「千歳は馬鹿だ。アホだ。男じゃねえな」
「……」
 その日の夜、跡部の言葉に白石は反論しなかった。事実だとも思ったので。













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