俺は、週に三日、黒い服を選ぶ。 シャツから、ズボンまで黒で統一して、大学に行く。 彼が、一発で俺を見つけられるように。 「千歳!」 俺の思惑通り、俺を簡単に、朝の喧噪の中から見つけだした白石が駆け寄ってくる。 「おはよう、蔵」 「おはよう。千歳」 これが、週に三日の日課。 白石は、週に三日、薄い色味の服を選ぶ。 シャツやパーカー、ジャケットは薄い色で統一する。 俺が、一発で自分を見つけられるように。 「蔵、今日の弁当なに?」 「卵焼きいれたで」 「ほんなこつ?」 俺は、彼に名前を呼ばれてすぐ、彼の居場所が分かる。彼の思惑通り。 俺達は同じ大学に通うにあたり、部屋を二人で借りた。 毎日一緒にご飯を食べて、一緒に寝る。 そんな俺達が、朝一緒に来れないのは、週に三日。 俺が朝早くに、バイトをする日。 週に三日、俺は朝の二時から朝の八時までのバイトで働いている。 経済的な事情だ。 妹も高校生になり、実家のやりくりはあまり羽振りのいいものではない。 学費から生活費まで全て親が負担してくれるが、それ以外の小遣いは自分で稼ぐ必要がある。 そして、俺はある目標があった。 だから、朝早いバイトを始めた。 その日は、バイトが終わった後、家に帰る暇がない。 だからそのまま、大学に行く。 そこで、白石と落ち合う。 だから、白石がすぐ、俺を構内で見つけられるように、黒い服を着る。 白石も、自分を俺が早く見つけるように、薄い色の服を着る。 俺と彼の、暗黙の了解。 「千歳! で、結局のところは?」 大学で比較的よくつるむ、ノリがよく、悪い人種ではないグループのメンバーが一講目のあと、肩を組んできた。 白石は、違う講義でいない。 「なんね?」 「白石とお前、結局なんなん?」 またか。 食堂の隣の、学生待合所は、煙草の煙でいつでもけむたい。 変哲のないテーブルと椅子と、自販機が置いてあるだけの広い場所。 食堂は禁煙だから、煙草が吸いたいヤツは、弁当を持参してこちらで食べる。 白石が煙草が嫌いなので、俺は食堂で、白石の作った弁当を食べるが。 「賭けとんねん。答えを」 「俺と蔵のこつ、賭けにすっとは、よか身分ばいね…?」 「うお! 千歳! いだっ!」 肩を抱いていた同期生の頭にアイアンクローをしかける。もがく彼から手を離すと、懲りずに見上げてきた。 どうしようかと、迷う。話す気なんかない。 彼らだって、まさか「付き合ってるから」と本気で言われたら……。 (困るとやろか?) 困る、奴らではないと思う。気のいい奴らばかりだ。 びっくりしても、納得してくれると思う。 中学生時代、小春たちに笑ってつっこんでいた仲間みたいに。 「番犬やな」 割り込んだ声は、この待合所が大嫌いな俺の恋人。 「白石」 「こいつ、でかいやろ? 最適な番犬や」 傍に立って、白石は千歳の身体を殊更優しく撫でる。 「番犬? 確かにぽいっけど」 「でかいし、力強いし、喧嘩強いし、大抵は見た目で逃げる! んー…最高や。 俺が一人暮らしを親に反対されてな? でも、千歳のこと言ったら『千歳くんみたいな大きい子が一緒なら』って賛成もろたん」 「あー、そうなんや」 「へぇ」 次々に納得する仲間たちの声を余所に、自分はといえば悲しい。 白石がその場を凌ぐために吐いた嘘だとわかっていても、悲しい。 「白石。首んとこ、虫さされ?」 「ああ」 仲間の一人の声に、見下ろすと白石のシャツから覗く首筋に赤い痕。 自分が昨日、つけたものだ。 「最近、うるさくなってきたもんなぁ」 「な」 「そやなぁ。よう刺されるわ」 さりげなくそこを指で掻いていう白石から目を背けた。わかっていても痛い。 自分の度量が狭いだけだと知っていても。 「あ、知っとる? 普通の蚊って、A型の血が大好きなんやて」 白石が何気なく、本当に何気なくそう言った。 「そうなん?」 「そうそう。虫除けスプレーして、厚着しとっても、傍に半袖半ズボンのなにもしとらん他の血液型の人間がおっても、蚊はわざわざ完全防備のA型のとこ行くんよ」 「へー。道理で」 「千歳、A型やん? よう刺されるんか?」 「普通の蚊にはな」 「…普通?」 首を傾げた仲間に、白石は自分の首筋を指して、にこやかに笑う。 「俺は飼っとんねん。その蚊。でかぁて、B型の俺が好きでよう刺すから」 「……」 俺が流石にびっくりして、白石を見下ろすと、白石はしてやったという笑顔。 「な? 千歳?」 「……」 周囲のなんとも言えない間すら、面白くなって俺は笑った。つられるように。 「そん言い方はひどかね。せめて、番犬の方がマシばい」 「アホ。犬は行儀がなっとんねん」 「…なっとらん?」 「思い切り」 次は同じ講義だから、行こうと白石に促されて待合所を後にした。 白石が出ていく寸前、仲間を振り返って悪戯っぽくあかんべをする。 仲間達が見送って、参った、と笑うのが見えた。 「ただいまー」 「ただいま」 やっと家であるアパートの一室に帰宅して、玄関で揃って言う。 もちろん、お互いに。 「蔵ー」 「こら、ひっつくな。靴が脱げん」 「充電ばい」 「アホ」 背中に体重を乗せて、抱きついて白石の匂いを嗅いでいると、白石に額をこづかれて引き剥がされた。 名残惜しくなって、ふてくされると、白石が伸び上がって唇にキスをくれる。 「部屋でしろや。ベッドの上がエエ」 「…うん」 そう微笑んで言われた瞬間、俺はきっとひどく、甘く溶けた顔で笑って頷いた。 バイトの日は、自宅に帰ると俺はくたくたで、いつも寝台の上で白石を抱えてひたすら過ごす。 前日に、大抵白石を抱くため、白石もしんどいといえばしんどいのだが。 「お前、そんくらい、親御さんが負担するて言うてんのに」 「そこまで迷惑かけられんよ。俺は目のことで金ば沢山かけたけん」 そう言いながら、痕の上からなぞるように何度も首筋にキスを落とすと、ぴくりと反応しながら、白石は吐息を吐いて俺の髪を撫でた。 「お前の所為やないのに」 「それはそうやけん…」 「誰も悪ないのにな」 「まあしょんなか」 彼は優しい。 事情を知れば、大抵みな、相手を悪く言うのに、白石はそう言ってくれる。 彼は笑う。 「そのおかげで、お前に会えた」と。 非道いとさえ思える言葉は、俺にとっては甘い媚薬だ。 何度もキスをして、頬にも、額にも落とすと、白石に顔を手で包まれ、「口にしろ」と強請られる。 答えて、そこに触れた。 バイトの大抵の理由は、「教習所のための費用稼ぎ」だ。 妹の学費で大変な両親に、そこまで負担はかけられない。 特に、右目が悪く、多く時間を必要とするだろう。余計に。 だから、自分で稼ぐと言った。 朝早いバイトは、金額が高い。 でも、白石に告げていない、理由も、一つ。 その日は、バイトが休みだったが、俺はバイトに行くふりで早く家を出た。 二十四時間営業のファミレスで時間を潰し、開店時間を待ってから入る。 目当てを購入後、別の場所に向かった。 その日は、講義の一時間目が休みで、それを狙ってバイトに休みを入れた。 そうしないと、聡い白石は気付くか、理由を問いつめる。 「あれ、千歳」 そこで俺を呼んだ声に、一瞬びっくりしたあと、白石でないことに安堵した。 「なんね。謙也」 同じ大学に進学した謙也だ。 「どげんしたと? こげんとこに」 「お前もな。俺は必要なもんがあって」 「あー、面接先に出すヤツ?」 「そう」 「ご苦労さん」 「千歳は?」と屈託なく聞かれて、仕舞うところだったそれを見せる。 謙也は、理解したあと、「出来るん?」と聞いた。 「こういうんは、気持ちばい」 彼は、なるほどと笑う。 その日は、昼で大学が終わりだった。 白石と、外に出てるついでに、と喫茶店に寄った。 馴染みがないのに、馴染みを感じる特有のメロディが流れる店内の、奥の方に座る。 「千歳。宿題、いくつ出た?」 「俺は二つ」 「俺はまだ一個やな」 「そのうち増えるばい」 夏休みが近づくと、課題の量は一気に増える。 二人とも、コーヒーと軽食を頼んでメニューを下げた。 「蔵」 「ん?」 「これ」 今朝買ったばかりの包みを、白石の前に置く。 小さなそれに、白石はきょとんとした。 「これは?」 「まあ、見ればわかったい」 「……」 白石はいぶかりながらも、包みをそっと開ける。 そこには、海をイメージした丸い球体の中に入った、一つの指輪。 「……指輪かな、となんとなくわかったんやけど」 「わかっとった?」 「なんとなくな」 白石は球体を指でつつく。手の平ほどの大きさ。 「ただ、これ、出せへんのとちゃう?」 青い、向こう側が見える透けた球体に、見たところ蓋はない。 指輪は出せない。 「それ、壊して出すとよ」 「え? もったいないやん。なんのためのこれ?」 あからさまにぎょっとした白石に、俺は笑って手を軽く振った。まじないみたいに。 「ほら、エンゲージリングとか、もらってプロポーズ。 でも、そのプロポーズを受けるか受けないか、選択肢はあるばい? 嫌な異性からなら、そら断る」 「……」 「嫌なら、壊さないまま。見るだけ。 ばってん、望むなら、壊して。その代わり、そうしたら、…もう逃がさんよ」 指を、テーブル越しに掴んで、キスをした。 真っ赤に顔を染めて、白石は空いた手を口元に当てる。 「……アホ」 「返事は?」 「家帰ったら、すぐ壊したるわ…」 「うん」 白石はまだ、気付かない。 包みの裏側に潜ませた、一枚の書類。 婚約届けの、書類。 この国では無理だから、謙也の言うとおり意味はない。 でも、気持ちだけなら、与えられるだけ、与えたっていいだろう? 喜ぶ顔が、沢山見たい。 白石が気付いて、もっと真っ赤になるまで、あと数分。 →その後 |