―――――蔵ノ介。



 … 大好きやから

 ずっと一緒にいような


 … 約束





● 扉の向こうへ ●

第一話−【le lacrime】





 戦争が続くこの時勢、この小さな国すら不況に飲まれる。
 それでも大国の傍にあるだけ、マシか。と溜息を吐いた。
 買い物を終えると、千歳は孤児院への帰りを急いだ。

 西霊国〈ジュリエッタ〉国軍所属、准尉−千歳千里は過去の名前だ。

 西の大国の兵士だった頃に右目を失明まで痛めてから、千歳は軍を退き、西霊国〈ジュリエッタ〉からも出た。千歳がいくら相当な腕を持っていても右目を失って、銃を握れるとは誰も思わなかったからだ。
 ここは、四つの大国が政権を握る大陸。その政権が揺らいで後、五十年の長きに渡り戦争は終わらない。
 この国はそんな大国の傍にある、ちっぽけな国だ。

 世界から、魔法が絶えて久しい。

 この世界にはかつて魔法があった。生ける全てが魔法を扱えた世界。
 けれど、いつしか魔法文明は廃れ、今や誰も使えないのが現状。
 もし使えるようなヤツがいたら奇特じゃ済まない。戦争を起こしてもあらゆる国が得ようとするに決まっている。
 …魔法がどんなものかすら、今の人間は知らないけれど。
 それ以後、銃器に頼る戦争が続いて、もう何百年か。
 今の千歳には関係のない話だ。

「………、……」

 ぴたり、と足を止めたのは雪が降り出したからじゃない。
 空は寒いが晴れている。
 歩く路地に、行き倒れらしき人の姿があるからだ。
「……追い剥ぎ……じゃなかね?」
 荷物は全く持ってない様子だが、それなら矛盾する。
 倒れている青年の身なりは酷く上等なものだ。
 追い剥ぎならこの高価と一目でわかる服も持っていくだろう。
「…生き、とーと……?」
 つん、とおそるおそるつつくと、ぴくりと指が動いた。
「……生きてはおるとね」
「…………?」
 千歳の声に呼応するように、なんとか身体を起こした青年は頭から大きな布を目深に被っていたが、辛うじて顔を上げると瞳が見えた。
「………」
 一瞬、千歳まで反応を忘れた。
 宝石のような、翡翠の瞳。
 それに、恐ろしく美しい、綺麗な造作の顔に、長い睫毛と細くて白い指。
「……あんた」
 千歳がついそう呼びかけた瞬間、青年の背後で靴音がした。
 しゃがんでいた千歳目掛けて放たれた銃弾を、千歳は青年に当たらないよう腕の中にその身体を抱き込んでから、片手であっさりそれを掴んで放る。
 あからさまに引きつった、銃を握った男に懐から取り出した銃を二発撃つ。
 両腕を射抜かれて、悲鳴をあげて逃げた男を追うつもりもなく銃を仕舞うと、青年に手を差し伸べた。
「…………?」
「ここおると危なかよ。うち来なっせ」
 首をコトリ、と傾げながら伸ばされた青年の手は、傷一つなかった。

 働き馴れてもいない様子の柔らかい指の肌。
 どうせ、どこかの貴族の家出息子だろうと思いながら、放っておけなかった。





 千歳は軍を抜けてから、隣のこの国で孤児院を運営する友人の元に来た。
 友人の橘桔平という男に頼まれて用心棒をするくらいには、兵士の腕は健在だ。
「おお、千歳。おかえり。…その子は?」
「途中で行き倒れてた」
「拾ってきたのか。まあ、いい。お前も入れ」
 青年が、自分?と己を指さした。
「そうだ」
「……はい」
 初めて声を聞いた。随分、柔らかいテノール。
「おなか空いてるんだろ? 食べて落ち着け」
 鳴った腹を指摘されて、青年は初めて恥ずかしそうに目線を落とした。


「にしても、随分珍しい拾い者だな」
「ほんにな」
「身なりはいいし、…家出貴族か?」
「…俺も最初はそう思ったばってん…」
 この青年は無一文だったのだ。
 金は?と聞くと首を傾げた。どうも「金」がなにか自体わかっていない。
「……違うなぁ。どうも。なんというか、…」
 橘も困った風に言う。
「おい、」
 千歳が不意に立ち上がって、食べている青年の頭をわし、と掴んだ。
「…っ…?」
 びっくりしたらしい青年に、「それ、とれ」と凄む。
「飯食べてる時まで頭になんか被ってんじゃなか」
「…あ、…で、でも…」
「…?」
「…気持ち悪い………」
「…は?」
「…俺が気持ち悪い…って言うから」
 ?と眉を寄せた千歳たちに、俺は変なんだって、と辿々しく彼が言う。
「そぎゃんこつは俺らが決める。いいから取れ」
「………」
 しばらく、迷ったような間の後、彼がおそるおそる被っていた布を取る。
 そこから現れたものに、二人揃って言葉を失った。

 お伽噺の聖霊に見紛うような、銀灰色の髪。

「…ほ、ほら…気持ち悪い」
「…い、いやそげんこつはなか。…びっくりしただけたい」
「…ほんま?」
「うん」
 橘も重ねて、大丈夫だと言うと、信じたのかほっとした顔をした。
 それにしても、下世話な言い方をすれば随分と外見だけで高値のつきそうな青年だ。
 世の中男色なんか珍しくもない。
 こんな世界にいるかすら怪しい髪の色に、翡翠の瞳。加えてこの美貌とくればそれは貴族たちが高値で競うだろう。出すところに出せば。出さないが。そういう人間ではないし。下手すれば王族だって寵愛しそうなナリで、よくあの場所まで無事だったな、と。
「お前さん、どっから来たと?」
「……、…西霊国〈ジュリエッタ〉」
「あそこから? どこだ?」
「…?」
「街。西霊国〈ジュリエッタ〉のどこの街?」
「…多分、真ん中」
「王都ってこつか? …あそこからここまで!?」
「……」
「なんでだ?」
 優しく聞いた橘に、彼は話すしかないと思ったのか服を掴むとぽつぽつと話し出した。
「……逃げて、きた」



 彼が言うには、どこかから逃げてきたらしい。
 そこは、大きな城だということしかわからない。
 逃がしてくれたのは父親の知り合いらしい人。
 けれど、何故逃げることになったのかは、話してくれなかった。



「…ふむ」
「どげんする?」
「言葉からして西霊国〈ジュリエッタ〉の人間なのはガチだな。
 いいだろ。ここにいていいぞ」
「…え?」
「行く場所がないんだろ。ここは孤児院だから子供がうるさいが、他よりはマシだ」
「…おってええの?」
「ああ」
 繰り返し橘が伝えると、安堵した顔がありがとうと頭を下げた。
「俺はここの主の橘桔平。
 こっちは俺の友だちで、ここの用心棒をしてる千歳千里」
「お前は?」
「……、…白石、蔵ノ介」
「……蔵ノ介、でよかね?」
「…あ、うん」

 橘の言葉も一理ある。
 こんな危ない時勢に、こんな目立つ姿の人間をどうなるか理解して追い出せるわけもない。
 その日から、白石との暮らしが始まった。



 あれから数日。
 用心棒として住んでいる千歳が知ったのは、彼の無学と無教養だった。
 とにかくなにも出来ない。
 料理も、掃除も、洗濯も、それから普通庶民だって身につけている護身術すら。
 どこの温室育ちだ、という話だ。
 しかしそれには矛盾が矢張り出る。
 白石は知識を知らな過ぎた。

「ここの傍が西霊国〈ジュリエッタ〉てのはわかっとね?」
「うん」
「東の大国が、東霊国〈ロザリア〉。北が北霊国〈ケーヘンバウラー〉。南が南霊国〈ビジュ〉」
「…………、……………」
 ?と首を傾げる。どうもそれすらわからないらしい。
 大陸の四大国家がわからないのは異常だ。
「これ、わかっと? 東の…」
 紙に文字を書いてみせる。
「……、これ、なに?」
「……なに、て、…国の名前」
「そうやなくて…この、…薄いのに今……ある…黒いの」
「………?」
 逆に千歳が白石の言ってるものがわからない。
「もしかして、…『薄いの』は紙で、『黒いの』は文字のことか?
 これだろ?」
「うん」
「……え、なに、文字がわからなか?」
「みたいだな」

 国の名前を知らないなら、文字の読み書きすら出来ない。
 貴族の令息としては、まずあり得ない。
 千歳がしかたなく文字を教えることになって、数日経って。

 白石は大分文字を理解するようになったし、洗濯も料理もなんとか教わってやっている。
 どうも、無学で無教養の割には器用で飲み込みも早いらしい。
「千歳!」
 庭で洗濯モノを干している白石に呼び止められて、立ち止まるとどうしたのかと話しかける。
「ううん。なんでもない。
 見えたから」
「そか。……」
「千歳?」
 歳を聞いてびっくりした。
 千歳と橘と同い年の20歳らしい。
 なので、お互い呼び捨てだ。
「手」
「…?」
 疑問符を浮かべた白石の手を取ると、数日でアッという間に家事などであかぎれてしまって赤い。
「…綺麗か手ばしとったとに」
「そんなもんいらへんし。それより、千歳たちの手伝い出来る方が嬉しい」
 強いていうなら。
 千歳は白石のこういうところがいいなと思った。
 身分の高い人間のように誰かにやってもらうのか当たり前じゃない。ちゃんと誰かを助ける力と意志を持っていて、素直に人に聞く正直さもある。それに、自分の姿なんて頓着しないで他人のために汚れているのに、それを嬉しいと笑うから。
 そういうところが、綺麗だと思う。
 彼は、外見よりなにより、心が綺麗だった。
 ぽん、と褒めるように髪を撫でると、嬉しそうに笑う。
 その笑顔が、綺麗だと思った。








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