第三話−【階の聖霊】
「………っ……」
小さな明かりしかない、王城の西の塔。
明かり取りの窓すらない、たった一つの扉はいつも堅く閉ざされている。
生まれた時から、知っている。
それが開くことはない。
開いた時は、彼らが自分を抱く時だけだ。
「蔵。…余所見したらアカンて」
「……っ…ん」
謙也に頬を優しく叩かれて、白石は舌を再び彼の性器に絡めた。
「……っ…ふ」
「やっぱ上手いな」
「そりゃ、それだけ仕込みましたしねぇ。つか謙也くんが他人事のように言うことちゃいますわ」
ベッド脇に腰掛けて静観するだけの青年が突っ込んだ。
それはそうだ、と。俺達の所為やな、と謙也が笑んで白石の髪を撫でる。
「せやけど、よかったスね」
「ん?」
「あの元軍人が蔵ノ介さんに手ぇ出してなくて」
「ああ。てっきり出したて覚悟したわ」
「生かした癖に」
「お前もやろ。生かしたかてなんも出来んし、それにこいつの拘束具になる思っただけや。
その通りやし」
おとなしく奉仕する白石の手にも足にも、拘束する鎖はない。
「逃げる前は縛ったらんとおとなしくならんかったんに。
今はなんもせんでもおとなしゅうするし、…結果オーライやろ」
「ま、ね」
光がふと立ち上がってシャツ一枚の白石の双丘の合間を指でつい、と撫でた。
「っ……う……」
「そろそろ俺もヤリたいし…ええやろ?」
最初から選択肢もないのに伺われて、白石は黙ったまま微かに頷いた。
なにがきっかけかなんて、覚えてもいない。
最初、自分をここに閉じこめたのは彼らの父親たちだった。
彼らは自分の父親と一緒に自分を殺すつもりでいた。
何故生かされたのか、わからなかったがここで飼い殺しにされるようになったのはたった三歳の頃だったか。
それでも笑っていられたのは、親の目を盗んで遊びに来てくれる従兄弟たちがいたから。
謙也も光も、何度叱られてもこんな暗い場所に来てくれた。
彼らには必要とされていると思えたから、世界を何一つ知らなくても怖くなかった。
『ずっとここおってくれる? 蔵ノ介』
十四歳になったある日だ。
実の父親の血に染まった姿で来た謙也がそう言ったのは。
泣きそうに、酷く追いつめられて辛そうに言うから、頷いた。
何故、謙也と光が自分の親を殺したかも、わからなかった。
それでも、いいと思った。
謙也が『出たらお前が危険な目に遭うから』と言っていた。
彼らの父親が自分を殺さなかったのも、それが理由だと知る。
『魔法』が自分は使えるらしい。でも、その魔法がどのことかもわからない。
ただ、自分は普通じゃない、ということだけ理解した。
そのためにここにいて、ここにいるのは守られているのだと疑わなかった。
ある日を境にするまで。
それまで優しかった従兄弟たちが、なにがきっかけかすらわからないのに態度を変えた。
触れる手も、声も優しいのに。
だけど、自分の身体を押さえつけて、服を剥いで、怖いことを強いるから。
嫌だったから。
すぐ抵抗するようになって、でもなにが変わるわけもない。
それからはこの中では自由だった手足に拘束する鎖がついただけだ。
それから六年近くして、深夜に開いた扉に怯えた自分の前に立ったのは従兄弟たちではなかった。
父親が死ぬ前、会っていた記憶も薄い、父親の友人の息子。
『ここに仕えて信頼を得られるまで動けなくてすまん。
今は王たちがおらんから、やっとお前を逃がせる。
早く、ここから少しでも遠くへ、逃げてくれ』
言っていることの半分も理解出来なかったけれど。
ここじゃないどこかに逃がしてくれるということだけはわかったから。
連れられるままに初めて出た外の世界。
彼がついてきたのは城のあった街を出るまでで、その後は一人だった。
道もなにもわからないけれど、ただ走った。疲れても足が痛くても。
怖かった。
ただ、あの暗闇の中に、あの苦しい中に戻るのだけは嫌だったから逃げたんだ。
結局、なにも変わらなかったけれど。
またここにいるけれど。
でも、会えたなら逃がしてくれた男に感謝したい。
ほんの少しでも暖かい温もりに触れられた。
…千歳に会えた。
もう二度と会えないけど、本当に好きだから。
本当に、大好きだから。
それだけは、幸せだったと思えた。
あれから、二日が経った。
「千歳、本当に行くのか?」
「ああ」
以前は着慣れていた西霊国〈ジュリエッタ〉の軍服を腕に通して銃を取った千歳を、止めるでもなく橘は背中を叩いた。
「止めないが、無駄死にはするなよ。蔵ノ介が泣くぞ」
「知っとおよ」
だから、取り戻す。
自分一人でなんてたかがしれていても、もう彼を知らないフリで生きられない。
彼が泣いているとわかるのに、怖いと震えていたのを知っているのに、なにをされているかも知っているのに。
忘れて生きられない。
『ダメだよ。そんな武装じゃ』
「……ぇ?」
瞬間、脳に走った声に挙動を止めた。
『すぐ殺されちゃう。蔵ノ介も悲しむからやめなさい』
くすくすと笑う声は、柔らかいが白石とは違う感じの声だ。
女性と間違う程高い声は柔らかいのに、どこか有無を言わさない強さがある。
「誰たい?」
『まあまあ、凄まないで俺の話を聞いてくれ。
俺は聖霊なんだ。この国に封印されてる。
助けてくれたら蔵ノ介を助けるいい力をあげるよ。
どう? 騙されたと思って聞いてみたら?』
「……聖霊?」
「…聞いてみたらどうだ? 千歳。
聖霊ってあれだろ? 魔法の源」
「…桔平にも聞こえとうね…?」
『じゃ、信じたとこで、まず俺の封印されたところにゴー。
追々蔵ノ介が置かれた立場を説明してあげるからさ』
道すがら聖霊が話す白石の半生は惨いとしか言いようがない。
生まれて三年以後、なにもない場所でずっと。
「…聖霊…。ほんにお前がおるのはこことや!?」
促されるままに来たのは海に面した崖に立つ墓場だ。
『ここ、ここ。さて、掘って?』
「…墓荒らしって、…充分重罪じゃなかと…?」
圧政してた嫌われもの領主だから気にしない、と聖霊は頭で言うが、無性に腹も立つ。
しかし、諦めるつもりもない。
掘り返した土の中から見えた棺をこじ開けると白骨化した遺体にはまった大きな首飾りが目に付いた。
聖霊に言われなくてもわかった。多分これだ。
手に取ると、首飾りの中心の宝石を壊す。
途端、その場を大きな光が覆って、去った後にそこに立つのは白石とは違った雰囲気の美貌の青年。
藍色の髪を撫でると、聖霊らしき青年はふはーっと大きく息をして手を空に伸ばす。
そしてぴょんと千歳に抱きついた。
「うわっ!」
「あはは! ごめんごめん! 感極まっちゃって。
参ったよー?
見守ってた王子をさ、暗殺から守ろうとしたらいきなりそいつのつけてた宝石に閉じこめられちゃって。
封印具だったんだもん。びっくりした」
「…王子…って」
「蔵ノ介ではないけどね。というか西霊国〈ジュリエッタ〉の人ではないよ」
「…つか、聖霊ってそげん風に実体があっとや?」
「強い聖霊は実体化出来るよ。
改めてハジメマシテ。俺は幸村。助けてくれてありがとう」
「…幸村」
「じゃ、とりあえず東霊国〈ロザリア〉に行こうか」
は?と疑問符を浮かべた千歳の手を握ると、幸村は笑った。
「そこにキミの力になってくれる人が沢山いるから。
じゃ、さっさと行くよ」
「へ? って東霊国〈ロザリア〉がどげん遠くにあるか知っとうや!?」
「ノンノン。…空間飛べばいいから」
聞き返す暇もない。
聖霊の力がとんでもないと思い知ったのは、よかったことか悪かったことか。
とりあえず今はわからない。
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