ふらふらと道を歩く。
引っ越してきたはいいが、自分が住むマンションはどこだ。
「…長閑ばい」
見渡す限り、田圃だらけ。
「ばってん、誰か人……」
巡らせた視線。その端の駄菓子屋でなにかを買った黒髪の少年に気付く。彼は、一度千歳に気付いて、それから明らかにほっとした顔をして呼びかけようとした千歳の顔をまるごと無視して千歳と真逆に踵を返した。
「ちょ―――――――――――――待たんね!? その無視はなかろ!?」
咄嗟に大声で呼び止めた千歳に、振り返った少年の顔はいかにも「迷惑です」。
「失礼極まりなか…」
「……」
(舌打ちまでされたばい…)
「…なんスか」
「いや、…ここ、学校とか、マンションはどこか訊いてよか?」
少年ははぁ、と気のない返事。
更に腹が立つ。
「向こうにバス停がありますよ。バス使わな日が暮れます」
「まじか…」
今は真昼だ。
一緒にバスに乗り込んだ少年も用事があったのだろうか。
「お前も用事が学校にあっとか?」
「はぁ、まあ」
訊きながら、なにか妙な違和感を覚える。
「あ、そっか光は学校で謙也たちが待っとったとね。
ならなんでんあげんとこば買い物……」
そこまで口にして、千歳は自分の口を押さえた。
茫然と『財前』を見遣ると、彼も茫然とした顔でこちらを見ている。
「…あんた」
「……光、……………?
なんでん……、俺」
ちょっと待ってくれ。
これは、なんだ?
自分は死んだ筈だ。
そして、財前も死んだ筈だ。
白石もだ。
なのに、何故自分はここに越してきた日の再現をやっている!?
夢じゃない。
確かに、この手には白石を殴った感触がある。
指先をおそるおそる見遣ると、爪の間が赤い。
なんだと引っ掻くと、ぼろと零れたのは凝固した血の塊。
…俺の、血だ。
自分の喉を引っ掻いた時に、死んだ時についた血。
「……あんたは、帰って来れたんですね」
「…ひかる?」
「………どこまで知ってるんですか?
オヤシロ様の祟り」
自分をじっと見上げる財前の、黒の印象の瞳。
殺意は、感じない。
けれど、彼は―――――――――――――自分を殺そうとした。
そもそもここはなんなんだ?
あれはなんだったんだ!?
答えることも出来ない千歳を見上げて、財前は溜息を吐いた。
立ち上がる彼を見遣って、ああ、降りる場所だと理解した。
「光ー! ってだれ?」
あの日と全く同じ謙也の声。
そして、その背後から追ってきた白石が、千歳を見て固まった。
その驚きは、俺が『雛見沢まで追ってきた』からか?
それとも『自分を殺した人間』に対するものか?
「…ごめん」
追ってきた、とは付け足さなかった。
「……………………」
白石は泣きそうに瞳を揺らした。
俯いて、ぽつり呟く。
「………アホ」
その一言で、理解した。
白石は、知っている。
あの、悪夢と疑いたい世界を、…知っている。
白石と帰る道の先に待っているのは、あのマンションだ。
本来、行き方を知らない筈の自分は、道を知っている。
案内するとついてきた白石は、あくまで礼儀なのかもしれない。
あるいは、白石は知らないのか。
そうだ。
財前が言っていないなら、白石は知らない。
自分が、あの悪夢の記憶を持っていると。
「なんで追ってきたん?」
ああ、この声に「追ってきたんじゃない」と答えれば通じるだろう。
それだけで。
俺はお前と会う前まで戻りたいと望んだのだ。
なのに、出会ったあとからやり直されても困る。
ああ、この声に「ごめん」と答えれば白石は俺を誤解する。
追ってきたのだと。あの悪夢は俺の知らない話だと。
「千歳?」
振り返る白石の背中が、夕日に照らされる。
泣くな。
そんな顔すらするな。
そう自分に言い聞かせた。
見られないようにきつく抱きしめた。
「…千歳?」
「……セフレがおらんからって白石が困っとるんじゃなかかって」
「………」
白石が、腕の中で硬直した。
「……知ってる、アホ…」
声は、明らかに傷ついていた。
胸がずきんと痛むのは自分もだ。
でも、いい。
お前は俺を殺そうとした。
俺への顔も、時間も全て幻なんだろう。
なら、そう俺も扱えばいい。
―――――――――――――違う。
「……ごめん」
「なんで、お前が…泣くん……」
ごめんと繰り返した。
頬を涙が伝う。
俺が、そう扱って思いこみたいだけだ。
これ以上、悪夢に傷つくのはごめんだ。
あの悪夢が、なにが悪夢だったって、お前達の異常さより、なにより白石の自分への気持ちが幻だということだ。
なのに、これ以上、お前を好きだと愛するのは、痛い。
でも、裏腹に、まだ好きなんだ。
「……ごめん。ごめん…」
「千歳…?」
抱きしめられるままの白石が、おずおずと背中に手を回した。
この温もりすら、嘘だと言うのか。
「……名前」
「え」
身体を離して、涙を堪えるように空を一度仰いだ。
「名前、呼んでよか?
こっち来る前に、言ったとだろ」
「…あ、ああ……」
伏し目がちに白石は頷いた。
「ええで…」
「うん。ここでよか。ありがと」
「…うん」
しばらく自分を見上げていた白石も、言葉がないと知ると踵を返した。
遠ざかっていく背中。
あれは、なんなんだ。
鬼隠し。オヤシロさまの祟り。
「一人死んで、一人消える」
俺の番だった?
待ってくれ。
何故、あの世界が本当にあったと、俺は信じている?
だって血のあとが爪にあった。
財前が俺を知っていた。
「帰ってきたのか」と言った。
現実?
あの時間を、繰り返した?
ここは、違う世界?
でも、彼らは前の世界を知っている。
鬼隠しはこういうことか?
「蔵ノ介くんは帰ってきはりました」
以前、盗み訊いた会話。
あれは、そういう意味?
白石は一度、俺と同じ体験をして、でも帰ってきたという意味?
帰って来なかった人もいた?
―――――――――――――…ちがう。
これが、このごちゃごちゃの信じがたい考えがあっているのなら、違う。
俺は、多分、仲間はずれにされたわけじゃない。
彼らは、自分を守っただけだ。
白石たちが隠していたのは、この現象。
「オヤシロさまの祟り」を隠していた。
言っても、多分俺は信じない。
信じたら、恐怖する。当たり前だ。
「……っ」
頬を、また伝うのは涙だ。
白石の姿はもう見えない。
俺が怖がるだろうと、みんなして俺に隠した隠し事。
俺を仲間はずれにしたくてしたんじゃない。
守ってくれただけ。
『…な?
千歳に内緒や隠し事があるように、俺たちにやってあるんやで?』
思い出して、背筋を恐怖が走る。
けれど、白石があそこまで凄まじく形相を変えた理由は、わかった。
彼らは、多分何度か、これを経験している。
なら、話せない。
それを訊きたいと言う、なにも知らない幸せな新参者に、普通の顔でそう言えるはずない。
普通に言って、納得してくれると思わない。
俺が疑っていることが、そのことじゃないかと焦ったんじゃないのか。
案じるからだ。
全部、俺は、
騙されたんじゃない。殺されそうになったんじゃない。
遠ざけようとしてくれただけだ。
俺が踏み込まないよう、知らないよう、俺だけは関わらないで済むように。
守られただけ。
「……ごめん………」
泣き声を、訊く人はいない。
それでも繰り返した。
「ごめん…ごめん…ごめん…蔵…………」
ごめん。
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