「そや、千歳、明日暇か?」
下校中、振り返って笑った白石に、既視感を感じるのは何度目だろう。
ああ、そうだ。
「ああ、暇やけん」
「ほな、明日、財前と一緒に雛見沢を案内するわ」
入部試験の前日だ。
明日、神社で茣蓙の上でトランプ勝負を挑まれる。
「ああ、助かるばい」
素直に受け入れて、微笑んだ千歳に白石がなにか言いたげに見上げた。
「蔵?」
「いや…」
なんでもない、と前を向く身体が言いたいことは、少しはわかっていた。
白石だけが、知らない。
俺が「帰ってきた」こと。
「オヤシロさまの祟り」を知っていること。
財前たちがそれを知っていること。
そして、俺の気持ち。
『俺から、話させて欲しか』
そうみんなに言った。
「千歳?」
「…なんでんなかよ」
「そうか」
背後を歩く財前が、なにか言いたそうにした。
自分の雛見沢巡りというより、「千歳千里雛見沢お披露目」みたいになった雛見沢案内。
最後に神社にやってきて、階段を上る白石を追いながら見上げた。
「光」
小さな声で横を歩く財前に問いかけた。
「はい?」
「やり直し…じゃなか。この現象知っとうは、俺達だけ?」
「どういう意味スか?」
「いや、他の雛見沢の村ん人は?」
「……どうでしょ? 知ってる人もそこそこおるんやないんですか?
ただ、俺らは学校の仲間同士以外でそこまで話す繋がりありませんから。
大人とも付き合ってますけど、そこまで仲良うないし」
「…まあ、そやけんね」
「千歳! 財前!」
最上段に昇った白石が呼ぶ。今行く、と叫んだ。
「ということで、」
「入部試験やろ? 謙也も金ちゃんもご足労ばい。
あ、二人は家がここか」
敷かれた茣蓙を見遣って言った千歳に、白石がぎょっとした。
「え? 財前、言うた?」
「…え、あ、俺は…」
「あ、訊いただけばい。つか」
「……ああ、打ち合わせ盗み聞きしたんやな?」
「え、あ、違……」
実際のその場を『訊いた』だけだと今うち明けようとしたが、白石は違う方向に解釈した。
千歳が迷っている間に、白石が以前も訊いた口上を並べる。
茣蓙に配られたカード。
向かいに座る白石を見つめると、なんだと言いたげに見上げられる。
誤魔化すように、笑って受け取ったカードを見る。
以前とは違う配列のカード。
それでも、勝てるだろう。自信はある。
「ほな、負けたヤツには罰ゲームや」
知ってるやろけど、このマジックで落書きさせてもらう。と財前から受け取ったマジックを白石が見せる。
「待つばい」
「なんや?」
「これ、罰ゲームは理解したばい。
ばってん、勝者になんかなかと?」
「は? これはお前の入部テストや…勝って当然の俺らになんかあったら」
「勝つんがお前らって無条件で決まる程お前ら強かとか?」
ぴくり、と眉を動かした財前たちと違い、白石がびくりと肩を揺らした。
財前たちは気付かない。
やっぱり、白石は知っている。
ここで、自分が負けることを。
俺が勝つことを。
そして自分が家まで姫抱きで運ばれることも。
「俺はどう考えても不利ばい?
ばってんその状況で俺が一発勝ちしたら、ご褒美くらいなかとおかしかよ?
部長さん」
「…………、ええわ」
白石が、沈黙の後頷いた。この沈黙は、なんだったのだろう。
前は怒りを堪えたものだった。今は、なに?
俺への、気持ち?
戸惑い。不安? 俺が、お前を好きだと言わないから。
「じゃ、俺が勝ったら、蔵は俺の告白を信じるこつ。
嘘とか言わんで、信じるばい。よかね?」
「……は?」
「よかろ?」
白石の驚きは、違う選択肢が来たことへの安堵か、それとも選択肢が変わった不安か驚きか、それとも、
単純に、俺への気持ちなら嬉しいのに。
よかね?と再度念を押すと、白石は戸惑ったまま微かに頷いた。
今度は才気を使わなかった。
カードの傷は記憶した。
「はい」
財前の出したカードをよく見て、右から二番目を取る。
「よし、スペードのA。はい、あと二枚」
それでも上々に一番にリーチをかけた千歳に、白石のなにか訴える視線がぶつかった。
本当に、言うのか。
その視線に笑って、千歳は持っていた手札二枚を、柄を表にして茣蓙に置いた。
「…え?」
「蔵が選べばよか。俺から告白、訊きたくなかなら自分に有利な札取ればよかよ。
訊きたいなら、こっちのハートのQを取る。
ジジはハートのQばい」
「…そ、ないなこと」
「蔵はやるばい。
ノる。逃げなか」
「……」
「蔵がもし、ハートのQじゃない方を取ったら俺はビリでよか。
…選んで」
下から覗き込んで、迷う顔を覗き込んだ。
戸惑って、嘘だと信じようとする顔。
千歳が自分に告白だなんて、嘘だ。
そう想おうとしている。
でも、頬が赤く染まるのは、期待するから。
信じたいから。
好かれているからだって。
抱かれるのは、愛されているからだと、期待してる。
だから、あの日お前は傷ついたんだ。
「蔵」
白石の手が、ゆっくりと伸びて、ハートじゃない図柄の方に伸びる。
財前たちも言葉をつぐんだ沈黙の中で、虫の鳴き声だけが耳に付く。
白石がすがるように千歳を見た。
わかるから、千歳はただ微笑んだ。
伝わって欲しい。
白石がびくりと身を震わせた。
その、細い肩。脅える中に、期待した瞳。雪のような髪。
誰より、臆病な優しい心。
愛している。
怖いなんて、もう言わない。
約束、裏切らないから。
信じてくれ。
「…」
白い指が、そっと掴んだのはハートのQ。
「……わかった。負けや、俺の」
その言葉に、千歳だけでなく謙也達も詰めていた息を吐いた。
「光、謙也、金ちゃん」
千歳に呼ばれて、顔を上げた三人の前で千歳はひょい、と腰を持った白石の身体を抱え上げた。
「ちょっと、かりてくばい」
「はーい、どーぞ」
「ちょ、おろせ! どのみち抱えられるんやないかー!」
「なんの話ばい?」
手を振る財前に見送られ、千歳の言葉に真っ赤になったままハッとする白石を抱えて木陰に歩いていった。
「……気にしとう?」
「…なにがや、つかおろせ」
未だ抱えたまま降ろしてくれない千歳を睨む白石の顔は赤く迫力がない。
「降ろしたら逃げるばい」
「逃げへん」
「……」
意固地になって吐き捨てた身体を抱えたまま抱きしめた。
千歳の肩にのった顔が、「ちょっ…!」と叫ぶ。
「…セフレって、言うてごめんな」
囁いた瞬間、身が竦んだように固まった。
「…なにが」
「俺は、蔵を愛しとう。
きっと、初めて目があったあの日に、…囚われた。
…知らなかろ?
お前は…もう、俺の『仲間』じゃなか」
「……っ」
「恋人ばい。お前がそれを許すなら。
…なぁ、許して欲しかよ。
お前に、なんでも話して欲しい。
…何度も、謝った。何度も、…何度謝ればよか?
……蔵、蔵………愛してる」
あの時から、ずっと謝り続けた。
君の気持ちを、幻扱いした。
ごめん。
信じられなくて。
ごめん。
キミを手に掛けた。
ごめん。
最後に、愛してるって言えなかった。
ごめん。
「……ごめん、…ごめん。
好いとう。…ほんなこつ、…好いとう」
「……もう、ええ」
「…ほんに? ほんに、わかった?」
「………わかったから、…」
離してと望む身体を更にきつく抱きしめて、傍の木に押しつけ、文句を言いかけた赤い唇を塞いだ。
抵抗を示す腕を押さえて、瞳を開けて視線で訴えた。
拒まないで、と。
怯んだ瞳さえ、赤く染まった気がした。
瞳が、ゆるく閉じられて、おずおずと背中に回った手。
愛してる。
「何度絶望しても、後悔せえへん?」
あの日の謙也の声が蘇る。
そんな何度もなんてごめんだ。
でも、しないことでずっと彼を離さずに、離れずに済むのなら、
何度だって、堪えるから、手を放さないで、好きと言って。
ずっと、どうか微笑んで。
キミだけは、微笑んでいて。
→NEXT