葛籠らせん

【初恋編】
第三話−【快楽に墜ちる赤い実】







「千歳―――――――――――――行ったでー!」
 謙也の声に言われるまでもなく、慌てて千歳は落ちたシャトルを打ち返す。
 自陣に戻ってきたシャトルをなんなく拾う謙也にすぐ、ストップをかけた。
「?」
 疑問符を浮かべて、シャトルを手で受け取った謙也に千歳はその場にしゃがみこんだ。
「…ストッ…プ…。もう、無理…っ」
「なんやー千歳ーもうアウトなんー?
 だらしないでー」
 同じ学校に通う小学生の遠山が文句を飛ばすが、彼の体力は馬鹿だからそんなことが言えるのだ。
 正直、ここで出会った謙也――――――忍足謙也(同い年)と財前光、そして白石も充分体力馬鹿で、部活の途中真っ先に体力切れを訴えるのは主に自分だ。
 九州にいた頃、部内一の体力を一応誇っていたので、ちょっとかなり悔しい。
「千歳、大丈夫か?」
 傍の店に行っていた白石が帰ってきて、はいと買ったばかりで冷えたスポーツドリンクを渡してくれた。
「蔵…」
「え? わ!」
「蔵も冷たかね〜」
 手を引っ張る形で白石にべた、と張り付き―――――いや抱きしめた千歳に白石が面食らったあと、暑いと訴えるが白石の力では千歳は剥がせない。
 腕力までみんな馬鹿だったら非常にプライドが死ぬところだが、それはみな普通で助かった。
「こら、千歳! 蔵ノ介を困らせんな!」
「蔵ノ介くんを放せや…! 一人でへばってろ…!」
 二人揃って白石から千歳をひっぺがそうと試みる謙也と財前に逆らって更にきつくしがみつく。
 しかし、
「千歳ー、蔵ノ介が困っとるー」
 ひょい、と腕を掴んだ遠山にあっさり引き剥がされた。
 未だ馴れず茫然とする千歳を余所に、謙也や財前は「金ちゃんに任せればよかったんや」と余計な一言。
 訂正、腕力もこの遠山だけには敵わない。
「千歳、ひがむな。金ちゃんはいっちゃん強いねん」
「…知っとうよ」


 取り敢えず、「戦い部」というのはなんでもいいから「戦う」部活らしかった。
 テニスならテニスで勝負、今日はバトミントンだった。
 とにかくなんであってもお互いで競う、戦う趣旨の部活、らしい。
 白石が言ったスポーツのちゃんぽんのようなあれは、実験だったそうだ。



「千歳」
 学校からの帰り道、待っていると言った千歳の元に白石が駆け寄ってきた。
「お待たせ」
「ん、行こ」
 校舎に預けていた身体を起こして、歩き出した。
「馴れたか?」
「大分。ばってん、体力が…」
「あはは」
「笑い事じゃなかよ」
「ごめんごめん」
 空は夕焼けが近い。
 通りかかった道の脇で話している大人にふと視線が向く。
 覚えはある。そろそろ村の住人の顔は記憶し始めていて。
「怖いなぁ…」
「二人ともやって」
「はす向かいの人らやろ…?」
 通り過ぎていくと、声も聞こえなくなる。
「なんかあったとや…?」
「さあ? せやけどなんかあったんなら新聞記者とか警察とか来るかもな。
 まあ、関係ないけど」
「そやねぇ…」
 話している間にいつもの分かれ道に出る。
「ほな…」
 手を振りかけた左手を掴む。一瞬驚いた白石が、じっと千歳を見上げてきた。
「アカン。今日は」
「…蔵」
 強く下の名前を呼ぶ。やはり怯んだように視線を落とす白石を急に引き寄せて、腕の中に抱き込む。
 なにか言おうとした唇を塞いで、抵抗を示す腕を捕らえた。
 繰り返しキスをしようと追ううち、しゃがみ込んでしまった身体が不意に千歳を見上げる。
 地面に座り込んだ身体が上げた顔と、覆い被さろうとした視線が合う。
 吸い込まれそうな翡翠に、一瞬にして自分がなにをしようとしていたかを思い出した。
「……あ、」
「千歳」
 アカン、と重ねる白石から離れて、ごめんと謝った。
「ううん、ええ。馴れた」
「…ごめんな」
「ええって」
 立ち上がって鞄を背負う白石が、今度こそまたなと踵を返した。
 見送って、その場にもう一度座り込んだ。



 拒まれたからと、あの場所で、あんな外で抱こうとした。
 白石も理解していた。
「……際限なか」
 いつしか、彼が拒もうとも抱かないと気が済まなくなるほどに、彼への執着は強まった。
「好き」と告げた後が寄り一層。
 多分、恐れている。同じ事を。
 告げたから、もう切り札はないから。
 彼が唐突にいなくなるのでは。

 それに、何故彼はいきなりいなくなった。何故いきなりここに帰ってきた。

 頭の上でした草音に、はっとして寝そべっていた身体を起こす。
「あ、悪い。起こしたか…?」
 そこに立つのは無精ひげを生やした、トレンチコート姿の男性。
「いえ…寝てなかったです」
「そか。
 自分、ここの子やな?」
「…ええ、まあそうです。ばってん…来たばっかで。
 あんたは?」
「俺は渡邊オサム。一応刑事」
「…………」
「あからさまに疑う目でみんな。青少年」
「…いや、………なかでしょ。ありえなか」
「おいおいおいおい」
 思わずという風に突っ込んでから、渡邊はちょっといいか?と立ち上がった千歳に近寄った。
「自分、最近ここに来た感じやな。言葉がちゃうし」
「はぁまあ」
「この村で前に起こった事件、なんか知ってることある? それで来てんねん」
「ここで…?」
 眉をひそめた千歳に、知らないかと彼は頭を掻いた。
「まあ、なんか思い当たったら電話くれや。これ」
 渡された名刺に、携帯番号が載っている。
「あの、」
 足を道に向けた渡邊を呼び止めた。
「…なんでん、俺に」
 捜査協力とかなら、もっと大人がいいんじゃ、という視線がわかったのか渡邊は勘やと笑った。





 昔起こった、というのが四年前に起こった殺人事件だというのは翌日村に来ていた新聞記者に登校の道すがら訊かれたからだ。
 知らなかった、と答えて学校に向かった。
「おはよう」
 校庭で朝から集まっている少ない生徒たちの元に歩いてきた下駄の音に気付いていたのだろう。謙也や白石たちが顔を上げて「おはよう」と言った。

 昼、少ない机を傍に寄せて全員で食べる食事中に、千歳はふと箸を止める。

『はす向かいの』

 あの大人は、確か二丁目の住人だ。家の場所もわかる。
 そのはす向かいというと、最近ここに引っ越してきたという夫妻。
 顔もろくに覚えていないが、そういえば一度会った時、なにか言っていたような。

「千歳」

 呼ばれて、はたと顔を上げる。
 他のみんなは食べ終わっていて、机を片付けていて傍にいない。
 傍にいるのは、謙也だけだ。
 彼は笑っているが、一瞬で自分の顔が引きつった。

「覚悟、あるやんな?」

 響く声も、耳に入る声も、違う。
 謙也と、なにか違う。

「……は?」
「そっから先に踏み込む覚悟。何度絶望しても後悔せえへん?」
「……けんや?」

 小さく笑って、謙也は立ち上がると椅子を片付けるために持った。
 そこで顔を上げる。
「千歳? どないしたん?」
 笑う顔も、聞こえる快活な声もいつもの謙也だ。
「…あ、なんでんなか」
 咄嗟にそう答えながら、心臓が五月蠅かった。
 声が、まるで違っていた。

 ずっと歳をとった、大人のような。

「千歳ー、外行くで」
 ってまだ食べ終わっとらんの?とぎょっとした白石の口に、箸でつまんだ卵焼きを放り込む。
「なにすんねん」
「うまか?」
「まあ、食えへんこともない」
「ひどか…」
 珍しく中身の残った弁当箱を片付けながら、千歳はふと窓の外を見た。
 見知らぬ女性が、こちらを見上げていた。










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