葛籠らせん

【初恋編】
第四話−【とおりゃんせT】




「千歳。明日、暇か?」
 学校からの帰路、不意に白石が言った。
 いつも、帰宅は白石と二人きりだが今日は何故か財前も一緒だった。
「ん? 暇やけん…なんね…」
 つい疑ってしまったのは、「デート」の誘いなら財前がこの場にいるのはおかしいからだ。
「なら、明日、財前と一緒に雛見沢を案内するわ」
 学校とマンションの間しかわかれへんやろ。
「…、ああ。」
 そういうことか、とつい身構えた自分を恥じた。しかし、
「…せやけん、蔵と二人きりがよか」
「あんた本当にいけ図々しいな…………」
 ちったぁ遠慮せえと財前に頭を殴られた。
 少し、年上を敬って欲しいと千歳は思う。
「一日まるまる使うと?」
「どない意味や」
「いや、弁当ば必要なんかなって」
 ここ雛見沢には当然ながら、ハンバーガーショップやレストランはない。
 あってコンビニが一軒。回る箇所に寄っては空腹のピーク時にコンビニからやたら遠い箇所にいる可能性もなくはなく。
「ああ……、そやなぁ…弁当は必要かもなぁ」
「せやったら『部長』が作ってきはったらどうです? 千歳さん喜ぶでしょ」
 少しの間の後、財前がにやりと笑って妙に芝居がかった口調で言った。
「……『部長』?」
 はて?と思った。財前の白石への呼称は「蔵ノ介くん」だ。他は訊いたことがないし、学校の内と外で使い分けるタイプではない。絶対ない。
「そやな。わかった」

 俺の疑問符はシカトですかお二方。

「…」
 しかし、「白石の弁当」は魅力だ。
「千歳、ええ………」
 ええか?と振り返って訊こうとして、白石はぎょっと固まった。
「……蔵の、蔵の愛妻弁当……」
「誰が妻や! 放せ変態、っ財前!」
 九州から来て以降、初めて白石の料理が食べられるときわまって白石をぎゅっと抱きしめた、否羽交い締めした千歳に普段確実に入る財前のストップがない。
「…いや、明日のためや。犠牲になってください、部長」
「鬼ぃー!」
 大絶叫で去っていく財前を見送った白石に頓着せず、千歳は耳元で名をそっと囁いた。
「っや…ッッッ!」
 元々感度もよく耳が弱い白石だ。びくんと跳ねた肩を掴んで、傍のコンクリート塀に押しつけた。
「……、お、おい…まさか……盛ってへんやんな?」
 こんなところで冗談じゃない、という顔をして固まる白石は真っ赤だ。
「…蔵が悪か。エロすぎばい、お前」
「そんなん知るか! …っひゃ…」
 続けて叫ぶ暇なく首筋を舐められて、白石の声が詰まる。
 その耳に、いかにもおかしそうに低く笑う声が響いた。
「……?」
 おそるおそる白石が瞼を開けると、いつの間にか白石から離れた場所で腹を抱えて笑う千歳。
「は、謀ったな!?」
「いや、…抱きたいんはまじ。
 ばってん、明日にとっとくばい」
「は…おま…明日は財前も一緒…!」
「おらんとこでシよな」
「あ、アホー!」
 見る間にまた真っ赤になった白石の声が落ちてきた落日の中に響いた。





「ばってん、おそろしかね雛見沢…」

 翌日の雛見沢巡り。
 白石が律儀に用意した弁当を持ちながら、千歳はふうと登り終えた石段の上で一息ついた。
「なにがや」
「道で会う人会う人顔見知りばい? 俺なんか消去法で『引っ越してきた千歳さん』ばい」
 雛見沢は寒村故に、ご近所づきあいも熱く、また村全員顔見知り。
 探索中に出会う人たちは白石と財前を当然知っているし、二人もしかり。
 それならその中央の目立って見覚えないでかぶつが誰かなんてことは消去法だ。
「まあまあ、で、ここは忍足神社。
 来週、ここで祭りがあるから来よな」
「祭り? 今夏じゃなかよ」
「綿流しの祭りは元々冬の祭りやで」
「…ふうん…忍足?」
「て、ことで謙也!」
 疑問符を矢張り飛ばした千歳に答えず、白石は背後をばっと振り返った。
 そこに立つのは忍足謙也と、遠山金太郎。
「え? なんでん…?」
「ということで、我が『戦い部』へようこそ千歳千里。
 これから入部テストをさせてもらうで」
「……は? ちょ、待つばい?
 そもそもここ数日、なんか俺既に入部させられとらんかった?」
「あれはテストの一環や」
 堂々と答えた白石が、謙也が既に引いていた茣蓙の上に座る。
「うちの部は活動の舞台が二つある。
 すなわちインドアとアウトドア」
「素直に校舎の外と内っていえばよか…」
「そして、あれはアウトドアのテストや。
 これからするんがインドアテスト!
 千歳、お前の体力ドンジリは兎も角、運動神経、反射神経、勘、腕力は目を見張るもんがある。
 アウトドアは文句ない。
 あとはこれをクリアすれば正式入部や」
「俺は元々テニス部部員ばい? そらそこそこ万能…ってか体力はお前らがむしろ異常で…」
「ちゅーわけで、今回は千歳が不利やないようトランプでオーソドックスにジジ抜きと行こか!」

 …こいつ、俺ん話聞いてなか………。

 茣蓙の上に置かれたトランプは明らかに年季が入っていて傷だらけだ。
 それを切って財前が配った。
「千歳、弁当食べたかったら勝つんやな」
「…う、」
「ちなみにビリは罰ゲームや。財前」
「はい部長」
 手をすっと横に出した白石の掌に、財前がさっとマジックペン極太黒を置いた。
「これで顔に落書き。そのまんま家に帰ってもらうで」
「…しかも油性……、…『部長』って、部活の部長、な……」
 ようやく昨日の謎がとけた千歳を余所に、配られたカードを手に取る白石たち。
 全員(千歳除く)の視線がジジの対と思しきカードに向かった。
「……?」
 ジジ抜きというのはババ抜きの応用で、「ババ」「ジジ」に対応するカードはジョーカーではない。一枚あらかじめカードの山から引き、そのカードの対に当たるカードがジジだ。だから、数が少なくなるまでジジがどのカードかなんて誰にもわからないのだ、が。
「……お前ら、まさか……こんカード、どの数字かとかマークとか…傷で見わけつくとか言わなかね……?」
 おそるおそる、恐ろしい可能性を口にした千歳に、全員(遠山までも)が千歳を見てにやっと残忍な笑みを浮かべた。肯定だ。
「それ不利以外のなんでもなかろ!? 新しいカードはなかね!?」
「文句言うなや。千歳」
「そうやで!」
「むしろこのくらいのハンデは越えてもらわないと正式入部なんて」
「そういうことや」
 人数的にも圧倒的不利。
「……、待つばい」
「なんやねん。始めんで?」
「時間稼いでも無駄や。お前のカードは、左からスペード7、3、ダイヤの8、6、Aや!」
 取り敢えず本気で不利なのは理解した。それでなおストップを千歳がかける。
「?」
 流石にいぶかしがった白石は、千歳と一番付き合いがある。
 千歳が無駄な悪あがきをしないと知っているからだ。
「これ、罰ゲームは理解したばい。
 ばってん、勝者になんかなかと?」
「は? これはお前の入部テストや…勝って当然の俺らになんかあったら」
「勝つんがお前らって無条件で決まる程お前ら強か・・・・・とか?」
 挑戦的に「俺が勝つ」と言い切った千歳に、全員の眉がぴくりと動く。
「…なんやて?」
「俺はどう考えても不利ばい?
 ばってんその状況で俺が一発勝ちしたら、ご褒美くらいなかとおかしかよ?
 部長・・さん」
「…………、ええわ」
 なにか言い足そうに眉をひくひくさせた後、白石は堪えるように腕を組んだ。
 彼がそもそも元来短気なのは千歳も承知である。
「お前が勝ったらなんでもこの場の全員効いたる。ええな?」
 白石の全員への承知を求める声に、全員が頷いた。
「んじゃ、俺が一発勝ちしたら『白石をお持ち帰り』で他んヤツは『手出し無用』な」
「…は、はぁぁっ!?」
「文句なかろ? あ、持ち帰る道中、こっから俺ん家まで蔵は姫抱きで運ぶばい」
「アホ! そないアホな話誰が…!」
「蔵? 負ける自信が強かとか?」
 一人異論を唱えた白石も、千歳の挑発に口をつぐむ。
「わかった」
「よし」


 どうせ、負け犬の遠吠えよろしいはったりや。

 そう高をくくっていた白石も、財前たちもどんどん青ざめ、千歳を凝視した。
 千歳の持ち札は最早二枚。他のメンバーはまだ五枚ほど。
 特に白石はダントツに多い。
「お前……操作してへんか? してるよな!? 俺が札多く取るように!」
「ふ…ふっふっふっふ……。甘かぞ蔵…。
 蔵の持っとうカードん中にジジがあっとよ。右から三番目、スペードのK!」
 先に謙也が取ったことで一枚になった持ち札を片手に千歳が白石の札の一枚を引っこ抜く。
「はい、あがり。一番ばい」
「な……………なんでや!? カードの傷を記憶する暇なんかあらへん!
 これがまだ最初のゲームや!」
 顔色を変えて立ち上がり食ってかかる白石を、下から見上げて千歳は「ちっちっち」と指を振った。
「蔵? 俺と数ヶ月一緒にテニス部おって俺の技ば忘れたと…?」
「………、……」
 一瞬沈黙した白石がようやく思い至ったと青ざめた。
「才気使たな………!!!?」
「才気使えばカード神経衰弱なんか朝飯前ばい」
「え? さいき? なに?」
 完全に白石と千歳の間でしか成立しない話題に、謙也も財前たちも不思議顔だ。
「じゃ、蔵。夜、たっぷり可愛がったるけんね……?」
「……っ……金ちゃん! 俺、犯される! 助けて!」
「こら! 小学生になに吹き込んどうや! 猥褻やろ!」
「…最初にそれ言い出した人がよく言いますわ…………」





「…はずい…はずい……」
 他のメンバーと別れたあとの帰り道、運ばれている白石がずっとぼやいている。
 普段体力がないと馬鹿にされる千歳は、あくまで白石たちより劣るだけで普通に体力馬鹿の分類ではあるのだ。白石をここまで抱きかかえたままだが涼しい顔だ。
「まあまあ、まだ時間はたっぷりあるばい」
「…それが嫌や…。千歳」
「ん?」
「ちょお、寄ってええか?」
「…?」


 白石が寄ると言い出したのは、なにかのゴミ置き場だった。
 巨大な橋と、粗大ゴミの置き場。
「ここ…。」
「悪い、すぐ戻るから!」
 千歳から降りて手を振った白石を呼び止めると、逃げないと叫ばれた。そういう意味じゃないと突っ込む間もなく見えなくなる。
「……」
 伸ばしかけた手を引っ込めた瞬間、背後でなにかを感じて振り返る。
 そこにいたのは一人の精悍そうなカメラマンだった。
「あ、ごめん」
「よかです。…ばってん、あんた…」
「キミ、雛見沢の子?」
「…あんた、外ん人ですか?」
 一応訊いただけで、今日の経験から自分がわからない人は外部の人と理解している。
「まあ」
「…」
「あっちはお連れ?」
「じゃなかったら俺もあいつも変人ばい」
「それはそうや」
 はは、と笑った男が「お連れはなにしてるんや?」と訊いた。知らない。
「さあ? 案外ばらばらの死体でも探しとるんじゃなかね?」
 割合素っ気なく言ってしまってから、しまったと思った。
 白石との二人きりを邪魔された棘が出てしまった。
 だがカメラマンはああ、と笑って声を潜めた。
「まだ、右腕だっけ? 見つかってないんやったな」
「……は?」
 千歳が思わず聞き返した時、白石が帰ってきた。
「お待たせ!」
「あ、ああ」
「ほな、失礼したな」
「…あ」
 さっさといなくなるカメラマンに、なんなんだと内心悪態尽く。
「…千歳?」
「…いや、………しらいし?」
「?」
 急に自分を今更名字で呼んだ千歳を不思議そうに見上げる白石。
「…ここで、なんか昔あったとや?」
「ああ、ダム建設な」
「ダム…?」
「みんな戦ったんやて。
 成立してたら雛見沢全部今頃湖の底や」
「……ああ」
 つまり反対からダム工事は中止になって、このままということか。
「…その時」
「ん?」
「事故、とかなにかなくなったり…」

「知らん」

 いやにきっぱりと、はっきりとした声。
「千歳?」
 すぐ見上げてくる、明るい声にハッとした。
「…あ、ああ。帰るばい」
「うん」







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