葛籠らせん

【初恋編】
第五話−【脆いやすらぎ】





「うお!」
 ある日の部活。
 その日は、水鉄砲が武器だった。
 戦い部の生徒が同じモノを持って、水を喰らったら負け。ターゲットは学校の生徒全員。
 小さくともそれなりの人数はいる。
 校舎中に響く微笑ましい悲鳴。
 喰らって、あー!と喚く謙也を「うるさいです」と撃った財前が瞬殺した。
「さて、あとは蔵ノ介くんと…」
 からん、とその視界に見えた下駄に財前はばっと水鉄砲を構えた。
「…う、光…。簡単にやられてくれそうになかばいね」
「あんたもな」
 鉄砲なんか持って向き合っていれば、まるでどこぞのウェスタンだが持っているものの中身は水である。格好つけるだけ恥だ。
 丁度よく風が吹いたりする。
「いつでもよかよ」
「こっちこそ」
 千歳の足下で下駄が地面をこする音がした。それに反応して財前は教室に飛び込む。
「っ!」
 咄嗟に追った千歳が、入る直前で傍のゴミ箱の蓋を持って身体の前で構えた。
 それに撃たれた水が当たる。
「うわ、卑怯!」
「なんとでもいえばよか。体力勝負じゃ俺は分が悪かもん。
 先に決着ばつける!」
 舌打ちした財前が不意に笑った。疑問に思った瞬間、足下が傾ぐ。
「え…っ…!?」
「隙あり!」
 その瞬間を狙った財前の鉄砲から逃げるように身体をひねって避けたが、その瞬間に水鉄砲を千歳は落とした。床に転がっていたシャーペンを踏んだ所為だった。
 額に水鉄砲が当てられる。
「ジ・エンドですわ。千歳さん」
「……、なんて、それ、水が切れてなかね?」
「え…」
 まさか、と透明な容器の中を見て、事実残量がないことに気付いた財前が千歳から注意を失った隙に千歳が右手で水鉄砲を拾った。
「は、あんた左利きやろ!」
「甘かよ」
 千歳の声と同時に、財前の右手に水がかかった。
「俺はテニス選手ばい?
 テニスやってて左利き、は右手も使えるよう訓練すったいよ。大抵な」
「…狡い」
「うるさかよ〜♪(やっと財前に勝てて上機嫌)
 で、あとは…蔵か…」
 常に部活では体力というハンデで皆に負けまくっていた千歳だ。
 今回はあるいみ自分的ラスボス(財前)にも勝てて機嫌がいい。
 あとは白石のみ。
 向こうもわかっているだろう。
 廊下から走る靴音が聞こえて、千歳は反射的に窓から校庭に飛び降りる。
 ここはそもそも一階だ。
「自分から障害物ないとこ逃げおった…」
 アウトになった財前がぼやく傍、廊下を抜けた白石が顔を出した。



「千歳」
 呼び声に立ち止まって振り返ると、向こうに鉄棒。その前に白石が立っている。
「意外やな。いっつも真っ先アウト常連人間
「うるさかよ。年がら年中人操ってなんもせん女王様
「お前、操られる最たるヤツやないんか…?」
「アウトになるんは俺ん所為じゃなかもん」
「それ言外に自分が弱いて言うてんやん」
「蔵こそ俺がいっつも操られてばっかと思うとったら大間違いばい!
 勝負!」
「!」
 咄嗟に鉄砲を構えた白石の足が、がくんと沈んだ。
「へ…?」
 足下を見ると、片足だけ本当に小さな穴にはまっている。
 そこは朝方降った雨でぬかるんでいた。
「わ、罠か!? ずっこいで!」
「かかる方が悪か!」
 撃たれた水弾を地面についた手で身体を支えて真横に手を軸に反転し交わす。
 所謂バック転の応用だ。
 ぎょっとした千歳の隙をついて足を引っこ抜くと千歳の頭目掛けて鉄砲を握る。
 千歳も反応してこちらに照準をあわせた。
 それでも白石が一瞬早く、引き金を引いた刹那、校庭にチャイムが響いた。
「はーい! 終了!
 千歳! 蔵ノ介! 引き分けや!」
「え―――――――――――――」
「…しょんなかね」
 あからさまに厭そうな白石を余所に、肩をすくめる千歳。
「…次は最初にしとめる」
「望むとこばい」
 にらみ合ってから、すぐ二人揃って吹き出した。





「綿流しってこげん祭りとか…」
 雛見沢の一年に一度の祭りの綿流し。
「謙也は?」
「あいつは巫女師やから」
 祭りの手伝い。
 広い敷地一杯の出店。
「ほな、」
「部活動開始といきますか? 蔵ノ介くん」
「え? ここでもやっと?」
「もちろん。
 露店がターゲットや。金魚すくい、射的、早食い、とにかく勝負。
 今度こそ勝つで? 千歳」
「…」
 普段の冷静な面など忘れさせる子供らしい顔に、千歳も面食らってすぐ強気に微笑み返した。
「こっちん台詞ばい」



 楽しかった。
 初めて会ったあの恐いほど感情のない顔が嘘のように、泣いて、怒って、笑って、はしゃぐ子供らしいお前を傍で見て、一緒に俺も泣いて、怒って、笑って、九州じゃあり得ない程はしゃいで、一緒に過ごす毎日。
 悲しい色もなにもなく、いつだって楽しそうな白石を見て、心の底から安心していた。

 ――――――ああ、俺、ほんなこつ、こいつを好いとう…。

 そう実感して、不安に襲われない、ただ愛しさに胸が熱くなる日々。
 ただ、彼がいる。
 傍にいる。笑っている。抱きしめられる。



 幸せだった。





「……、」
「千歳? これ狙ってんのか?」
 ある露店の射的。うんと生返事で答えて、狙うが外した。
「あー、連続撃沈ばい…」
「え? なに、欲しいん?」
「ああ」
「なんで? あんな…なんや、あれ………鯨のぬいぐるみ……ださっ可愛くなっ」
「ほっとくばい………って謙也!?」
 ようやく自分と会話している主に気付いたらしい。千歳が射的の銃を持ったまま飛び退いた。出店の主人もびっくりする。
 背後には、青袴姿の謙也。
「終わったとか…」
「うん。で、みんなが部活しとるて訊いたから」
「…」
「あれ? なんで欲しいん」
「…さっき」


 そこを通りかかった瞬間、白石が出店に飛びついた。
「蔵?」
 あまりに顕著な反応に笑いながら、伺う。
「あれ…」
「あれ…………………」

 鯨のぬいぐるみ…?

 可愛いかも謎だ。
 そう思った千歳を余所に、白石はひたすらじーっと凝視している。
「欲しかの?」
「え!? まさか!
 俺、財前と勝負してくる!」
 さっさといなくなったけれど、それは照れ隠しだとわかって。


「……ああ。とってやりたいんや」
「…うん」
 嬉しいんだ。
 会った時のように、脅えてばかりじゃなくて。
 笑って、子供みたいな顔を見せる瞬間、それに一つでも多く会える時が嬉しくて。
 もっと、笑って欲しい。
 あれをあげたら、もっと笑ってくれるかと。
「あ、取りたいんや?」
 ぶっさいくなぬいぐるみやけど。
 傍を通りかかった男の声に反応して振り返ると、そこには精悍そうな体つきの男性。
「あんた…?」
「あ、すまん。俺、祭り取材に来たカメラマンやねん。
 小石川っていうんや」
 あの日、会ったあの男だ。
「あ、…ども。
 千歳、です」
「あれやろ…。あれ、もしかして右寄りに撃てばあたらへんかな?」
「右?」
「狙いより銃口右にして…。
 その銃、さっきから見てたんやけどキミが狙った場所より必ず左にそれとんねん」
「……ああ」
 そういえばそうかもしれない。
「そう、そっち」
 小石川の言うとおり、銃を少し右よりに構えてそのぬいぐるみを狙う。
 すると、ことん、とぬいぐるみが撃たれたコルク弾に当たって倒れた。背後で「やった」という謙也の声。
「あ、ありがとうございます!」
「いやいや」
 景品のぬいぐるみを受け取って、千歳は白石はどこだと視線を巡らせた。
「そういや、この祭り毎年あるんやて?」
「ああ、らしかですね…」
「なあ、興味深い話聞いたんやけど、ホンマか訊いてええ?」
「俺、来たばっかりで知らんです。すいませんちょっと」
「あ」
 さっさといなくなった千歳に、手伝ってやったのにと小石川が呟いた。


「……あらかた写真は撮ったけど」
 話聞きたかったなぁ、とぼやいて祭りのにぎわいから離れる。
「カメラマンさん」
「え?」
 振り返ると、そこには見知らぬ綺麗な少年。
「訊きたい話やったら、話しますよ?」
 にこり、と微笑まれた。

「いや、助かったわ。俺、そこがえらい気になってて」
「いえ、で、なにが訊きたいんでしたっけ」
 少年に案内されてついてきた林の奥の田圃の傍。
「ああ、オヤシロ様、ってここの村に伝わってるって訊いてな?
 で、その興味深い話ってのが」
 背後に立つ少年の気配にすら無頓着に語る小石川は余程熱心なカメラマンなのだろう。
「『オヤシロ様の祟り』っていうヤツで、なんでも毎年綿流しの祭りの晩に「一人死んで、一人消える」て―――――――――――――」
 声は、そこで途切れた。
 あっさり裂かれた頸動脈を押さえる暇なく、倒れた小石川を見下ろして、白石は持っていた鉈を振り下ろす。
 腕に食い込み、ごとりと腕が落ちた。
「…それ、あんたの話ですよ。カメラマンさん?」
 笑う顔が、月光に映えた。





「あ、蔵!」
 ようやく見つけた、と千歳が駆け寄ってくる。
「どないしたん?」
「これ」
 はい、と手渡されたぬいぐるみに、白石はぽかんとした後、目を大きくして千歳を見上げた。
「あげるばい」
「ええの!?」
「うん。そんためにとったと」
「………」
 おそるおそる受け取って白石がぎゅ、とそれを抱きしめた。
「…ありがと」

 幸せだった。嬉しかった。楽しかった。

 その裏で、白石を犯す狂気すら知らずに浸っていた。









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