「…ふぁっ」
登校途中、派手にした欠伸に白石が傍で笑った。
「眠いん?」
「ん…ちょっと」
曖昧に答えて、千歳は教室の扉に手をかけようとして、はたと財前を振り返った。
「いいえ? どうぞ千歳さん」
にやり、と譲ってきた財前の魂胆はまるわかりだ。
「…、え、あ……金ちゃん?」
白石の推測に、当たりばいと頷いて閉じた扉の頭上を見上げる。
「…黒板消し」
遠山金太郎という生徒は、とにかくいろいろなことをしでかす。
転校初日、千歳は重りの入った黒板消しのフルコースを喰らった経緯から慎重だ。
「先に落とせばええんやない? 開けて」
「甘かよ蔵。扉の取っ手」
「え、あ…」
取っ手には、ガムテープでくっつけた画鋲。
「ばってん、もう引っかからんばい! 金ちゃん破れたり!」
自信満々に言い放って扉を開け、踏み出した瞬間足がなにかに引っかかった。
ロープだ。
「え、わっ!」
「千歳っ!」
咄嗟に背後にいた白石が身体を後ろから抱えるように引っ張った。
おかげで千歳は前に倒れることなく、支えきれなかった白石と共に背後に倒れた。
「………」
自分の倒れる、顔の予想地点には、墨汁の入ったすずり。
喰らったらどんな惨事か想像に難くない。
「…おそろしか……」
「…大丈夫か?」
「あ、うん。ありがと…」
助けてくれた白石に礼を告げて、はたと至近距離でぶつかった視線に彼が頬を染めて視線を逸らす。
「蔵?」
それについ意地悪く笑って、その身体を抱きしめた。
「千歳っ!」
教室におそらくいるだろう遠山たちを考えて焦る白石を更に抱きしめて、そのいい匂いのする髪に口を埋めていると、背後から叩かれた。
「朝から蔵ノ介くん襲うな天然記念物ケダモノ」
「……ひどかね。光」
邪魔した財前に、渋々白石を離した。
「…で、金ちゃん?」
振り返り様に低く呼んだ声に、さっきまで見てにやにや笑っていた遠山がぎくりと身を竦ませた。
彼は恐いモノ知らずだが、白石には弱いのだ。
「……あ、…く、蔵ノ介! 蔵ノ介!
……すまん〜!」
咄嗟に震え上がって謝る遠山を見下ろして、白石が思わず口元を押さえて震える。
「…蔵、お持ち帰りしたらいかんよ?」
「…ちょっとだけ、アカン?」
「いけん」
「…見るだけや、見るだけ」
「いけん」
「…けち」
「やなかよ」
白石の可愛いモノ好きも、ここまで来ると、ちょっと変態だ。
「そういや、なんか騒がしかったな。昨日」
おはよう、と既に教室にいた謙也が挨拶ついでに言った。
千歳が、内心浮かべたモノを、見ない振りをした。
昨日、村に来ていたカメラマンが死体で発見された。
マンションに帰る千歳を呼び止めたのは、あの渡邊という(自称)刑事。
「…なんか用ですか?」
「そう警戒すんなや青少年。
…自分、あの学校に通ってんやんな?」
「…はぁ」
何故そんなことを訊くのだ。
「……、自分、ここらに来たばっかや言うたな。
ほな、『財前光』とは親しいか」
「…は?」
財前?
思わず過剰反応をした千歳を軽く伺って、渡邊は頭をがしがしと掻く。
「昨日の祭り、財前くんはずっとお前と一緒におったか?」
「っちょ! それどげん意味ですか!? まるで…」
「ああ、そう食ってかかるな。そう言うてへん」
千歳を落ち着かせるように手を振って、渡邊は背後を指さした。
「ちょお、話せるか?」
そこには一台のセダンが停まっていた。
「……正確に、あのカメラマンの死因に関わってるて思うんは『財前』家や。
財前光くん当人とは言っとらん」
「……ばってん、ならなんで俺に」
「キミはここに来たばっかりで、多分他の仲間に仲間意識が薄い。
仲間意識強いとなんか怪しいこと知ってても話さへんやろ」
「…つまり、新参者で話の聞きやすそうな俺に…目ばつけたわけですか」
エンジンのかかっていない車の灰皿にとんとん、と煙草の灰を落としてまあそうと渡邊は頷く。
「あと、初日に言ったことやな」
「?」
「勘」
「……勘」
「…キミ、来たばっかり言うなら、あれは知らんか」
「…?」
「四年前、ここいら一帯を沈めるダム工事があった。
村人の猛反対でそれは中止になったが、中止を決定つけたのはダム工事現場監督の怪死事件」
「……」
『さあ? 案外ばらばらの死体でも探しとるんじゃなかね?』
『まだ、右腕だっけ? 見つかってないんやったな』
先日の会話を思い出して、千歳は気付かれないよう息を呑んだ。
「俺が前にここおったんはそれを調べてた。
で、それから毎年、綿流しの晩に事件が起こる。
「一人死んで、一人消える」…通称『雛見沢連続怪死事件』。
今回の死者の死体と、当時の監督の死体の共通点。
…なにか、鉈のようなもので殺害されたような死体やって話。
同一犯か、どうか」
『事故、とかなにかなくなったり…』
『知らん』
様子がおかしかったのは、白石だ。
財前じゃない。
いや、なにを考えている?
白石はあの夜、俺が渡したぬいぐるみを喜んで受け取った。
その後は一緒に帰った。
人を殺した手で受け取れるヤツじゃない。
「で、せやけどカメラマンの死因、死亡の一件は隠されとる。
隠しとるんは『財前』の家か、あるいは深く関わっとる。
やから、キミに………、キミ、なんか心当たり」
「ないです。すいません、もう帰ります」
「おい、」
急いで助手席から降りた千歳の手が掴まれる。
「ホンマ、なんか気付いたら前渡した番号に連絡せえや!」
「……、そんなことは、絶対覚えなかです」
無理矢理振りほどいて駆け出した千歳を、彼は追わなかった。
「……千歳! 千歳?」
机に突っ伏して動かない千歳を、上から白石の声が呼んだが、今はそれどころじゃない。
眠いし、なのに邪魔するように頭痛のように、脳裏を行ったり来たりする言葉。
「疲れてんやないんですか?」
「なにでや? 疲れることしたか?」
「この人体力ないやないですか」
「ああ…」
なお五月蠅く頭上で騒ぐ謙也と財前を、「テレビ遅くまで見て夜更かししただけ」と追い払ってそのままおいでおいでする眠気に半分思考をゆだねる。
半分は、未だにくすぶった思考が許さなかった。
本当は、昨日の渡邊の話が気になって眠れなかった。
何故財前が疑われるのか、関わってるかもしれないのか。
なにより、自分なら口を割るかもしれないと声をかけられ、一度でも応じたのが許せない。
自分から仲間はずれになってどうするのだ。
そして、一瞬でも脳裏に浮かべてしまった。
よりによって、白石を。
もう外に行ったと思っていた声が、机に突っ伏しうつらうつらとする思考を引っ張った。
「綿流しの晩に失踪したらしいですね」
(……なんね? あん人の話?)
財前の声だ。
「………………わさん ……………」
相手は、小さい声だが間違いない。白石だ。
「……知る限りではです」
「他にもおるんやろ…?」
「彼女が祟りにあったんか……」
「オニカクシにあったんかはわからんけどな」
?今、なんと言った?
オニカクシ?
鬼カクシ…鬼隠し…?
「……………にせよ、もう一人いるやんな……」
「…………オヤシロさまなら……」
(…なんだ? もう一人? 『オヤシロさま』?)
「今年は穏便に片付けようって警察に話つけてるらしいですわ」
「ほな、俺らがしらんだけか…。
実際は…………誰かが……………………たかもしれへん…………てことか?」
「かもしれませんね……」
白石の声が一瞬、掠れたように低くなる。
「……次は……………俺、……かな………」
?俺?
なにが?
もう一人が?
なんの?
祟り?
―――――――――――――「一人死んで、一人消える」
(もう一人…白石が!?)
「大丈夫です。蔵ノ介くんはちゃんと帰ってきはりました」
「………せやけど、…………はダメやったんやろ?」
「…昔の話です。もうこの話は止めましょ…」
声が遠ざかる。
今のは、なんだ?
白石は自分が次の犠牲者って言っているのか?
一体なんで、大体なんであのカメラマンのことを…。
あれは秘密にされているんじゃないのか。
『で、せやけどカメラマンの死因、死亡の一件は隠されとる。
隠しとるんは『財前』の家か、あるいは深く関わっとる。
やから、キミに………、』
まさか本当に、……ちょっと待て。
そこで千歳はハッとして机の淵を知らず握りしめる。
(なんで、俺、仲間の話ば盗み聞きしとっとや…?
どげんして、蔵も光も話してくれなかと…?
俺は仲間じゃなかとか…?)
けれど、顔を漸くあげた視界、教室には自分しかいなくて。
『キミはここに来たばっかりで、多分他の仲間に仲間意識が薄い。
仲間意識強いとなんか怪しいこと知ってても話さへんやろ』
本当にその通りなのか?
仲間意識が薄いと、仲間じゃないと思っているのはあの刑事だけじゃない?
白石たちも!?
「……そげな、話……」
呟いても、否定する声はなく。
「千歳? どないしてん?」
その日の下校中、いつも通り白石と二人きりで歩いていた。
不意に見上げられて、笑われる。
「え……」
「どうしたん?」
「……」
いや、といえない。
仲間だって、思われていないのか?
俺が?
白石にも?
だから、なにも話してくれない?
「…なぁ、蔵」
「ん?」
前を歩いていた白石が振り返って、なんやと言いたげに笑う。
それすら苛立った。
今の自分を笑われているようで。
「なぁ、みんな…蔵も光も謙也も…、俺に隠し事ばしとるよな?」
「……は?
別にしてへんで? なんやいきなり」
きょとん、とする白石になお言葉を重ねた。
否定しないでくれ。
どうして仲間外れにする?
俺は仲間じゃない? 恋人じゃない?
俺の「好き」はやっぱり意味がなかったのか?
素直に抱かれるなら、何故話してくれない。
「嘘ばい?
正直に言わんね!?
しとるとやろ? 俺に隠し事ば!」
「………………………ほな」
いやに長い沈黙のあと、一言ぽつりと言った白石が顔を上げた。
「千歳はどうなん?」
「…っ……?」
その瞬間、眼前に立つ彼の空気が変わったと思うのは気のせいじゃない。
表情が、眼光だけ鋭いような色のなさ。
唇が笑っているのに、瞳は自分を睨んでいる。
「千歳こそ、俺らに嘘ついてへん?
隠し事してへん?」
「……」
(な、んね…そん目…。
隠し事…?)
あの刑事のことや、盗み聞きのことか?
知っていた?
まさか、そんな筈ない。
「しとらんとよ…?
嘘も、隠し事も…」
「嘘。
っ…ふふ……。
千歳だって、知らないおっさんと車の中で話しとったん内緒にしとるやん?」
「………………ッ!?」
「誰や あの おっさん」
知っている?
全部?
あの人が刑事なことも、俺が協力するか迷ってることも。
そうだ。迷ってる。
このまま隠し事を話してくれないなら、今日にでも電話するつもりだった。
「なぁ、あのおっさんは誰や?」
「し、しらん人…」
「嘘」
な、なんで疑われんといけんね?
まだ協力ばしとらんし…、言わなかったんも言ったらみんな不安がるって思っただけばい。
「なんの話しとったん?」
「…みんなとは関係ない話ばい」
「そう……なんや。
なんや、関係ない話か」
白石が唐突にいつものようににこりと笑った。
納得してくれたのかと、一瞬安堵する。
知らず早まっていた心音が落ち着いてきたような気さえした。
なにをびびっている? 相手は白石だ。
殺人犯が相手でもないのに。
「そうたい…」
(…また、俺、白石と殺人犯を繋げて…なんで…)
「嘘や!!!」
びくんと背中が跳ねて、手から荷物が落ちた。
叫んだ白石は最早綺麗だと形容出来ない程凄まじい形相で千歳を睨んでいる。
「…な?
千歳に内緒や隠し事があるように、俺たちにやってあるんやで?」
「………ぁ……っ」
「…わかったやろ? 千歳」
そこでやっといつも通り微笑んで、白石は落ちた千歳の鞄を拾ってはい、と手渡してくる。
受け取るつもりもなく触れられた己の手は震えていた。
「…千歳? 帰ろうや」
微笑む顔。柔らかい声。
なのに、
(……蔵じゃなか)
『誰が妻や! 放せ変態っ』
(これは…蔵じゃなか。
俺の知っとう蔵じゃなか…!)
「…千歳?」
不思議そうに見上げる白石の声が、ひぐらしの声に混ざって響いた。
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