「桔平」



 千歳はその日、自宅の玄関に置かれた箱を指さして、十年来の親友を見下ろした。


 DIPED-ディペット-


『 出会い 』



 高度に発展したその文明は、とどまることなく、遺伝工学はキメラにまで足を踏み入れた。
 人と、動物。人と植物。あるいは、動物と植物。
 あらゆる遺伝子を混ぜて生み出す、キメラという名の生物。
 お伽噺だったはずの、生命。

 特に需要もよく量産されるようになった人と動物のキメラは、金持ちのみのペットから一般市民の手の届くところに降りてきて久しい。
 だが、千歳はそんなものに興味はない。ついでに元々、動物は好きじゃない。
 特にキメラなんて、動物の耳が生えただけの人間だ。
 言葉は喋るし、動き回るし、好き嫌いはあるし、飼い主の好みはあるし、好きこのんで飼いたくない。
 その日、親友の橘が持ってきたのはセンターから譲ってもらったという幼いウサギのキメラ。
 センターというのは、主人を失い、新しい主人を受け入れられないキメラや、なんらかの理由で主人に捨てられたキメラ、はたまた主人に虐待されていたキメラを保護する場所だ。
 人の遺伝子を持つキメラは、保護される必要がある。
 ただでさえ、動物は嫌いだ。そのうえセンターから引き取ったような、そんな曰く付きのキメラ。
 絶対飼いたくない。
「まあまあ、お前コンピューターの仕事だから家から出ないだろ?」
「それがなんね」
「俺は外回りの仕事だからずっとこの子と一緒にいられないんだ」
「留守番くらいキメラだって出来るんじゃなか?」
「いや、他の動物のキメラならな?」
「…?」
 疑問符を浮かべた千歳に、橘は「ウサギだから」と。
「ウサギは寂しいと死ぬんだぞ。本気で。
 ウサギのキメラのこの子もそうなんだ」
 だから長く家を空ける俺は飼えない。すぐ死なせてしまう。
 と真顔で語る橘に、千歳は沈黙の後、玄関に置かれた箱をがばっと開けた。
「早く言わんねそげんこつは!」
 そんな面倒な生き物を箱の中に入れっぱなしにするな!と焦って箱から見えたケージを開ける。
 見えた明かりに顔を上げた幼いキメラは白金の髪で、翡翠の大きな瞳は泣いていた。
 死んではいなかったが、相当脅えさせたと慌てる千歳を凝視した後、そのウサギはぴょんとケージから飛び出してしゃがんでいた千歳の身体にぎゅうっとしがみついた。
「……え?」
「気に入られたな」
「気に入られた?」
「だろ? センターにいたんだぞ? 気むずかしいっていうより、人に脅えていたんだが」
 迷いなく抱きつくくらいなんだから、と橘に言われる。
 そうだろうか。
「じゃ、俺はそろそろ仕事だから」
「あ、ちょ…」
 さっさと家を後にする橘を追えなかったのは、身体にしがみつくウサギの所為だ。
 小さな頭から生えた薄いピンクの耳はへたりと垂れていて、震えた身体は千歳が片手で持ち上げられる程の小ささ。人間の子供と同じ小さな手、足、身体。それに生えたウサギの耳と尻尾。
「……」
 仕方ない、と溜息を吐く。
 ひょいとウサギを抱きかかえると、ウサギはきょとんと涙に濡れたままの瞳で千歳を見た。
「取り敢えず、おなかすいてなかね? なに食べたか?」
 笑って訊いた千歳に、ウサギはしばらく千歳を見たまま黙ると、「なんでもええ」と小さく言った。
「…なんでも、な…」
 それにしても、可愛い声をしていた。
 子供だから当たり前か、と思う。

 寝室のベッドに座らせて、ちょっと待っててな、と言い置いて部屋を出た。
 台所で、子供が好きそうなもの、と考えてパンケーキを焼きだした。
 大体焼けたところで、千歳ははた、となる。
 寝室だから、同じ家だから大丈夫だと部屋に一人に、したが。

 慌てて部屋に戻ると、ウサギは膝を抱えてうずくまっていた。
「え、と…ウサギ!」
 名前もなにもないので、ついそう呼んで抱き上げた。
 初めて千歳に気付いたウサギが、千歳を認識した瞬間ぼとぼとと涙を流して泣き出した。
「…あ、ごめん! ごめんな! 一人にしてなかよ!
 同じ家ん中やから大丈夫って思ったばってん……」
 言い訳を口にしながら、気付く。
 泣く癖に、震える癖に、この子は小さい手で千歳の服をぎゅっと掴んでいる。
 最初だって。
 離さないで、って。
「…。ごめん。もう、一人にせんから」
「…ホンマ?」
「うん。約束。俺、家から出る仕事やなかし、夜も一緒に寝ればよか」
「……。っ」
 泣き顔のまま嬉しそうに微笑んだウサギが、千歳の首に懸命に手を回した。
 短くて全然届かないけれど、ぎゅっとしがみついてきて。
「……もう、怖くなかよ」
 動物なんて嫌いなのに。

 なのに、泣かせたくないと思ってしまった。




 作ったパンケーキを小さく切って蜂蜜をつけて渡すと、おそるおそる受け取ったウサギが小さな口を大きく開けてぱくりと食べた。
 小さく切ったつもりが、それよりウサギの口は小さかったらしく、一度では食べきらない。
「…どがん?」
「おいしい…」
 にこにこと無邪気に微笑んで、切って出されるパンケーキを面白いくらい食べるウサギに、うっかり可愛いと思ってしまった。
「あ、名前ないと困ったいね」
「なまえ…」
「俺は千里。千歳千里。千里でよか」
「…せんり?」
「そう」
「…せんり」
「お前は…」
 そういえば橘が最初になにか言っていた。
 自分は冗談じゃないと思うあまりよく訊いてなかったが。

『蔵ノ介って言うんだ』

「…ああ、蔵ノ介、ったいね」
「…」
「蔵? 嫌、と?」
 新しい名前がよか?と首を傾げた千歳に、彼は立ち上がってまたひしっとしがみついた。
「…せんり、せんり」
「どがんしたと?」
「せんり……せんり……」
 ただ千歳を呼んでしがみつくウサギを抱きしめていると、やがて眠ってしまったらしかった。




『それは仕方ないんじゃないか?』
 寝台で眠る蔵ノ介の髪を撫でながら、受話器から聞こえる橘の言葉に聞き返した。
「センターにいたから?」
『っていうか前の飼い主がな…。
 蔵ノ介は最初、老夫婦のところで飼われてて、その老夫婦が『蔵ノ介』って名付けたんだ。
 孫の代わりのように愛したらしいから、蔵ノ介もその二人は好きだったらしい。
 ただ、次に、老夫婦が亡くなってあいつを引き取ったその息子がな…、愛玩動物によくあるだろ。性的欲求目的にしかキメラを扱わないそういう連中』
 人の外見に動物の混ざった彼らをそういう目で見るものは少なくなく、故に保護法でそういう飼い主に渡らないようキメラを飼う時に何重ものチェックを受ける。
 精神鑑定もその中に入っているのはそういう理由だとは知ってはいたが。
『そういうことを強要するわ、蔵ノ介が拒めば殴るわで大変だったらしくて…特に、最後は自分の思い通りにならないからって密室に一日近く閉じこめたらしくて…発見したのが遅れてたらやばかったってさ。
 だから、蔵ノ介は極度に一人に脅えるんだ。普通のウサギはもうちょっと一人に免疫あるらしい。
 あと、名前をその飼い主は一度も呼ばなかったらしいから』
 理由が符号する。
 何故、あんなに過剰に脅えたかも、何故たった一時間待つことすら脅えて泣くのかも、抱きしめた時、泣きながらしがみつく理由も、名前を呼ばれて抱きついてきた理由も。
「…桔平」
『…ん?』
 途端低くなった千歳の声に、電波越しでも気付いた橘が若干退き気味に答えた。
「そいつのメールアドレス、わかっと?」
『……送るウィルスは他のパソコンに流れないものにしておけ?
 他のヤツが迷惑だ』
「わかっとうよそんぐらい」
 とりあえず、そいつのパソコンは二度と電源が入らない様にはしてやるが。
 この高度文明社会。キッチンも風呂も電気の管理の元は家庭に一台必ずある『マザー』と呼ばれるパソコンだ。
 千歳の言った『パソコン』は千歳が仕事で使うパソコンではなく、マザーの方。
 千歳が相手のマザーをウィルスで再起不能に破壊して、新しいのが来るまでの一週間程度原始の暮らしに苦しめばいいと言っているのだと橘にはよく理解った。ちなみに、マザーに中古はない。新品のみだがその金額は、普通に家を一軒買うのと同額。金がないなら、金策に喘いでいろ、とも言っている。割とこいつ黒いよな、と橘は内心突っ込んだ。
 ちなみに普通のパソコンならいざ知らず、マザーは普通の素人では壊せない。
 破壊出来るスキルのある千歳はこれで、有数の大手会社からスカウトの来る技術がある。
『…だから正解だろ?』
「ん?」
『蔵ノ介をお前にやって。俺は、案外そこまで愛情深くないんだ』
 かといって、センターで見つけたあの子を放置したくもなくてな。
「…ま、今回は感謝する」
『そうか。よかった。
 あ、ちなみにお前、キメラの寿命って知ってるよな?』
「ああ。そら知っとうし」
『ならいいんだ』
 それで切れた電話。
 キメラの寿命は流石に飼ってなくてもニュースでよく訊く。
 人と同じではないが、人の半分は生きるらしい。
 成長もあるから、成長すれば人並みに大きくなることも。
 橘は、蔵ノ介は今、四歳だと言っていた。
 思えば可哀想じゃないのか。
 キメラだから、普通の人間のように、動物のように親はいない。
 作った研究所の人間は親になりえず、親のように思った飼い主に手を出されては、それは脅えるだろう。

(あ、ほだされとう…)

 動物なんて冗談じゃないって思ったのに。

 真っ先に、人間に脅えている筈のあの子が自分に抱きついてきたことを。

 確かに嬉しいと思う自分がいたりして。
 本当に可愛い、と微笑んでその髪を撫でた。




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