DIPED-ディペット- 『 せんりの友だち(前編) 』 「せんり、せんり」 ウサギが千歳の元に来て、早数ヶ月。 元から外にあまり出ない仕事ではあったが、それでもふらっと家を空けて出かけることはあった。 しかし、今は可愛い子ウサギが家にいるため、そうもいかない。 千歳自身はまんざらでもなかったが。 「ん? どがんした蔵?」 「…っ…ん…ん〜…!」 パソコンの前の椅子に座る千歳の長い足に懸命にすがりつき、なにやらウサギは必死だ。 どうやら、千歳の身体によじ登ろうとしているらしい。 が、もとより千歳の足の長ささえないウサギだ。それに、力もない。 ぷるぷるぷる、と頑張っている身体がころん、と重力に負けて地面に転がった。 「…っ」 本人は必死なのだろうが、その小動物故のあまりの可愛さに思わず、千歳が口元を押さえて吹き出した。 「…せんり?」 笑われたのに、気分を害する様子もなく蔵ノ介は見上げて名を呼んだ。 そのまま起きあがって、またよたよたと千歳の足にしがみつく。 そのままもう少しその必死な姿を見たいという衝動に駆られたものの、可哀想だ。 千歳の手が伸びて身体を抱え上げると、その膝に座らせた。 「せんり!」 すぐ喜び一杯の顔で千歳の腹にぎゅっと抱きついて子猫のようにすり寄るウサギの髪を撫でて、「もうちょいかかるけん、ここで寝とってよかよ」と言うと首を傾げた後、嬉しそうに笑った。 大体の作業を終えて、パソコンをスリープモードに切り替える。 膝の上を見ると、蔵ノ介は千歳の服にしがみついたまますやすやと眠っていた。 その小さな身体を抱き上げると、そろそろ昼か、とダイニングに向かった。 うっかり眠ってしまったと気付いて、蔵ノ介は瞼を押し上げる。 身体は暖かいものに包まれているが、千歳の身体じゃない。 一瞬襲った恐怖にばっと顔を上げると、いい匂いのするキッチンの前で振り返った顔が微笑んだ。 「あ、起きたと? すぐご飯にするけんね」 千歳だ。 一人じゃなかった。 安心した蔵ノ介が改めて自分の身体を見遣ると、そこには大きな丸い形状のクッションとその上に寝かされていた自分。身体の上には柔らかいブランケットがかかっていた。そこはテーブルの上だ。 「…せんり」 「ん?」 呼ばれて、火をとめて傍に近寄った千歳を見上げておそるおそる口にする。 「こ、これ」 「ああ、この間桔平…あの兄ちゃんな。にもらったんばい。 お前を一人にしたくなかけん、寝てる時どぎゃんしても寝室以外におらんといけんこつもあるし、なんかお前用のベッドがあればよかのに、って相談したら」 これなら、どこで寝ても俺のおるとこに運べるけんね、と千歳が笑った。 「せんり」 「ん?」 「せんり、おれ、なんかすることない?」 「ん? なんねいきなり」 「なんかせんと悪い。おれも」 やけに必死になるウサギに、千歳は肩をすくめるとひょいと抱き上げた。 そのまま胸元に抱き寄せる。 「くーら? 俺は前の主人じゃなかよ?」 「……、知っとる、もん」 「じゃ、『なにかしろ』なんて俺は思ってなかってわかっと? 俺がした分、お前も返さないとダメ、なんてこつは絶対なか」 へたりと少し垂れた耳の間から覗く瞳が、怯えと安堵の狭間で揺れた。 前の主人のトラウマはいかんせん深く、蔵ノ介は度々そのような態度を出した。 おそらく、世話してやってるんだからお前も返せだの、強要されたのだろう。 ホンマにええの?と伺うウサギの頭を撫でて、「お前はまだ子供」と言い聞かせる。 「あのな、蔵。キメラとか、人間とか言う前に、線引きする前に、お前は子供ばい。 人間の子供でも、せめて十八歳くらいまでは親に無償で世話してもらうんは当たり前。 なにか恩を返すんならそん後、もっと大人になってから。 蔵はまだ小さかけん、今は素直に甘えるだけでよかの」 「……ホンマ?」 垂れている耳を自分の小さな手で引っ張って、小さな口でがじがじと噛みながらぼそぼそ口にする。 傷がつくからよせ、と耳を口から離してやってから、頭を再度撫でた。 「そう。…えっと、癒し効果ってわかっと?」 「…?」 「見てるだけで、おるだけで安心したり、疲れが吹っ飛んだりするこつ」 「…おれがせんり見て、ほっとするみたいな?」 「そうそう。 蔵はおるだけでよか。俺は蔵見とるだけで癒されっばい。 充分役に立っとうよ?」 「……」 大丈夫だと言われたウサギが、目をきらきらとさせた。 「おれ、せんり、いやせてる?」 「うん」 「せんり、いてうれしいって思う?」 「うん」 「……っ」 瞬間、酷く嬉しそうに破顔して、千歳にぎゅっとしがみついた。 「せんり、大好き!」 「俺も、蔵を好いとうよ」 ピンポーン、と滅多に鳴らない千歳家のインターホンが鳴ったのはある日の午後。 橘か?と玄関に向かう千歳の腕の中には当然のようにウサギ。 家の中でも千歳は絶対蔵ノ介を独りにすまいと、どこでも離さなかった。 「はーい?」 『千歳ー! 開けてや!』 「…謙也?」 スクール時代の友だちだった。 「せんり、せんり、だれ?」 腕の中から問いかけるウサギに、『スクールの友だち。いいヤツ、大丈夫』と答えて扉のキーを解除した。 開いた電子ドアの向こうから顔を出した元学友は二人。 同級生と、後輩。 財前もいたのか、と今頃なリアクションをした千歳を、二人はじーっと爪先から頭まで見て、最後に腕の中を凝視した。 「なんね?」 「いや、最近お前が家から一歩も出てこんて言うから」 「引きこもったっていうからなんや理由あるんかと思ったんですが…」 そこで謙也と財前は言葉を切ってもう一度腕の中のウサギを見た。 「せ、せんり、せんり、なんかむっちゃみられてるっ」 「あ、ああ、気にばせん…ってかお前らが凝視すんのやめればよか! なんで蔵に我慢させんといけんね!」 「わあ、見事な親ばかっぷり」 「そりゃ、家から出てこーへんなりますわ。ウサギのキメラは特に難しいって訊きますもん。にしても随分可愛いな」 「あ、俺、千歳の友だちの謙也。わかるか?」 向けられた笑顔に、取り敢えず友好的だし、千歳の友人だからと蔵ノ介はおずおずとそれを見上げる。 「けんや?」 「そう、てか可愛いな! 声!」 「やろ! ほんに可愛かもん」 「こら、謙也くんまで。 ……俺は財前光言います」 「ざ、」 「光」 「ひかる?」 「そうです。流石利口利口」 「っ」 スキンシップのように頭を撫でた財前の手が、急にその耳を掴んで引っ張ってみた。 「光!!」 「痛くないようにしてますって。てか柔こいし、ちっさ」 「み、みみ…っ…へ、へんなんする…せんり、みみへん!」 「っやめんね!!」 無理矢理蔵ノ介の身体を引っ張ると耳を痛めるので、強行手段で千歳が財前の頭を思い切りぶっ叩いた。 悲鳴と共に財前の頭が一回沈む。 「せんり、せんりあの人こわい!」 「ああ、ごめんな。俺が危機感足りなかったばい」 「こらそこの親ばか、人の頭壊す気か…!」 「いや、今のは光が悪いやろ…」 謙也が千歳をフォローするように財前を押しとどめた。 「にしても、俺らは飼おうとかいう気はなかったけど、…ちょお欲しなったなぁ。 可愛いな」 「実際可愛かけん、…覚悟もなく言うんはよくなかよ?」 「…お前に覚悟とか言われたわ…」 なんとでも言え。最後まで慈しむ覚悟もないのに手を出す馬鹿がいるからこの子が脅える傷を持つ羽目になったんじゃないか。 「せやけど、謙也くんはやめたほうがええですよ」 「なんで?」 「キメラ飼う時、結構きわどい精神鑑定チェックがありますからね」 「…それは、いややなぁ…」 「千歳先輩は?」 よう平気やったな、と訊かれる。 「俺は委任契約やったけん、俺自身は受けてなか。チェック」 委任契約は、自分が飼う、と言い出して受ける契約とは違う。 チェックを受けた人間が、精神などを判断してこの相手なら大丈夫だという責任書や契約書を書いて別の人間を飼い主に選ぶことを委任契約という。 この場合、委任された側は簡単なチェックのみだ。 また、委任契約は精神鑑定などのきわどいチェックを受ける本契約者の真っ当な経歴や過去犯罪歴が皆無なことを含め、委任者との関係が十年に満たない場合は却下される。 橘とは随分長い付き合いなので通ったわけだ。 「ああ、あの人からか…」 「そういえば、桔平、委任に来た日、えらく疲れとったばい…」 おそらく蔵ノ介はセンターにいたキメラだから、チェックは通常のキメラの倍厳しかっただろう。 それを受けてクリアしてきた橘は相当疲労困憊していたに違いない。 慌てて帰ったのも、自分に気付かれないためで。蔵ノ介をうっかり箱に入れっぱなしにしたのも、多分疲れて頭が働いてなかったんだろう。 「まあ、とりあえず、あがってくと?」 |