DIPED-ディペット-




『 ウサギの一日 』







 ウサギの一日は、「せんり」で始まって、「せんり」で終わる。



 朝、寝台から先に起きあがったのは、当然千歳だ。
 まだぼけーっとした顔と頭ででも、ウサギだけは理解るのか、千歳は隣ですうすう寝ているウサギの身体を腕の中に抱きかかえた。そっと寝台の上から両手で持ち上げて、ぽすりと胸元に降ろす。
「んぅ…」
 抱き起こされても、まだ目を覚まさないウサギに笑って軽く額にキスを落とす。
「……ぁ」
 それで目が覚めたのか、ウサギが千歳の腕の中でもぞりと動いて、顔をあげる。が、その顔は思い切り眠そうだ。というか、目が開いていない。
「蔵。寝ててよかよ?」
 千歳がくすくす笑って髪を撫でる。胸元にぎゅうと抱き込む。
 ウサギはひどく眠そうで、うつらうつらと、その腕の中に収まったままだ。
 額にでも、どこにでも。身体のどこかにでも、自分がキスをしてしまったら、このウサギは目が覚めてしまうのだから、寝かせておきたいなら我慢すればいい。
 千歳としては、子供は寝坊する生き物だし、可愛いし、無理して早起きする理由がウサギにはないのだから、好きなだけ寝かせておいてやりたい。が、起きて、ウサギの顔を見ると、キスを我慢できない。…我ながら弱すぎる理性だ。
「……ぅー………」
 開かない目のまま、ウサギはなんとか千歳の方に顔を向けて、へこり、と頭をほんのすこしさげる。本人は、頷いただけのつもりだが、眠すぎて「頭を下げた」と錯覚するくらい、頭が大きく動いている。
「ぅはよ……せんり……」
「おはよう蔵。もうちょい寝とりなっせ」
「…。……………」
 ウサギは千歳の腕の中で、瞼が開かないまま千歳と顔を合わせたあと、千歳の胸板にぼす、と倒れ込んだ。二度寝したらしい。ほとんど起きてないのだから、二度寝と言わないだろうが。
 千歳はそれを見て、笑って髪を撫でてやってから、ウサギを抱いたままベッドから降りる。そしてキッチンに向かった。






 キッチンのテーブルの上、ウサギ用のベッドの上で、まだウサギは眠っている。
 それでも、同じ室内で漂う食べ物のいい匂いに惹かれたのか、ぼんやりと目を開けた。
「あ、起きたと。蔵」
 鍋に向かっていた千歳が振り返る。何度か瞬きし、目を擦ってから、やっと覚醒したウサギは、ぱあっと顔を輝かせる。それに、千歳がハッと顔を険しくして、コンロの火をバッと止めてからテーブルのそばに駆け寄った。この間、一秒半。
「せんり!」
「はい、おはよう」
 千歳目掛けて、覚醒した途端立ち上がり、駆け出したウサギの足下は、テーブルだ。
 少し歩いただけで、テーブルから真っ逆様。
 ついでに、ウサギは身体にかかっていたブランケットが巻き付いているのだから、真っ直ぐどころか、転ぶのが普通。
 転ぶ+落下直前にテーブルの際に自分の身体を押しつけて、ウサギを抱き留めた千歳は、安堵の顔。
「おはようせんり!」
「おはよう」
 ウサギに笑顔で挨拶をする千歳の心音は、結構早い。毎朝毎朝、寿命が縮む。
 しかし、ウサギをコンロのそばにおけるわけがないし、腹ぺこなウサギに朝から店屋物なんか食べさせたくない。だから、毎日、千歳的には命がけな料理の時間。
「今、出来たけん、とりあえず顔洗うばい」
「うん」
 ぴこぴこ耳を元気よく動かすウサギの身体を抱いて、洗面所に向かう。
 水道の蛇口をひねり、少しぬるま湯にしてから、ウサギの身体を蛇口の前で抱えてやる。
 小さい手で一生懸命顔を洗ったウサギが、「ふぇ!」と妙な悲鳴を上げた。
 千歳は馴れているので、胸元に抱き込んでから、水の入ってしまった耳をタオルで優しく拭ってやる。洗顔途中で耳に水が入り込むのは、割とよくある。
 それから顔を拭いてやって、まだ水の入った方の耳を手で触っているウサギの額に、自分の額を当てた。
「……………、ぇへ……」
 間近に千歳の顔があると、真っ赤になってから、幸せそうな顔でウサギは笑う。
「さっぱりしたと? ご飯食べような?」
「うん!」
 ちなみに、あんまり耳をいじるのは危ないので、千歳が額を押し当てるのは、毎回「わざと」である。そうすると、ウサギは「耳に水が入った」ことを忘れてしまうので。
 若干、良心が痛むのは、ウサギがいつも綺麗に引っかかるからなのか、幼い恋心を利用しているからなのか。多分、両方だが、後者の割合が結構でかい。





 仕事のあとは、千歳はウサギと話す。
 一心にウサギの相手だけをする、千歳にとっても至福の時間。
 だが、たまに、疲れて寝てしまうことがある。
 寝台に横になって、くーかーと寝息を立てている千歳は、さっきまで自分の話を聞いていてくれた。
「せんり、………」
 ウサギは微かに寂しそうにしたあと、ぷるぷるぷる、と首を左右に振った。
「せんり、がんばった! ねかせたらなあかん!」
 自分に必死に言い聞かせてから、ウサギはハッと自分の口を手で塞いだ。千歳は寝ている。
「……あぶなかった」
 起こすところだった。大きな声を出したらいけない。
 口を押さえていた手を離して、ウサギは眠る千歳の顔を見下ろす。
 じーっと見ていると、かあ、と顔が赤くなる。
 でも、ずっと見ていたい。
 そこで、ウサギは一つのことを思いついた。
「おき……たりせえへん? な? せんり?」
 熟睡している千歳に確認して問いかける意味はないのだが、ウサギはそう聞いたあと、無言の返答に、うんと頷く。
 そして、千歳の顔の真横に移動してから、千歳の顔に近づくように、身体を屈ませて、


 ―――――――――――――ちゅ。


 と、千歳の唇に、自分の唇を重ねてみる。
 すぐ火を噴くほど真っ赤になって、よたよたとベッドから降りて、少し離れてから、その場にしゃがみ込む。離れた寝台に眠る千歳を振り返り、寝ていることを確認してから、背中を向けて「うへぇ…」と緩んだ声をあげて自分の顔に手を当てた。真っ赤だが、朝以上に幸福そうに緩んだ顔。
 かなり照れている。以上に幸せ。


 今のところ、ウサギが寝ている千歳に隠れてキスしているのは、ウサギの秘密。





 夜の食事の準備中。起きた千歳の背後で、ウサギはテーブル上のクッションの上で寝ている。出来たら起こそうと思いつつ、千歳はふと火を止めて、ウサギに近寄った。
 気持ちよさげに眠っているウサギのさらさらした髪を撫でてから、片方の耳をそっと、優しく触って、傍で囁く。


「愛しとうよ」


 耳が一瞬、ぴくりと動いただけで、ウサギは起きない。
 千歳は頬を微かに染めたあと、微笑んでコンロの前に戻る。


 これは、千歳の秘密。




 これから、食事を食べて、話して、寝て。また明日。
 これが、ウサギの一日。







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