DIPED-ディペット-




『 なんて幸せな狭い世界−一部・完 』







 見つめるだけで、しあわせで、いとしくて。

 おれはまだ、いとしいのいみも、わからないこどもで。

 でも、いやだった。


 あなたは、おれだけのもので、いて。







 ある日の昼、千歳の家に郵便が来た。
 ポストに投函されたそれを受け取りに行くとき、もちろんウサギも一緒についてきた。
 千歳の腕に抱きかかえられたウサギはにこにこ笑って、千歳の胸元に嬉しそうに顔を埋めている。
「今日は、大したもん来てなかね」
 郵便受けの中を確認して、千歳は踵を返す。その時、千歳が取った郵便の中から、一枚、ひらりと舞い落ちた。
「せんり、おっこちたで」
 千歳の腕の中から、ぴょん、と飛び降りたウサギが拾って、千歳に手渡しに行く。
「ああ、蔵ありがとう。いい子やね」
「えへ…」
 頭を撫でられて、ウサギはとても嬉しそうに笑った。
 だが、渡す直前、ウサギはその葉書の文面に目を留めて、自分の間近に持っていってしまう。じー、と読んでいる。
「蔵?」
 ウサギ宛の手紙はまずないはずだ。それは、簡単な漢字は読めるが。
 ウサギの手が、ぷるぷると震え出す。おかしく思った千歳が、ウサギの傍にしゃがみ込んで肩を抱いた瞬間、大きな目が涙に埋め尽くされた。
「ぅっ……ぇええぇぇっ!」
「え!? 蔵!? どぎゃんしたと!?」
「ぇっうぇ…っ」
 ウサギが大泣きするなど、四歳の時のあの事件以来。
 千歳は腕の中にウサギを抱き込んで、必死に頭と背中を撫でてやる。大丈夫だと、泣いた理由はわからないが必死にあやした。
「ぇっ…せ、せんり…っ」
「どぎゃんしたと!?」
「…し、したらあかん!」
「え?」
「せんりっ…く……うわ…っ……うわ…」
 ぼろぼろ泣きながら、必死に言葉にしようとする。いいから、落ち着いてくれと千歳は身体を何度も撫でるが、ウサギは泣きやまない。
「…せん…っ……うわ…っ…ぅ……」
 小さい手で、頬を何度も擦って、何度もしゃくり上げる。痛々しくて、しかたない。
 千歳には、身体を何度も撫でて抱きしめ、大丈夫と言ってやるしかない。
「…せんり……っ……う…っ…うわき…したあかん…っ!」
「……え?」
 浮気? 今、ウサギはそう言ったのか?
「…蔵? 俺、浮気なんかしてなかよ?」
「うそやぁ…っ」
「してなかよ!」
「…あかんもん…っ! せんり、おれのやもん! あげへんもん…!
 あかんもん…っ…ぅ」
 身体をきつく抱きしめ、千歳は一体なにが起こったのだと、悩んでしまう。
 それ以上に、ウサギがまた病院に行くほど身体を壊したら、と怖い。
 ウサギのキメラは精神のショックが身体に直に伝わるのだ。
「蔵、俺、蔵以外好いてなかよ」
「…うそやもん…」
「嘘やなかよ」
「……」
 ウサギは嗚咽は収まってきたようだが、ひっくと喉を鳴らしながら、何度も嘘だと言う。千歳の言葉を頑なに否定する。ここまで頑固というか、自分の言葉を拒否するウサギは初めてだ。
「…ごめん蔵。俺、ほんなこつ、なんもしてなか。蔵以外、いらんよ。
 …なあ、お願いやけん、泣きやんで…」
 この際、誤解されたままだっていいから。少しくらい、彼から向けられる「好き」が減ったっていいから。だから泣きやんで欲しい。
 嫌われるよりなにより、彼の命が大事だった。
 千歳の声に混ざる悲痛な響きに気付いたのか、ウサギはやっと千歳の顔をはっきり見た。
「……うそやぁ」
 そう、否定はするが、濡れた瞳は千歳を見つめている。信じかけている。
「…嘘やなか」
 千歳は心からそう言って、ウサギの頬に手を当て、そっとキスを唇にした。
「……、」
 微かに赤くなって、ウサギは涙声で言う。
「ほんま……?」
「うん」
「…おれだけ?」
「…蔵だけ、愛しとう」
 必死に、優しい声で、愛しさをこめて伝える。やっと届いたのだろう。ウサギは見るからに安堵して、千歳の身体にしがみついた。
「ごめんな…」
「……せんり、すき……。おれいがい、みたあかん」
「見んよ。蔵しか、一生」
「…すき」
 自分の身体に必死にすがりついて、好きだと繰り返す身体の重みが、感触が堪らなく愛しくなる。
「…蔵」
 優しく、低い声で耳元で囁くと、ウサギはぴくんと反応して、顔を千歳の胸元からあげる。
「…蔵だけ愛しとうって…教えてほしか?」
 そう、自分に言った千歳は、見たことがない顔をしていた。見たことがない、笑み。
「……うん」
 それに惹かれるようにウサギは頷く。
「こわかよ?」
「…せんりがよそみするいじょうに、こわいことないもん」
「…そう」
 そっと、ウサギの身体を抱き上げて、額にキスを落とす。
 腕の中の身体が、わかっていないはずなのに、微妙に強ばった。
 寝室に入って、いつも二人で眠っている寝台にウサギの身体を横たえる。
「…せ、んり?」
「黙って…られっと?」
「……、?」
 静かに、その身体に覆い被さった千歳の言葉に、ウサギはただ顔を赤くしている。
「…前言うた、蔵が大きくなったら、教えちゃる、てこと。
 途中まで、教えちゃろか?」
「……それ、したら、うわきせえへん?」
「…せんよ。しても、しなくても」
 ただ頷くような真似は出来ない。そんなの、自分が許せない。
 そう答えた千歳の服をウサギは小さな手で掴む。
「…せんり、すきやから…しりたい…」
「…蔵、…ほんなこついい子やね」
 顔の横に手を置いて、覆い被さった姿勢で耳に囁く。舌なめずりの音に、ウサギがびくりと震えた。
 そのまま、そっと小さな、人間の方の耳朶を噛んで舐め取る。
「…っひゃ…!」
「……こげんこつ。…嫌?」
「……っ……」
 ウサギはかなり真っ赤な顔で千歳を見上げている。泣きそうな瞳は、哀しみからじゃない。
「……もう、ちょっと…して」
 それでも、可愛い声がそう強請る響きに、理性は飛んでしまう。
 ウサギの服の前のボタンを外して、小さく白い肌に手を這わせる。一撫でくらいで隅まで届いてしまう。
「……ぁ……っ…」
 千歳の唇はその間にも、耳朶や耳の中を舐めたり噛んだりしたり、ウサギの耳にも舌を這わせた。
 呼吸がおぼつかないくらい早くなっているうウサギの胸元の飾りに一度触れてから、大きく震えたその胸に、そっと手を置く。
「蔵、どきどきしとう」
「……わ、からん……な、なんや…っや……、へ、へんなんする」
「…変なだけと?」
「…ぇ…っあ…っ………も、もっと…」
 羞恥心はあるのに、プライドなく素直に口にする。そのあまりの甘さに、脳がくらりと揺らいだ気がする。
 ウサギの下肢を覆うズボンに手をかけ、下着ごと降ろすと、千歳は耳元でくすりと笑った。
「蔵、感じとうや?」
「……え…っ…は、はずかしい……ぁ…なに…」
 自分の身体に、見ないでくれと抱きつく身体を、きつく抱いて小さなそれに手を伸ばした。瞬間、ウサギが高い悲鳴をあげる。
「ゃ…っ…せ、せんり…! あかん…っ! や…ぁ…」
「ちぃと、我慢。できっと?」
「…せ、……」
 荒い呼吸で見上げた千歳は、初めて見る顔だった。見たことないくらい、意地悪な顔。
 怖い、のに、どきどきする。
 見たくないって、思えない。自分だけのものなら、また見たい。
 そんなの、思ったって言ったら、彼はどう思うんだろう。
 すぐ、頭が熱くなって、わからなくなった。







「―――――――――――――で、結局、原因は投函先間違いの葉書?」
 久しぶりに親友宅を訪れた橘からの詰問に、千歳は肩を落として頷く。
 目の前には、明らかに違う宛先の、葉書。女性の写真が印刷された可愛らしい文。
 年頃の着飾って化粧した女なんて、あまり見たことのないウサギだ。それこそ、テレビくらい。だが、ウサギはテレビを嫌っていて、あまり見せなかったし、そうしたら、センターの職員くらい。
 元々女性に免疫のないところ、止めに愛の籠もった(別の相手宛の)メッセージを見て、パニックを起こすほど誤解した、と。
「…にしたって、手を出すなよ! まだ十歳!」
「さ、最後まではしてなかよ…」
「未遂だったらいいってことじゃない!」
 背後の寝台でくったりと眠っているウサギを起こさないように、小声で怒鳴った橘に、千歳は反論の言葉も力無い。
「キメラだろうが、義務教育課程の、不純異性交遊は守れよ! てか守ってやれ!
 異性じゃないが。困るのお前だぞ!?」
「え?」
「怖がらなかったんだろ?」
 橘は千歳に言い聞かせるように、一言一言はっきり言う。
 わからないが、嫌な予感。
「て、ことは、これから、お前、蔵ノ介に『またして』とか強請られたら…どうするんだ?
 もう嫌、大きくなってから、は効かないぞ。実際お前、手を出しちゃったんだから」
「………………、―――――――――――――!」
「今頃青くなってもおせーよ。この感情直情型」
「…ど、どぎゃんしよう!」
「しるか。自分でどうにかしろ。ったく、あっさり理性飛ばすなよ」
「……やって、あんまりにも可愛かこつ、言うし。可愛かし。
 理性、飛ぶ…」
 そう、千歳は今更真っ赤になって、俯いた。困ったように。
「なんて言われたんだ。止め」
「……『せんりはおれのもん』とか、…とにかく、おれだけのものでいて…て」
「……そりゃ、また」
 橘は口元を押さえて、天井を仰いだ。
 どっちも、悪い気もする。いややっぱり、手を出した千歳が悪い。
 が、確かに、理性は飛ぶ台詞だ。
「……一生、いてやるんだろ? 蔵ノ介のもので」
「…もちろんな」
「…なら、まあいいか」
 結局、最後裏切らなければ、究極はいいか、と思ってしまう。
 ウサギは、眠ったままだ。
 少しだけ、その顔が微笑む。




 あなたがおれのせかいのすべて。


 だから、あなたのせかいも、おれがすべてにして。






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