DIPED-ディペット-U 第二話【純愛恋歌−A愛しているから】 「事情は把握した。で、お前は三日三晩考えて、熱を出した、と」 越前の言葉を聞いてから四日目の朝。 風邪を引いた千歳の元を訪れた橘は、事情を全部聞いてから、はあ、とため息を吐く。千歳はなにを言われるか予想が付いた。 「アホか。早速三日無駄にしてるだろ」 「うん。予想ばついた」 「だったらもっと早く割り切れよ」 寝台に寝かせた身体を、上体だけ起こして千歳は淡々とした口調で「そぎゃんこつじゃなか」と話す。少し、熱に絡んだ声だ。 「蔵を抱くこつは、そげな風に割り切るこつじゃなか」 「じゃあ開き直る」 「やけんそうじゃなか」 頑固にそう否定する千歳に、橘はため息をまた吐いた。 そういうことだろう。 「せんり!」 そこにウサギがアイスノンと水を持って部屋に入ってくる。 「あ、おはなししてた?」 「いや、終わった」 部屋に入ってすぐ、橘の空気に怯えた顔をしたウサギを、大丈夫だと千歳が招く。 人間の病気はキメラに伝染しないから、大丈夫だ。そもそもこれは知恵熱みたいなものだし。 ウサギはホッとして千歳の寝ている寝台に座った。 「…」 橘はそれを見遣ったあと、「今日は帰る」と一言。 「ああ、またな」 「…ああ」 橘の方はまだ言いたいことがある様子だったが、千歳は突っ込まない。そのまま見送る。 橘の姿が部屋から去って、千歳はウサギをぎゅっと抱きしめた。ウサギは嬉しそうにすり寄ってくる。 長い時間傍にいて、愛されて。 ウサギのトラウマは徐々に薄れてきている。 今は、ほんの数分なら、千歳のいない部屋に行くことも大丈夫だ。 もちろんそれは、千歳がすぐ傍の部屋にいると、すぐ会えるという安心があるから。 千歳は自分を傷付けないという、信頼があるから。 だから、尚更彼を傷付けられない。 逃げ場も、拠り所も、消したくない。 ただ、彼を慈しんでやれる、綺麗な拠り所でいたいというのは、我が儘なのか。 「…すぐ思い知るだろ」 千歳のマンションから出て、橘はぼそりと呟いた。 夜の明かりが空まで照らして、星は見えない。 こんな世界も、空もなにもかも、あの子は知らない。 それであの子がいいと思っている。 それは、千歳以上に欲しいモノがないからだ。 あのウサギが一番望む世界は、千歳の腕の中だから。 割り切ることじゃないのか? ―――――――我慢して、傷付けたくないと意固地になっているのなら。 開き直ることじゃないのか? ――――――…自分は、愛しているから、だから抱きたいんだって。 自分の感情に素直にならないで、理屈こねて。 今の千歳は、自分の、彼への愛情も、彼からの自分への愛情も、見ていない。 ただ、「蔵ノ介に嫌われたくない」の一心だけ。 「頭、悪すぎだろ…あいつ」 「あれ」 あきれ果てて呟いた瞬間、マンション前の広場で何回か会った顔に出くわした。 「あんた…あの、先輩の?」 「ああ―――――――…確か千歳の後輩か」 「財前です。橘サン」 彼は家がこの近くだと話した。 「先輩に会いに?」 「ああ。あと、…」 橘は一瞬躊躇った。彼はウサギを知っているのか。知らないなら、話さない方がいい。 「ああ、あのウサギなら知ってますよ。一回会いました」 「ああ。そうか」 内心、橘はホッとした。下手な言い訳を付くのも面倒だった。 「今、…十四かそんくらいですか?」 「十五だな」 「ああ。謙也くんから、なんか謙也くんよりでかなってたって…」 「…ああ、お前より大きいな」 「…………」 財前はわかっているから言わないでくれ、という顔で橘を睨んだ。やはり、あのウサギのイメージはみんな同じなんだな、と橘は思う。 幼くて、千歳が好きなか弱い姿。 今は見違えるくらい、大きくて美しい。 「あの法律案聞いたか?」 「?」 「キメラの」 「ああ…なんか二十歳以下の。…? なんか関係が?」 不思議顔の財前に、彼は千歳とウサギの関係を知らないと悟る。これ以上はまずい。 「いや、出先で人に会うとみんなその話ばかりするからな」 「ああ。確かに」 あっちこっちで聞きますよね、と財前。 「そういや、あのウサギってセンターおったから、そういうトラウマ入っとるんですよね?」 「……ああ」 これは大丈夫だろうと、橘は一応頷いた。 財前はしばらく考え込むと、でも、と言い置く。 「千歳先輩は、関係ないっすね」 「え?」 「そういう、大事なら傷付けたりしないっていう、よく有り触れたドラマの台詞、当てはまる人だから。あれで。 大事なら本気で傷付けないんやろうなって」 「……そうだな」 まさにそのことで、自分が苦しんでいるけれど。 曖昧に笑うと、財前は街の向こうの方を見遣ってから、橘を振り向いた。 「ただ、傷付けるってどこまでのことかわかっとらん人やから」 「?」 「傷付けるってのが、『本人が痛みを感じるところまで』か、『自分が傷付けたと思った』とこまでか、わかっとらんっぽい人? あれ、実際は前者があってるわけで。 …千歳先輩、後者で考えて、馬鹿やりそうで、面倒っすね、て」 そう言い終えて、財前はにっこりと微笑んだ。 『 あのウサギと、そういう関係なんですよね。当たってます? 』 ―――――――と。 「……ああ」 橘はしばらく硬直して、それから誤魔化すことなく頷いた。しまったという顔で。 「よくわかったな? 会っていたのか?」 「いえ。千歳先輩とも、会ったのは………うわ」 「ん?」 「俺、あのウサギが四歳の時から二人に会うてへんから……十一年間あの人の顔見てへん」 「…………………すごいな。それ。なんでだ?」 「あの人が家から出えへんからっすわ。俺、ウサギに会うなて言われとるんで。もういじめたりせえへんって言うとるのに」 「……………」 橘は無言を返した。なんと返事をしたらいいかわからないくらい、財前の顔がドス黒かったので。 「あ、俺、もう行きますんで」 「あ、ああ」 さらっと普通の無表情に戻ると、財前はその場を去った。 見送ってしまった橘は、またため息を吐く。 どうするんだ? 千歳。 (十一年間会ってない奴に見抜かれるくらい、お前の気持ちはわかりやすいんだぞ?) この先、あのウサギに気付かれない保証なんか、ないだろ。 「せんり、もう寝る?」 自分を寝台に寝かせた千歳に、ウサギは心配そうに横になった腕の中から視線を寄越す。 「うん」 「ほな、おやすみせんり!」 「おやすみ、蔵」 寝る前に、千歳は蔵ノ介の髪を撫でて、唇にキスをした。ウサギは嬉しそうに応える。 きつく抱きしめて、優しく身体を撫でた。 割り切れよ。 …割り切ることじゃない。大事にするって約束したんだ。 開き直る。 違う。昔から、ずっと守るって誓ったんだ。 ―――――――――――――「それは、蔵ノ介が気付く前の話でしょ?」 言われてもいない言葉まで、自分を責める。あの大統領の声で、言われてもいないのに、自分を責める。 「蔵ノ介が気持ちに気付く前に、あんたが蓋するために誓った話でしょ。何年前の話? もう時効だろ。蔵ノ介はあんたが好きって言ったんだよ。 あんたは前の飼い主じゃないって言ったんだ。あんたならいいって許してる。 それはなんの免罪符? 蔵ノ介を傷付けないための免罪符ならまだしも、それはあんたが誤魔化すための免罪符じゃないか」 (―――――――――うるさい! こんなこと、言われてなか。なして、よりによってあいつの声で責める…?) 瞼を開けると、暗い天井が映った。 隣を見ると、ウサギは眠っている。 もう、深夜。いや、朝だ。朝の二時。 「……免罪符でも、ないとやっとれんかった…」 初めて出会ってから、自覚して。それから、今まで堪えるのに。 免罪符でも、用意しないと無理だった。 今は、もう、そんなの要らないのに。 千歳は起きあがると、眠るウサギの頬を撫でた。 「それでも…お前が、俺の全てやから」 泣きそうになる。苦しい。なあ、助けて。 眠る顔は、もう綺麗な大人の顔。 けれど、まだ幼さのある、子供。 伸ばした手で、蔵ノ介の髪を撫でた。 大好きな、大好きなたった一人の。 俺の世界は、お前だけ。 愛しているから、…抱かないんだ。 |