DIPED-ディペット- 『 せんりの友だち(後編) 』 そういえば蔵ノ介以外と、厳密に人間と会って話すのはこれがどうやら千歳にとって四ヶ月ぶりだ。 そんなに引きこもっていたか、とも思ったが、蔵ノ介を独りにすることを思えば惜しくもない時間だ。 千歳の膝に乗ったウサギは、まだびくびくと脅えたように財前を見ている。 「こら、こら光。猫やないんやから」 謙也が注意するのも無理はない。 「ちっちっちっち…」と猫相手のように指を動かしている財前を見て、蔵ノ介は余計脅えた顔だ。 「やめんね光…? やめんともう一発いくばい」 「…すんません」 流石にもう一発はごめんなのか、財前が即座におとなしくなった。 しばらく世間話などしていた矢先、インターホンが鳴った。 出るべきだが。 動かない千歳を、謙也がおかしそうに見る。 「千歳?」 「いや、行った方がよかけん……」 そのままじっと膝の上のウサギを見下ろす。 独りにしたくない。謙也たちがいるから独りではないが、なんだか危ない財前と一緒にするのは。 今は時間的に橘は仕事で来られない。ということは百%食料の配達会社の人間だろうが。 「……わかった。俺が出てくる」 「すまんね謙也」 「客人に出させる主ってなんですか」 「やって、見知らぬ人間に蔵ば見せたくなかし、俺の知り合い以外は蔵が脅えるばい」 玄関から謙也が、「千歳! 判子これか!?」という声。 判子といったってコンピュータの認証パネルのボタンだ。ただ、間違ったボタンを押すと、家人ならともかく、他人だといろいろ問題になる。 「ああ、右の―――――――――――――!」 蔵ノ介を抱いたまま軽く謙也のいる玄関を向いた千歳の腕の中で、「ぅひっ!」という悲鳴がした。 「…え?」 咄嗟に視線を戻した千歳の前には、またウサギの耳をわし掴んでいる財前。 「ぅ…っ…ぅひ…っ…ぇっ…せんり…っ」 と、ぼろぼろ泣くウサギ。 千歳は言葉もなく先ほどより容赦なく財前の頭をがつんと殴った。 ぼて、と倒れて頭を押さえて呻く後輩に見向きもせず、えぐえぐと泣くウサギを宥めて抱きしめる。 「蔵! 蔵ごめんな! 大丈夫ばい! もう大丈夫! おっかない兄ちゃんは俺がやっつけたけん!」 「せんり…っせんり…っあの人やっぱりこわい…っ」 「ごめんな…家に入れるんは謙也だけにしとけばよかったばい。今度からそうすったい」 「こら、そこのアホ親ばか…」 「なんね。光。…お前が悪かよ? よりにもよって二回も…!」 「いや、やって触り心地ええし…反応が、」 警戒して蔵ノ介をぎゅっと抱きしめた千歳に、後輩は真顔で。 「反応がおもろくて…ナイス小動物」 「お前、ほんに今すぐ帰れ」 「てか、先輩」 めげない質なのは知っていたが、今回はしつこい。 真顔のまま後輩は言う。 「そのウサギ、数日、俺に預けてみません?」 その瞬間、千歳の履いていた鉄下駄(部屋も靴なので)が財前の顔のあった場所を通過して、先の壁にみしり、と埋まった。 財前を間一髪避けさせたのは謙也で、身体を無理矢理背後に引っ張った所為で財前は頭を床にぶつけたのだが、おかげで下駄が壁に与えた衝撃も逆さまに見えている。 「……って、殺す気かあんた!」 確実に顔面狙ったやろ!と流石に顔色を変える後輩を睨んだ千歳の腕の中で、ウサギが名前を呼んだ。 「ん?」 「おれ、せんりのおらんとこ行くん?」 「へ?」 「おれ、せんりのおらんとこ行くん? せんりと一緒やなくなるん?」 「そ、そげなわけなかよ!」 どうも財前の言葉を真に受けているらしい。 「おれ、せんりがおらないや…。せんりと一緒やないといや…っ。 せんりといっしょがええ…せんりとはなれたない…っ」 「当たり前ばい! 離さなかよ! 絶対!」 「…ホンマ?」 へたりと垂れた耳を撫でると、蔵ノ介が財前とは違う態度ですり寄ってきた。 「うん。絶対、他のヤツんとこになんか渡さなか」 「……っせんり、すき」 「俺もばい」 「ちゅーか、親ばか…」 外野の謙也が流石に突っ込んだ。 「なぁなぁ、俺もこわい?」 蔵ノ介が落ち着いてから、謙也が思いついたように問いかけた。 「……わからへん」 「そか。そやなぁ。あ、ええもんやるわ」 と謙也が鞄から、小さなライトボックスを取り出した。 ライトボックスは持ち運べる冷凍庫だ。 その中から小さなアイスキャンディーを取り出して、はい、と蔵ノ介に向ける。 「冷たくて甘い食べ物。あげる」 「…」 千歳を伺って見上げた蔵ノ介に、「大丈夫」と言ってやる。 謙也は基本からして、弱いものを苛める精神がない。 おそるおそる受け取った蔵ノ介が、一口ぺろりと舐めた。 「どや?」 わくわくと訊いた謙也を、途端きらきらした目で見上げる。 「おいしい…せんり、これうまい…!」 「あ、そっか。アイスは買ってやったこつなかね。うまか?」 「うん!」 「よかった。それ、全部食べてええからな」 「ええの? おれが、ぜんぶ?」 「うん」 「っ…おれ、おれな、ひかるはこわいけどけんやはすき!」 「ありがとなー」 とびきりの笑顔を謙也に向けて、一生懸命にアイスを食べるウサギを謙也が微笑ましそうに見遣る。 面白くないなぁ、と財前がぼやくのを、謙也が「自業自得やろ」と突っ込んだ。 「あ、ほな、これ…」 ウサギに、とアイスを食べ終わった頃合いでジュースのペットボトルを向けた財前に、びくりとウサギが震える。 「いや、疑うなら千歳さんが飲んでみればええでしょ? 普通のジュースです」 「…まあ、そうたいね」 自分が飲んで平気なら、同じ容器の飲み物になにもないだろう。 千歳が受け取って少し飲む。普通の味だし、おかしいものじゃない。 「大丈夫みたいとよ?」 「…ん、じゃ…」 のども渇いていたらしく、素直に口を開いた蔵ノ介に千歳がペットボトルを持ったまま、少し飲ませてやる。 途端、 「ぅひ……っ」 「え。蔵!?」 「う…ぅ…っせんり…せんり…っそれ口の中ぱちってする…っ…っひ…っ」 ぱち?あ、炭酸!?と慌てた千歳の腕の中でウサギは何度もしゃっくりのように喉を鳴らしてえぐえぐと泣いた。 「ごめん! ごめん俺、炭酸あんまり感じなかからわからんかった! ごめん!」 「せんり…っ…っ…ひ…っ」 ぼとぼとと泣くウサギを必死にあやす千歳を余所に、財前は床にうずくまってひーひーと笑っている。 「お前、…わかってたな? あのリアクション狙たな!?」 「いやー……っぶ…!」 「お前は一生ウサギを飼うな! 触れるな同じ空気吸うな!」 「それひどいっすわ謙也くん…」 言う財前は笑うあまり涙目で説得力がない。 「ごめんな千歳! これ以上光がなんかする前に帰るわ!」 「そうしてくれ…」 「あ」 またなにか言った財前に、びくりとウサギが震える。 「いや、…千歳先輩に。 これ、うちの兄貴の嫁さんから」 小さな箱を渡されて、警戒して受け取ったが後輩はなにもしなかった。 「バレンタインやから、俺がお世話になってます、て」 「ああ…。ありがとうって言って」 「はい」 なんだかあわただしく二人が帰った後、千歳と蔵ノ介は夕飯を終えて寝室に移動していた。 箱を今頃開けると、おいしそうなチョコレート。 「せんり…」 「ああ、これは俺のやけん…」 怖がると思って言ったが、ウサギはチョコレートに興味がある様子で。 そういえば甘い匂いがするしな、と思う。 「食べっと?」 今度こそ、大丈夫だろう。 しかし心配になって、待ったをしてから橘に電話をする。 「桔平」 『なんだ千歳。いきなり』 「ウサギってチョコ食べて大丈夫と?」 『…チョコ? 平気だぞ? 大抵のお菓子は。 その辺はしっかり注意されたから覚えてる。 あ、ただ、炭酸はやるなよ?』 「…うん、重々…」 『え?』 「いや、チョコは平気たいね?」 『ああ』 そこだけ確認して電話を切る。 「大丈夫やって。桔平にも確認したけん、大丈夫」 「…ん」 頷いて蔵ノ介がよじよじと千歳の膝の上から手を伸ばして、チョコを一個掴む。 ぱくりと、そのまま一個食べたので、おいしいかと訊いた瞬間、ウサギはぱたり、と倒れた。 「蔵!?」 「……ぅ…っ……せん…り……くらくらする……っ」 赤い頬に、耳も赤い。ひっく、と泣いていないのに鳴る喉に、千歳はハッとして箱をひっくり返した。 『 アルコール入ってます。 』 「…………………」 「せんり…おれ、やっぱり…ひかるきらい……」 「うん、俺もこれから付き合い改めるばい…」 遠くの家で財前がくしゃみをしたことまでは、千歳の知ったことではない。 |