DIPED-ディペット-


『 箱と鍵 』



 蔵ノ介は、自分から前の主人のことを語らない。
 語らなくていいと思っている。
 思い出すだけで辛い記憶。今もこの子を痛める記憶。
 語らないまま、忘れていけばいいと。


 あれから何日経ったか、千歳の家に来客があった。
 謙也と、それから見覚えのある顔。
 確かスクール時代、同じ部活に所属していた仲間。名前は忘れた。
 千歳に抱えられていたが、ウサギは眠っていて、時折耳がぴくぴく動いた。
「可愛えなホンマに」
「やろ?」
「謙也…あんま蔵のこつ周囲に教えんでくれ」
「恥ずかしいんか?」
「まさか。ばってん、蔵を好奇で見に来るヤツが増えたら困ったい」
「まあ、そやろうと思って言ってへん。こいつは偶々バレただけ」
「ウサギって扱い難しいって訊くわ。俺は飼うてへんし」
 その仲間が言った。やろう、と謙也。
 声に気付いて、ウサギが小さく声を漏らして目を開けた。
「あ、起きた。よぉ」
 抱えられた位置的に蔵ノ介の目覚めた視界に最初に映ったのは、謙也とその仲間。
 ぱちぱちと瞬きするウサギの顔が、一瞬恐怖に引きつったのを理由もわからないのに謙也がまずいと思った。
「…っぅ」
「え、蔵…」
「うぇ…っ…せんり…っぅぇえええ…っ!」
 突然、大声で泣きじゃくり出したウサギに、仲間が俺?俺なにかした!?と焦る。
 抱きしめてあやす千歳を認識して、ウサギは更に泣いた。
「せんり…せんり…っ! なんでおんの!?」
「え、な、なに?」
「なんでおんのっ!? あの人こわい…っ! 嫌やこわいっ! うぇっ…ぇっ…!
 せんり…っ…」
「蔵!? ど、どがんしたと…」
 必死に髪を撫でて落ち着かせようとする千歳の腕の中で、パニックを起こしているウサギがぽろぽろと涙をこぼして言った。
「なんで前のおれのかいぬしがおんの…っ!」
「……ぇ?」
 千歳が蔵ノ介をぎゅっと抱きしめて、きつく睨んだ視線の先、その仲間がは!?と慌てた。





 蔵ノ介はやむなくセンターで一時的に診てもらうことになり、初めて来たセンターの待合室でそわそわと落ち着かない千歳を謙也が買ってきた珈琲で軽く叩いた。
 ウサギのキメラが扱いが難しい、飼育が困難と言われる理由は多く、一個はまず外出させられないこと。
 ウサギのキメラは主人以外に酷く脅えるので、人の多い屋外に連れていけない。
 それに、ウサギは元来猫や犬に弱い。それらのキメラに外で会う可能性もあり得るので、ウサギのキメラは完全屋内型のキメラと定められている。
 ウサギのキメラを飼うなら、まず引きこもり生活になる覚悟がないと無理だ。
 そして、もう一個。ウサギのキメラは精神と連動で身体が元来弱く、精神の状態に身体が左右されやすい。
 パニックなどを起こせば過剰に反応した身体が最悪仮死状態まで引き起こすので、精神面に特に注意がいる。
 本来の動物のウサギ自体はそこまで酷くないが、人と掛け合わせた過程でなにかが起こったらしく、キメラはそういう構造で生まれてしまう。
 その上蔵ノ介はセンターにいたトラウマを持つキメラだ。発作からの生命危機は他のウサギキメラよりなお危険。
 センターに着いた頃には既に脈もかなり弱かった蔵ノ介を治療室に預けて、一応の危険はないと言われても千歳は落ち着かない。
「…お前、俺の所為やろが」
 責めろや、と謙也。違う、と弱く答えた。
 実際、あの仲間は蔵ノ介に関わりは一切ない。
 ただ、彼の何年も昔に家を出ていなくなった兄。彼が蔵ノ介を傷付けた飼い主だった。
 兄によく似た彼を前の飼い主と誤認して、蔵ノ介は発作を起こしたらしい。
 完全に我を失って、千歳の声も理解しない程、痛いほど泣きじゃくる子ウサギの姿が過ぎる度、苦しくなった。

「千歳さん!」

 センターの医療看護士に急に呼ばれて、慌てて治療室に向かう。
「蔵は!?」
「それが、鎮静剤も効いて眠ってたんですが、起きた途端、あなたがいないってまた泣き出して…」
 堅い扉を開けた先、何人もの看護士に囲まれた寝台の上で、管の繋がった腕で必死に顔を擦ってウサギが泣いていた。
「り…っせんり…どこ…! ぇ…っせんりどこ…! せんり…せんり…っ!」
「蔵! ここにおるばい!」
 呼吸もまともにせずに泣く身体を抱きしめて、何度も呼んで髪を撫で、額にキスをした。
「…っ…せんり…?」
「うん。…ここおる。もう独りにせん」
「…っ…せんり…っ。ぎゅってして…ぎゅってしてずっとして…!」
「…うん…ごめんな。寂しか思いばさせた…」
 そのまま、身体に害のない、発作の影響で酷使した身体を休めるクスリを数回分処方されて、帰宅を許された。
「こういうことは、よくあるんです」とセンターの医師。
「大抵の新しい飼い主は、これでそのまま嫌になってセンターに帰してしまうのですが、…その子はいい主人に見つけてもらえてよかった」と。
 家の部屋の、寝台で眠る頬に、泣きはらした痛い跡。
 抱き寄せて同じように横になって、髪を撫でた。
 二度と、この子が目覚めた時、俺以外を映さないようにしよう。
 二度と、この子が目覚めた時、独りにしないように。
 二度と、あんな風に泣かせたりしない。

 祈るように誓った。

 ずっと前から、守りたい愛情はあったのに。
 初めて自覚した。
 守りたくて、愛しくて、泣かせたくない。

「わあ、親ばか」

 謙也の声が頭に聞こえた。多分、違う。
 親のように愛してるんじゃない。

 こんな愛情は、多分、親の気持ちじゃない。

 それでも、今は蓋をした。
 俺がそんな思いでこの子を見たら、前の主人と同じ事に踏み外したら。
 この子はどうしたらいい。なにを信じたらいい。
 守りたいから、自分の気持ちに蓋をした。
 一生、親のままでいい。
 この子を泣かせるくらいなら。


 箱に閉じこめて、一生蓋をしよう。鍵をかけよう。


 閉じこめたのは、愛情。


 かけた鍵の名前も、愛情。









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