DIPED-ディペット-


『 箱は開けられた 』



「今日も閣下はお元気がありませんね」
 国の中心、大統領の下の館のSPが帰宅した大統領の副官に書類を手渡しながら言った。
「ああ、無理もない」
「訊いた話ですが…閣下は一年前、就任でごたついた時に可愛がっていたキメラをその所為で亡くされたとか」
「ああ、特に難しいと言われるウサギのキメラで。
 弓様という雌の美しい方で…、本来五十年は生きた筈なのに」
「キメラは繁殖も出来ますよね?
 その弓様に子供はいなかったんですか?」
「ああ、いなかった。
 弓様ご自身にも血の繋がった兄弟がいないとなれば…」
「それなんですが、俺、この前センターで訊いたんですよ。
 弓様と同じ白金の髪と翡翠の瞳のウサギのキメラの話。
 多分、同じ掛け合わせで生まれたキメラじゃないかって…」
 刹那、堅く閉じていた電子ドアが急に開いた。
「か、閣下」
「それ、本当?」







「せんり、次なに?」
「ああ、次はこれ」
 最初に蔵ノ介と出会ってから、早六年。
 十歳に成長したウサギは、どうみても普通の人間の子供。ただ、その頭に生えた大きな耳だけが違う。
 千歳に及ぶべくもない手足だが、出会った頃よりは多少丈夫になった。
 大きくなって行動範囲も広がったウサギは、千歳の後を自分で追いかけてくる。
 ちまちまと歩いて千歳の服に、腕に手を絡めて歩く。ウサギのキメラでなければ一緒の外出が許可される年齢だが、ウサギは無理だ。そこがウサギのキメラがもっとも難しいとされる所以。
 手を出しても仕方ない、と錯覚させるほど美しく成長するウサギに、千歳も内心戸惑う。それ以上に愛しくなる。
 あと数年もすれば、ひどく美しく育つだろう。
 手を出せない。出してはいけない。前の主人のようになったらこの子を傷付ける。
 だから、一生蓋をしようと決めた。一生、親であろう。この子の害に一生ならないように、誓った。

 外でチャイムが鳴る。
 友だちの誰かかと玄関に向かうと、ついてくるウサギ。
「はーい?」
『千歳千里?』
「……誰ばい?」
 友人の誰か、じゃない。
 咄嗟にウサギを腕の中に庇いながら、問いかけた。
『開けて欲しいんだけど』
「遠慮すったい。なんか不穏な感じするけん」
 鍵もかけている。開く筈がない。なのに、ドアは呆気なく開いた。
「…え」
「セキュリティレベル5…いいとこ住んでるね。
 でも、俺のカードは全部のセキュリティに対応してるんだ」
 見知らぬ、黒髪の青年だ。
「あんた…?」
「俺はこの国の大統領。一応ね」
「……は?」
 そういえば、訊いた。若い大統領が就任したとは。確か、名前は『越前』…。
「俺、なんか不利益したと?」
「ああ、あんたに用事はない。俺が用事なのは、そこの」
 蔵ノ介がびくっと身を震わせて千歳に更にしがみついた。構わず彼はウサギをじっと見る。
「本当に同じ掛け合わせなんだ…。似てる…なんてものじゃない。同じだ…」
「なんの話ね!?」
「その子、俺に頂戴」
「は!?」
「逆らっていいの? キミの経歴を改竄することくらい容易いんだよ?
 犯罪者に仕立て上げることも、金持ちにすることも。
 得したかったら、素直に渡せば、相当出世出来る。
 逆らったら不幸。てだけだけど」
「冗談じゃなか!」
 叫んだ千歳がウサギをきつく腕の中に抱き込んだ。
「俺は蔵がおる以上の幸せなんかなか!
 蔵を犠牲にして、泣かせてまで欲しいもんはない!」
「…せんり…」
 越前は肩をすくめると、背後に控えていたSPを指で促した。
 すぐ腕を取られて引き離された千歳に駆け寄ろうとした蔵ノ介の肩を、彼が軽く抱く。
「蔵ノ介、だね」
「あんた、なに? せんり、はなして!」
「じゃ、俺の言うこと訊く?」
「…な、なんであんたのいうこときかなあかんの?」
「国で一番偉いから、かな。
 蔵ノ介がこのまま俺のとこに来ないなら、俺は千里を死刑にも出来るんだけど」
「…しけい?」
「うーん、まあ、死ぬってこと?」
「せんりしぬん!?」
「蔵ノ介が嫌だって言えばね?
 でも、蔵ノ介がおとなしく来てくれるなら、千里を幸せにしてあげる。
 その代わり千里には一生会えない。
 千里と離れたくないっていうなら、千里を死刑にして無理矢理連れてく。
 結果は同じ。なら、千里を幸せにしてあげたいよね?」
「………………、」
 戸惑った幼い顔が、すぐ泣きそうに歪んだ。
「どうしても、せんりとはなれなあかんの?」
「うん」
「……」
「蔵! そんな話聞く必要なか! 俺はお前がおればよか!
 他の幸せなんかいらん!」
「…せんり……」
 すぐ、ウサギがハッとして越前を見た。千歳の額に当てられたのは、センターで見たことがある、人を殺す武器。
「やめてせんり! ころしちゃあかん! やめて! いくから!」
「…本当。いい子だね」
「……」
 くしゃりと、頭を撫でる手。千歳と全然違う。
「…千里に言いたいこと、ある?」
「……せんり、…」
 いっぱい、ある。
 でも、いっぱい、言うのダメってこの人は言う。
 好きも、ありがとうも、ある。
 でも、
「…せんり、ごめんなさい」

 もっともっと、ごめんなさい。
 俺と、会わなかったら、せんりは。






 風景のいい最上階の部屋に連れてきても、ウサギはひたすら泣いている。
 ウサギの座る寝台に腰掛けて、越前はその赤く腫れた瞳を覗き込んだ。
「ねぇ、そろそろ泣きやまない?」
「っ…止まらへんもん」
「……まあ、そうなんだろうけど。十歳の子が嘘泣きするとも思えないしね」
 人間ならまだしもウサギが、と越前。
「なぁ、いっしょうってどんくらい?」
「は?」
「おれ、なんかい起きたらせんりにあえる?」
「…いや、一生会えないって理解した?」
「やから、なんかい起きたら、なんかい寝たらおれ死ねる?」
「……」
 一生懸命にそんなことを訊くウサギに、越前は反論も忘れてぽかんとしてしまう。
「五十年は…」
「ごじゅっかい?」
「…いや、もっと」
「……、せんり……」
 既に真っ赤な目を擦って、更に泣く小さな身体をそっと撫でる。
「前の主人ばかり呼ばないでくれる?」
「まえのしゅじんやないもん」
「…あのね、なんの話をしてた? 今まで?」
「まえのしゅじんはいやなことするしっ、おれをとじこめるしっ、おれのなまえいっかいも呼ばへんかったもん! せんりやないもん!」
「………………、あのさ」
「おまえ、まえのしゅじんみたいで嫌い。だいきらい!」
 ちょっと、いやかなり絶句した。
 いくらキメラでも十歳で、そもそもキメラは元々知数を高く作るもので、だから十歳のキメラなら在る程度理解はしているはずだ。
 自分の行動がどう『千里』に影響するとか、そんな早くに一生が終わらないこととか、……。
「………」
「あんたさ、千里千里って、千里にそんなに可愛がってもらってたの?」
「……あたりまえやん!」
「…こういうことも?」
 少し手を伸ばして、首に触れて唇で肌を辿る。
 すぐ過剰に反応して泣き顔で抵抗したウサギに、この先の意味は知っていると判断する。
「されたんだ?」
「せんりはせえへんもん!」
「…全然? 誰がやったの?」
「まえのしゅじん! せんりは絶対おれのこわいことせえへん!」
「………千里がいないなら、死んじゃっていいの?」
「…せんり、おらん。そんな時間、おれ、…いちびょうもいらん!
 ぜんぜんぜんぜんいらん! すこしもちょっともいらん!
 せんりにずっといっしょう会えんなら、『いっしょう』なんかいらん!」

 まあ、わかっていたのだけど。

 いっしょう、が『一生』てこと、わかってない。
 世界がどんなものかも、世界の常識も、世界の人間の怖さもなにも、この子は知らない。

 知らないままでも、幸せに生きられるように、多分育てたんだ。
 知らないままで、幸せに笑っていられるように愛された。
 なにも知らないまま、満たされて生きられるように守られて。

 そんな愛され方をされてきた。

 誰かに、姿勢を低くして従うことも、知らなくていいように、守られて、それで。

 そのまま、一生、自分の一生、なにもせずに守り通すって誓ってる。あの男は。

 馬鹿か。順調にいけば五十年。

 そんな長い間、この子に気付かせず、見せずに「親」として、なんて。
 ああ、でもそんな覚悟もなく、触ったり、守ったりしないんだろう。きっと。
 覚悟があるから、なによりこの子が大事だから自分を犠牲にするって覚悟があるから、守って、守り続ける。
 そういう愛され方をされてるって、わかったけど。

「…最後に、一個、訊いていい?」
「……なに」
「千里は、親?」
「……、」
 ウサギは流石にきょとんとした。
「…せんり、おれうんでない」
「うんそういう意味じゃない。
 じゃなくて、親みたいに好き?
 最初の飼い主みたいに好き?」
「…………………たぶん」
 ありゃ、と越前は思う。
「……かな、わかれへん」
「断言出来ないんだ?」
「…せんりとおると、どきどきする。でもわるいどきどきだから、せんりがしったらしんぱいする」
「……それ、悪いヤツじゃないよ?」
「……?」
「だって、そのどきどき、悲しい感じで苦しい?
 胸が暖かくならない? 嬉しい感じで、苦しいけど千里ともっと一緒にいたくならない?
 離れたらもっと苦しくない? 今、離れてる苦しいと、どう違う?」
「………………それ、わかったらせんりにあえる?」
 すがるように、ただ必死に泣いた瞳が自分に向けられた。一途な願いしか映していない、綺麗な瞳。
 自分の言葉で、この瞳は嘆きにも喜びにも変わる。
「……」
 あー、負けた。
「うん、わかったら千里のとこ帰っていい。もうなにもしない」
「…、ぜんぜんちがう。…せんりといっしょにおって笑われてうれしい…けどどきどきする、くるしい、けど…離れたらもっとくるしい。」
「どっちの苦しいがいい?」
「…いっしょの」
「…蔵ノ介、それはね、『特別な好き』なの。
 『親』とか『友だち』じゃなく世界でたった一人愛してるってこと」
「…ともだち?」
「…うん、そこはいいから」
「………せかいで」
 会った人の中で、誰が一番好き?と訊いた。せんり、と迷わず答えて、ウサギは初めて赤くなった。
「多分ね、千里も同じ意味で蔵ノ介が好き。
 前の主人と同じこと、キミにしたい筈」
「うそや!」
「嘘じゃないよ。
 ただ、千里はキミが大好きだから、そんなことしたら君を泣かせる、傷付けるって我慢してる。千里は自分のことよりキミが大事。それだけキミが好きだから、親の顔してる」
「……おれのため、にがまん?」
「そうそう。ちなみに、したいって思った理由も前の主人と世界のいちっばーん端っこから逆まで違うよ。
 前の主人は誰でもいい。千里はキミじゃなきゃいや。
 キミが大好きで、大好きすぎてしたいの。キミが大好きだから」
「…せんり、おれを好き? やからしたい?」
「そう、でも、すると蔵ノ介が怖がるから我慢。
 例えると、蔵ノ介は今回、千里を助けるために千里と離れるの我慢したね?」
「うん」
「千里が大好きだから。笑ってて欲しいから」
「うん」
「千里も、同じこと思って我慢したの。
 蔵ノ介が、千里が苦しいの嫌って思う。胸が苦しくなるくらい好きで、千里が大事だからっていうのと同じ。
 だから守りたいから、自分が苦しいの我慢するから、蔵ノ介に笑ってて欲しいって」
「……せんり、おれのことおもって……、がまんして…今のおれみたいにくるしい?」
「…多分ね。でも、千里はキミがいるだけでも幸せだろうけど」
 あくまで例え。
 ぽん、と頭を撫でて越前は蔵ノ介を抱き上げる。
「さて、帰ろうか。千里のとこへ」





 千歳の家に監視に置いて行かれたSPたちが床に倒れている。
 本当に、この子以外に一番なものなんてないんだな、と思った。
「こら、千歳千里。来てやったからおとなしくして」
 越前の声に振り返って身構えた千歳が、自分に駆け寄ってくる小さな身体にすぐ気付いて手を伸ばした。
「蔵!」
「せんり…っ!」
「蔵…!」
 しゃがんでその小さな身体を抱きしめた千歳に、ウサギも必死にすがりついた。
「…蔵、…よかった」
「せんり、せんり…っ…やっぱり嫌…っせんりとはなれたない…」
「俺もばい…」
 ゆっくり近寄る越前を、警戒して見上げる千歳に彼はなにもしないと肩をすくめた。
「その子が本当に、キミが大好きってこともわかったし、引き離したら死んじゃうからその子。
 だから返す。もうなにもしない。……また、死なせたいわけじゃない」
「…?」
「とにかく、キミがその子を本当に大事がって育ててるのはわかったからいいよ。
 これがどうしようもない飼い主なら、本当に奪うとこだけど。
 …ごめんね」
「あ、…あんた…」
 咄嗟に呼び止めかけた千歳に構わず、越前はSPを回収していなくなった。

「…蔵、怪我、なか? こわいこつ、されてなか?」
「…ない、けど……、」
「けど!?」
「…せんりがおらんだけで…こわい」
「……蔵」
 震える身体を、なおきつく抱きしめる。
「…蔵、なんでんあげんこつば言ったとや?」
「…え」
「連れていかれる時、なんで『ごめん』…?
 俺は、蔵と会ってごめんって謝られるこつなんかされた覚えなかよ」
「…まえのしゅじんのことでめいわく」
「あんなん全然迷惑じゃなか!」
「…いま」
「蔵は悪くなか! 俺は、蔵と離れてまで欲しいもんはなか! 訊いてなかったと?」
「………いた」
「え?」
 きいた、と小さく言う声。
「……せんり、」
「…ん?」
「……せんりは、……おれ、すき?」
「当たり前ばい!」
「おれもせんり、すき。
 ……せんりとおると、ぎゅーてくるしい」
「…、」
 理解して青ざめた千歳に、ちがう、と首を振る。
「そういういみやない!
 ちがうくるしい…」
「…ちがう?」
「……どきどきするくるしい…。あいつが、『せかいでたったひとり』のすきだって。
 せんりが、まえのしゅじんとおなじことしたいけど、おれがこわがるからがまんしてるって。せんりはちがうから、おれがすきだからしたいって」
「……」

 あの大統領…!!!

「……せんり?」
「……う、ん。ばってん、せんよ。蔵がいやがるこつは、絶対」
「…せんり、そやない」
「…え?」
「おれがきいたの、それやない。
 おれは、せんりも、おれがせんりすきみたいに、せかいでたったひとりっていみでおれをすき?ってきいた」
「…………」
 いつになく真剣な顔で、見上げるウサギは戸惑いにも満ちていた。
 違ったら、どうしよう、と。まるで、恋する少女みたいな。
 まるで?
 ……違う? 本当に、この子は、好きなのか?
 俺が?
 誤解したら、ダメだ。傷付けたくない。
「…蔵、…俺がそう答えたら、いつか蔵に前の主人と同じことすったい」
「せんり、ごまかさんで」
「…、」
 強い声。思わず息を呑んだ。
 本当に?
「…おれは、まだわからん。
 けど、せんりのきもちききたい」
「…。…」
 額を押さえて、すぐきつく蔵ノ介を抱きしめた。
 負けた。
「…好いとうよ。世界で一番。…愛しとう」
「……」
「…蔵?」
 やっぱり怖がらせたかと、無言のウサギを覗き込むと、酷く真っ赤な顔。
 耳まで、真っ赤だ。
「……」
 恋する少女みたいな? まるで?
 違う。もう、これは。そのものだろ?
「……、蔵は返事せんでよかよ?」
「あ、あああアカン!」
「よかよか。わかった」
「…ぇ?」
「蔵も、俺を好いとうね?」
「……」
 腕の中の身体に囁くと、もっと真っ赤になってから、こくりと小さく頷いた。
「…安心せ。蔵がもうちょいおおきなるまで、なんもせん。
 蔵が嫌なら、一生せん」
「…………せんりは、しない」
「…?」
「せんりがすることで、おれがいやなことはあらへんもん」
 千里は俺の嫌なことをしない?じゃない。
 千里がすることは全部、なんであっても嫌じゃない、って。
「…蔵、それ殺し文句…」
「?」
「十歳でそげんこつばいうなんて……お前はあと五年もしたらどんなこと言う子になるんやろねぇ……」
「…。せんり…?」
 首を傾げるウサギを抱き上げて、リビングに向かう。
 取り敢えずおなかがすいた。この様子じゃウサギもなにも食べてないだろう。
 取り敢えずなにか食べようと、腕の中に囁いた。




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