DIPED-ディペット-


『 意識 』



 十歳に育っても、まだまだ幼いウサギ。
 そう、侮っていた。
 侮っていたかった。
 気持ちに、蓋をし続けるためには、俺はこの子の魅力を知っては、いけなかった。


 おれも、せんりすき

 せんりがすることで、おれがいやなことはあらへんもん


 まだあどけない、稚い顔で、そんなことを言うなんて。
「せんり」
 我慢すると言った。でも、本当はそんな自信はもう、なくて。
 大きくなったウサギはもう千歳に抱き上げられなくても、自力で千歳の膝の上に乗ってくる。
 寝台に腰掛けていた千歳の上にまたがるように乗ってきて、ぎゅっと千歳にしがみついた。
 昨日と絶対変わりのない重みが、感触が、無性に熱い。
「……せんり?」
 いつもなら抱きしめて呼んでくれるのに、とウサギが不思議そうな顔をする。
「ああ、ごめん。どがんした?」
「…なんもあらへん。せんりにぎゅってしてほしいだけ」
 いつもと同じ言葉。そうだ、この子はなにも変わっていないのだ、と安堵する。
 安心させるように抱きしめてやると、嬉しそうに胸板にすり寄ってくる。その頬を撫でると、それでも堪らなく愛しくなった。
「…」
 そのまま顎を辿って撫で、額にまで指を持ち上げて、そっとまた頬を撫でた。
 慈しむというしかない手つきに、沈黙したウサギを不思議に思って覗き込むと、真っ赤になった顔とぶつかった。
「…っ」
 千歳に覗き込まれたと気付いて、ウサギはぱっと顔を逸らして、耳まで赤くした。

 変わって、なくない。
 この子だって、してる。
 俺を、意識してる。

「……蔵」
「…なに」
「こっち、向いて」
「……」
「蔵」
「…………、」
 おそるおそる、こちらを向いた顔。朱に染まった白い頬、首、その瞳まで染まったような表情に、胸が締め付けられるような愛しさを感じる。
「…蔵」
 いつもより、低く呼んで、小さな片手をそっと掴んだ。
「せん、り?」
 いつもと違うと察したのか、少しだけ怯んだような声を無視して、額の髪を掻き上げ、キスを落とす。
 初めて受ける唇の感触に、ウサギはびくり、と身を震わせた。
「せんり? せんり…っなんかこわい…」
「蔵。わかる?」
「…へ? なに…?」
「…この状況で」
 膝に乗せた身体を抱き込むように囲んで、顔の鼻がぶつかるほどに近づける。
「相手、黙らせるには、どげん方法がよかとか…」
「え…? え…?」
 おかしいほど戸惑う顔が、余計赤くなった。
「まあ、大抵は、男が女黙らせる時? 口、なにで塞げばよか?」
「…え…え…せんり……え…っ」
 キメラは大抵知数が高く作られていると訊く。
 まだ十歳。それもあまりこういった方面にはなにも教えていなくとも、元々が聡い。
 可哀想なほど赤面した顔は、理解したと思って間違いない。
「…せ、…ん」
 そっと頭の後ろに固定するように触れて、視線を合わせる。
 そのまま傾けた顔を近づけると、赤い顔がぎゅっと目を閉じた。
 その鼻先にちゅ、とキスをして、抱えた身体を寝台に降ろす。
「……せんり?」
 目を開けて、きょとんとしたウサギを意地悪に笑って見下ろした。
「普通、昨日みたく気持ち確かめ合ったら、いつこげんなってもおかしくなかよ?
 わかったら、あんまり俺の膝乗ったりせんごつ」
「……………」
 すぐ、しゅんと項垂れたウサギに、悪いと知りつつ、あれ以上自分を押さえられる術を知らない。
 自分だって、そんな出来た人間じゃない。
 パソコンに向かい、椅子に腰掛けた千歳の背中を、じっとウサギが見つめる気配がする。
 いつもは膝に乗せてするが、今日は、今は無理だった。
 あの顔をまた見たら、今度こそ本当にただの「男」として扱ってしまう。
「………っ」
 背後で、不意に足音がした。傍まで近づいていたウサギが、ぎゅうっと千歳の服を掴む。
「蔵…」
 千歳の声に混じった溜息に、怒られていると勘違いしたのか、ウサギがひくっと喉を鳴らした。
 泣いている?と慌てて振り返った千歳の視界の下には、涙を堪えて千歳の腕の服を掴むウサギ。
「…せんり…」
「…蔵」
「おれ、なにかわるいことした? …おこらないで……っ」
「怒ってなかよ…」
 安心させようと出来るだけ優しい声で言うと、またウサギの喉が鳴る。
「おれ、せんりのきもちきいたらわるかった?
 おれがせんりすきになったらあかんかった?
 …ならがまんするから…っせんりすきになるんがまんするから…」
「……く」
「…せんり、すきっていわないから…せんりのきもちきいたりせーへんから…。
 ……やから、いつもみたいにぎゅってして…ひざのっけて…。
 おれのことなでて……」
「……蔵」
「…わがままいわへんから…もうはなれたない…。
 もうそっぽむかないで…。
 もうはなればなれイヤや…せんりのおらんとこ、いちびょうもいたくない…っ!」
 堪えきれず泣き出した顔に、声に堪らなく愛しくなって、きつく抱きしめた。
 苦しげにしながら、拒まずすがりついてくる幼い身体。
 その額に、髪にキスを落として、涙に濡れた瞳を覗き込む。
 馬鹿だ。自分は。
 一人になるのを、俺のいないところにいくのを。
 この子はあんなに怖がっていたのに。
 あの時、センターの医師がいたって俺がいないだけで、あんなに壊れるみたいに泣いていたのを知っていたのに。

 昨日、あの男に一時でも引き離されて、もう会えないと思って。

 この子が怖くない筈ない。恐怖しないはずない。
 俺より、一人知らない人間の元に連れていかれたこの子の方が。
 怖かった筈だ。

 いくら前より大人になったからって、大きくなったからって、この子はまだ十歳の幼い子供で、小さくて。

 主人を恋しく思わない筈がない。

 いや、違う。
 …好きな、相手を。

 そう、この子は意識してる。言った。わかってる。
 我慢出来ないなんて、俺の我が儘だ。
 だから、この子を泣かせていい道理はない。
 そっちの方がよっぽど、前の主人と一緒じゃないか。

「…ごめん、蔵。…ごめんな」
「せんり」
「…俺、お前を好いとう。
 やけん、すぐ、お前に…こう…触れたくなる。
 いけんってわかっとうに…同じこと、したくなる…。
 いけんから、離れようと……ごめん。そうじゃなかのに」
「……せんり、…きいてた?」
「…え?」
 ウサギの顔をじっと見ると、真っ赤になりながら真っ直ぐに自分を見ていた。
「…おれ、いややないって」
「…」
「せんりがすることなら、おれ、なんでもいややない。
 まえのかいぬしとおなじことしても、おなじやない。
 せんりは、おなじやない。
 せんりは…、だいすき…」
 小さく、にこりと微笑んだ顔に、もう本当に堪らないと思った。
 そのままきつく抱きしめ、そっと視線を合わせて、唇に唇を重ねた。
 びく、と一瞬だけ強ばった身体が、おずおずと千歳の服を掴んだ。
 唇を離すと、朱に染まった顔で自分の垂れた耳を撫でて、やがて口元を綻ばせて千歳を見た。

「……俺も、好いとうばい……」





 もう、箱になんかしまえない。
 こんなに愛しい、自覚してしまった気持ちを。
 触れた愛しさを知ってしまった心を。
 閉じこめられる箱なんか、この世にない。
 そんな馬鹿に頑丈な箱なんか、ない。

 鍵なんか、かけられない。

 だって、鍵は「親」の愛情。

 親の心じゃ、鍵はかからない。
 愛情の大きさが、違いすぎて。
 自覚したこの思いは、大きくなる一方で。

 もう、親の気持ちじゃ勝てないんだ。




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