DIPED-ディペット-


『 ウサギ・十五歳(仮) 前編 』



 くしゅん。

 という可愛らしいが、心配なくしゃみをウサギがしたのは、その晩。
 寝る直前、千歳の腕の中のことだ。
「蔵? 大丈夫と?」
「…ん、うん」
「ほんなこつ? 気持ち悪くなったらすぐ言うばい」
「うん」
 髪を撫で、耳に触れた千歳の手に気持ちよさそうにすり寄った身体を横たえて、おやすみと告げると、高い声が可愛くおやすみと言った。




 気持ちを確かめて、キスをして。
 けれど、変わったわけじゃない。
 変わったのは、もう自分は彼の親じゃないということ。
 彼も、もう自分の子供なんかじゃないこと。
 恋人で、気持ちは間違いなく同じだ。
 けれど、それと手を出さないのは別だ。
 今はなんとかキスだけで堪えられるし、それ以上は彼がもっと大きくなってから。
 今、手を出したら犯罪とかそういう問題以前に、傷付けるからだ。
 ウサギ自身がイヤじゃないと言ったって、こんな小さな身体だ。
 抱いたりしたら、間違いなく彼が辛い。
 だから、それはそう理解して、蔵ノ介の気持ちはわかっているから、ただ俺がお前を痛めつけるのは苦しい、全然嬉しくない、悲しい、と伝えるとウサギもわかったと笑った。
 けれど、




 耳元で鳴るアラームに、もぞ、と身じろいでから手に触れる感触に目を開けないまま微笑んだ。
 触れる柔らかい肌が心地よくて、そのまま腕の中に抱き込む。
 小さく声を漏らしただけで、逆にすり寄るような身体のよじり方に胸が幸せになる。
 そこで、はた、となった。
 腕の中に収まる身体だ。両手を一回り回せる。
 そうじゃなくて、出来るけど、そうじゃなくて。
 腕の中の身体が、俺の腕の中に収まる範囲とは別の意味で、大きいような。
 ぱち、と目を開けた千歳の視界に映るのは、矢張り白金の髪と、瞼に隠されているだろう翡翠の瞳。ウサギの耳の生えたキメラ。
 ただ、そこにあるのは『可愛らしい』幼子の顔ではなく、『綺麗な』少年の顔。
 男前と言ってもいいような―――――――――――――。

「…っ蔵!?」

 裏返った声で呼んで飛び起きた千歳に、ウサギはもぞりと身じろいだ後、目を擦って起きあがった。
「せんり…?」
 眠そうな目で、何度も瞬きをしながらもまだ眠いと船を漕ぐ焦点の定まらない視線。
 その身体は、十五歳か十六歳。千歳より小さいが、謙也より、大きい、かもしれない。
 とりあえず、

「……とりあえず……、昨日ば、蔵の服洗濯忘れて、俺ん服着せとってよかったばい……」

 ウサギの小さな服のままだったら、間違いなく破れて今、とんでもなく刺激的な格好になっていただろうから。ちなみに今ウサギが着ているのは千歳の服の中では一番小さいシャツ。それでも大きく、袖は余って、胸元や首が大きく見える。その分、足は際どいがなんとか隠れていた。




「せんり、せんり、…これも緩い」
「…あ、どげんすっとかね…」
 いくつか服を見繕ってみるが、家にある服でだ。千歳と蔵ノ介以外の服はない。
 ズボンはどうしても落ちてしまう。
 結果、シャツ一枚のあられもない格好でいるしかないウサギに、千歳は困ったように視線を逸らした。
「せんり?」
 首を傾げ、不思議そうにしたウサギになんでもないと笑いかける。
 安心した顔をしたが、やはりウサギは不思議そうに千歳を見上げた。
「…せんり、顔、あかい?」
「……あ、うー…ん」
「…もしかして、おれのせんりにうつった?」
「いや、ちがうばい…」
「…ほんま?」
 ひょいと手を伸ばして、千歳の額に触れることが出来る身長。
 その手が触れる感触と、下から覗き込む綺麗な翡翠と色素の薄い顔。
 そして、そのシャツ一枚という、危ない格好。
「……っ…蔵」
「…?」
 ぐい、と肩を掴まれ引き離されて、ウサギはきょんとした。
「服、探してくっけん、ここで待っとるばい」
「…え」
「な?」
 その掴んだ肩の薄さ。いつもよりはしっかりした、なのに、頼りなく扇情的な感触に心臓が高鳴る。腰に痺れさえ感じて、視線を逸らし背中を向けると、その腕にぎゅっとしがみつかれた。
「せんり…?」
「…蔵」
 泣きそうな声。いつもと違う、低いテノール。
「どこいくん? いっちゃいやや。ひとりにせんでせんり…っ。
 なんで? なんでひとりにするん?」
 途中から、涙が混じってしまった声で千歳を引き留め、腕に必死にしがみつく温もり。
「おれがイヤやってわかってんのに…いつもぜったいせえへんのになんで…?」
「…、違う。蔵。そうじゃなか」
「なにがちがうん? ひとりいやや! …せんり……」
 涙に濡れた瞳が、千歳を見上げる。その顔に惹かれて、なにも考えられずに肩を掴む。
 驚いた顔を引き寄せ、唇を重ねようとした瞬間、来客を知らせるチャイムが鳴って思わず、思い切り引き離した。
「……」
 びっくりした顔が、すぐ涙に歪む。
「……っ……ぇっ」
 なにを、

 やっているんだ、自分は。

 来客に構わず、その身体を引き寄せ、きつく抱きしめた。
 涙が止まらないまま、驚く背中を撫でて、持ち上げた手で頬をなぞり、そっとキスを落とした。
「……」
 今、初めて重ねた唇は、あまりに甘い味がした。
「……ごめんな」
「…せんり」
「イヤじゃなか。一人にせん。…わかっとうに、…俺、またやってしまった。
 …お前のこつ、イヤじゃなかよ」
「…ホンマ?」
「うん。ただ、今の蔵は、…大きかね?」
 しっかり理解させようとする千歳の口調に、ウサギはこくんと頷く。「せんりの顔がちかいし、せんりとめせんちかい」と辿々しく言う。
「前に言ったこつ覚えとう?」
「…まえ?」
 首を傾げたウサギに、「俺が蔵に手を出さない理由」と言うと理解したらしい。うんと頷く。
「おれが、いたいのがせんりがいたいから」
「うん。やけん、蔵がおおきなったら、て話ばい?」
「…うん」
「…今の蔵はなんでかしらんばってんおおきか。
 …手ば出せったい。…それが、…歯止めきかんから、傍におるんが……どきどきするしうれしかし、…ばってん、よかの?って困るばい」
「……イヤなどきどき?」
「ううん。だけんこまる」
「……」
 うーん、とまた首を傾げて考え込んだウサギは、今の姿がいや?と聞いてきた。
「イヤじゃなか。蔵は全部、俺は好いとう。
 ばってん、いきなりおおきなって、しかもえらい綺麗やけん……胸が…どきどきすっけん」
「……???」
「あー、つまり、蔵が好きすぎて、それがその姿だと強くなりすぎっけん、困る?」
 そういうとやっとわかったらしい。ウサギは目を輝かせて、千歳にぎゅっと抱きついた。
 え!?と焦る千歳を余所にぎゅうっと背中に手を回す腕はしっかり普通の男の腕だ。
「せんりが、おれがだいすきっていみなんや!?
 …ものっそううれしい!」
「……あ、うん」
「おれがほんまにここまでおっきくなったら、せんり、うれしい?
 もっとおれ、すきになる?」
「…もう、誰よりお前を好いとうよ?」
「…もっと、もっとや!」
「……うん。もっと好きんなるったい」
「……はよほんまにおおきくなる! そしたら、いっぱいさわってせんり」
「……、……」
 とりあえず、きつく抱きしめて自分の動きを封じた。
 そうじゃないと、本当に抱いてしまう。
 本当に、この子はさらっと、殺し文句を言うのだから。

 瞬間、扉ががん、と開いて、不機嫌そうな友人の顔は驚きに変わった。

「…謙也」
「……え? それ、…蔵ノ介?」
 千歳が一人、まずいとこ見られたと思った。




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