歪ん だ 北 極 星 −デビル・ポーラスター
第四章−【擬煌珠−フリーズウィッチの章−】
−寄る辺なき風の魔女編−
第三話−【孤独を馳せる、漆黒の星】
木手の腹を貫いた剣を持つ手が、震えている。 抜いてはいけない。出血がひどくなる。 『これは予言』 「…あ、ぁ、あ……」 『お前は必ず、南方国家〈パール〉の千里と同じ道を辿る』 「…き、て」 『お前は、木手を』 『殺す』 「っ―――――――――――――!」 引き抜かれた剣。 床に倒れ伏す身体を目掛け、もう一度剣を振り下ろした。 「いかんたい」 その手が、背後から止められた。 強い力で。 「…なんだ」 「いかんと。…殺したら、いかん」 「…千歳……」 千歳が手塚を背後から押さえ込んでいる。 「離せ…」 「…いかん。氷の仮面王。“俺のように”なったらいかんと…!」 「……」 「俺のような、間違いは…やったら、いかん」 そこで、気付く。 血に濡れた服。彼は。 「…南方国家〈パール〉の、千里…?」 「…氷の仮面王。俺は、間違えた。 蔵ノ介を…殺すこつ、間違えた…。だけん、俺みたく、ならんでね…? 俺のようにば、…落ちたら、いかんと」 ずるりと手塚の手を離れた手が、身体ごと床に倒れる。 その身体は血塗れだった。 「…千里…っ」 「俺は、まだ、もつと。それより…」 「…誰か…誰か! 財前!」 木手の傷を癒しながら、手塚は必死に声をあげた。 手塚の起こしてしまったことに対して、誰もなにも言わなかった。 それが、痛かった。 堪えている千歳に比べ、自分は、愚かだ。 「千里は?」 「傷は癒えた。おそらく南方国家〈パール〉を捨てて来たのだろう。 …少なくとも、自分が蔵ノ介殿下を殺めたことを、間違いだと認識している様子だった」 ふ、と意識が戻る。 心配そうに覗き込む顔に、千里は笑った。 「金ちゃん…、謙也…」 「…千里…っ」 「…千里」 「……目覚めは、どないや?」 財前に問われて、千里は目を細めてうん、と呟く。 「…これ以上ないこつ、絶望しちょるし、辛かし。 しんどかね」 「…」 「けど、……前と違うと。 今は………すっきりはしとるたい。 余計なもんなくなって、ただ、“蔵ノ介が好き”…それだけになって。 …正直、安心、したと…」 「…そうですか」 「……ごめんな、金ちゃん、謙也…。 俺ば、間違えた。…蔵ノ介を、殺したこつ、間違いだったと。 …今になってわかるたい。 生きてれば、よかった。 生きていてくれれば、…俺はほんなこつはよかったと…っ。 …俺を、愛してなくても。 …俺ん中に、…俺を愛していてくれた、蔵は生きちょったとよ…………」 寝台に横になったまま、その瞳から涙がこぼれる。 「…今でん、愛してる。死ぬほど、会いたか。死ぬほど、愛しとると。 だけん、もう、会えなか。 俺が殺したこつ、会えなか。過ちば蒔いたは、芽吹かせたは俺たい…! …もう、会えなか。だけん、…わかっとう。 蔵は、俺んことば、愛していてくれてた。 …ずっと、愛してくれとった。蔵が望んで俺を忘れたわけじゃなか。 蔵は、悪くなか。 …踏み外した、俺が全部悪か。 ……ごめん。謙也。……ごめんな」 「………」 謙也は瞳を一度閉じると、千里の手を握って、言った。 「俺も、ごめん…」 「…なんでん、謙也が謝ると」 「…俺、俺の笑う後ろで千里が傷ついてるってしらんかった。 わかっとらんかった。 …ごめん」 「……ほんなこつ、謙也はええ子とね」 「そんな年や…」 頭を撫でられて、涙の伝う瞳で微笑まれる。 「……ほんなこつ、…蔵に、そっくりたい」 「…。……うん」 頷くしか、出来ない。 それが、彼を癒せるなら。 「…東方国家〈ベール〉ん殿下んとこ、連れてってくれんね?」 起きあがった千里が言った。 「蔵んとこ? けど」 「今、誰んことも見えなかとやろ?」 「うん」 「…俺が、なんとかすったい」 「…」 「ほんまに?」 「うん」 金太郎の頭を撫でて、千里は微笑む。それは。 「ほんなこつよ」 今までで一番綺麗な、人間の微笑みだった。 ノックされた扉を開けて、千歳は眉を寄せた。 今の彼にしては、大きな感情の起伏。 「…なんね」 「通して欲しか」 「イヤと」 「…、お前が俺を嫌うこつは、ようわかっちょるよ」 「…なら」 「…俺ば、間違えた。蔵を、殺した。 …お前んせいにして、逃げて、…間違えて、間違え続けて。 もう会えなかに、俺はまだ会いたか…」 「………」 「だけん、…蔵は、俺ん中で生きとーとね。 俺ん中で、蔵の笑う顔が、泣く顔が、愛してるって言う声が、生きとると。 想い出になっても、…生きとると。 …やっと、わかった。 俺ば、蔵が傍におるだけで、よかった。 生きて、傍おって、その笑顔見られれば、俺に向けられる笑顔があれば、よかった。 …それだけ、だったと」 「……」 千歳は言葉を見つけられない。 今までの彼とは、あまりに違って。 言葉は、本心だとわかる。 敵意もないと、わかる。 「…蔵に、俺はもう会えなか。それは、もう、覚悟して、認めた。 だけん、一個だけ、俺は救いが欲しか」 「…救い?」 「…もう一度、…“千歳千里”を見て、笑う“白石蔵ノ介”を見ることたい」 千里は微笑んで、だけん、と続ける。 「その子は、俺が助ける。 …また、お前見て、笑えるようにする。 …これだけは離したくなかったけん、…もう一度、…」 手の平の金の結晶。 自分を愛した、蔵ノ介の証。 命より、大事だった。 「…だけん、もう一度俺は見たか…! “千歳”を見て、幸せそうに笑って愛される、“蔵ノ介”が見たか…。 それだけが、俺の救いたい。 それで、…お前の救いにも、なると」 「…蔵を、救えると…」 「ああ」 きぃ、と扉を開いた。 千里が中に入ってきて、そっと白石の前に屈む。 寝台に寝かされた、両手足を縛られた彼を見て、千里はそっと頬を撫でると、口を塞ぐ布を取った。 「…もう、…苦しかこつなかよ」 「…と、せ」 「…うん、“千歳”に、会えるたいっ…」 結晶を口に含んで、唇をそっと重ねた。 最早抵抗しない身体を引き寄せ、口内に結晶を押し込む。 こくり、と喉が鳴って、飲み込んだとわかった。 「…今んは」 「蔵ノ介の、俺んこつ愛した心の結晶。魂の欠片たい。 北極星から落ちたんを、拾った。 蔵には、戻せんかったと。 けど、この子になら。…この子の魂の罅を、癒せるかもしれんたい」 千歳がおそるおそるという風に、白石に近寄る。 頬を撫でて、瞳を覗き込む。 「…蔵………?」 反応は、ない。 矢張り。そう思った時。 「…ちとせ」 「……」 ああ、やはり、無理だ。彼は、わかっていない。 「…千歳」 「…」 「千歳…? なんで、返事してくれんの…?」 「……」 思考が一瞬止まった。 白石の瞳は、しっかりと千歳を見つめている。 「…千歳…返事して」 「……く、ら…蔵…俺んこつ、見えると…? 俺んこえ、聞こえると…!?」 「…うん」 涙が、その翡翠から溢れた。 「見える…聞こえる……やっと会えた…千歳……っ」 「……蔵…っ!」 大きく震えだした手で、その身体を抱き起こして、抱き締めた。 痛い程。 「…千歳、…ずっと、傍おってくれたん?」 「うん…」 「ずっと、抱き締めとってくれたん…千歳…?」 「…うん」 「…千歳……」 「…うん」 「腕、取って…俺も、お前に…お前、抱きたい…」 腕を縛っていたワイヤーを、急いで、震える手で外す。 跡になった腕が、首にすがりつくように伸ばされる。 より一層抱き締めると、声もあげずに静かに泣く。 「…千歳…千歳…千歳……っ……やっと、会えた。 もう、離れたない…。ギュってして、ずっと、もっと、…ギュって」 「…もう、しとる」 「…千歳……好き。…千歳…大好き…。 …千歳は…」 「好いとう。…好いとう。 約束は果たすと。毎日、三十回ずつ言っちゃる」 「…千歳」 「好いとう。好いとう。大好き。…愛しとうよ…蔵…」 「…千歳…っ!」 すがるように抱きつく身体が声をあげて泣いた。 そのまま瞳が交わって、吸い寄せられるように唇を重ねた。 「…とせ」 「…なん? 蔵」 「……好き」 微笑んだ声が、言う。 その至福を―――――――――――――待っていたんだ。 「…二人に、してくれんね」 「…わかっとう」 「…千里」 出ていこうとした千里の背中に、声がかかる。 「俺ば、お前を許せんと思うとった。 だけん」 「…ん?」 「……有り難う」 「……お礼は、こっちが言う方たい」 千里が出て行って、二人になった室内。 「…千歳…」 「蔵」 ぎしりと寝台に押し倒した。 「…よか? …今、滅茶苦茶に、蔵んことば犯したい…。 蔵ん中、入りたい…」 「…千歳」 伸ばされた腕に引き寄せられて、耳元で囁かれる。 「……欲しい、抱いて…千歳…」 「…うん」 「千歳」 もう一度重なった唇。 微笑んだキミが、やっと、言った。 「好きやで」 “お礼はこっちが言う方たい” 広間でぼんやりとしながら、千里は笑う。 思い出す。 夢にまで見た、その光景を。 「……“千歳”を見て笑う“蔵ノ介”を見せてもらったんはこっちとよ」 だけん、お礼は、俺の方。 「阿呆! あそこまで遠慮なくヤりおって…。 ただでさえ何日も拘束されとったから」 「…すまんたい」 「…ようさん歩けへん」 声が近づいて、扉が開いた。 千歳と、それに支えられた白石。 「千里殿」 白石が呼んで、千歳から離れた。 「一個、話が、あります」 「…お礼やったら」 「違います」 「…なんね?」 笑んで座った姿勢から見上げると、白石は少しだけ二人きりにしてくれ、と千歳に言う。 千歳が頷いて、いなくなった。 「…救いが、俺と千歳を見ることやって、聞いて」 「ああ、…ほんなこつよ?」 「でも、あなたには、もっと、救いがあっていい」 「…?」 「死んだ後、俺の中に入ってきた蔵ノ介殿下の、あなたへの、伝言です」 鼓動が、鳴った。 どくんと、五月蠅い。 伝言。 蔵ノ介が。 俺に。 どんな? 恨みの声? いや、救いだと言うなら。 まさか。 まさかまさかまさか。 瞬きすら出来ない千里にやっとの思いで歩み寄って、その頬を手で包んで、微笑んで白石は告げた。 「“千里……愛してる”」 「……」 「それだけです」 「……っ」 喉が鳴った。 すぐ視界は見えなくなって、溢れた涙に埋まる。 嗚咽になりながら、声を絞り出した。 「…蔵…っ…蔵ノ介…! ほんなこつに…ほんなこつにごめん…! ごめん蔵…! 愛してくれてありがとう…ごめん蔵…」 でも、届くなら、届いて欲しい、言葉一つ。 「ごめん、蔵…………」 「蔵…愛しとう……!」 泣きじゃくる千里に抱き締められて、白石は微笑むとその頭を撫でていた。 愛されなかった孤独。愛していた真実。 それがやっと繋がった幸福に、ただ、笑った。 |