わかるよ。キミがここにいる。






最終折り返し地点をずっと探してキミを見つけた
-----------------------------------------------
2-[最後の楽園]
-----------------------------------------------












 ピピピッ

 ワンコールのように鳴っただけで止まったアラームに、それでも意識の覚醒した白石はぼんやりと瞼をあけた。
「あ、起きたと?」
「…………ん」
 千歳の声にぼんやりと声を返した。
 千歳は結局白石のベッドで一緒に眠ったらしい。ベッドの上、起きあがった姿勢で見下ろされて、それがずいぶん懐かしい光景だと思うと同時に、彼が報いのように消えていなかったことに、白石は酷く安堵した。
 そのまま千歳の腰にしがみつく。
「……白石?」
「…………ん、ちょい、こうさせとって」
 白石の口から零れた甘えの言葉に、千歳はすぐに嬉しそうに笑うと、白石の身体を無理に持ち上げた。捕まれた腕の痛みに顔をしかめたのは一瞬で、すぐに暖かいぬくもりが全身を包んだ。
 千歳は白石の上体を起こして抱き締める形を取ったのだ。
「こっちのほうがよか」
「…………、……うん」
 白石にしても、抱き締めているだけより、抱き締め返す腕があった方がより安堵出来て、そう呟く。
 すると、千歳が一層強く抱き締めて、“ほんなことったまらん”と声にする。
 思えば昨日から千歳に、らしくなく甘えてばかりの自分だ。
「………なんや、おかしいか? 俺…」
 不安に思って聞くと千歳は顔いっぱいに笑みを浮かべて、
「たいぎゃうれしかよ」
 と答えた。
 喜んでいるならいい、そう白石も結論付けて千歳にしばらくしがみついていた。
「あ、部活」
「まだ八時にもならんとよ?」
「……え? アラーム、俺八時に設定しとったんやけど」
「あ、さっきのは俺の携帯のばい」
「……なんや、はよ言え。そんならもうちょいくっついてたんに」
 流石に一度離れてまた抱きつくのが恥ずかしくてそう呟いてベッドから降りる。
 行為の後そのまま寝てしまったが、後始末と着替えは千歳がやってくれたらしい。
 シャツ一枚の姿でフローリングの床に足をおろした白石を背後から抱き締めて、千歳は“もう少し仲良うしよう”と耳元で囁く。腰を抱き締め、首を肩に乗せられた抱きすくめられた状態に、顔が熱くなるのを感じながらも“八時までやからな…”と言うだけで逆らわなかった。
 ああ、もう本当に弱い。
 もう、逆らえっこないに決まっている。
 胸を満たしていく愛情という名の幸福に、白石は逆らうことなど出来ずに千歳の腕をぎゅっと握りしめた。
「…可愛か。白石………。もう絶対離さんから覚悟せ」

 お前は俺んもんばい。

 強く言われて、抱き締められて、心まで締め付けられた。
 堪らなくなって、腕の中から逃げ出す。
 一瞬寂しそうな顔をした千歳にすぐ向き直ると、前から向き合ってもう一度抱きついた。
「当たり前や」
 そのままの姿勢で、見上げて詰よる。瞳をぱちくりとさせた彼に、こんなことを言うのは許されないのかもしれない。だって自分は一度彼を捨てた。
 正しい人生を、と言って裏切った。
 だけど、もうそんなことどうでもいい。傍にこいつがいる。抱き締めてくれる。抱いてくれる。好きだって言ってくれる。
 道徳を無視したって、親を悲しませたって、どんな白い目で周囲に見られたって、俺はもうこの手を二度と離せっこない。離したくない。

 だから、離さないで。

 二度と、俺がよそ見なんかしないよう傍にいてくれよ。

「二度と離すな。傍にいろ。………俺は、…お前のもんなんやから」
「…白石」
「お前がそうしたんやから。俺は、決めたから」
「……なにを?」
 俺の身体を抱き締めて、千歳は少し、期待する瞳で俺を覗き込む。
「…残りの人生、全部お前にやる。そう決めたから、やから、…絶対離すな。俺のこと、離すんやったら殺してけ」
 ええか? そう強く言うと途端強く抱き締めて、深いキス。
 てっきり、“たまらん”とか“絶対離さん”とか言ってくると思ったけど、千歳は抱き締める腕を放さないまま、ただそうしていた。
「……千歳……………?」
 伺うように呼んだ俺を更に強く抱いて、一度だけ誰の目にも明らかに頷いた。





「おー、久しー蔵ノ介ェ」
 学校へ行く白石に着いてきた千歳は休みの間はずっとこっちにいるという。
 門をくぐってコートに近づくと、馴染みのある声が白石を呼んだ。
 黒髪に、お前いらんだろと思う似非眼鏡。今は親の都合で神奈川の高雅という高校に通っているらしい、謙也の従兄弟。
 そして白石の、一年間だけの小学校時代の同級生。
「おー侑士ー。今日から参加か?」
「そやねん。邪魔すんでー」
 向こうの高校にはろくに指定ジャージもなかったのだろう。彼はかつての氷帝のジャージを着ていた。
「………えー、忍足? 謙也の従兄弟の?」
「そうや。忍足侑士。よろしゅうな。ややこしいから侑士でええで。
 蔵ノ介も他のやつもみんなそやし」
「あー、同じ中学やないんに、ややこしいからて、みんなお前んこと“侑士”よな」
「そやろー? 一回二年時、四天宝寺行ったらナチュラルに全員に“侑士”呼ばわりされてびびったっちゅーねん」
「氷帝では呼ばれなれてへんのか?」
「岳人くらいしか名前で呼ぶやつおらん」
「あー、向日くんな」
「そうそうおかっぱジャンプ」
 かつての相方をそう呼んでけらけら笑うと、忍足はほな俺久々に謙也と打ち合いすんねんほななーとコートへ戻ってしまった。
「ほんまになぁ…四天宝寺くればええんや…もったいない」
「忍足、今氷帝じゃなかと?」
「今神奈川の学校や。テニス部が廃部になってつまらんから顔出させろって」
「……親の都合?」
「らしいな。謙也の親と違うて忙しい人らやし」
「…白石は、忍足と親しかとや?」
「小学校が同じやったからそこそこ親しい」
 千歳は無言になって、白石を見下ろした。
「なんや?」
「悔しか」
「……は?」
「白石のこと、名前で呼ぶとは俺が一番がよかったたい」
「………………………阿…………呆」
 ぼんやりとそうとしか言えない。
「………ずっと一緒なんやろ? ……成人してからでも、いくらでも呼んだらええねん」
 コートの傍でこないなこと言わせるな、と俯いて言ってやると、よかと? と笑って抱きついてこようとしたので、流石に校内では困ると逃げたら悲しい顔をされたが、それには構わなかった。多少、胸が痛くなったけど。
 いいだろう。家に帰ったらどうせ、俺はお前の言いなりなんだから。
 学校でくらい、逆らわせてくれ。俺は、部長なんだから。





 室内でカードを手に、数人がテーブルを挟んでいる。
「なにやっとーと?」
 見学の千歳が首をのぞかせた。
「部内紅白戦の恒例組み合わせポーカー」
「勝った順に戦いたい相手決めるんよな」
 謙也が答えた。
「俺も参加してよか?」
「お前も? 参加すんのか? 試合」
「さっき先生によかって言われたたい」
「……」
 白石はカードを置くと、どうすると謙也と忍足、財前を見た。
「いいんやない? 俺かて本来部外者なんやし」
「そうやなぁ。それに千歳の腕久々に見たいし」
「ま、ええですよ。俺は」
 その場のメンバーの許可に、白石は千歳を椅子の一個に座るよう促した。
「ルールわかるよな?」
「だいたい」
「ならええ。ほな配るで」
 白石が言ってカードを集めた。

「ほなオープン」
 白石の声に、全員がカードを見えるように向けた。
「フルハウス」
 財前の声に、甘いなと白石。
「フォーカード」
「あ、すまん蔵ノ介。ファイブカード」
 という忍足の横で千歳が笑った。
「ストレートフラッシュ」
「げ。千歳お前強…」
「……そういう謙也は?」
「俺が激弱って知っとるやろが…ツーペア」
「……千歳の勝ちやな。次点が侑士か」
「ほな千歳。誰と戦いたいか言うてええんやで?」
 まるで昔からの仲間のように忍足が言った。千歳に既に馴染んでいる彼は、順応力が高いのかもしれない。
「なら、白石がよか」
「…言うと思た」
 半分予想していたのだろう。白石は呆れ半分に言いながら、ホワイトボードに自分と千歳の名前を書いた。
「侑士は?」
「俺は財前がええ」
「え―――――――――――――――?」
「うわむかつくこいつ…」
「はいはい、侑士と財前な。俺は……決まっとるし。謙也どないする?」
「俺? ………小石川」
「ほな謙也と小石川」
「ここにおらん奴らは?」
「そいつらは負け残り」
「ユウジはともかく、小春は強そうたい」
「小春はダブルスやから」
「ああ…」
「ほな、コート出るか」
 白石の先導で部室を出る。
 ラケットを強く握った。
 千歳はここ二年、ろくな練習相手に恵まれていなかったはずだ。
 加えて右目のハンデは健在の筈。





 コートで向き合って、サーブ権を取った千歳と向き合うと、酷く懐かしくなった。
 そうだ。コートを、ネットを挟んで向かい合う。
 昔当たり前だった。このことすらこの二年、一度もなかった。
 ただ、懐かしかった。
 彼が去る前を思い出して、白石はまた泣きたくなった。
 すがればよかった。九州に行くなと、最初からすがればよかった。
 もう一度、一緒に全国を目指したかった。
 それが、紛れもない本心だと気付いて、自分の愚かな心が、ぎゅっと苦しくなった。
 部員たちはみな自分の試合をせず白石と千歳のコートに集中している。
 千歳の強さは知っていた。だが白石の強さはその上をいっていた。
 白石は中学時代、千歳に一敗しかしなかった。
 そんな風に、白石は強かった。

 だからこそ一瞬にして白石がサービスエースを取られた瞬間、誰もなにも言えなかった。

「………………」
「……フィ…、15-0」
 審判の部員の声が上擦った。
 白石はもう一度構える。
 次は反応できた。しかしラケットはボールに触れることなくコートをはねた。
「………」
「30-0」
 白石はグリップを強く握った。
 汗がじんわりと滲んでいる。
 それは、自覚しなかった驚異。
 彼は、強くなった?
 練習相手などろくな相手はいなかったはずだ。その思いこみは撤回せざるを得ないらしい。
 彼は強くなった。二年前より。
 そう思ってかからなければ負ける。白石のその意志の宿った瞳を見て、千歳は笑った。








→3−[背徳の失楽園]









戻る